恥を知る文化をどこかで見かけたら、金儲けの絶好の機縁に巡り会えたと喜ぶべきなのだろう。黴臭い言葉で言えば、勿怪の幸いと叫びたいところである。人に先んじて恥を捨てる心掛けと、それを着々押し通してみせる踏ん切りがつくならば、そして時々後ろを振り向かるような悪癖に染まっていなければ、きっと成功者の称号を与えられて有卦に入ることができるに違いない。
これとは逆に、恥知らずの国へ迷い込んだと悟ったならば、何はさておき、早々に逃げ帰ることだ。恥知らずばかりの国で勝つあてなどないのは分かり切っているのだから。さて、それが自分の住む国だったとしたら、どうだろう。どこへも逃げ場がないと知り、負けることを受け容れるほかあるまい。勝ち負けの競争をしたいと望むのであれば、それくらいの分別は最初からあってもらいたい。人に恥の心あるのを逆手に取って金儲けしようなんぞと思い付くほどの雄略がないのなら、せめては恥の底を認識する眼力くらい備えていてもらいたい。恥を知っていることが世の中をちっとも良くしない、ひょっとしたら逆に悪くしているのかも知れないということは、ほかにもある所謂隠れた美徳が世界へ及ぼす効能と一般である。