地下鉄の座席で睡り込んでいるうちに、こんな夢を見た。真っ直ぐに伸びる大道から枝分かれしたわき道のずっと先、霞のただよう彼方に行くべき目的の町がある。そこに至る道の途上に崩れかかった堂宇があり、内庭には悲喜という名の小さな古沼がある。堂宇は庭を見下ろす櫓の構えをしている。そして、白日の光を照り返す沼池を抱きかかえるようにして細い道は回り込んで更に遠くへと続いている。櫓は小高い丘に建てられている。目指す殷賑の町に至るには、大道からひっそりと隠れた道筋を探り当て、そこを倦まずに進んで丘の上まで何百段とある階段を登りつめ、櫓の袖、悲喜の沼に沿いながら求める前途を見出さなければならないらしい。
長く難渋きわまる行路を歩んで思い知った我が身の宿命からはあり得ない僥倖に恵まれたのだろうか、大道を渡る風に舞い上がる土煙を傍らに避けた目の前に、見過ごされるべきわき道への入り口が開いている。なに考えることもなく足は小道に入り込んでとぼとぼと細い道に歩を運び、堅土の階の前に出る。いかつい階段を一段一段と踏みしめて長い時間の果てにようやく登り切る。やがて、櫓の影を抜け悲喜の沼が目に映ったとき、不意に、自分が至るべきことに至っていると知る。道は未だ前方へ導いている。ここは経由の場所の一つに過ぎないはずなのに、本当に自分が至るべきところとは、今このときのことだったという得心が前触れもなく落ちてくる。いつ行き着くとも知れない憧憬の町を遥かに望み、小道を悄然と辿りつつ朽ち果てた建物と古沼に差し掛かったとき、ほかでない、この場所を通るときを持つことこそが自分のなすべきことだったのだという全幅の得心が。