美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

太平洋の幅という距離の問題

2013年04月08日 | 瓶詰の古本

   アメリカはいま盛んに日本を空襲するといつてゐる。彼等は日本の木造建築が空襲に甚だ脆弱であるの故を以て空襲に依り日本を参らせ得ると考へてゐるが、日本の木造建築、就中小なる個々の家屋こそは空爆に対する被害が小であり、また再建も極めて容易なのである。
   誰かゞ蜂の巣と皮肉つたあの米国の多数家族を抱擁せる「アパート」や、米人得意の摩天楼の如きこそ、空爆に対する被害が甚大なのである。特に米国の高層建築物は概して耐震性の顧慮が少ないから、或種の爆弾の集中的使用に対しては極めて危いものなのである。それは兎に角、私のいふ米本土への鉄槌とは、慢性的免疫性不徹底な空襲を報復的に交換するのでなく、航空作戦に加ふるにあらゆる強力な他の手段を以てし、一度これを開始せば一挙に敵国の戦意を破摧し得る如く、時日は多少かゝつても十分なる研究と準備とを整ふる必要がある。
   米本土に鉄槌を加へることの困難は、たゞ太平洋の幅といふ距離の問題だけである。而してこの距離の問題も今や偉大なる飛行機の進歩の前には最早問題ではなくなつた。わが国においては既にこの問題は技術的に解決し、独伊また米本土空襲の準備を整へつゝあり、日独伊相呼応して米本土空襲の日は必ずしもさう遠くはないのである。(昭和十八年四月十五日、陸軍技術者有功章授与式。 陸軍省軍務局長佐藤賢了少将口演)
(「戦争政話」 花見達二)

   そのころ岸田日出刀博士が、「空爆都市」という一文をよせて下さつたが、いまよんでも一々肯綮に当ることばかりで、若し政治家や軍人が、あゝした示唆に富んだ文章をよんでいたら、あゝまでひどい惨禍はなかつたのではないかと思う。文中「極端にいえば日本の都市は薪をつんで空襲を待つに等しく、欧米の都市では焼夷弾による災害は大したことにならぬだろうが、日本では焼夷弾による災害は測り知れぬものがあるであろう」といい、更に「日本に於ける都市建築物は空襲に対し、全く無抵抗主義に出来ている」といつている辺り、一々尤もなことであつたが、誰も顧りみなかつたということは如何にもナサケないことだつたと思う。
(「戦前戦後」 木舎幾三郎)

   どちらが正しい、正しくないという話ではない。日々の生活から焼け出される者のことなど誰も想像しようとはしないし、できもしないという話である。それまでの生活が全部なくなってしまうということ、一夜にしてなくなしてしまう人様の生活ということを想像できる甲斐性は誰も持とうとはしないという話である。
   精神の恐るべき欠落ではあるが、どんなに事実を堆積させても埋まらない根源的な欠落である。その欠落の果てにやって来る惨禍は、易々と用意される忘却に立て籠もる人間精神に対する、いくたびでも繰り返される歴史からの復讐なのかも知れない。

コメント
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