この海苔巻きは忠武(ちゅんむ)の名産。のりの厚さが3倍ぐらいある。
フォークソンググループの話。実話。(もちろん少しは脚色) 映画、セシボン。海苔巻きを伏線にしながら。
仲が悪かった二人にもう一人加え緩衝材とした。やっと落ち着いてきた韓国。60年代の歌声喫茶がスタートの事件。
日本でも同様だったが、主に二つの点でもめた。
まづひとつ。
下手なら引き下がる。しかし蓄膿症の鼻づまりの歌がヒットして、そんな馬鹿よりうまいのはいくらでもいたのに彼らは消えていく。どう考えても理不尽だ。
ところが武田は一様に同水準で歌っているつもりでいた。ところがヒットするや否や仲間を切り捨てソロになった。
今思うと、下手の順にヒットした。歌は関係なく、策士の理不尽で不条理な、放送局とのコネがものを言った。
揚水はそんな中でも実力で這い上がった一人だ。それでもなお彼を凌駕する歌い手が久留米大や福岡大にいた。ただこいつらは、頭が弱く売り込みの能力に欠けた。
韓国は100%コネ社会だった。コネは実力を圧倒していたので、聴衆は音楽性の高い歌声に飢えていた。セシボン、すばらしい三人。(グループ名) 50年前の劣化した録音を現在聞いても十分感動する。
反共であることが社会のあらゆる場面で強要され、警察は女性のスカート、男の髪の長さまで統制した。なんと共産主義と自由は同義だった。警官は洋裁バサミでスカートや髪を切った。刑務所に行けばあまり帰ってくる人はなく、帰って来ても廃人になっていた。
そんな社会で唯一取り締まれないものが歌だった。朴正熙をたたえる歌のふりをして替え歌を歌った。
また、内地では根絶されたキリスト教も半島では生き延びていた。そこでの聖歌も歌える人を多くした。
韓国のフォークは、実力と、運と、コネがそろわねばならない。だが一旦それらがそろうと、そこで得た名声は、電波に乗り津々浦々に広がった。
今の韓流スターどころではない熱狂のステージの世界があった。歌い手は個性の強い奴らだ。ケンカも嫌がらせも日常のことだ。
もうひとつ。 「彼女」。 男は女に惚れると、相手をすばらしい人で純情な人だとかってに作り上げる。自分がやりたいだけの化け物であるように、彼女にも打算があり名誉欲があり夢がある。
若くしてこれがわかったら神だな。若い男は振られると裏切られたと断定する。彼女としては迷惑な話だ。「あたしだって男を選んでいいじゃない」
実在のグループ『セシボン』。の生き様に忠実に映画が出来た。
今韓国映画が力を盛り返した。ドラマは最低だ。あと4,5年は韓国映画が僕を泣かせる。
準新作で見られると思う。映画館はいかん。痴呆がしゃべりながら観る。韓国は老人はタダだが人に迷惑をかけると引きずり出される。3回見て3回泣いた。
韓国には30スクリーンのシネコンがある。韓国人用にイスも大きい。映画料金は500円。