か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』、旗艦三笠、三角西港

2016年02月17日 | 東洋歴史

「(るろうにけんしん めいじけんかくろまんたん)」の実写版は熊本県宇城市三角町の旧裁判所で撮影された。もともと三角は景色のよいところで、焼酎いいちこのCMや坂の上の雲などのロケが行われた。

右上が裁判長席、手前が弁護人。窓がいい。景色がゆらゆらゆがんで見える昔のガラス。

若い頃数ヶ月滞在したことがある。今ならそうはいかないが、町は、家賃電気ガス水道すべてタダの一軒家を与えてくれた。仕事は別になかったのに若かったので張り切って動き回った。が、いま思うと僕らしくなかった。

この僕がいた隣家が映画のロケに使われようとは何ということだ。


支離滅裂な映画だ。

旧裁判所の壁にロケを記念してこの絵があった。

「いいちこ」のCMの撮影もあり、いまやなかなかの観光地だ。


「坂の上の雲」にはオルドル邸が出てくる。小泉八雲が滞在したところで僕がいたときは一階が食堂になっていた。いまはコーヒーだけ。

このオルドル邸から20m進むと、もう海だ。この一帯は世界遺産。

それに含まれなかった重要な遺跡がある。赤瀬トンネル。かつて鹿児島本線の終点はこの三角であり、明治貧乏政府は全力で鉄道を通した。まだ100mのトンネルも掘れなかった時代に、日本の技師は雇われ外人技師から一言でも吸収しようとメモを取りつつレンガを積んだ。

三角線に赤瀬という無人駅がある。そこのホームからそのトンネルは見える。明治維新から20年もせずに、のぼり勾配のカーブしたトンネルをレンガで覆うことは絶望的な困難を伴った。100年以上、現在まで一枚のレンガも落ちてない。

外国の真似が出発点であったことは周辺国と違いない。ただ日本は急速にそれ以上のものを作った。

シナ人や朝鮮人にも真似だけならできるだろう。だが、100年前にできたのはわが国だけである。



西港に行くと潮が満ちていた。ここに旗艦三笠は来た。

右にある木は、アコウである。100年以上経つこの木は旗艦三笠を見たに違いない。

日本に敵対する国ですらその無謀な戦に同情した。日本は、船はおろか自動車すら作れない国であり、海軍兵学校の定員は時代により変動はあるが基本100人だった。つまり国はそれ以上は養えなかったのだ。将校は少なくともその10倍は必要だ。

ロシアと軍事力を比較するのは哀しい。国会議事堂とこの旗艦三笠は同額だった。

その三笠が上の写真の海峡に来たのだ。接岸する港すら満足にない国の戦艦がまさに威風堂々やって来て沖合い100mに投錨した。住民にとっては、しばし現実の貧しさを忘れる一瞬の花火だったに違いない。

天草の奥地から徒歩で、熊本から人力や徒歩で三笠を見に来た。

まことに小さな国が死力の限りをつくしてロシアに勝ったのだ。戦艦三笠に負うところが大きい。この船が誇らしかった。

たしかに、貧困にあえぐ国民をさらに崖っぷちに追いやる軍備増強だった。なぜなら小さな島の貧乏人と、かたやその数十倍の国土から数百年に渡り収奪を重ねたロマノフの富とは、比較するのも恐ろしい。

だが当時の日本人に選択の余地はないのだ。東郷が三笠に乗ってなかったら、今頃センター試験はロシア語で受けていただろう。

排水量15,140トン(常備)
全長131.7m
全幅23.2m
吃水8.3m
機関15,000馬力
最大速力18ノット
航続距離10ノットで7,000海里(約13,000km)
乗員860名
兵装主砲 40口径30.5センチ連装砲2基4門
副砲 40口径15.2センチ単装砲14門
対水雷艇砲 40口径7.6センチ単装砲20門
47ミリ単装砲16基
魚雷発射管 45センチ発射管4門
装甲KC(クルップ)鋼
舷側:9インチ(229mm)
甲板:3インチ(76mm)

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