Boxerが講演すると聞き、面白そうだったので行ってみた。
体力が衰えた者でも勝てる秘けつを聞けるのかと期待したが、内容は児童養護施設の子供たちのさみしい現実と、それを打ち消そうと無理をした子供の笑顔の話だった。
それと勝負に対する心構えの話。カンフル剤を打たれたというかエンジンで言えばフラッシングをしたように目が覚めた。機会があれば話す。とくに若造はケンカが強くなりたいと思うやつは多い。チャンピオンからケンカ必勝法を聞き出したいと思うやつは多いはずだ。
そんなものないということがよーく分かった。1に才能、2に努力。champ坂本は、悔しいがそれが現実だと吐き捨てるように言った。
勉強も同様で、努力では越えられない壁がある。ところが才能では軽々と越える壁もある。しかし、それは最先端の話だ。
たいていは努力なのだ。「勉強しなさい」と口うるさくいう親の子はほとんど低脳である。グダグダいわれては勉強しようとする気も失せる。
エビセンを食べながらソファーがつぶれるほどいきおいよく寝そべるカバゴンは、「あんた勉強すんだとね」のほかに言葉はない。
ちょっとほかのブログを見て絶望した。バカはみんカラだけかと思ったが、日本人の低脳加減は度を越している。
なんだ、ペットがどうした、ダーリンがどうした、部屋のお掃除しました、クルマを洗った、雨が降りました。これじゃあ韓国はおろか中国にも抜かれるはずだ。
どこに人間性があるか、どこに教養があるか、どこに品があるか。これは本人の勝手ではない。日本を貶(おとし)めるのみならずこの手のバカは人類を貶める。
講演を聞いているとき、手話通訳が横で目障りだった。というのはさらにその横のスクリーンには、講演内容は即座に表示されているのだ。2つもいらない。親切ぶって欺瞞的、偽善的ボランティアはいい加減にしないか。字幕つきのDVDを見ればいいじゃないか。99.9%の聴衆と講演者に我慢を強いてはならない。
点字誘導ブロックがわずかにずれていると言って、核爆発が起きたように大騒ぎをする自称良い人達がいる。盲人は自分の行動範囲は頭の中に立体的地図を作っている。わずかな点字ブロックのズレ等どうでも良い。
とにかく講演は話をする人が中心の世界だ。絶対みんな話しにくいはずだ。唖の人がほかに絶対聞く方法がないならともかく、目障りなことをボランティアと称しあたかも良い人のように振舞うその思い上がった救世主面(づら)がいやだ。