卓上時計
ルドルフ2世は、父がプロテスタントに理解を示したため、その影響を嫌うハプスブルグ家はカトリックの牙城スペインに彼を送った。やがてそこでカトリックを信仰した。また、弟との不仲は弟の勝利に終わり神聖ローマ皇帝の帝位をはく奪される。
帝位にいたときプロテスタント弾圧は過酷を極め、ドイツ30年戦争の遠因を作った。
こんな自画像を描かせていた
人間は厳格な人もいれば寛容な人もいる。一人の人間でありながら厳格冷酷と寛容温和をうまく使い分けるのが支配者の必須の条件だ。この使い分けが全くできていなかった人がルドルフ2世だ。
しまいにはうまくいかない世の中が面白くなかったとみえ、現実逃避、空想の世界に浸る。城から出ることもなく、宗教対立、迫りくるトルコ帝国の脅威、没落するハプスブルク家…まさに内憂外患だった。
彼のコレクションは狂気を帯びている。王であったころ庇護した科学者のような、占星術師のような、錬金術師のような、わけのわからないものの中からすさまじい人物が出た。わけわからない人物を自由に活動させる度量だけはあった。
彼が権力を失うと同時に、研究成果、絵画、工芸、その他収集品は散逸、盗難、破壊される。
泥棒達には何の魅力もなかったケプラーの著作は、良く残っていた。「ケプラーの法則」自体を述べた本はなかったが、その他の本でも十分力作であることが分かった。
ルドルフはケプラーをことのほか庇護した。
このころは、あのコペルニクスでさえ天体は円運動をしていると信じていた。望遠鏡というものがなかったこの時代、天体観測は肉眼で行われた。弱視の彼は助手を置くが、計算は一人でするしかない。
ぼんやり読んではいかんぞ。空を肉眼で見ているだけで惑星の軌道が楕円であると分かるか。しかもほとんど円に近い楕円。ケプラーはそれをやり遂げた。
惑星や一部のすい星は2個の焦点を持つ楕円軌道を進む。2個の焦点からの距離の和が一定になるように進むのである。そのころわが国は関ケ原の合戦をしていた。
どうせラテン語で書かれてはいるが大体似ている単語もあるのでケプラー予測のところを見たかったがケースの中に入っていたので残念だった。1998年に解決されたとされたが、僕は反論がある。
2008年にも計算をやり直して真実性を高めているが、そんなことをしても数学ではない。ただの計算だ。法則は証明を求めている。
本物に接するということがいかに大事なことであるか。これがバカには一生分からない。それをわからせるのが学校教育の務めだ。暗記ごっこでお茶を濁すバカの集会所になった日本の高校に将来はない。
別の機会だったが、「プリンピキア」に素手で触らせていただいたとき体が震えた。理論のすごさを通じて先達の努力や誠実さを学ぶ。そして、最終的にはScienceに対する畏敬の念を抱く。それが自分の人生に誠実に向き合うことになる。学校はそのためにある。
理解しないバカほど頭(ず)が高い。