どのクルマを選ぼうか悩むなんて楽しいかぎりだ。むしろ迷っていた時が一番楽しかったりする。たかが車だが岐路に立っていると言える。同じ悩みでも自身の進退をかけた悩みはそう簡単ではない。
たとえ自らの進むべき道はすでに決まっているときですら、スムーズに決心がつくとは限らない。後ろ髪をひく要件は多い。進むかとどまるか。ときには心臓を絞るような苦しさがむしろ一本道の上でこそ起こる。
カエサルも悩まなかったわけではない。自分の兵は疲れている。ガリアは寒く病も多く攻め込むとゲルマンが森から進出した。その地獄からやっと抜け出てきたのだ。(ガリア戦記)ところがローマで待ち受けるポンペイウスは元老院を抱きこんでいた。元老院は庶民派のカエサルに対抗して十分な戦費をポンペイウスに与えている。まさに虎視眈々だ。多くのファクターが彼を悩ました。
彼は兵の前ではいつも勇ましいが戦略は冷徹だ。熱情に浮かれた戦をしたことはない。
まるで共和制の末路を見るようにルビコンの前で兵は混乱した。烏合の衆はいくら衆議を重ねても結論が出ない。そんな低能の衆愚に我慢ならんのだ。俺が元老院のアホどもに決別を宣言したとき民衆は歓喜した。俺はこのような烏合の衆から断絶していなければならない。なぜなら俺はカエサルだからだ。
そう考えるとカエサルは踏ん切りがついた。微動だにしない表情を見せることは兵に対する責任だ。そのためには微動だにしない信念が必要だ。
兵はたじろいだ。武装してこの川を越えることはローマへの反逆になる。そこに羊飼いの少年が現れた。少年は笛を吹きながら川を渡った。カエサルは兵を鼓舞する。この少年にできることをお前たちはできないというのか。
兵はローマへと進軍した。兵やカエサルが咎めをうけたことはない。カエサルは元老院側の軍を壊滅させる。処罰をしようとするものを滅ぼしたのだ。
それどころか元老院派のポンペイウスをエジプトまで追いつめて殺している。
羊飼いの少年はカエサルの演出だった。
サイコロはもうすでに投げられているのだ。スキージャンプはもう斜面を滑りだしているのだ。僕たちは過ぎたことに悔やみごとを言い、ああでもないこうでもないと言いがちだ。
ルビコンを渡ったらもう何も言ってはならない。
写真は現在のルビコン川、と言っても溝だな。