か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

知的好奇心

2015年01月06日 | 受験・学校

家にいても、なんだかんだ町内ごとがうるさい。枯葉マークしか使わない公民館の掃除、草取り。じっと家にいても早起き会とかが来る。早起きをしろということは僕に死ねということだ。

卑怯にも子供連れで宗教の話を始めたりする。玄関を閉めてもドアの向こうでしゃべっているのが分かる。バイク泥棒を野放しにする警察も私有地の不法行為は見逃さないだろう。現行犯110番。

さらには脳波を狂わす、さおだけ、灯油、網戸の修繕の巡回車。

こんなだったら学校のほうが静かだった。

世間はなぜこうもうるさいか。

ルミエールは、安倍の暴走に抵抗する庶民の味方だ。金正恩はミサイルを撃ってもルミエールだけは残してほしい。

だが、うるさい。痴呆が妻を呼ぶ声。走り回り兄弟げんかをし僕のカートに当たり、謝りもしないしつけられてない貧乏人の子供。

話はここだ。彼ら生活廃棄物たちの行動基準は、利害である。儲かるか、いくらになるか、どんな利益があるか。・・・


あるとき二人の学生が質問に来た。ひとりは絶世の美女で僕は迷わず毎週おいでといった。もうひとりは頭の出来はともかく顔の出来が非人道的だった。仕方なく一緒に教えるうちに僕はだんだん気づいていった。

他の学生もいるので30分が限度だ。家で出来るかぎり解いて来ないと何にも出来ない。

経験的に可愛いのは、まじめであったためしがない。継続性がなく、やがて興味は男に走る。今回もそのとおりになった。ところが、もうひとりの方はまじめに解いてくる。

するとなんだかその醜いアヒルの子の瞳の中に知的好奇心が見えてくるのだ。つまり行動の動機が純粋な好奇心に根ざしている。

世の中は、行動の動機は利害に根ざしている。「顔」だのプライドだの好き嫌いだの上下関係だの慣習だの、さまざまなことが人の行動基準のようだが、つまるところ、銭金を超えて行動できるほど純粋な人は、少ない。

知りたいという知的好機心のみで食らいついてくる人はだんだん美しく見えてくる。

倒錯の世界に入ってはいけないと心の悪魔がささやくが、ちゃらちゃら人の部屋に入り込んで興味が失せるとさっといなくなる無教養美人より、分かった喜びに顔をほころばせるその子の笑顔は、やはり時として美しい。






 


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