か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

團藤重光(だんどうしげみつ)、法は最低限の道徳。やすらかに。

2012年06月29日 | 学問
98歳、老衰で亡くなった。巨星が落ちた。

最近は殺人犯は殺せ殺せとうるさい。世論全体が死刑賛成論に傾いて團藤さんの書物をまともに読もうとする人が少なくなった。凶悪犯を野放しにするのかとか、少年の凶暴化をどこで止めるのか、という意見が強くなった。僕は冤罪の危険性により死刑には賛成できないし凶悪犯が野放しになるのも許せない。じゃあ一体どっちなんだという前に、はたして凶悪犯は増えているのか。少年は凶暴化しているのかというと統計はそうではないと言っている。

團藤さんとじっくり話した三島由紀夫はすっかり團藤さんのファンになった。團藤さんの刑事訴訟法は精緻なガラス細工をくみ上げる日本独特の刑訴だ。東大を首席で出た彼はそのまま東大の助教授として勤務する。その後最高裁判所長官まで上り詰める男だ。

死刑判決を出した後傍聴席から人殺しと言われ死刑反対を固めたと言われる。それは脳天気な頭をしたパーがでっち上げたウソだ。裁判官がそれぐらいで揺らぐはずはない。死刑囚にとってもその程度のことで死ねと言われたんじゃあたまらない。

大阪空港騒音訴訟はここで取り上げるスペースはないが他の裁判官が下した現状との妥協の判決に比して孤高を放っていた。参議院定数格差問題についてもしかり。

罪人が持つマグナカルタがある。(マグナカルタ、貴族が王の恣意的な支配に反抗して王に認めさせた王の制約条件、つまり罪人といえども権力の恣意的な裁量により罪を決められたりしないこと。罪刑法定主義)  
戦前に諸説あり、あいまいなままであったこの考えを統一した。そこまではよかったが社会が複雑化するにつれ、常識とか、モラルとか、倫理とか、社会道徳とかでものごとを見る必要が強くなり、罪刑法定主義と対立するようになった。(法は最低限の道徳)

たとえば、浅原彰晃をみよう。彼はめくらだ。法廷で叫んだ。こんなめくらの私に何ができますか。弟子たちが私を信じて、私のためにやったことです。私はだれをどうしろとか言ってません。こういわれると反証は困難だ。

しかし、問題はここからだ。今まであらゆる事件で共謀したものより実行したものが罪が重くなっている。浅原は共謀に詳しく立ち入っていない。サリンだ、VXだとかいう知識がさほどあろうはずはない。ましてや全く実行などしていない。

團藤は、以前の事件でこの事件がよって立つべき判例となる決定(棄却)をのこしている。

「基本的構成要件該当事実について支配をもつた者―つまり構成要件該当事実の実現についてみずから主となつた者―が正犯である」 (S57.07.16 第一小法廷・決定)この一文がなかったら浅原は死ぬことにはならない。

裁判員制度の人民裁判化を危惧しながら亡くなった。 朝日新聞は團藤の思想の中心が死刑廃止にあったとする世論誘導をやめろ。
Posted at 2012/06/25 22:20:04

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