か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

用之則行、舍之則蔵、

2018年09月29日 | 思想
用之則行、舍之則蔵、

(これを用うれば則ち行い、これを舎つれば(すつれば)則ち蔵る(かくる))

『採用されれば俗世で活躍し、見捨てられれば俗世から(平然と)隠遁する(力は蓄えて)』
主体は採用する側にあるのではなく、自分が泰然と精進することだ。自分がどこにいるか(会社に入るか失業するか)なんて小さい問題だ。そんなこと気にするな。自分の実力を磨き時を待て。

と、述べている。

日本は縄文時代だったというのに当時の中国は偉い。ところが現代の中国の民度の低さと利己主義は国民から政治家まで一貫している。

ともかく、2500年前の内戦の時代。孔子が平和主義を説くのは極めて危険な時代だった。戦時中に「争わない」ことを主張して多くの弟子の尊敬を集めることは至難のことだ。
 
そうであるが故、彼の言葉は。現代まで通用する「重しが効いた」言葉として語り継がれ研究され教えられてきた。
 
現代は戦国時代でも幕末でもないので、いきなり刺殺されることはない。しかし、わが国は治安がいいとされるが、交通事故を忘れている。4000人/年、死んでいるのだ。追い越したらミラーを壊され、高速道路に止められ後続車にひき殺させるのだ。しかも処罰は形式的だ。
 
こんな時代に交通安全天下り協会の掛け声を復唱しても事故は減らない。「あおり運転はやめましょう」そんなこと言っても誰も聞かない。「人殺しはやめましょう」そう言っていたらDENTSUが高橋まつりさんを殺さなかっただろうか。
 
今も戦争だ。仕事も戦争だ。弱者は自己責任を理由に世の中には不要な弱者だとされ、社会的連帯は寸断されてしまった。
 
こんな状況なら重用されるどころか、路傍に放り出されることが多い。
 
それはどんなに隠しても悔しいことだ。耐えねばならない。こんなとき人は変則的な方法でも飛びついてしまう。コネ、カネ、裏口…。たしかに、孔子は、不正に打ち勝つ困難さを認めている。賢くなることよりバカになることが難しい。
 
しかし、あえて馬鹿になれという。
 
 
ここで差が出るのは教養だ。とくに年寄りは教養がないと痴呆になることが多い。こいつらは、何かと昔はどうだったとか嘘で固め、いかにも会社に必要な仕事をしているフリをしたがる。自分の存在理由が欲しいのだ。中国人より始末に悪い。
 
これこそ捨てられた会社にしがみつき守衛でも運転手でもいいからと泣いてすがって会社にいたがる。そのくせ若手には威張りたがる。低級管理職あたりが威張り腐って退職後まで会社に顔出すようなもんだ。
 
舍之則蔵、簡単に見えて困難だ。
 

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