東京をナパームの紅蓮の炎で焼いたB29に対し、千葉沖で空中待機していた飛燕に攻撃命令が出た。飛燕の無線機は防空司令部の雑音にかき消されそうな声を聞いた。・・・突入セヨ・・・ ナパームを落としたB29は本来邀撃機の餌食であるはずだ。雲に浮かんだ風船のように揺れた。
ところが、昭和20年に入るともう日本にはそんな飛行機を落とす邀撃機すら量産する力は残っていなかった。防空司令部はいつも威勢がいい。全機突入せよ。ところがわが軍は全機といっても6機だ。B29は100機の大群だ。全機で体当たりしても大勢に影響はない。
しかし今はそんな足し算引き算をしているときか。100機対6機が無謀というのはたやすい。何をぬかすか。地上を見よ。原爆以上の人数が焼き殺されている。
飛燕よ。20万人の仇をとれ。機体不調ですでに2機が引き返している。もはや4機しかない。
真木少尉は冷静だった。敵編隊の中の遅れた一機に狙いを定めた。12.7と20ミリがB29に吸い込まれていく。だが敵機からも狂ったように撃ってくる。オイルパイプをやられた。足元はオイルでビショビショになった。血とオイルでエルロンが思うように動かせない。
真木少尉の飛燕のエンジンは焼きつき寸前だったが撃つだけ撃って後は体当たりと決めていた。B29は3回目の斉射をうけたときその巨体を失速しそうなほど中空に向けた。
真木少尉は冷静だった。のたうつ巨鯨の間をすりぬけ戦果を確認した。巨鯨は炎の血を吐いていた。
その後のB29がどうなったかは確認していない。
帰還した飛燕は3機だった。そのうち一機は着陸に失敗して大破した。その時の上官の言葉が忘れられなかった。
「大事な飛行機を大破させおって。それならなぜ体当たりをしてこなかったのか。」
死線を越えて戦っているのに飛行機の心配が先だというのか。これほど戦ってもまだ不足なのか。
数日後その機の搭乗員だった軍曹は自殺した。
僕の戦争物シリーズを終わります。今回奇跡的にご存命のパイロットのお話をうかがうことができましたがご高齢のためお話がよくわからないところがありました。だんだん戦争が遠くなっていきますね。平和のためにこそ頑張った爺ちゃんたちの戦いを僕らは胸に刻むべきだと思います。
ところが、昭和20年に入るともう日本にはそんな飛行機を落とす邀撃機すら量産する力は残っていなかった。防空司令部はいつも威勢がいい。全機突入せよ。ところがわが軍は全機といっても6機だ。B29は100機の大群だ。全機で体当たりしても大勢に影響はない。
しかし今はそんな足し算引き算をしているときか。100機対6機が無謀というのはたやすい。何をぬかすか。地上を見よ。原爆以上の人数が焼き殺されている。
飛燕よ。20万人の仇をとれ。機体不調ですでに2機が引き返している。もはや4機しかない。
真木少尉は冷静だった。敵編隊の中の遅れた一機に狙いを定めた。12.7と20ミリがB29に吸い込まれていく。だが敵機からも狂ったように撃ってくる。オイルパイプをやられた。足元はオイルでビショビショになった。血とオイルでエルロンが思うように動かせない。
真木少尉の飛燕のエンジンは焼きつき寸前だったが撃つだけ撃って後は体当たりと決めていた。B29は3回目の斉射をうけたときその巨体を失速しそうなほど中空に向けた。
真木少尉は冷静だった。のたうつ巨鯨の間をすりぬけ戦果を確認した。巨鯨は炎の血を吐いていた。
その後のB29がどうなったかは確認していない。
帰還した飛燕は3機だった。そのうち一機は着陸に失敗して大破した。その時の上官の言葉が忘れられなかった。
「大事な飛行機を大破させおって。それならなぜ体当たりをしてこなかったのか。」
死線を越えて戦っているのに飛行機の心配が先だというのか。これほど戦ってもまだ不足なのか。
数日後その機の搭乗員だった軍曹は自殺した。
僕の戦争物シリーズを終わります。今回奇跡的にご存命のパイロットのお話をうかがうことができましたがご高齢のためお話がよくわからないところがありました。だんだん戦争が遠くなっていきますね。平和のためにこそ頑張った爺ちゃんたちの戦いを僕らは胸に刻むべきだと思います。