旧制秋田中学、現秋田県立秋田高校。文武両道、質実剛健の素晴らしい高校だ。生徒の自主性を尊重する学校だ。将来必ずもっと伸びる。
はるか戦前、須磨弥吉郎はそこを出た。教師の道をめざしていた彼は広島高等師範に進む。しかし、急を告げる時局は彼をそのまま教師にすることを許さなかった。自分が国のお役に立つには、と考えた彼は外交官の道を選ぶ。中央大学時代から彼の才能は抜きんでていた。5ヶ国語を自由に操れるよう努力した。
彼は赴任国にスペインを希望した。これには彼なりの深い読みがある。
ファランフェ党の党首であり国家主席のフランコは国内の人民戦線の抵抗に手を焼いていた。すかさず恩を売ろうとルフトバッフェ(ドイツ空軍)は人民戦線の根拠地を叩き壊滅させる。フランコは状況を見るのにヒトラーより冷静だった。
恩着せがましく枢軸国としての参戦を要請するヒットラーに対しフランコは言を左右にして中立をつらぬく。
銃殺で国民を恐怖に陥れる軍と資本家とゴロツキと密告屋の巣窟ファランフェ党は、親日的であった。
そこの公使として赴任する須磨弥吉郎はさっそく東(TO)情報機関というのを作り米国にスパイを放った。この情報機関に協力するのがファランフェ党の創立にもかかわったベラスコだ。
アメリカも必死になってこの実態を暴こうとアメリカ国内の敵を追跡する。一部は射殺することができるが情報は須磨のもとに流れる。
ベラスコはプロのスパイだ。本来カネにならぬことはしない。しかし須磨に接するうち日本の外交官の清廉潔白さに共感するようになる。友情が芽生えるのだ。
二人の粉骨砕身の努力はマンハッタン計画の存在とその進捗状況を把握する。千度の高温で人を焼く。人はここまで残忍になれるのか。一刻も早くこの戦争をやめなければ大変なことになる。
二人はダミーの家を建てその中にアンテナを置き外務省に打電した。外務省にはその電報が残っている。きちんと日本で受信されたのだ。ところがそのあとがうやむやだ。
ベラスコは死ぬ前に泣いた。須磨と私はなんのために頑張ったのか。大好きな日本が燃えることはなかったのに。
今回の北朝鮮の人工衛星に対して、お粗末な政府の対応を見ると敗戦直前の無能政府と重なる。