博多湾の東の先から西に30キロほど大きな砂州が伸びる。その砂州の先はいまや陸けい島となった志賀島(しかのしま)に連結する。
僕が学生の頃はまだ完全には繋がっていなくて、夏の日差しを避けて広い橋の下ではイロんなことが出来た。南区からここまでNコロでよく来た。いくら若くても非人道的なNコロのサスは僕を苦しめた。
が、僕のダイオウイカは、くじけることはなかった。戦時中の標語は実に正しい。「ガソリンの一滴、血の一滴。」モーテルごときに払うカネはない。トラックは油を盗みやすかった。一升瓶が立つのでドレインから無駄なくガソリンが取れた。しかもタンクが大きい。時々仕方なく灯油を入れた。チョークを引きっぱなしにすると支障なく走った。
やりたい盛りの18歳。その18歳とやること以上に熱狂させたのが車だった。雁ノ巣(がんのす)というところからは島に向かってほぼ直線に道が伸びる。金持ちのバカはスカイラインを持っていてそこで200キロ/時出したと威張っていた。
(左がその直線、向こうが志賀島)
車外に顔を出すか三角窓を開けるとさすような冷たい風が来る。高速も自販もコンビニもスマホもない時代、県に数箇所しかない深夜スーパーめがけてドライブした。
自宅から通う女の子はきわめて残念な存在だ。アパートの階段を足を忍ばせて降りてきてくれる子は天使に見えた。女子寮の塀を乗り越えてきてくれる娘は勇士、Warroirだ。
夜が更けだいぶ灯りが消えた夜景でも僕らにとっては、Hong Kongのそれだ。
皆でコーラのビンを探した。たまには盗った。デポジット制と言うやつだ。5本集めれば50円、すなはち1リットル。
今日志賀島を一周しサザエを食った。40年前の僕たちにそんなことができようはずがない。食ったことはなかったが、確実に昔が幸せだった。僕は国家試験の勉強のため戦列を離脱したが、だからこそ、なんとしても合格するぞという気合が入った。
その判断が正しかったのかはいまだにわからない。少なくともそのとき思ったことがある。こんな楽しいことを犠牲にするのだから、ただの合格はいやだ。僕の上に人がいない1番になってみせる。
今日一緒に行った内縁の妹は、「バカなことしたね。」と言った。僕が「どっち?、勉強、夜遊び。」と聞くと即座に「勉強。」と言った。
そうだ。聖書も言う。光あるうちに光の中を歩め、と。光が消えるともう二度とその楽しみはやってこないのだ。聖書は、人間を矮小化し懺悔を強要する堅物の書ではない。
この妹、久々にいいことを言った。
海岸で恋人が抱き合っていた。よくこのごろの人はダイオウイカがおとなしくしているな。