検察側は昨年11月、「再審開始を決定するべきだ」との意見書を提出しており、再審で無罪が言い渡される見通し。
決定は、「被害は虚偽だった」とする少女と目撃者の新証言について「大部分は整合し、信用できる」と判断。2人は昨年夏、弁護人を訪ねて新証言をしており、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新たに発見された」とした。
2015 年 2 月 27 日 19:54 JST Wall Street Journal
(引用以上)
男性はすでに3年半の服役をしている。地裁の判決どおりに確定し懲役12年の刑に服しているところだった。強姦の痕跡はないとする医療機関の診断書も、最初検察は存在しないと主張した。
ということは、検察自体、証言のみに基づいて架空の犯罪をでっち上げたのだ。国家権力がその当事者となるとき、すなはちひとたび権力が異端を排除しようと決心すると、いくらでも冤罪が可能な世界を作る。
戦後憲法はこの愚を繰り返さないために、自白の証拠能力を徹底的に低くした。証言についても同様である。
組織というものは一度走り出すと後戻りができない。日本的風土のせいにするのは低脳である。どこの人間でも性向として仲間はずれを恐れ、事なかれを好み、 invisible man(目立たぬ傍観者) であろうとする。
組織は本質として制動がきかないものだ。
検察が証拠を紛失するはずはない。しかも狙ったように被告人に不利な証拠のみが消える。ありえない。この点では検察も14歳のうそつき少女と同じだ。
男性はよく戦った。この不条理の監獄の中で一番つらいことは、時が返らないことだ。勾留と服役をあわせ、男性はすでに6年拘束されている。さらに6年の服役が待っているはずだった。
弁護側の地道な調査により診断書が発見され、ウソ被害少女や仲間のウソがばれた。
これは、すみませんではすまない。少なくとも男性と同じ期間は刑務所に行ってほしい。そうしないとJC(女子中学生)はいつでも誰でも刑務所に送る権利を持つ。
いま普通に思えば、どうしてこんな矛盾した証言が採用されたのか、ありえない話だ。被告人をのぞく全法廷が狂った正義感に酔っていた。
最高裁ですら一旦は上告を棄却している。だからこそ自白証言中心主義は厳に戒めなければならない。
事なかれ、成果至上主義の検察。面白半分のJC。このままいい気にさせてはならぬ。
時を返せ。