か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

学校には、問題が山積。

2016年03月26日 | 教育

僕がはっきりと確認した問題、もしくは一次資料に関してのみ書く。

 

時とともに証拠は散逸し当事者は死ぬ。みずからの汚点を後世に残そうとする人はいない。あの世まで沈黙を保ち汚点を隠すことで真相は闇に向かう。

わずかでも自分の不利益になろうものなら、どんな悪事すら隠そうとする。それがおおよそ多数の人間の行動だ。ただ、許されることではない。

だが、いくら僕でもすべてを克明に細大漏らさず記録しているわけではない。記憶も薄れ、証拠を出せという声に対して反論しにくい場合も出てきた。

しかし、同僚が、研究の内容を県教委から咎められ自殺したとか、パワハラに会い辞めていったことなどは忘れられない。

文科省は、牧枝日教組の時代に手ひどい仕打ちを受けていた。たとえば、校長人事権、新採人事権、校内人事権はすべて組合の管轄化にあった。だから馬鹿でも組合員の息子は高校に落ちることはなく、その息子が教員志望ならかならず合格した。

なんと福岡県には定年すらなく、有名高校で定年を迎えると2倍の退職金をもらった。(第二退職金)

教師の授業は一週間で14時間が平均だが、組合にコネが効くと一週間の授業持ち時間数は2時間になった。予算措置を伴っていたのでどこにもしわ寄せが行かず誰も文句は言わなかった。持ち時間数0の人もいた。

高校の数が少なく偏差値60以下の公立高校はなかった。組合は表面的には、「全員入学を目指し子供の学習権を守ろう」とか言うのだ。しかし、バカが来るのを嫌ったのは組合員だ。馬鹿は私立に押し付けいわゆる「出来る」子を集めわが世の春を謳歌した。

その他有名進学高校校は予備校を経営していて、先生たちは勤務中に予備校に出向き授業もした。そこからの給料は本給を凌ぎなんと非課税だった。これは今もある。


 

こんなことをしていては、かならず揺り戻しが来る。皆がそれに気づいていた。つまり福岡県の教員は沈みゆくタイタニックに乗り豪華なディナーを楽しんでいたというわけだ。やがて、組合員はいなくなり泥舟は水に溶け出した。

ろうそくは明るいほど早く消える。20年ぐらい前から、週の授業時数は増え、研修が強要され、教員免許は期限付きになった。文科省は、先生方を何回もふるいにかけよい子=都合のよい先生だけにしようとする。

外に目を転じると、医者こそ研修が必要だし外科医等に定年制や資格試験がないのはおかしいことは一目瞭然だ。収入は、教員の収入とは二桁違う。教員は頭で教員になるが医者はカネで医者になる。

不条理に沈黙するのは共犯だ。

今、学校の先生たちは、天文学的競争率を潜り抜け教壇に立つ。かと思うと研修研修で採点業務は自宅に持ち帰り、いつも日が変わってからしか寝たことがない。

文科省も大人気ない。教職は専門職で、職人の世界だ。なのに文科省は、組合員の先生を管理しないと、いつまた組合の亡霊が・・・ とおもっているが、その組合独裁のデタラメの世界を知る人は少ない。


本来業務をきちんとこなせば楽しい学校でゆったりとときの流れる午後に、図書館の片隅で転寝をしてもいいではないか、と、僕は思う。

文部官僚の低能は知れ渡っている。戦いは済んでいるのだ。ヒステリーを押さえ矛を置け。

教える技術に公式はなく、下手はいつまでも下手だ。教科の違いを無視した研修なんかより、各先生が、学問的に高まる努力をすることが必要だ。

学校で見る夢はこんな夢が多かった。↓

 



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