京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

真言宗 大覚寺 夜間拝観 2008

2008年11月19日 | 洛西 嵐山・嵯峨野 高雄

大覚寺 夜間ライトアップ

期間  11月14日~11月30日(日)
     17時 ~ 20時30分







             
明智門

大覚寺の正式名称は、『旧嵯峨御所大覚寺門跡』といい、真言宗大覚寺派の本山で、心経写経の根本道場・
いけばな嵯峨御流の総司所でもあります。

門跡寺院とは、天皇又は皇族が住職に就かれた寺院のことで、遠く平安の昔、嵯峨天皇の離宮嵯峨院が建立され、
弘法大師(空海)も幾度も立ち寄られた地でもあります。
嵯峨天皇の孫にあたる恒寂入道親王が初代の住職に就かれました。










明智門をくぐってすぐの所に、嵯峨御流いけばなの作品が出迎えてくれます。










大玄関(式台玄関)を入ったところの大作です。

見る人を引き込むような魅力の有る松の生けこみです。









             









正寝殿(しょうしんでん)
12室も有る桃山時代の書院造りで、格室に狩野山楽、渡辺始興など日本を代表する画家たちの絵が飾られています。
上段の間は、後宇多法皇が院政を執られたところで、僧侶であった法皇が御冠を傍らに置かれたところから『御冠の間』
と呼ばれています。









狩野派障壁画

この障壁画は、狩野派の代表作で、安土桃山時代に織田信長・豊臣秀吉は自己の権勢と富を誇示するため障壁画の
御用絵師を狩野派に命じました。

その当時の手法は、金碧濃彩画と水墨淡彩画の二つに大別できます。
狩野派の絵師は、伝統的な大和絵と中国の宋元から伝わった唐絵との和漢二つを総合折衷して室内装飾画の形成を
一段と発展させました。


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嵯峨菊の由来

嵯峨菊は、旧嵯峨御所大覚寺の大沢池にある菊ヶ島に源を発し嵯峨帝がこの菊を親しくお挿しになった故事があります。
この嵯峨独特の野菊を永年に亘り育成し一つの型に仕立て上げ、風情があり洗練された格調高い菊が嵯峨菊であります。

この菊の仕立ては一鉢に三本とし、長さは二メートルにすることになっております。
これは、殿上から観賞されるに便利なように高く育てるためであり花は、先端が三輪、中ほどが五輪下が七輪と決められて
いるそうです。
葉の色も先端から黄色、薄緑、緑というふうに育てるそうです。









             
             確かに二メートルありました。
             
             嵯峨菊展 11月30日まで



















宸殿 牡丹の間

江戸時代(延宝年間)に後水尾天皇(ごみずのお)より下賜された寝殿造りの建物。
前庭には古式正しく『左近の梅・右近の橘』が配され部屋の襖には狩野山楽筆の『牡丹図』『紅白梅図』をはじめ、桃山時代を代表する金碧画が飾られています。









             


















勅使門(唐門)








             
             御影堂 みえどう(心経前殿)

             嵯峨天皇・後宇多法皇・恒寂入道親王・弘法大師の尊像が祀られています。








             
             御影堂 裏手 菊の御紋が輝いてます。








             
             霊明殿








 
御霊殿の格天井(ごうてんじょう)



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放生池より心経宝塔を望む
風も無く、湖面に映った様子が幻想的でした。









             








              
             石仏群









天神島への架け橋
             








             
             名古曽の滝跡への散道









心経宝塔








大沢池 望雲亭前の船着場









望雲亭

以上、大覚寺でした。
次回は、この日大覚寺の後で行った天龍寺・宝厳院ライトアップです。

コメント
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