月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

アールグレイの香り

2013-03-29 | 生活
姉がシンガポールから帰国したので、夕方、仕事の合間にちょいと実家に顔を出した。

姉は3年3ヶ月の海外生活をようやく終えた。
本当は9月までの赴任なのだが、ダンナさんだけ置いて姉と姪っ子だけが先に帰国することに。
姪のひなはこの春から中3。
さすがに中3の9月に帰国したらどうにもならないということで、きりよく4月から入学することにしたのだ。

ひなは小6~中2までをシンガポールのインターナショナルスクールで過ごした。
英語で授業を受けるので最初は大変だったが、おかげで今はペラペラになった。
ただ、日本の社会や理科、国語はまったくといっていいほど勉強できなかったので、とても公立の中学には入れない。
ということで、京都は宇治にある某私立中学の国際学科を受験し、なんとか受かったのでそこに通う。

なので、本当は姉とひなが一緒に帰国するはずだったのだが、ひなは今、なんとインド!
シンガポールの学校はボランティアに積極的で、インドの子供たちにいろいろ支援を行っていて、今回は実際に行っていろんな活動をするのだとか。
それに参加するとかで、インドへ行ってしまった。
入学式の前日にダンナさんと二人で帰国。ギリギリ間に合うかなということだが、大変だなぁ・・・

なので、今日は姉一人。
何年ぶりかで、久しぶりに家族4人だけ。面白かった。

私が強く「サンダルはダメ!」と言っていたので空港で靴を買ったらしいのだが、足が入らないと言っていた。
シンガポールでは年中サンダルで(それもビーサンみたいなのとか)過ごすので、足が退化してしまったらしい。
「原始人やん!」と思わずツッコんだ。
足の指が開いてしまい、パンプスが履けないというのだ。

そして、寒い寒いと言っている。
「今日はまだ暖かいよ」と言ったのだが、「信じられない!」と震えている。
毎日30度以上の気候で過ごしていたので、これまた感覚がおかしくなっているようだ。寒さに耐えられないみたいだ。
(一時帰国はいつも夏休みだった)

私も時間がなかったので、1時間半くらいバーっとしゃべって帰って来た。
ひなたちが帰国してから、入学&帰国パーティーをする予定。
姉もそれまでに滋賀のマンションを片付けなければならず、大変そうだ。

家というのは人が住まないと傷む、と聞いたことがあるが、本当にそうで、3年3ヶ月の間に誰にも貸さずにいたものだから、すっかり傷んでしまったという。カビもいっぱい生えた。
それで、クロスの張替えなどをしなければならない。
また、家電も古くなっていたので(結婚当初に買ったものがほとんど)シンガポールに行く際に、ほとんど捨てていったというから、それもまた買いなおさないといけない。

「これから仕事どうしようかなー」と言っていた。
シンガポールに行く前は、クラブハリエという滋賀の有名なお菓子のお店で製造のアシスタントをしていた。(パート)
でも、寒くて重くて腰が痛くて、もうやりたくないらしい。
大学を卒業した時は、銀行員だった。
私と違って、真っ当な道を歩いてきた人だ。(酒も飲めない)

これからどんな人生を歩んでいくのだろう。
「なんかやる!」と言っていたから楽しみだ。「英語使いたい」とも。

最近はようやく顔を合わせてもケンカしなくなったけど、いつもと変わらないのは、私が紅茶をいれること。
彼女は当たり前のように座っていて、私が立って紅茶をいれに行く。
「ニルギリとアールグレイ、どっちがいい?」と聞いたら、「アールグレイ」と答えた。

そういえば、紅茶なんて私が子供の頃はリプトンの黄色いティーバッグが主流だった。
そこに砂糖やレモン、ミルクを入れて、甘くして飲むものが「紅茶」という時代。
だから、私は高校生になるまで、紅茶があまり好きじゃなかった。

高校時代に、「アールグレイ」を教えてくれたのは姉だった。
そのためか、アールグレイのベルガモットの香りをかぐと、姉の事をふと思い出すことがある。
意外に影響を受けていることに気づく。
今思えば、いろんなことを教えてもらった。

優しい気持ちで姉のことを思えるようになったのは、私も多少は大人になったからだろうか・・・。
アールグレイを飲みながら、シンガポールのお土産のパイナップルタルトをかじった。

特別な平日

2013-03-27 | 生活
昨日の夕方、スーパーから帰って、さあ、原稿の続きをやろうと気合を入れていたら、夫から電話。
何かと思ったら、珍しく早く帰れそうなので、どこかでご飯でも食べようか?という嬉しいお誘い。
こんなことは本当に滅多にない。年に2、3回。
嬉しくてたまらず、原稿のことなんか忘れて(忘れようとして)、家を飛び出した。

7時半に高槻で待ち合わせ。
すごい、なんか普通の人が帰宅する時間だ。

たまに行く、ちょっとおしゃれな鉄板焼き居酒屋へ。ここはおいしいから好き。
毎日日本酒ばかり飲んでいるので、久しぶりにワインも呑みたかったし。

燻製の盛り合わせや鶏の塩焼き、サラダなどをつまみながら、ビールとワイン。
ワインは赤のボトルを開けた。
ワインは軽いので、二人だとすぐにボトルが空になる。日本酒だとこうはいかないが。

ピザがおいしかった。
チーズがすごくとろとろで。


食べながらいろんな話をした。
楽しくて楽しくて仕方がない。

店を出て、2軒目はバーへ。
激マズのチキンに閉口したが、とりあえずバーボンがあればいいのだ。
エズラロック。


二人で琥珀色のグラスをライトに透かして、「なんでこんなにきれいなんだろうね」と話す。
酒の味じゃなく、色にうっとりするようになったら、もう終わりだな(笑)

平日の早い時間に高槻のバーで向かい合っていたら、付き合い始めた頃のことが甦ってきた。
あの頃は夫もまだ契約社員で、今ほど忙しくはなく、私も梅田の事務所にほぼ毎日通っていたから、よく仕事帰りに待ち合わせて飲みに行っていた。

私が33歳、夫はまだ23歳だった。
「23歳って、おそろしいほど幼かったなぁ」と二人でしみじみ。あの頃の自分を思い出すと恥ずかしい、とも。
夫はなんだか地に足がついていなかったし、私は人格が破綻していた。
だけど、二人でいたら、ただ楽しくて。

当時、夫は私と過ごす時間のことを「平日なのにこんなに楽しいなんて!」と言っていた。
仕事して、帰って泥みたいに寝るだけの生活だったのに、私と出会って変わったのだと。
それを思い出して、「平日なのにこんなに楽しいなんて!」と言ってみた。本当にそんな気持ちだった。
すると、夫は覚えていて、「俺のマネしてる」と言った。

なんてことない時間、いつものバー。だけど、平日っていうだけで、こんなに楽しいなんて。
すごくスペシャルだ。

あまりに楽しいから、調子に乗って、ハーパー、ジャックと続く。
家に帰ったら、12時だった。
気づいたら、夫は一人で布団にちゃんとおさまっていて、私だけが床に転がって寝ていた
ちょっと調子に乗りすぎたかな。

でも、朝起きたら、体の重さとは裏腹に、心がシャキッとしていた。
なんだかツキモノが落ちたみたいに、さっぱりとした気持ちだった。
本当の意味で、これが「リフレッシュ」ってやつだな、と思う。

最近、気持ちが沈みがちで、「前向きになれない時に読む本」とか「自分を不幸にしないための本」みたいなのを繰り返し読んでいたけれど、久しぶりに自然と前向きになれている自分に気づいた。
マイナス思考が消えていた。
理由はわからない。

なんにしろ、いいことだ。
今やっている仕事も今日が山場。明日のお昼に提出したら、それで終了する。
姫子も帰国するし、明日は少し実家に顔を出そう。

春を忘れない。

2013-03-26 | 生活
先週の木曜日に梅田で友人とランチをして別れて家に帰ってから、丸5日間も家にとじこもっていた。
家から一歩も出なかった。
多少の家事と睡眠以外の時間は、ほとんどパソコンに向かっていた。
季節が移り変わることにも気づかず。

夕方、久しぶりに家の外に出てみた。近所のスーパーへと歩く。
数日前のテレビのニュースでは桜の開花を告げていたからどんなに暖かいのだろうかと期待していたが、予想外の寒さ。
薄手のニット1枚だけだったので震え上がった。

明後日、シンガポールからいよいよ姫子(姉)が帰国する。
半袖とサンダルで大丈夫かしら?とメールに書いてあったことを思い出し、家に戻ったら「無理!」って返信しておかないと、と思う。

スーパーへの道のりは、ウソみたいに5日前とは変わっていた。
まず、わが家の花壇を見てぎょっとした。色とりどりの花が咲き乱れている。
ハナミズキの蕾も膨らみ始め、いろんな草木の新芽が出ていた。

特に水仙は、少し前に咲いたのだけど、本当に衝撃だった。
球根の花は、力強い生命力を感じさせてくれる。1年も土の中にいて、もうその存在すら忘れかけていたのに、緑の芽が出てきたなぁと思ったら、ものすごいスピードで伸びていき、気づいたらこんな花を咲かせていたのだ。


ちゃんと春を忘れなかったんだね、と思わず話しかけてしまう。
冬の間、じっと寒さに耐え、こんなにきれいな花を咲かせてくれたと思うと、なんだか愛しくてたまらない。
どうして忘れずに咲くんだろう。

そんなことを考えながら歩いていると、桜が咲いていてびっくりした。
いや、咲いているとは思っていたのだが、あまりに外が寒かったので変な感じがしたのだ。
それに、5日前はまだ咲いていなかった。

花冷え、というのはまさにこういう時期のことを言うのだなぁ。
「花冷え」
昔の日本人はなんと美しい言葉を生み出したのだろう。

スーパーに入ると、中は暖かかった。
周りの人たちはみんな冬の格好だった。中にはダウンを着ている人もいる。
夫以外の人間を見るのも久しぶりで、いろんなことが新鮮に映る。なんだか変な感じだ。

家までの「心臓破りの坂」を上ると、それだけで息があがった。
5日間歩いていなかったら、体力も落ちるんだなぁ。

たった30分の外出がこんなにも驚きと喜びに満ちているなんて、不思議。

疲労回復

2013-03-25 | 生活
やたら時間のかかる単発の仕事を引き受けてしまい、毎日がそれに追われている。
1週間で終わるのだが、ほぼ1日中パソコンに向かって原稿をまとめ続けなければならない。
資料を読み込んで文章に落とし込んでいくような作業なので、頭も使い、疲労感がハンパない。

集中してやれば、1日のノルマは8時間くらいでこなせるのだが、やはり途中で集中が切れたり、家事をやったり、他の仕事もちょいちょいやったりしながらだから、作業が押してくる。
そうすると、夜中に起きてやらないといけなくなり、睡眠不足で翌日の思考能力が衰える。
それでまた作業が押してくるから、また寝ないでやって・・・という完全に悪循環に陥った。

土曜日も作業が終わらず、夜中3時半までやって、7時に起きて続きをやり、どうにかその日のノルマはこなせた。
お昼ごはんを食べて、「委員会」を見て、続きをやろうと思ったが、どうにも眠い。
ちょっとだけ・・・と横になったらもう夜になっていた!

そんな感じで、日曜日は前日の疲労を回復するだけのために使ってしまったのである。
なんだかそういうことがあると、すごく落ち込む。
罪悪感、というのか。
休みの日を「疲労回復」に使ってしまったら、なんだか虚しくなる。
こういう生活をしていたらいけないなと反省。

あれもこれも、あれもこれもとやりたいことがいっぱいで、とにかく毎日時間がない。
会いたい人もいっぱいいるし、読みたい本もたまっているし、病院も行きたいし。
優先順位をつけてこなしていってはいるが、なかなか追いつかない。

今週末は、夫も調子が悪かった。
彼も寝ないでプレゼン資料を作って、また遅くまで仕事をし、土曜日は会社関係者の集まりがあって1日中、上司のお宅で飲んで帰り、日曜日は朝からずっとぐったりしていた。

家の中に二人しかいないのに、その二人ともがぐったりしていると、なんだか家の中も暗く感じられる。
負のオーラが漂っていて、それを自分自身でもどうにもできず、ちょっと気持ちが沈むような週末であった。
なんとか今週ははねのけて、明るく過ごしたい。
明るいオーラを充満させたい。

ああ、そうだ。
1ついいことがあった。
なんと、夫がまた昇格したのである。正真正銘の「チーム長」になった。
昨年も昇格したのに、今年もまた昇格!!

聞けば、会社自体の業績は悪く、社員はみんな、「よくて現状維持」という状態らしい。
そんな中、夫だけが幹部役員全員一致で「昇格させたい」と言われたとのこと。(と、直属の上司に聞いたとのこと)

この間、寝ないで作っていたプレゼン資料は、幹部役員面接で使うものだった。
自分がチーム長としてどんなチームを作って、どう行動していくか、という行動指針をまとめて、面接時にプレゼンするとのこと。
家では私の前で練習もした。
アクションプランとしては非常によくできていて(素人の目から見ても)、わかりやすかった。
実際、仕事は既にチーム長のようなことをしてきていたので、自分がこれまでにやってきたことと、今後の展望をしっかりとまとめてあった。

そして、本番!
あまりうまくしゃべれなかったようだが、それでも資料が非常にわかりやすかったと高評価で、昇格が決定した。
家に帰ってきて、「チーム長様、おかえりなさいませ~」と出迎えたら、すごく嬉しそうだった。
昨年の昇格でもお給料がぐっと上がったのだが、これでまたぐぐっと上がるそうな・・・

私は、夫の会社はいい会社だなと思っている。
今の時代、どんなに頑張ろうが貢献しようが、何の評価もしてくれない会社も多いし、ひどいところは社員を使い捨てみたいにする会社だってある。
そんな中、ちゃんと頑張りや実績を評価してもらえるというのは、働く社員にとって嬉しいことだろう。
また頑張ろうというモチベーションにもつながる。
毎晩夜中まで働かされてるのだから、これくらい当たり前だろうとも思うけれど、それでも会社の業績を考えれば、個人をきちんと見て評価してくれるという心意気はありがたい。
自分の力を発揮して、それが認められるというのはいいよなぁ。
私の自慢の夫である

ストレス解消法?

2013-03-21 | 生活
毎年この時期になると、友人W氏のお母さんが「いかなご」をくれる。
数年前におすそわけでいただいたときに、私が「旨い、旨い」と絶賛し、それから毎年「今年はないの~?」とねだっていたら、いよいよ3年前からは恒例行事のように「今年もいかなごできたよ」と向こうから言ってくれるようになった。

コツコツと営業するって大事だ(笑)

今年も「いかなご渡したいんやけど」とメールが来たので、梅田で会うことに。
飲みでもいいのだが、どうせW氏は辛口の白ワイン1杯すら飲めない人なので、ここはもう女子っぽくランチにした。

以前、T社長に連れて行ってもらったことのある「ピアノピアーノ」へ。ブリーゼの中に入っているイタリアンのお店だ。
私が行った時はディナーだったけど、ワインもお料理もおいしかったし、食べログチェックをしたら、ランチも好評価。
結構すぐに満席になると書かれていたので、念のため11時45分に待ち合わせて行った。
驚くことに、その時間でもうほぼ満席!
カウンターの席になったが、パスタランチがとてもおいしかった。


↑前菜盛り合わせ&パン3種

パンもおかわり自由で、この後、タコのマリネサラダと、メインのパスタ、それにデザート2種盛り(この日はシャーベットとチョコレートケーキ)がついて、1,260円!
なかなかお得だ。店の雰囲気もいいし、人気があるのもうなずける。

W氏は某大学の非常勤講師をしているので、主婦のように平日昼間にランチができる。
最近、家に引きこもって新年度の準備などに追われていたらしく、ストレスがたまりきっていたのか、人との会話に飢えていたのか、いつもの数倍の勢いでしゃべっていた。(非常に面白かった)
ストレス性なのか、腸(?)まで痛み、病院に行ったとのこと。
「アラフォーは検診が大事!」という話で盛り上がる。
年寄りが病気の話ばかりするのはなんでだろうと疑問に思っていたけれど、40歳になればその答えはおのずとわかる。

「ストレス解消法って何?」と私が聞き、W氏にはストレス解消法がない、という結論に至った。
酒もタバコも(女も)やらない。
「いいなぁ、酒が飲めて」なんて言っている。

そういえば、私はあまりストレスがたまらないタイプだ。
決して穏やかな性格ではないけれど、イライラも鬱憤もすぐに吐き出すので、「たまる」ということはない。
お酒もあるし、よく人と会うのでしゃべりたおすし。
それに、これはこのとき話していて思ったことだけれど、「モノを創る」という作業は、とてもストレス解消になるように思う。
集中できるし、何もないところから生まれてくる過程を見ることもできるし、何より出来上がった時の喜びが大きい。
私は基本的にモノ作りが好きなので(仕事もそうだし、料理や手芸、ガーデニングなど)、子供の頃から「一人遊び」が得意だった。
今でも何日も家にとじこもっていることがあるが、それはかなり楽しい。
とじこもることで鬱屈するということはないのだ。

そういう話をして、W氏のストレス解消法を考えてあげることにした。
「一人カラオケはどう?」と聞いたら、「よけいストレスになるわ!」と返された。
「モノ作りは?」
「不器用なん、知ってるやん・・・」
「ジョギングは?」
「シューズとジャージ買ったけど、寒いし・・・」
「これから暖かくなるやん」
「今度は花粉症が・・・」

はぁ・・・・

という感じで、結局、ストレス解消法は見つけることができなかった。
「昔、俺の趣味を一緒に考えてくれたことを思い出したわ」と言われた。
そういえば・・・

その後は、ハービスのちょっと雰囲気の良いカフェ(私がたまに利用するところ)で、お茶することに。
ここはちょっと高いけど(1杯600円前後)、ソファ席でゆったり落ち着けるので気に入っているのだ。

滅多に頼まない「カフェラテ」なるものを注文したら、こんな可愛いので来た!


「カメラかじってる芸人」で小藪さんが「絶対撮ってはいけないもの」に挙げていたよね、と言いながらも撮影する。
「絵心ない芸人」の私は、手先は器用だが、画力が幼稚園児から進歩していないので、絵が上手な人を見るだけで興奮する。
いいなぁ、こういうの描ける人。

カフェでの話題は、今見ているドラマの話と「スクールカースト」。
W氏が延々とスクールカーストなるものについて話をしてくれた。
さすが、教壇に立っているだけあって、話が面白くて引き込まれる。なんだか1コマの授業を受けているような気分だった。
勉強になるわぁ・・・

「えー、でも、こうじゃないの?」みたいに私が反論するようなことを言っても、もうケンカにはならないんだなぁと思った。
昔はすぐに二人ともカリカリして、論争が巻き起こっていたのだけれど。
これが歳を重ねるということか。

知的欲求が満たされ、非常に有意義な時間を過ごせた。
2時間くらいあっと言う間だ。

帰り道、気持ちがスッとしている自分に気づいた。
もしかしたら、私も知らないうちにストレスがたまっていたのだろうか。

結局のところ、気の合う友人とのおしゃべり以上のストレス解消法はないのかもしれないな。
そんなことを思った、楽しいランチタイムであった。