月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

ひどいクリスマスイブ

2021-12-25 | 仕事
ぐったりとソファに寝転びながら、「そっかー、今日はクリスマスイブなんだなぁ」と思い出していた。
テーブルの上には、食べ終わった後の皿が3枚と箸。
帰宅して、とりあえず何か口に入れたいと思い、トマトを切って、小松菜とツナを炒めて、卵を焼いた。所要時間5分。
がっついて、ソファに横になった。

膝が痛い。動いた時に「うっ!」となって思い出した。
取材が終わって、打ち合わせのために事務所に移動した時、エレベーターの前で思い切り転んだのだ。
一緒にいたデザイナーさんが「あ、段差……」と言いかけて止まった。
段差なんてなかったからだ。
もうこれは特技と言えよう。段差もない、酔っ払ってもいない、それで年に2回は転ぶ。(そういう病気か?)

今朝もふらふらで起きて、滋賀まで取材に行ってきた。午前中に1件、午後に1件、その後、紙面の打ち合わせ。
移動中や昼の休憩も、すみません、失礼しますと謝りながら、パソコンを取り出して修正のやりとりが続く。
最近出していた10本くらいの記事がすべてデザインやクライアントチェックにまわり、一気に修正が返ってきているのだ。

修正といっても、一から文章を練り直すようなものではない。1、2カ所、言葉の変更があったりする程度のこと。
ただ、私の場合、「デザイナーに投げて、はい終わり」という案件はほとんどなく、デザインがあがってくれば、写真の位置から文字校正までやって返したり、自分でクライアントにチェックにまわさなければならなかったりで、原稿提出後の作業もやたら多いのだ。

特に、大手メーカーの案件は、たとえそれが消費者向けのコミュニティサイトの1記事であったとしても、ライター、設定、ビジュアル担当、校閲、それらをまとめるディレクターがいて、クライアントも何人も関わっている。
多いものだと、記事の確認メールを送るのに、CCが15人ついたりする。
このうち本当に内容を見ているのは、きっと5人くらいだと思うのだが。こういう無駄は本当に省いたほうがいいと思う。悪い風習だ。

たちが悪いのは、先方で必要な人が全員見てから戻してくれないパターン。
1回目、ちょこっと誤字があったくらいでよかったと思ったら、2回目に店のオープンの日付を修正。
もうこれで大丈夫だろうと思ったら、前の2回は完全にスルーしていた箇所をいじってくる。
そのたびに私は修正をまわしてくれたクライアントに返信⇒デザイナーに転送⇒修正確認⇒クライアントに返信という流れでメールのやりとりを行わなければならないのだ。
これ絶対、毎回「見ている人」が違うやん……とわかる。1回目広報、2回目営業、3回目製造やって、絶対。その視点で修正が入っている。
頼むから、全部署で見たものをまわしてほしい。

また、こんな時に限って、ある案件のクライアントの担当者が交代した。
おそらく若い人にバトンタッチしたのだろう。(前任者はそれこそいつもCCに入れないといけない)
で、こういう時のパターンだが、後任者は「仕事をしなければ!」という想いが強いので、前任者ならOKが出るような原稿でも、重箱の隅をつつくようなチェックをして、とにかく「何か」モノ申してくる。
「OKを出すこと」ではなく、「モノ申すこと」が自分の仕事だと勘違いしているのだ。

間違っている情報なら、もちろん修正すべきだが、なんというか、ニュアンス的なものというか、もう好みのレベルのところを「こうされたほうがいいと思いませんか」と修正してくる。
もちろん素直に従うのだが、思い付きで語尾だけ修正してくるものだから、前の文章とかぶってしまい、おかしなことになる。
(たとえば、「送ってくださいね」「送ってくださいね」と2回続くなど)
やはりそれは変なので、その旨お伝えし、「これはどうですか」と提案すると、それはそれでまた気になるようで、たった3行の文章のやりとりが何度も行ったり来たりすることになる。
こういうのを私はいろんなところで経験しているのだが、素人が文章の校正に手を出すと、その人は最終的には自分でも何が正解かわからなくなり、迷宮入りする。
落ち着くところは2パターンで、「初稿とまったく違うものになる」か、「元に戻る」かだ。

この手のやりとりが一気に10本くらい行われていて、それもみんな年末までに終わらせたいと必死だから、私も空き時間で急いで対応する。(レスを早くするというのは私のポリシーだ)
滋賀の仕事が終わって、デザイナーさんと京都で別れたら、家に帰る時間ももったいないので、すぐに店に入ってメールのやりとりを開始。
ふと顔をあげたら、さっきからやたらと手をつないだカップルが目に入る。
そうか、クリスマスイブやん!と気づいた。
これからクリスマスディナーなのかなと思いながら、またパソコン画面に目をやる。

急ぎの送信を終えて、ようやく帰宅。
それで、このブログの冒頭のソファシーンに戻るわけだ。

夫はこの2年近くリモートワークでほぼ家にいたし、一時期は仕事もわりとゆっくりしていたのだが、ここのところ大口の新規案件を受注したものだから、一気に忙しくなって、出社したり東京へ出張したりが続いている。
だから、クリスマスイブだからといっても、何もない。
私は、自分だけのために料理をする気力も体力もまったく残っていなかったから、そのままぐったりしていた。

気圧の変化が激しい日で(最近は気圧変化と体調を結び付けるアプリをスマホに入れている。需要があるということは、世の中には気圧で体調を崩す人が多いということなんだろうな)、最初からアプリは「爆弾マーク」が付いていたので、嫌な予感はしていた。
やっぱりハードな1日にも関わらず、ずっと腹痛があった。
睡眠不足、ろくなものを食べていない、腹痛、疲労で、本当に起き上がれなかった。

「昨日は何を食べたっけ?」と思い返したら、パンとチーズとトマトと赤ワイン1杯だった。フランス人かっ!とツッコみたくなる。
今日は小松菜と卵を食べられただけよかった。野菜とタンパク質は大事だ。

本当にひどいクリスマスイブ。
もう何もできず、お風呂にも入れず、食器も洗えず、そのままずるずると布団に体を引きずっていき、倒れるように寝た。

病気になるまでは1年中こんな生活をしていたよなぁと思い返す。
それが20年続いたら、病気にもなる。

今月は本当にあの頃が戻ってきたみたいだった。
大変だったけど、とりあえず、昨日で峠は越えた。
取材があと1件、原稿は短いの(500字くらい)が4本と、長いの(5000字くらい)が1本。
短いのは土日の午前中でちゃちゃっとやってしまえばいいし、長いのも5時間くらいでできるだろう。

よく寝たので今朝は元気だし、気圧も安定しているので腹痛もない。(転んだ膝は痛む)
今日は昨日できなかったクリスマスをやろう。
とりあえずチキンでも焼いて、ゆっくり食事をしよう。

年賀状はもうあきらめようかな。

忙しさは忙しさを呼ぶ

2021-12-11 | 仕事
取材させてもらった佐賀の酒蔵はとにかく素敵な蔵だった。
社長を筆頭に、蔵人さんたちがみんなフレンドリーで楽しそうに働いていて。
こちらまで心がほどけていくような、そんな感じ。美味しいお酒を飲んだ時と似ているかもしれない。

しかし、長かった!
今シーズンはなぜかおしゃべりな社長と縁があるようだ。
蔵見学も含めてだけど、朝9時半にスタートして、蔵を出たのが17時過ぎ。7時間くらいは取材していた。
そこから帰路についたので、家に辿り着いたのは22時半だった。
確かに疲労していたが、それでも長時間のわりに元気だったのは楽しかったからだろうなと思う。
いい記事にしたい。

11月から急激に忙しくなり、12月は出張続きで原稿にも追われ、今はピーク。土日も関係ない。
それでも今年は24日(金)には取材や執筆をすべて終えて、25日以降は修正のやりとりや資料の整理などにあて、29日からは休みにして大掃除とおせち作りだなと思っていたのだが、佐賀にいる間に仕事が入った。
いつものデザイン事務所からで、メールを読むと20ページの冊子で、企業取材が7件あるとのこと。
大口案件はありがたいので「やった!」と思ったら、スケジュールを見てびっくりした。
1月末には印刷を終えて納品したい、とあるのだ。つきましては、12月16日~1月1週目で取材可能日を教えてほしい、と。

え?めっちゃ急やし、めっちゃタイトじゃない?!
取材可能日と言われても、24日まではがっつり仕事が入っているわけで……
とりあえず、24日までに仕事を終えるという目標はあきらめていろいろ調整し、年内23日~28日なら取材可能と返事をした。
1月も4~5日が旅行なので、私は5日まで休む予定にしていたし、7日はすでに取材が1件入っている。年始可能なのは6日だけだ。
取材7社は無理やり入れられたとしても、同時進行で記事も書いていき、15日くらいにはすべて提出しないといけないわけで。
1月半ばまでは落ち着けないなぁと思っていたら、別の人からメール。
去年の今頃お世話になっていた方で、事業承継のサイトをオープンする際、後継ぎの社長さんたちの記事をかなり書かせていただいた。
「今年も少しだけお手伝いしてくれませんか」とのこと。「5本でいいので」と。
スケジュールを聞けば、12月半ば~1月半ばだという。
丸かぶり!!
とはいえ、せっかく声をかけてくださったのでバッサリ断るわけにはいかない。
状況をお話して「最低2本、あとは余裕があればできるだけ」ということにしてもらった。

いつもそうだが、どうして「忙しい時」に忙しくなるんだろう。これは本当に不思議。フリーランスあるあるかもしれないが。
夏の暇だった時の私に手伝いに来てほしい。
時間銀行があったら、使わない時間を預けておいて必要な時に使えるのにと、そんなことも考える。
あの時間が今あればなぁ……

忙しいのは好きだし、仕事があるのはありがたいのだが、何も年末年始を挟まなくていいのに、とも思う。
それに、15日は4カ月ぶりのCT検査もある。今はストレスをためず、睡眠もいっぱいとりたい時期なのに、こんな時に限って土日までつぶさなければならないというのが辛い。
結果がわかるのは22日。
良い結果を聞いて、思い切り仕事に打ち込みながら今年を終えて、また良い年を迎えたいものだ。

岡山旅行3日目 備前

2021-12-07 | 
今日は取材で佐賀県にいる。
1日目は飲食店取材だけで、夜はクライアントさんとカメラマンさんと飲みに行った。
でも、2人ともお酒に弱いので、私としては「これからやん!」という時に「そろそろ…」と。
無理やり飲ませる趣味はないので、コンビニでビールとワインを買って、ホテルの部屋で飲みながらこれを書くことにした。

*   *   *

岡山旅行の3日目は、朝から宮下酒造さんへ。
日本酒の蔵だが、ウイスキーやビールも造っている蔵で、その設備などは見学させてくれるという。

ものすごく簡易的なものではあったが、説明してくれたスタッフの女性も感じがよく、行ってよかった。
ウイスキーの蒸留釜はこんな感じで、珍しいドイツ製。


クラフトビールが今は流行っていていろんなところで造られているが、こちらはかなり昔からやっている。


見学した後は、家に帰る途中で備前に寄ると決めていた。
もちろんお目当ては備前焼。何年か前に夫と行って、酒器やお皿をいくつか買ったのだが、やはり備前は好きなので機会があればまた行きたいと思っていた。
それと、親友の誕生日が近かったので、プレゼントにマグカップを買いたいという目的もあった。
彼女はお酒は飲まないがコーヒーは飲むし、マグカップはいくつあっても気分で変えられるのでいいかなと思っていたので。

備前焼を見たいなら、伊部駅周辺に工房やショップがある。
なので、伊部駅前の駐車場に車を停めて、歩いていろいろ見に行った。
まずは伊部駅横にある備前焼伝統産業会館へ。
ここは備前の何十というたくさんの工房・作家さんの作品がある。
本当にたくさんあるので、じっくり見るとここだけでもかなり時間がかかる。
同じ備前焼でも造り手によってやはり違いはあるもので。自分の好みかそうではないか、はっきりわかれた。
とはいえ、比較的どれも良かったのだが、群を抜いて「これは!」という作家さんのものがあった。
備前では珍しく、青みがかったグレー。
ぐい吞みやマグカップを覗いてみると、中に紅葉が見える。
それに他とは明らかに違うのが、薄さだ。
備前焼はどちらかといえば、ぽってりとした厚めのものが多いのに、まるで磁器のようになめらかで薄い。
明らかに異色で、それが奇をてらっているのではなくて、久しぶりにドキドキするような器だった。

広いしたくさんあるので、夫とは別行動で見て回った。
すべて見終えて、「どうやった?何か買いたいのあった?」と私が聞くと、夫は「ひとつあった」と言う。
私も「私もひとつあったよ」と言って、さっきの作家さんのところへ連れていった。
「これ」と言うと、夫はびっくりしたようなにやけたような、変な顔をしている。
どうしたのかと思ったら、「俺もこれ」と言う。
何十もの作家さんがいて、何百の作品があって、2人ともこれなんておかしいと思い、「嘘やん!合わせてるやろー」と言ったら、夫が「だって、これ」と言って、ポケットから紙を出した。
それは、その作家さんの作品の前に置いてあった、工房の住所や電話番号が書かれたものだった。

二人で改めて「えー!」となり、それから「これいいよなぁ」「絶対買いたい」と言い合った。
それでもまだ備前焼めぐりはスタートしたところだったので、とりあえず買わずに他も見て、これ以上のものがなければ戻ってこようと話して、いったんそこを出た。
それから3,4軒めぐったが、正直、さっきの器以上のものを見つけることができず、それどころかますますさっきの器への想いが募ってくるのが自分でわかった。

私は引っ込み思案なので、積極的に自分からどこかに電話をするというのもないのだが、なぜかこの時はどうしたってこの器の工房へ行ってみたくて、夫がポケットに入れていた紙を出してもらって「電話して行ってみようよ」と提案してみた。
夫はもちろん「行こう、行こう」と乗り気だったので、電話することに。
ただ、やっぱり電話は夫にしてもらったのだが(笑)

電話を切った夫に「どうやった?」と聞いてみたら、「行っても大丈夫って。道も詳しく教えてくれた」という。
場所は近くで、車で10分もかからないくらいだった。

工房に着き、車から降りて「こんにちは」と入ると、作家さんらしい男性が迎えてくれた。
気さくに「こちらへどうぞ」とろくろのある工房へ案内してくれる。
さらにその奥の登り窯まで見せてくれて、今は焼いていないので中にまで入らせてくれた。





作家さんは延原勝志さんという。
作品を見た時にものすごく新しい備前焼という感じがしたので、若い人なのかと思っていたら60歳のベテランで、いろんな賞もとられているし、講演などもされているし、備前焼工芸士の中でもかなり権威のある方。
でも、とても気さくにいろんなことをお話してくださった。

私たちが魅せられた酒器がこれだ。


中の紅葉は本物で、これを焼きつける技法を確立するのに7年かかったという。
また、赤いものはいかにも備前焼の色だが、青みがかったグレーの色が珍しくて聞いてみると、「青備前」というらしい。
焼く時に酸化すると赤くなるが、酸素が少ない状態で焼くと青くなるのだとか。
備前焼は本当に知れば知るほど深いなぁと思う。1つとして同じものは生まれないし。

マグカップもあったので、友達のプレゼントもこれに決めていた。
赤にしようか青にしようか迷ったが、青備前は珍しいこともあり、青に決めた。
私たちも自宅用に、赤と青のマグカップと酒器を買った。

マグカップはこれ


今回の戦利品


延原先生は本当にいろんな話をしてくださって、奥様もお茶を出してくださって、工房での楽しい時間を過ごした。
気づけば1時間半!
先生はどうやら話し出すと止まらないらしい(笑)
「窯出しの時に来ていただいたら2割引きにしているんです」と言うので、連絡をいただけるようお願いした。
次はお皿も買いたい。
今回ももっといろいろ見たかったのだが、とにかく先生がめちゃくちゃおしゃべりなので、じっくりいろんな作品を見ることができなかったのだ。貴重なお話をいっぱい聞けたのでよかったのだが、今度は作品にじっくり向き合いたい。

そうそう、先生は京都で磁器を造られていたことがあったという。
それで備前焼らしからぬ、あのなめらかな薄さが表現されているのかと合点がいった。

青備前のぐい吞みは、お酒を注ぐと紅葉がふわっと紅くなる。
それがまた風情があっていいのだ。

器は本当に一期一会。
また良い出会いがあった。
友達にマグカップを送ったらとても喜んでもらえた。
私も毎朝このマグカップでコーヒーを飲んでいる。お気に入りの器があれば、それだけで幸せな気持ちになる。

岡山旅行2日目 備中松山城

2021-12-05 | 
本格的に仕事が詰まってきて、ブログもnoteもなかなか更新できない日々が続いている。
先週の出張取材はかなり疲労した。
世の中には「しゃべりたい人」というのがいるのだ。そういう人にとったら私は良い聞き手で。
1日目、名古屋でのメーカー取材は1時間くらいで終わるかなと思っていたら、社長は3時間しゃべり続けた。
そこから小田原へ移動し、翌朝行った酒蔵取材は、なんと5時間!!
7時半に蔵に入って、「ありがとうございました」と頭を下げたのは12時半前だった。
さらにそこから「お昼食べに行きましょう」と言われて、お店で1時間。
2日間で合計9時間も人の話を集中して聞いていたので、終わった時には頭がくらくらしていた。
もちろん内容は面白かったのだが、単純に疲労する。その後移動して家に辿り着いた時にはもうぐったりしていた。

そんな感じで岡山旅行の続きを書けずにいたのだが、とりあえず記憶が薄れる前に記録しておきたい。

岡山で1泊目に泊った倉敷のホテルは「ホテル グラン・ココエ倉敷」というところで、今年オープンしたばかり。
きれいで、立地も良く、大浴場まであって、とても過ごしやすかった。(おすすめ!)
公式サイトはこちら

食事はついていなかったので、朝はどこかのカフェにモーニングを食べに行こうということになった。
調べてみるといろいろあったので、「ここ」というところを決めて行ってみると、なんと臨時休業。
私は「臨時休業のかおり」という異名をもつほど(誰にも呼ばれたことはないが)、とにかく人生で「臨時休業」にぶち当たる確率が高い。定休日は絶対調べていくのに、いつも臨時休業なのだ。
その後、美観地区でうろうろと探したが、どこも混み合っている。すっかりモーニング難民となってさまよっていたが、夫が少し離れた場所にカフェを見つけてくれて行ってみると、そこは大丈夫だった。
静かにゆっくりとコーヒーを入れてくれるマスターが一人で切り盛りしている小さなカフェ。喫茶店と言ったほうがいいか。
トースト・サラダ・茹で玉子・コーヒーという、ベーシックなモーニングを食べた。あまり「モーニングを食べる」という経験がないので新鮮だった。


この日は今回の旅行の第一目的である備中松山城へ行く。
これで現存天守12城を私はコンプリートだ。

備中松山城は12城の中で最も高い位置にある城で、標高430メートル。
よって、行くのがかなり不便だ。まずは車で専用駐車場まで行き、そこからシャトルバスに乗り換えて山を登っていく。シャトルバスに乗り換えないといけないのは、車ですれ違えないような細い山道だからだ。
バスを降りたらさらに険しい山道を徒歩15~20分でようやくたどり着く。


今まで行った城の中で一番不便だし、一番大変だった。
それでもバスを待つ人の列はずっと絶えることがなく、訪れる人は多い。

山道をはぁはぁ言いながら登る。足軽は城攻めするのも大変だったろうなと思いながら。
途中で石垣が見えてきた。


さらに登ると、天守が見えた!
かわいい!


宇和島城にも匹敵するような小さくてかわいいお城。




城を守る番人(猫)もいる。有名らしい。みんなに可愛がられていた。


天守に上ってみたが、中は外から見る以上にこじんまりしている。


なんと囲炉裏があった。珍しい。
食事や暖をとるためのものだったらしい。籠城してたんだなぁと思う。


姫路城を見た時に、動かない戦闘機というか、“攻める城”と感じたのに対して、こちらは“守りの城”と感じた。
こんな山奥の小さな城にこもるのは嫌だなぁ……
で、結局攻め落とされるんだから、辛いよな。

来た山道を下り、またバスに乗り、車に乗って昼ご飯を食べに行った。
近くでおいしそうな店を探し、「ここ行ってみよう」と提案して着いたら……、そう、まさかの臨時休業!
「ごめん、私のせいやわ」と夫に謝る私。
いや、私は悪くないんだけど。でも、なんとなく自分が臨時休業を引き寄せているような気がするのだ。
仕方なく、夫が提案してくれたお好み焼き屋へ行った。岡山なので広島風だった。

その後は「鬼ノ城」へ。
「日本100名城」のひとつ。大和朝廷によって国の防衛のために築かれたとされる古代山城。
鬼ノ城は歴史書には一切記されておらず、その歴史は解明されずに謎のままだとか。

跡をもとに復元された門


城壁が残る


とんでもない山の上に築かれている。すごくいい眺め!




ここでどんな人たちがどんな暮らしをしていたんだろう。
そしてなぜ滅んだのだろう。なぜ一切記述がないんだろう。
こんな古代山城があるなんてまったく知らなかったが、行って良かった。すごく興味がある。
古代ロマンだなぁ。

さて、すっかり歩き疲れて、岡山のホテルへ。
夜は岡山市内で飲もうと決めて、大衆居酒屋なのにミシュランに載ったという「鳥好」へ。
店に入って驚いた。
そこは「コロナ前」と同じ世界だったからだ。

大阪や京都だとカフェやファストフード店ですらアクリル板が立てられていて席数も減らされているというのに、ここは大きな長いテーブルにぎゅうぎゅうに人が入っていて、向かいに座っているのは見知らぬ人だというのに、その間にアクリル板がない。ごみごみして賑やかで、たくさんの人が密になっていた。

なんだか別世界に来たようで戸惑いながらも夫と隣同士で座る。
生ビールや日本酒を飲みながら、さわらの炙りや牡蠣フライ、焼き鳥などを食べる。
どれも大衆居酒屋の味だけど、美味しかった。
何よりこういう雰囲気があまりに久しぶりで興奮した。

店を出て、夫と「もう二度とコロナ前のあんな飲み屋の雰囲気は味わえないんじゃないかと思ってたら、普通に岡山にはあったなぁ」と言い合う。
その日、岡山どころか中部地方全体で感染者数は6名とかだった。
そうか、やっぱり大阪とは違うんだ。
逆に、大阪にもあの世界がまた戻って来ると、普通に思えた日だった。

本当はもう1軒行きたかったが、私が疲労と腹痛(おそらく気圧の変化によるいつもの腹痛)で動けなくなったので、コンビニで買い物をしてそのままホテルに戻った。
一体いつからこんな無理の利かない体になってしまったんだろう。
私が嘆くと夫が言う。
「え?めっちゃ元気やん。病気の人はそんなに朝から動いて山登ってご飯食べてお酒飲めへんで」

朝6時から活動して、14000歩も歩いて、朝昼晩とごはんをモリモリ食べて、お酒飲んで、夜7時にぐったり。
あ、普通か。別に病人じゃないか。
昔が元気過ぎたので、ちょっとでも「しんどい」と思うと自分を病人だと思って嘆いてしまう。
そうか、普通か。これで普通に元気な人のか。
ホッと安心したら、急に眠くなって、ひと眠りしたらまた元気になって、気づいたらベッドの上で缶ビールを開けていた。