月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

人生の答え合わせ

2021-04-30 | 
今日は仕事をするとして、明日から5連休となる。
週間天気予報を見ながら、あまり天気が良くないことに、今年ばかりはどこかホッとしている自分に気づく。
5月初旬の快晴の日に家でじっとしているなんて耐えられないと思うから。
世の中の人もきっとそう。
でも、雨なら家で過ごそうかという気持ちにもなりやすいのでは?

5連休は、途中で終わっていた「衣替え」を終わらせる。
あとは読書三昧で暮らそうと考えている。

休み中に読破しようと購入したのがこれだ。


4月に刊行されたばかりで、かなり評価が高い。
ライターとしてのノウハウ本などこれまで読んだことがないのだが、帯を見る限り「この一冊だけでいい。」らしいし、ライターの間での評判も良いので、まあ読んでみようかと購入した。

あとがきを合わせれば476頁もある超大作。
著者の古賀氏が3年かけて書いたというだけのことはあり、中身をパラパラ見るだけでその熱のようなものが伝わってくる。
最初のガイダンスを読んだだけでワクワクが止まらなくて、これは予想以上に面白そうだと思った。

執筆とは、「書くこと」である以上に「考えること」。
センスでなく思考のみが、達意の文章を生み出す。


この一文に激しく同意する。
また、「推敲」に関してもこんなことが書かれていて、自分がこれまでやってきたことをわかりやすく説明してもらっているような気分になった。

推敲によって、ダメな自分と向き合う。いいと思っていた原稿の、さまざまなミスを発見する。それは「書き手としての自分」がダメなのではない。「読者としての自分」が鋭い証拠なのだ。

「迷ったら捨てる」だ。原稿に「手を加える=なおす」ではなく、まず「捨てる」。

推敲に「もったいない」は禁句である。


昔、大阪編集教室の先生に「消しゴムで書け」という言葉をいただいた。
それ以来、私が意識してきたのは常に「書くこと」=「文字を埋めること」ではなく、「消すこと」だった。
それはとても胸の痛む行為だが、消して消して残ったものだけが光ると思っていた。

私は推敲の時間をとても長く取るし、とても大事にしている。
その時には「書き手」ではなく「読者」になっている。
もしかしたら執筆の時以上に集中しているかもしれない。厳しい目で読まなければならないから。
「書き手としての自分」がダメなのではない。「読者としての自分」が鋭い証拠なのだ。ということばに救われた。

丸一日かかりそうなボリュームの本だが、本当に読むのが楽しみ。
読み終わる頃には付箋だらけになっていそうだ。

この本を買った時、ついでにもう1冊買ってみた。


自分はこれまでちゃんと「文章を書く」ということを学んでこなかったし、先にも書いたようにノウハウ本というのも1冊も持っていない。
急にこういうものを読んでみようかと思ったのは、今さら「文章を学びたい」からではない。「答え合わせ」だ。
自分が四半世紀、プロのライターとしてやってきたことが、果たして合っているのか。それを確かめてみたかった。

この本はタイトルにもあるように、世の中にある文章術の本100冊を分析し、多くの本で紹介されている「文章の書き方で大事なポイント」をランキングにしている。
つまり、よりたくさんの人が語っていること、よりたくさんの本で語られていることが、結局は一番大事なことなんじゃないかと、そういう意図でつくられている。

この本を読んで、「答え合わせ」をしてホッとした。
文章の書き方で大事なこと1位は「文章はシンプルに」だったからだ。
私がずっとモットーとしてきたことは、「読みやすく、わかりやすく、飾らない」
つまり「シンプル」であることだ。

その他も上位にランクインした項目をざっと見た時に、「え?」と思うようなものは1つもなかった。
むしろ自分が大事にしてきたこととほぼ同じだ。
特に「文章も見た目が大事」「文章は必ず推敲する」「わかりやすい言葉を選ぶ」「正確さこそ、文章の基本」「、。をテキトーに打たない」「わかりにくいと思ったら修飾語を見直す」「語彙力をつけろ、辞書を引け」「書き出しにとことんこだわる」「読み手を強く意識する」「『は』と『が』を使い分ける」などなど・・・
いつもやってきたことばかりだったので、「よかった!当たってた!」みたいな感じだ。

四半世紀やってきての、答え合わせ。
これで間違っていたら、逆にびっくりするし、何やってきたんだって話だけど。

来月私はついに50歳を迎える。死ぬまでライターでいたいけど、せめてあと10年、ちゃんと稼げるライターであるために、一度立ち止まって自分のやってきたことを見直すのも悪くないと思った。

人生の答え合わせだ。


最近の仕事、制作物

2021-04-28 | 仕事
緊急事態宣言が発出されたのでどうなるかと思っていたが、先方がOKだったので石川県へ出張取材に行ってきた。
今回はこちらの酒蔵。


良い天気だったし、クライアント、カメラマン共に初期メンバーなので気心知れた仲。安心して取材に集中できた。
終了後は17時から飲んだ。
富山湾の白海老のから揚げ、カワハギの刺身(もちろん肝ポン酢で!)、ホタルイカの天ぷらなどを注文。どれも美味しかった。
居酒屋の女将さんが「うちも明日からお酒は夜8時まで、9時閉店なんよ」と言う。どこも大変だ。
2軒目では自家製豚バラスモーク、へしこ、酒盗などをアテに、日本酒をちびちびと。
久しぶりのメンバーだったので話も弾んだ。良き仲間との仕事は最高だ。

そういえば、先週、最近の仕事の刷り上がりが立て続けに届いた。
気づけばもう28号。8年目に入った。随分長く書かせてもらっている。


今年に入ってかなり力を入れてやっていたのがこの大阪府の案件。
リモートを含めて10社取材した。このプロジェクトは3年目。つまり3冊目。


もう1冊、大阪府の案件。
こちらは初めてのプロジェクトだが、今後増えていきそうな予感。


あとは、京都府の冊子も刷り上がりをいただいたが、これはほとんど関わっていない。(2ページだけ)


今シーズンの酒蔵取材も昨日で終了。
行政関連の案件も動き出すのはいつも秋以降だから、これから4ヶ月くらいは暇になる。
5月はまだいい。たまっている原稿が4本あるし、エステサロンのホームページ制作の案件も入っている。
毎年のことだけど、問題は6月~8月だな。
新しい仕事もしたいけど、暑いから外に出たくないし(笑)、仕事以外のものをじっくり読んだり書いたりするのもいいかもしれないと思う。
ガンになって良かったのは、こういう考え方ができるようになったところだろう。
「仕事に追われていないと不安」ということがなくなった。

明日からGWだが、今年もまた外出は自粛。
近所のスーパー、酒の買い出し、近所をウォーキングくらいだ。キャンプも無理そう・・・。
こんな状況でもまだ欲望にまかせて出歩く人もいるんだろうけど。

飲食店にお酒を出すのをやめさせるなら、コンビニでお酒を売るのも17時までとかにすればいいのに、と思う。
「お酒」には何の罪もないのに、路上飲みなんてする人のせいで、「お酒」そのものが悪者みたいになって、なんだか悲しい。
「民度の高さに期待した自粛」を求められ続けた結果がこれか。モラルもマナーもあったもんじゃない。

「いいことがありそう」の予感が的中!

2021-04-21 | 
朝、6時半~7時半の間に30分~50分ほどウォーキングをするのが日課になった。
最初は夫と一緒に行っていたが、夫はサボるようになったので、最近は一人で行っている。

ここのところ天気は良くても朝はまだひんやりとしていたが、今朝は暑くも寒くもなく、本当に「ちょうどいい」気温。
雲一つない青空が広がり、木々や草のやわらかい緑が光り、とても気持ちの良い朝だった。

家から歩いて5分程度で川原に出ることができる。
この周りをぐるっと一周すると、早歩きで15分。今朝は気持ちがいいので2周した。

近くにウォーキングを楽しめるような場所があってよかった。
この山の近さ、距離感がホッとする。子供の頃からずっと見てきた景色だ。
この道をずっと行くと、私の出身中学校がある。


出るのが遅くなって7時半頃になると、通勤・通学者が増えるので、あまりよくない。
できれば6時台から歩き出して、どれだけ遅くても7時半には帰り着きたい。
6時台に活動している人たちはジョギングやウォーキング、犬の散歩などが目的なのでゆったりしているのだが、7時台に動き出す人たちはとても焦っている。
学校へ、会社へ、子どもを保育園へと、皆が目的地へと急いでいるのがわかる。
車の量が急に増え、猛スピードの自転車が坂道を走り下りてくるので、なんだかこちらも焦ってしまう。

今朝は6時40分に家を出たので、穏やかなウォーキングだった。
目に映るものすべてが眩しくて、息を吸ったり吐いたりすると、地球と一緒に呼吸をしている気分。
「朝」というのは「やってくる」ものではなく、「生まれる」ものだと思う。
朝の光の粒を吸い込むと、体の中の古い細胞がすべて生まれ変わる気がした。

今日はきっといいことがある。
そう自然に思えた。

ご機嫌で家に帰ると、夫も起きていた。
今日は出勤するというので、私は嬉しくてたまらない。(去年の3月からずっとテレワークで、出勤は週に1回程度だ)

夫を送り出した後、しばらくしたら宅配が来た。
何だろうかと受け取ってみると、どうやら酒瓶のよう。夫が何か注文したのかなと思いながら差出人を見ると、2年前に私が取材させてもらった北海道の酒蔵の杜氏さんからだった。

興奮して、ドキドキしながら開けてみると、丁寧なお手紙と共に今年のチャレンジ酒が入っていた。
手紙を読むと、どうやら私が自分のHPに上げていたコラムを読んでくださったようだ。

手紙には、そのことのお礼と、それから今年のチャレンジ酒について書かれてあった。

この嬉しさをどう表現していいかわからない。
昨夜も彼女の造ったお酒を飲んでいたところだ。


大ファンの造り手さんから、直接のお便りとお酒が届いたのだから、これが落ち着いていられようか。
「うれしい、うれしい、うれしい」とバカみたいに言いながら部屋中を歩き回り、酒瓶に何度もキスして抱きしめた。

早く飲んで感想とお礼をお送りしたいけど、もったいなくて飲めやしない。
ああ、どうしたらいいんだろう。
困って頭を抱えているポーズとは裏腹に、顔はにやにやが止まらない私なのだった。

朝ドラのひとりごと

2021-04-20 | 想い
今朝の朝ドラの後、たまらなくなって泣いていたら、夫が「どうしたん?俺なんか悪いことした?」と驚いて聞いてきた。
洗濯を干しながらもまだ思い出し、さめざめと泣く。
今週のタイトル「なんでうちやあれへんの」の意味が理解でき、苦しくなった。

この脚本家、なんでこんなに千代をいじめるんだろう。
幼いころに母が死に、父に苦労させられて、和解することなく父も死に、ようやく会えた弟には恨まれ、それでも心を開きかけたのに戦争で死なれ、本当に天涯孤独の中、「一人じゃない」とそばにいてくれたのは一平じゃなかったのか?
子供ができなくても、二人でいられたら、芝居ができたら、幸せだったんじゃないのか?

血のつながった肉親が一人もこの世にいないという孤独を、ようやく一平と芝居によって埋められていたのに、なぜこんな残酷な形で取り上げるんだろう。
きっと劇団までも失うに違いない。

なんでうちやあれへんの?

この言葉の重みを思うだけで、また涙が出てくる。
たまらんよ、ほんと。
私は、人が淋しいのは、本当に苦手なんだ。

1軒目で帰る習慣

2021-04-19 | 美味しいもの
引き続き、最近夫と行った好きなお店の話。

「ヴァイオレット・エヴァ―・ガーデン」のアンコール上映があると聞き、夫と京都のアップリンクへ行った。
(テレビ版はすべてNetflixで観終わっていた)
自動手記人形(ドール)と呼ばれる、手紙の代筆(タイピング)をする少女の美しい物語だ。
京都アニメーション制作。
そう聞くだけでも、あの痛ましい事件を思い出し、ギュッと目の奥が熱くなる。

映画を観終わった後、何か食べて帰ろうかということになり、久しぶりに「サケホール益や」へ行った。
京都に出る、京都の町を歩く、京都でご飯を食べる、ということが本当に久しぶりで、歩いているだけでも新鮮だった。

お店は何組か入っていたが、ゆったりした店なので、コロナをあまり気にせず過ごせた。
日本酒好きにはやっぱり楽しいお店だ。
酒の種類は豊富だし、値段もお手頃、料理は旨いし酒に合う。

最初は軽めのお酒からスタート。私は「風の森 alpha」、夫は「ゆきの美人」。
どちらも最初の1杯目にふさわしい。


鰆のお造り。皮の炙りが香ばしくて身の甘みを引き立てる。


珍しい、甘えびとアナゴの炙り焼き。
自分たちで炙って食べられるのがいい。




そら豆の中にクリームチーズを挟んで天ぷらにしたもの。
これは家でも再現できるなぁと、メモメモ。


酒は夫が「写楽」、私が「天明」。




それから、夫が大倉の「陽の光」で、私が「惣誉」。




これも真似できそう。
お揚げさんのマヨネーズ焼きに、ちりめん山椒。


そして、ししゃもの燻製。


この店で出されるのは、料理というより酒のアテ。ちゃんと酒が進むようにできている。
「やっぱり京都で飲んだら楽しいなぁ」と、夫と二人で言い合いながら帰った。

ただ、早い時間(17時)から飲んで、2時間くらいでさっと切り上げている自分たちに驚く。
夜はまだこれからなのに。
コロナ前なら「もう1軒!」と、当たり前のように行っていたが、今はこうしてたまーに飲みに行っても、ずるずるハシゴしない習慣ができた。
これは体にもお財布にもいいことだけど(この浪費家の私ですら金が貯まる)、飲食店にとったらたまったもんじゃないな、と実感する。
来週末からゴールデンウィークがスタートするが、また去年のように、旅行も他人との飲み会もお預けになりそうだ・・・。
遊ぶとしても、夫と高槻の店で少し飲むか、近場のキャンプくらいだろう。

コロナで良かったことといえば、外食代(交際費)が減ったことと、読書量が増えたことと、時間に追われることがなくなったことだろうか。
仕事量は変わらないのに、とにかく時間にゆとりがある。
「人と会う」ということに、どれだけ時間を費やしてきたかがわかる。
そうか、人とあまり交流を持たなければ、こんなにも自分だけの時間ってあるものなんだと知った。
それは新鮮だし良いこともあるけれど、人と会えない日々はやっぱり淋しいものだな。
来月は、延期になった食事会ができればいいなと切に思う。