13日は4か月ぶりのCT検査(定期検診)だった。
その結果が出たのが20日。いつものように夫と一緒に診察室に入った。
主治医が「調子はどうですか?」と訊く。
これまでは「特に変わらないです。元気です!」と答えていたが、今回は初めて「あまり調子がよくないです」と答えた。
「そうですか……」と言いながら、主治医はパソコンを操作し、今回と前回のCT画像を映し出す。それを見てギョッとした。
目で見てはっきりわかるほど、ガンが大きくなっていたからだ。私の場合、1箇所ではないので、「ここはこれくらい、大きくなってますよね」「こっちもこれくらい」「ここもこれくらい」と、主治医は画像をわかりやすく見せてくれる。
増大したのはわずが数ミリだ。それでも、進行していることに変わりはない。
さらにショックだったのは、初めて腫瘍マーカー(CA19-9)が基準値を超えたことだった。これまで私は手術前の状態ですら、腫瘍マーカーが反応したことはなかったのだ。
「これくらい大きくなったら、さすがに反応も出るね」と主治医。
こうして画像と血液検査ではっきりと「がんの進行」を知り、ああ、ついにその時が来たんだなと思った。
それでも体調が良く、自覚症状がなければ、私は強気でいられただろう。
この数カ月間の「体調が悪かった記憶」と「この結果」がしっかり結びついてしまうと、もう絶望しかなかった。強気になんてなれなかった。
だから、「そろそろ治療を考えるか……」とつぶやく主治医に、「どういう治療ができるんでしたっけ?」と自然に聞いてしまい、逆に主治医が目を見開いて、「え?説明していいの?ほんとに説明聞きます?」と聞き返してきた。これまで治療を拒否し続けてきたのだから、この反応は当然だ。
うなずく私に、最近新たに保険適用が承認された免疫系の治療薬「キイトルーダ」と「レンビマ」の併用治療について説明してくれた。「キイトルーダ」は3週間に1度の点滴、「レンビマ」は毎日服用する。効果はあっても2年間は継続したほうがよいという。
新薬で、抗がん剤ではないということだから、副作用は軽いのかなと思っていたら、まったくそんなことはなかった。
両方を合わせると、その副作用の説明用紙は7ページにも及んだ。
<キイトルーダの副作用>
間質性肺疾患、大腸炎・小腸炎・重度の下痢、重度の皮膚障害、神経障害、劇症肝炎・肝不全・肝機能障害・肝炎・硬化性胆管炎、内分泌障害、1型糖尿病、腎機能障害、膵炎、筋炎、重症筋無力症、心筋炎、脳炎・髄膜炎、重篤な血液障害、血球貪食症候群、結核、点滴時の過敏症反応、ぶどう膜炎。
<レンビマの副作用>
甲状腺機能低下症、高血圧、下痢、蛋白尿、手足症候群、吐き気・食欲低下・体重減少、疲労・倦怠感、貧血。
その他にも起こり得ることは、出血、血栓塞栓症、肝障害、急逝胆嚢炎、腎障害、感染症、小綴胃抑制、低カルシウム血症などなど多数。
読んでいて気が遠くなった。
何、この副作用?こんな副作用があるなら、ガンのほうがマシじゃないかとすら思えてくる。
ただ、よく聞けば、これらがすべて必ず起こるわけではなく、頻度としては「0.2%」「0.1%未満」といったものがほとんどで、中にはまだデータがないのか「不明」と書かれているものもあった。
それに、副作用が出ると怖い症状ほど起こる可能性が低く、逆に必ず出る症状もあるが、それは下痢や高血圧など、それほど恐ろしいものではないとのこと。
これだけ多いのは、承認されたばかりの新薬ということで、「可能性のある副作用」をすべて表記しているということもある。
その説明で少しは落ち着いたが、それでもこんなにたくさんの副作用を並べて見せられて、「じゃあ、この治療やります」と前向きにな気持ちになれる人なんているんだろうか。
今すぐにも何か治療をしないと余命3か月だとか、痛みで耐えられないとか、何か切羽詰まった理由でもなければ、とても受けたいと思えるような治療ではなかった。
この新薬が嫌なら、あとは2年間拒否し続けてきた抗がん剤治療しかない。
断っておくが、私は別に「抗がん剤治療」そのものを否定しているわけではない。もう12クールも受けているのだ。
だけど、アレルギー反応が出てしまったので、これまでのTC療法は受けることができず、次はもっと副作用が強いAP療法かドキタキセル単剤しかない。
AP療法は効果が出やすいというが、その分副作用も内容がヘビーで、心毒性や腎毒性があるし、ドキタキセルは副作用が少ない分、効果も低い。
そしてまたどちらも脱毛はする。
過去の治療とその辛い日々を思い出し、やっぱり抗がん剤にも積極的にはなれなかった。
主治医は優しく「今すぐでなくてもいいから、おうちでご家族とよく考えてください。やりたくなったらいつでもできるからね」と言ってくれた。この先生は無理に治療を勧めることはない。いつも私の意思を尊重してくれる。
「どの薬が効くかわからないのが悩みどころやなぁ」とも言っていた。
そうだ。どんなに苦しい副作用があったとしても、100%がんに効くとわかっていれば、主治医も積極的に勧めるだろうし、私だって自ら受けると言う。これらの薬が怖いのは、これほどの副作用を起こしても、もしかしたら私のがんには少しも効き目がないかもしれないということだ。
いつものように「何か調子が悪くなったら、いつでもすぐに連絡して」と主治医は言って、副作用の書いた分厚い資料を手渡してくれた。
診察室を出ると、どっと疲労を感じた。夫の顔をあまり見られなかった。
いつもなら「変化なし」の結果を受けて、「よかった、よかった」と胸をなでおろしながら顔を見合わせ笑い合うのだが。そして、祝杯をあげるのだが。
前回までの夫のホッとしたような笑顔を思い出し、目の奥が熱くなった。
とぼとぼと歩いて家に帰り、しばらくソファに座っていた。
夫はもらった資料を見ていたが、私は見る気も起らず、ただぼんやりしていた。治療しないのも、治療するのも不安しかない。どっちも地獄だ。
死が確実に迫っているのを感じ、涙が出てきた。もう少し生きたいなぁと思った。
いつもならすぐに友人たちにも結果を報告するのだが、なかなかそんな気分にもなれない。夕方近くなってようやくポツポツと一人ひとりにLINEやメールを送り始めた。友人たちの顔を思い出すたびにまた涙が出た。みんなに会いたいなぁと思った。みんなで楽しくお酒を酌み交わして、延々とおしゃべりして、笑って笑って……。
順番に返信もあり、誰もが優しかった。
「まだ今回も治療しなくてすんだのはよかったね」「次は良い結果が出るよ」と、前向きな言葉もたくさんかけてもらった。でも、元気は出なかった。ただ、涙が出た。
それに、次に良い結果を出すために、あと一体何をすればいいんだろうかと思った。
すでに好きな仕事もセーブして、好きなお酒もスイーツも我慢して、食べたくないものも食べ、やたら睡眠をとって、ウォーキングして、水素吸入して、瞑想して……、いろんなことをやっている。
これ以上いろんなことを我慢して、頑張って、それで少しだけ長生きしたところで、何なのか。
それならもう、がむしゃらに働いて、好きなものをたくさん食べて飲んで、やりたいこと全部やって、笑っているうちに死んで終わりたい。そんな気持ちにもなった。
もうやけっぱちだ。
この日はずっと涙を止めることができなかった。
それが、だ。
人って不思議なもんだなと思う。
いや、人っていうより、私?
翌朝、目が覚めると、昨日の落ち込みは何だったのかと不思議になるほどケロッとしていて、朝陽に向かって拳を突き上げ、「生きる!生きる!生きるぞー!」と叫んでいた。
だって、昨日まで幸せだった国民が急に戦禍におかれ、国を追われ、自分も家族も死んでいくことだってあるのだ。この数分後に大地震が起こって死ぬことだって、明日外を歩いているだけで車に衝突されることだって、あるんだ。
それは特別な誰かに起こることではなく、皆等しく可能性があること。
でも、私は「今」生きている。この瞬間、まだ生きている。生きているということは、生かされているということ。じゃあ、その間はとことん生きてやろうじゃないか。
昨晩泣いていた自分を思い出し、アホか、と思った。
泣いても1ミリもガンは小さくならない。むしろ大きくなるはずだ。
今この瞬間を、笑って笑って生きる。感謝して生きる。それでいいんだ。
私は3年前にガンが再発した時、「奇跡の人になる」と決めた。
そのことをもう一度自分に確かめる。
「奇跡の人になりたいかーーーっ?!」
「なるーーっ!」
「どうしてもなりたいかーーーっ?!」
「絶対なるーーーっ!!」
よっしゃ、いい返事や。そしたら、なったれ。それしかないやろ。
今日命ある限り、後ろは向かない。
ただ、いまを生きる。
その結果が出たのが20日。いつものように夫と一緒に診察室に入った。
主治医が「調子はどうですか?」と訊く。
これまでは「特に変わらないです。元気です!」と答えていたが、今回は初めて「あまり調子がよくないです」と答えた。
「そうですか……」と言いながら、主治医はパソコンを操作し、今回と前回のCT画像を映し出す。それを見てギョッとした。
目で見てはっきりわかるほど、ガンが大きくなっていたからだ。私の場合、1箇所ではないので、「ここはこれくらい、大きくなってますよね」「こっちもこれくらい」「ここもこれくらい」と、主治医は画像をわかりやすく見せてくれる。
増大したのはわずが数ミリだ。それでも、進行していることに変わりはない。
さらにショックだったのは、初めて腫瘍マーカー(CA19-9)が基準値を超えたことだった。これまで私は手術前の状態ですら、腫瘍マーカーが反応したことはなかったのだ。
「これくらい大きくなったら、さすがに反応も出るね」と主治医。
こうして画像と血液検査ではっきりと「がんの進行」を知り、ああ、ついにその時が来たんだなと思った。
それでも体調が良く、自覚症状がなければ、私は強気でいられただろう。
この数カ月間の「体調が悪かった記憶」と「この結果」がしっかり結びついてしまうと、もう絶望しかなかった。強気になんてなれなかった。
だから、「そろそろ治療を考えるか……」とつぶやく主治医に、「どういう治療ができるんでしたっけ?」と自然に聞いてしまい、逆に主治医が目を見開いて、「え?説明していいの?ほんとに説明聞きます?」と聞き返してきた。これまで治療を拒否し続けてきたのだから、この反応は当然だ。
うなずく私に、最近新たに保険適用が承認された免疫系の治療薬「キイトルーダ」と「レンビマ」の併用治療について説明してくれた。「キイトルーダ」は3週間に1度の点滴、「レンビマ」は毎日服用する。効果はあっても2年間は継続したほうがよいという。
新薬で、抗がん剤ではないということだから、副作用は軽いのかなと思っていたら、まったくそんなことはなかった。
両方を合わせると、その副作用の説明用紙は7ページにも及んだ。
<キイトルーダの副作用>
間質性肺疾患、大腸炎・小腸炎・重度の下痢、重度の皮膚障害、神経障害、劇症肝炎・肝不全・肝機能障害・肝炎・硬化性胆管炎、内分泌障害、1型糖尿病、腎機能障害、膵炎、筋炎、重症筋無力症、心筋炎、脳炎・髄膜炎、重篤な血液障害、血球貪食症候群、結核、点滴時の過敏症反応、ぶどう膜炎。
<レンビマの副作用>
甲状腺機能低下症、高血圧、下痢、蛋白尿、手足症候群、吐き気・食欲低下・体重減少、疲労・倦怠感、貧血。
その他にも起こり得ることは、出血、血栓塞栓症、肝障害、急逝胆嚢炎、腎障害、感染症、小綴胃抑制、低カルシウム血症などなど多数。
読んでいて気が遠くなった。
何、この副作用?こんな副作用があるなら、ガンのほうがマシじゃないかとすら思えてくる。
ただ、よく聞けば、これらがすべて必ず起こるわけではなく、頻度としては「0.2%」「0.1%未満」といったものがほとんどで、中にはまだデータがないのか「不明」と書かれているものもあった。
それに、副作用が出ると怖い症状ほど起こる可能性が低く、逆に必ず出る症状もあるが、それは下痢や高血圧など、それほど恐ろしいものではないとのこと。
これだけ多いのは、承認されたばかりの新薬ということで、「可能性のある副作用」をすべて表記しているということもある。
その説明で少しは落ち着いたが、それでもこんなにたくさんの副作用を並べて見せられて、「じゃあ、この治療やります」と前向きにな気持ちになれる人なんているんだろうか。
今すぐにも何か治療をしないと余命3か月だとか、痛みで耐えられないとか、何か切羽詰まった理由でもなければ、とても受けたいと思えるような治療ではなかった。
この新薬が嫌なら、あとは2年間拒否し続けてきた抗がん剤治療しかない。
断っておくが、私は別に「抗がん剤治療」そのものを否定しているわけではない。もう12クールも受けているのだ。
だけど、アレルギー反応が出てしまったので、これまでのTC療法は受けることができず、次はもっと副作用が強いAP療法かドキタキセル単剤しかない。
AP療法は効果が出やすいというが、その分副作用も内容がヘビーで、心毒性や腎毒性があるし、ドキタキセルは副作用が少ない分、効果も低い。
そしてまたどちらも脱毛はする。
過去の治療とその辛い日々を思い出し、やっぱり抗がん剤にも積極的にはなれなかった。
主治医は優しく「今すぐでなくてもいいから、おうちでご家族とよく考えてください。やりたくなったらいつでもできるからね」と言ってくれた。この先生は無理に治療を勧めることはない。いつも私の意思を尊重してくれる。
「どの薬が効くかわからないのが悩みどころやなぁ」とも言っていた。
そうだ。どんなに苦しい副作用があったとしても、100%がんに効くとわかっていれば、主治医も積極的に勧めるだろうし、私だって自ら受けると言う。これらの薬が怖いのは、これほどの副作用を起こしても、もしかしたら私のがんには少しも効き目がないかもしれないということだ。
いつものように「何か調子が悪くなったら、いつでもすぐに連絡して」と主治医は言って、副作用の書いた分厚い資料を手渡してくれた。
診察室を出ると、どっと疲労を感じた。夫の顔をあまり見られなかった。
いつもなら「変化なし」の結果を受けて、「よかった、よかった」と胸をなでおろしながら顔を見合わせ笑い合うのだが。そして、祝杯をあげるのだが。
前回までの夫のホッとしたような笑顔を思い出し、目の奥が熱くなった。
とぼとぼと歩いて家に帰り、しばらくソファに座っていた。
夫はもらった資料を見ていたが、私は見る気も起らず、ただぼんやりしていた。治療しないのも、治療するのも不安しかない。どっちも地獄だ。
死が確実に迫っているのを感じ、涙が出てきた。もう少し生きたいなぁと思った。
いつもならすぐに友人たちにも結果を報告するのだが、なかなかそんな気分にもなれない。夕方近くなってようやくポツポツと一人ひとりにLINEやメールを送り始めた。友人たちの顔を思い出すたびにまた涙が出た。みんなに会いたいなぁと思った。みんなで楽しくお酒を酌み交わして、延々とおしゃべりして、笑って笑って……。
順番に返信もあり、誰もが優しかった。
「まだ今回も治療しなくてすんだのはよかったね」「次は良い結果が出るよ」と、前向きな言葉もたくさんかけてもらった。でも、元気は出なかった。ただ、涙が出た。
それに、次に良い結果を出すために、あと一体何をすればいいんだろうかと思った。
すでに好きな仕事もセーブして、好きなお酒もスイーツも我慢して、食べたくないものも食べ、やたら睡眠をとって、ウォーキングして、水素吸入して、瞑想して……、いろんなことをやっている。
これ以上いろんなことを我慢して、頑張って、それで少しだけ長生きしたところで、何なのか。
それならもう、がむしゃらに働いて、好きなものをたくさん食べて飲んで、やりたいこと全部やって、笑っているうちに死んで終わりたい。そんな気持ちにもなった。
もうやけっぱちだ。
この日はずっと涙を止めることができなかった。
それが、だ。
人って不思議なもんだなと思う。
いや、人っていうより、私?
翌朝、目が覚めると、昨日の落ち込みは何だったのかと不思議になるほどケロッとしていて、朝陽に向かって拳を突き上げ、「生きる!生きる!生きるぞー!」と叫んでいた。
だって、昨日まで幸せだった国民が急に戦禍におかれ、国を追われ、自分も家族も死んでいくことだってあるのだ。この数分後に大地震が起こって死ぬことだって、明日外を歩いているだけで車に衝突されることだって、あるんだ。
それは特別な誰かに起こることではなく、皆等しく可能性があること。
でも、私は「今」生きている。この瞬間、まだ生きている。生きているということは、生かされているということ。じゃあ、その間はとことん生きてやろうじゃないか。
昨晩泣いていた自分を思い出し、アホか、と思った。
泣いても1ミリもガンは小さくならない。むしろ大きくなるはずだ。
今この瞬間を、笑って笑って生きる。感謝して生きる。それでいいんだ。
私は3年前にガンが再発した時、「奇跡の人になる」と決めた。
そのことをもう一度自分に確かめる。
「奇跡の人になりたいかーーーっ?!」
「なるーーっ!」
「どうしてもなりたいかーーーっ?!」
「絶対なるーーーっ!!」
よっしゃ、いい返事や。そしたら、なったれ。それしかないやろ。
今日命ある限り、後ろは向かない。
ただ、いまを生きる。