月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

「奇跡の人」になる。その気持ちは変わらない。

2022-04-23 | 癌について
13日は4か月ぶりのCT検査(定期検診)だった。
その結果が出たのが20日。いつものように夫と一緒に診察室に入った。
主治医が「調子はどうですか?」と訊く。
これまでは「特に変わらないです。元気です!」と答えていたが、今回は初めて「あまり調子がよくないです」と答えた。
「そうですか……」と言いながら、主治医はパソコンを操作し、今回と前回のCT画像を映し出す。それを見てギョッとした。
目で見てはっきりわかるほど、ガンが大きくなっていたからだ。私の場合、1箇所ではないので、「ここはこれくらい、大きくなってますよね」「こっちもこれくらい」「ここもこれくらい」と、主治医は画像をわかりやすく見せてくれる。
増大したのはわずが数ミリだ。それでも、進行していることに変わりはない。

さらにショックだったのは、初めて腫瘍マーカー(CA19-9)が基準値を超えたことだった。これまで私は手術前の状態ですら、腫瘍マーカーが反応したことはなかったのだ。
「これくらい大きくなったら、さすがに反応も出るね」と主治医。
こうして画像と血液検査ではっきりと「がんの進行」を知り、ああ、ついにその時が来たんだなと思った。
それでも体調が良く、自覚症状がなければ、私は強気でいられただろう。
この数カ月間の「体調が悪かった記憶」と「この結果」がしっかり結びついてしまうと、もう絶望しかなかった。強気になんてなれなかった。

だから、「そろそろ治療を考えるか……」とつぶやく主治医に、「どういう治療ができるんでしたっけ?」と自然に聞いてしまい、逆に主治医が目を見開いて、「え?説明していいの?ほんとに説明聞きます?」と聞き返してきた。これまで治療を拒否し続けてきたのだから、この反応は当然だ。
うなずく私に、最近新たに保険適用が承認された免疫系の治療薬「キイトルーダ」と「レンビマ」の併用治療について説明してくれた。「キイトルーダ」は3週間に1度の点滴、「レンビマ」は毎日服用する。効果はあっても2年間は継続したほうがよいという。

新薬で、抗がん剤ではないということだから、副作用は軽いのかなと思っていたら、まったくそんなことはなかった。
両方を合わせると、その副作用の説明用紙は7ページにも及んだ。

<キイトルーダの副作用>
間質性肺疾患、大腸炎・小腸炎・重度の下痢、重度の皮膚障害、神経障害、劇症肝炎・肝不全・肝機能障害・肝炎・硬化性胆管炎、内分泌障害、1型糖尿病、腎機能障害、膵炎、筋炎、重症筋無力症、心筋炎、脳炎・髄膜炎、重篤な血液障害、血球貪食症候群、結核、点滴時の過敏症反応、ぶどう膜炎。

<レンビマの副作用>
甲状腺機能低下症、高血圧、下痢、蛋白尿、手足症候群、吐き気・食欲低下・体重減少、疲労・倦怠感、貧血。
その他にも起こり得ることは、出血、血栓塞栓症、肝障害、急逝胆嚢炎、腎障害、感染症、小綴胃抑制、低カルシウム血症などなど多数。

読んでいて気が遠くなった。
何、この副作用?こんな副作用があるなら、ガンのほうがマシじゃないかとすら思えてくる。

ただ、よく聞けば、これらがすべて必ず起こるわけではなく、頻度としては「0.2%」「0.1%未満」といったものがほとんどで、中にはまだデータがないのか「不明」と書かれているものもあった。
それに、副作用が出ると怖い症状ほど起こる可能性が低く、逆に必ず出る症状もあるが、それは下痢や高血圧など、それほど恐ろしいものではないとのこと。
これだけ多いのは、承認されたばかりの新薬ということで、「可能性のある副作用」をすべて表記しているということもある。
その説明で少しは落ち着いたが、それでもこんなにたくさんの副作用を並べて見せられて、「じゃあ、この治療やります」と前向きにな気持ちになれる人なんているんだろうか。
今すぐにも何か治療をしないと余命3か月だとか、痛みで耐えられないとか、何か切羽詰まった理由でもなければ、とても受けたいと思えるような治療ではなかった。

この新薬が嫌なら、あとは2年間拒否し続けてきた抗がん剤治療しかない。
断っておくが、私は別に「抗がん剤治療」そのものを否定しているわけではない。もう12クールも受けているのだ。
だけど、アレルギー反応が出てしまったので、これまでのTC療法は受けることができず、次はもっと副作用が強いAP療法かドキタキセル単剤しかない。
AP療法は効果が出やすいというが、その分副作用も内容がヘビーで、心毒性や腎毒性があるし、ドキタキセルは副作用が少ない分、効果も低い。
そしてまたどちらも脱毛はする。
過去の治療とその辛い日々を思い出し、やっぱり抗がん剤にも積極的にはなれなかった。

主治医は優しく「今すぐでなくてもいいから、おうちでご家族とよく考えてください。やりたくなったらいつでもできるからね」と言ってくれた。この先生は無理に治療を勧めることはない。いつも私の意思を尊重してくれる。
「どの薬が効くかわからないのが悩みどころやなぁ」とも言っていた。
そうだ。どんなに苦しい副作用があったとしても、100%がんに効くとわかっていれば、主治医も積極的に勧めるだろうし、私だって自ら受けると言う。これらの薬が怖いのは、これほどの副作用を起こしても、もしかしたら私のがんには少しも効き目がないかもしれないということだ。

いつものように「何か調子が悪くなったら、いつでもすぐに連絡して」と主治医は言って、副作用の書いた分厚い資料を手渡してくれた。
診察室を出ると、どっと疲労を感じた。夫の顔をあまり見られなかった。
いつもなら「変化なし」の結果を受けて、「よかった、よかった」と胸をなでおろしながら顔を見合わせ笑い合うのだが。そして、祝杯をあげるのだが。
前回までの夫のホッとしたような笑顔を思い出し、目の奥が熱くなった。

とぼとぼと歩いて家に帰り、しばらくソファに座っていた。
夫はもらった資料を見ていたが、私は見る気も起らず、ただぼんやりしていた。治療しないのも、治療するのも不安しかない。どっちも地獄だ。
死が確実に迫っているのを感じ、涙が出てきた。もう少し生きたいなぁと思った。
いつもならすぐに友人たちにも結果を報告するのだが、なかなかそんな気分にもなれない。夕方近くなってようやくポツポツと一人ひとりにLINEやメールを送り始めた。友人たちの顔を思い出すたびにまた涙が出た。みんなに会いたいなぁと思った。みんなで楽しくお酒を酌み交わして、延々とおしゃべりして、笑って笑って……。

順番に返信もあり、誰もが優しかった。
「まだ今回も治療しなくてすんだのはよかったね」「次は良い結果が出るよ」と、前向きな言葉もたくさんかけてもらった。でも、元気は出なかった。ただ、涙が出た。
それに、次に良い結果を出すために、あと一体何をすればいいんだろうかと思った。
すでに好きな仕事もセーブして、好きなお酒もスイーツも我慢して、食べたくないものも食べ、やたら睡眠をとって、ウォーキングして、水素吸入して、瞑想して……、いろんなことをやっている。
これ以上いろんなことを我慢して、頑張って、それで少しだけ長生きしたところで、何なのか。
それならもう、がむしゃらに働いて、好きなものをたくさん食べて飲んで、やりたいこと全部やって、笑っているうちに死んで終わりたい。そんな気持ちにもなった。
もうやけっぱちだ。
この日はずっと涙を止めることができなかった。

それが、だ。
人って不思議なもんだなと思う。
いや、人っていうより、私?

翌朝、目が覚めると、昨日の落ち込みは何だったのかと不思議になるほどケロッとしていて、朝陽に向かって拳を突き上げ、「生きる!生きる!生きるぞー!」と叫んでいた。
だって、昨日まで幸せだった国民が急に戦禍におかれ、国を追われ、自分も家族も死んでいくことだってあるのだ。この数分後に大地震が起こって死ぬことだって、明日外を歩いているだけで車に衝突されることだって、あるんだ。
それは特別な誰かに起こることではなく、皆等しく可能性があること。
でも、私は「今」生きている。この瞬間、まだ生きている。生きているということは、生かされているということ。じゃあ、その間はとことん生きてやろうじゃないか。

昨晩泣いていた自分を思い出し、アホか、と思った。
泣いても1ミリもガンは小さくならない。むしろ大きくなるはずだ。
今この瞬間を、笑って笑って生きる。感謝して生きる。それでいいんだ。
私は3年前にガンが再発した時、「奇跡の人になる」と決めた。
そのことをもう一度自分に確かめる。
「奇跡の人になりたいかーーーっ?!」
「なるーーっ!」
「どうしてもなりたいかーーーっ?!」
「絶対なるーーーっ!!」
よっしゃ、いい返事や。そしたら、なったれ。それしかないやろ。

今日命ある限り、後ろは向かない。
ただ、いまを生きる。

最近の家電事情

2022-04-15 | 生活
最近の出来事といえば、家電を買い替えたことだ。
まずは12年使ったドラム式洗濯機。見てはいないが、おそらく洗濯槽が黒カビの温床となっているような気がしていた。
乾燥機を使うと衣服が匂う。
家電は10年が寿命ともいうし、まだ使えるけれど買い替えようということになった。
いろいろ見たが、やっぱり使い慣れたドラム式がいいと思い、Panasonicの最新のものにした。
おそらく我が家で購入した「家電」としては過去最高値……。最近の洗濯機ってこんなに高いのかとびっくりする。
でも、また12年くらい使うことを考えれば良いものを買おうということで、それに決まった。

一番の特長としては、洗剤自動投入機能がついていることだろう。普通の洗剤、柔軟剤、おしゃれ着洗剤の3種類をあらかじめセットしておけば、自動で量って投入してくれる。
30℃、40℃、60℃のお湯でも洗えるし、もちろん乾燥機能もある。
スマホとも連動できるようだが、それは必要性を感じていないので、まだ使っていない。
あと、良いのは槽カビクリーンなど、洗濯槽のお手入れ機能がいろいろあり、週1、月1などで手入れすることでカビを防げる点だろう。
洗濯機の進化、素晴らしい。

それから、掃除機も買い替えた。
掃除機は2016年モデルのスティックタイプ(コードレス)を使用していたが、これがものすごく重いし、音がうるさいし、そのわりに吸わないし、ゴミ捨ても飛び散って面倒と、何もいいことのない掃除機だった。
HSP気質の私は掃除機の音も苦手なので、それがかなりのストレスになっていた。

掃除機もいろいろ調べて、実際に家電量販店で触ってみた。
そして、結果的にジャパネットでシャープのスティックタイプ(コードレス)のものを買った。
これがCM通りというか、CM以上に満足度の高い商品で、私の掃除に関するストレスはすべてなくなった。
軽い、静か、よく吸う、ゴミ捨て簡単!
なんと重量1.3kgという軽さに驚き、また、軽いということのメリットが想像以上であることを実感。
持ち上げられるので、カーテンレールの上とか、棚の上でも軽々と掃除機をかけられるのだ。
なんだか掃除が楽しくて仕方がなくなった。

ただ、「家計は折半」と言っているのに、夫が両方とも買ってしまった。
ありがたいが、どうしても罪悪感をぬぐえず、あることを思いついた。
「そうだ、お母さんに洗濯機を買ってあげよう!」

どうせ夫はお金を受け取らない。
だったら、浮いたお金を誰かのために使えば、私も気持ちがいい。
ちょうどこの間、母が「洗濯機の脱水が弱くなっていて」と話していたことを思い出し、「洗濯機を買ってあげます!」とLINEしたらすごく喜んでくれた。

うちの実家は築50年の古い団地で、洗濯機置場がなんと風呂場の中にある。(洗い場との仕切りもない)
ドラム式は大きいのであきらめていたが、縦型でも自動投入と乾燥機能はついているものをあげたいと思い、実家に設置場所サイズを測りにいった。
パンフレットと突き合わせてみると、これがまあ、選択の余地なし。どれも入らないのだ。
結果的に、自動投入も乾燥機能もついていないコンパクトサイズの洗濯機になった。
もう80歳近い母。膝も悪いし、これから10年の間にもっと弱っていくことは間違いないのだから、しんどい日は外に干さなくてもいいように、乾燥機能をつけてあげたかったのに……。残念だ。
とはいえ、ものすごく喜んでくれた。

さらに、掃除機も買ってあげることになった。
最初は予定していなかったのだが、設置サイズを測りに行った日、母がこう切り出したのだ。
「今、ジャパネットで掃除機のCMやってるでしょ。あれ良さそうだし買いたいんだけど、やり方がわからなくって。お金は払うから、注文やってくれない?」
その時すでに私は同じ掃除機を使っていたので「それ、この間うちも買ってん!めっちゃいいよ。うん、それも買ってあげるわ!」と、張り切って注文してあげた。
母は手芸をするので、糸くずがとにかく多い。それを掃除しやすい掃除機がほしいとのこと。あれなら軽いのでちょうどいい。
「でも、洗濯機も買ってもらうのに……」と遠慮がちな母の気持ちを軽くするために、夫の会社の業績が良く、特別ボーナスが支給されたという話をしてあげた。(実際は私がお金を出すのだが)
母はまだ少し申し訳ないという顔をしていたが、私が「大丈夫、大丈夫。お金あるねん」と言うのを聞いて、ようやく「そう。じゃあ、もらうね。ありがとう」と嬉しそうに言ってくれた。よかった。

すると、そのやりとりを横で見ていた父が、急にこう言い出した。
「電気髭剃りって、あったらいいなぁ……」
「え?いつもT字のカミソリやろ?」
「まあ、そうなんやけど、急いでる時とかなぁ、電気カミソリあったらええよなぁ……」

・・・たかってきた!!!

こういうところが父の恐ろしいところである。
「えー、知らんよ、そんなん。髭剃りなんて高いもんじゃないでしょ。自分で買ってよ」
私が邪険にすると、さすがにしょんぼりしていた。

あー、怖い、怖い。
と思ったが、まあ、父の日にでも髭剃りをプレゼントしてあげようかなとも思っていた。
買ってあげるのが嫌なのではなく、人がお金を持っていると知ると使わせようとする性質が嫌なのだ。遠慮ってもんはないのかね。

実家の洗濯機は明日届くが、掃除機は話をした翌日に到着した。
早速、母から喜びのLINEが届いた。
「うれしい!軽いわ~!ありがとう!」

よかった。母がうれしいと、私もうれしい。
ようやくちょっとだけ親孝行。
病気になったことが何よりの親不孝だから、少しでも何かしてあげたいと思う。

しかし、最新家電はすごい。洗濯機と掃除機で、一気に家事のストレスがなくなった!

良き仲間と過ごす時間の大切さ

2022-04-12 | 生活
またやってきた、4カ月ごとのCT検査。
明日が検査日なので、日々体を整えていっている。
体調は相変わらず、良かったり悪かったりで、スッキリとはしないが、これが手術痕や抗がん剤の蓄積、加齢、気象などによるものなのか、それともがんの進行によるものなのか、それはわからない。
後者ではないと信じているが、不安から逃れられることはない。
こうやって生きていくしかないのだとも思う。

しかし、秋冬の繁忙期も終わり、春の訪れと同時に穏やかな日々が訪れた。
4月から8月は月の半分くらいしか仕事がない。また「ご隠居さま」生活が始まる。
「夏の仕事」を作りたいと以前から思ってきたことも確かだが、どうせ暑いし、外に出たくないし、もう家でゆっくりしていてもいいのかなとも思う。
昔のように、仕事をしていないことに対する罪悪感や焦りのようなものはかなり減った。(ゼロではないが)
みんな毎日一生懸命働いているのに、自分はこんなのんびりしていていいのだろうかと思うこともあるが、自分でそれを「良し」としなければ、私は変われない。
人々が「いいのよ」「ゆっくりして」といくら言っても意味がなく、自分で「良し」とするところがスタートだ。

日本酒の雑誌は、7月号と10月号の取材を春の内に終えておかないといけないので(真夏は蔵が稼働しないから)、出張はぼちぼち入っている。
先週も名古屋だったし、5月初旬は群馬。半ばに石川。6月に入ると秋田と北海道への出張取材がもう決まっている。
遠方への出張は月に1~2回くらいでちょうどいい。
毎週どこかへ行っていたことをおもえば、随分ラクになったものだ。これくらいでいい。

最近楽しかったことといえば、4月2日(土)に夫と友達と4人で近所の公園で花見をしたことだろうか。
ちょうど満開だった。





おつまみ弁当を作って、皆でいろいろ持ち寄って。


久しぶりに複数の友達でわいわいと、お酒を飲みながらしゃべるのは本当に楽しかった。
ふみこが何度も「やっぱり飲み会って楽しいなぁ」「お酒飲めるのっていいなぁ」と繰り返していた。
私もずっと元気で、たくさんしゃべってわらって、お酒も飲んで、ご機嫌な1日だった。

また今年も桜を見られたことに感謝。

名古屋でも、取材の後でクライアントとカメラマンさんと3人で飲んだ。
私はちびちびとゆっくりだったが、それでもここ最近ではわりと飲んだほうだと思う。
最初はクライアントが「1時間だけ」と言っていたのに、久しぶりだから結局盛り上がって、気づいたら3時間以上経っていた。
途中、もう1時間経ってるよなぁ…と思ったし、他の2人もそう思った瞬間はあったはずだけど、誰も時計を見なかったし、時間のことを言わなかった。私はそれがすごく嬉しかった。みんなも楽しいんだろうなぁと思って。

3時間以上といっても、5時から飲みだしたので、ホテルには9時までには戻ってきていた。
この2年の習慣で、「じゃあ、2軒目!」とはならなくなったなと思う。
もうちょっと、もうちょっとと、ズルズル限界まで飲んでいた頃が懐かしいが、あれは悪しき習慣だったと思うので、この健全な飲み会になったのはよかったと思う。
おかげで翌朝も7時に集合だったが、シャキッとしていた。

良い仲間と、良い仕事ができること。
これがやっぱり幸せだなと思う。
ずっとこんな時間が続いてほしい。