月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

母の庭 2021春

2021-04-16 | 
今朝は小雨が降っていたのでウォーキングを休んだ。
でも、9時頃になって陽が差してきたので、北海道のお土産を実家に歩いて持って行くことにした。(往復1時間弱)

母がいつものように「お花、持っていかない?」と言うので、一緒に庭へ行った。
「これかわいいでしょ」
「これ、今年はいっぱい咲いたのよ」
などと言いながら、ハサミでちょんちょんと私に持たせる花を切る。
子供のころからずっとそうだった。
朝起きると花を切って、包装紙にくるくると巻いて、「かおりちゃん、学校に持って行きなさいよ」と私に手渡す。
小学生の私は素直に受け取って、学校で先生に渡す。
先生は花瓶(というか空き瓶)に活けてくれて、教壇にはいつもうちの庭の花があった。
今だったらそういうことも、もしかしたら許されないのかもしれない。平和ないい時代だった。

今年の春も、母の庭は美しかった。





























いつもこの庭にいると、私の心は幼き日に戻る。ノスタルジーだな。
築50年近い古い団地の1階の庭とは思えないほど美しい。まるで別世界だ。
これが全貌。


互いにマスクをしたまま、少し距離をあけて、30分ほどおしゃべりしてから帰った。
帰りに花と筍を持たせてくれた。
私は六花亭のお菓子詰め合わせを渡した。物々交換だ。

この町は筍の産地なので、この時期になると必ず誰かから筍をもらう。
あく抜きが面倒なので、この状態でもらうのが一番うれしい。


土佐煮、オリーブオイル焼き、若竹汁、筍の天ぷら。
明日は筍尽くしだ。

初夏の庭仕事

2020-06-01 | 
家にこもっている間に、一年でいちばん気持ちの良い季節が過ぎ去った。
いつの間にか、初夏。
季節は移ろい、心だけが残る。

我が家の花壇も春の花が終わり、初夏の花が咲き始めた。

去年から植えているブルースター。
水色の花って案外少ないから、爽やかな明るい水色にハッとさせられる。


ガイラルディアとヒペリカム。
ヒペリカムは赤い実を楽しむことが多いけれど、少し育ちすぎたので花の状態で剪定した。


ガイラルディアはわりと珍しい。アップにするとこんな感じ。


毎年たくさんの花をつけてくれるカンパニュラ。ほっておいても大丈夫。
そのかわり、切り花にはならない。


リシマキア・コンゲスティフローラ。
こちらも毎年咲いてくれる。


そのほか、春の花から初夏の花へ植え替えようと、夫に車を出してもらい、苗を買いに行った。
そこで、圧倒されるような完璧な美しさのダリアを見つけた。一目惚れ!


ジニアもこれからどんどん花をつけてくれるだろう。


丈のある花も欲しかったので、明るく元気になれそうなルドベキアを。
基本的に黄色い花に惹かれることが多い。


ピンクと白の混ざった千日紅。丸くてかわいくて、長く楽しませてくれるから好き。


一気に我が家の花壇が華やかになった。


今日は午前中1時間、午後から3時間、合計4時間も庭仕事をしていた。
死んだ土を袋に詰め(使う時に再生させる)、使っていない植木鉢を整理し、雑草を抜き、育ちすぎたモッコウバラを剪定した。
もっと暑いかと思っていたら、時折吹く風が心地よかった。
隣の竹藪からは途切れることなく、ウグイスの鳴き声が聞こえていた。姿を見たくて何度も竹藪を眺めたが、見えなかった。

ふと不思議な気分になる。
つい数日前まで階段を這っていたのに、今日はもう4時間も外で働けるなんて。
私の、というよりも、人間の生命力、回復力を感じた。
体は、細胞は、常に生きるという希望を持っているんだということがわかる。

隣の畑のおじさんがフェンス越しに声をかけてきた。収穫したての紫玉ねぎを3つくれた。「生で食べたらいいよ」と。
早速、夜ご飯にサラダにしていただいた。辛味も少なくおいしい紫玉ねぎだった。
これでまた明日はもっと元気になる。

癒しも大事なんだ

2020-05-08 | 
今年は庭のツルバラがたくさん花を咲かせた。
蕾もまだ数えきれないほどあるので、これから長く楽しめそうだ。


花苗をネットやホームセンターで購入してきたが、安いからか弱いなと感じていた。
でも、去年、茨木にいいお店を見つけて、そこで苗を買うようにしたら、これがとてもいい。

ガーベラもどうなるかなと思っていたら、たくさん花をつけてくれた。








5月は花盛り。
「豊作じゃ~!」とたくさん切って花瓶に活けて、リビング、玄関、トイレ、仕事部屋と、いろんなところに飾る。



その分、雑草もすぐ生えるので、草むしりが大変だが、今は時間があるのでストレスにはならない。
それよりも1時間くらい土いじりをしていると癒される。
ここは静かだし、鳥の声と風に揺られる木の葉の音しか聞こえない。

世の中の「コロナで苦しんでいる人たち」のことを別にすれば、自分自身はこの生活をそれほど悪く思っていないことに気づく。
むしろ、どんどん自分の世界に入っていくので、またいろんな人とうまく接することができるのか、それが不安になってくる。
取材で初対面の人に根掘り葉掘り聞くという行為が、さあ、できるだろうか。

ありがたいことに今月もレギュラー以外に単発でまとまった案件が入ったので、仕事(収入)はそれなりにある。
この時期はもともと稼ぎ時ではないから、昨年と比較してもそれほど落ち込んでいない。(なので個人事業主向けの申請もできない)
ただ、取材ができないと、取材なしでできるレギュラー仕事が毎月10万円分しかないので、単発がないと来月からはちょっと苦しいかな。(そうなると逆に申請できるかも?)
この先のことはわからないし、それはみんな同じなので、あまり深く考えないようにしようと思う。
人生における長期休暇をもらったような気持ちで、この環境でしかできないことをやっていこう。

何にしろ、花のある生活はいい。
「おうち時間」に癒しは必要だ。

ツルバラ満開!

2019-05-22 | 
今年は赤いツルバラがたくさん咲く。
どんどん咲くので1週間に1回は切花にする。



ツルバラは、バラとしての形はきれいではないけれど、どんどん花をつけてくれる。
トゲは多く鋭いが、丈夫でワイルドなのがいい。
2010年にこの家を建てたときから育てているが、毎年、そして春から秋と比較的長期間にわたって楽しませてくれている。

朝の花の世話は、忙しい毎日のちょっとした潤いだ。

今日から3日間で原稿の遅れを取り戻さなければ。
ちょうど夫が3日間、東京出張なのがありがたい。集中できる。

最近はすっかり朝型で、6時から仕事をしている。
でも、夕方には力尽きるので、実際の労働時間は変わらないという・・・。
単なる老いなのか、それとも一度壊れた細胞のせいなのか、「あとひと踏ん張り」がきかなくなった。

とは言え、そんな言い訳はどこにも通用しないので、自分にムチ打つしかない。
週末のイベントを心から楽しめるように、とにかく原稿を進めよう。



2019年春、母の庭

2019-04-23 | 
母がLINEを始めてから、よく庭の写真を送ってくる。
今年の母の庭も本当に美しい。











築46年の集合団地の1階。
貧しい中の、美しい暮らし。

母を見ていると、「豊かに生きる」というのはこういうことなのかもしれないといつも思う。
それは決して「花を育てる」という限定的なことではなくて。
(花を育てているから豊かで、育てていないと豊かではない、という意味ではないということ)

それはきっと娘である私にしかわからないこと。
子供の頃からの母の苦労や苦悩を知っているから、そう思えるのだ。

この庭は、子供の頃の私の「世界」でもあった。できればここから出ていきたくはなかった。それほど居心地がよかった。
こんな庭で育った子供が花好きにならないわけがない。

花が家にあることは、特別なことではなく「当たり前」。
そんな環境で子供時代を過ごせたことに、今は感謝している。
春が来るたびにそう思う。
特に今年は、毎日のように送られて来るLINEの写真を見ながらそう思う。