日曜に夫と一緒に「なつかしい×あたらしい なにわブルースフェスティバル2020」へ行ってきた。
このイベントがすごいのは、大阪市浪速区長・玉置賢司氏の発案で始まったことだ。
2016年に第1回が開催され、今年で5回目を迎えた。
1970年代になぜか関西に根付いた「ブルース」。特に「憂歌団」のような大阪独自のブルースが発展したのは、黒人のBLUESと大阪人のSOULにはどこか共通点があったのだろうと思われる。
この「なにわブルース」を継承していかなければならない、広く発信していかなければならないと、玉置区長が発案したわけだ。
自らがギターを持ってポスターになっているのも面白い。なにわ魂だなぁ・・・
それが、第1回に行った時、あまりに面白くなくて、2回・3回は行かなかったのだが、昨年の4回目は亡くなった石田長生を偲ぶライブだったので行くことにした。
抗がん剤治療1クール目の投与から8日目。それも立ち見。
最後まで行くかどうか迷ったが、結局行ったのだった。5時間立ち見!!
健康な人でも疲れるのに・・・。ケロッとしている自分を、さすがに超人かと思った。
そのライブがとてもよくて、今年もすぐにチケットをとった。
と言ってもコロナのことがあり、本当に開催されるのかどうか怪しんでいたのだが。
会場は「なんばhatch」。
時間差入場、検温、QRコードを読み取って問診と個人情報の提供、手洗い消毒、客席は1つずつ空けて座る、もちろんライブ中もマスク使用。
これがwithコロナ時代のライブなんだなと思った。
有山じゅんじ、上田正樹、近藤房之介、木村充揮、永井ホトケ隆、三宅伸治、清水興、KOTEZ、BEGINなど、ブルース好きにとったらたまらんアーティストが続々登場するわけで。
特に今回楽しみにしていたのは、大上瑠利子だった。何度も何度も聴いた「スターキング・デリシャス」のCD。だけど、リアルでは聴いたことがなかったのだ。
すっかりおばあさんになっていたが、ハスキーボイスは変わらずでカッコよかった。
しかし思った。
平均年齢、何歳なんだろう・・・。60歳?70歳?
1970年代に20代で活躍していたのだから、みんなそれくらの年齢になっている。
大好きなブルースマンたちも一人、また一人と亡くなっている。
そんな中、一番の若手(一番というか、唯一?)である「OSAKA ROOTS」というバンドが登場した。私は初見。
1曲でガツンとやられた。
私が好きなタイプのギタリスト。自分がギターを支配するのではなく、ギターに魂も体も引っ張られる感じの弾き方。
女性のサックスが入っているのも新鮮だ。めちゃくちゃカッコイイ。
2曲目で今回このバンドとコラボする「かりゆし58」の前川真悟が登場。
ファンクからいきなり南国ムードに一変した。
曲の途中で客席に語りかける。
「ここは音楽の名のもと、同志しかいない」
「あなたが向かい側にいてくれるおかげで、音楽は死んでいません」
「ライブが世の中のつまはじきになってしまって淋しかったです。自分の存在意義を考えたりしました」
たぶん、会場にいた全員の心に響いたと思う。
コロナによって変わってしまった世の中、自粛の続いた半年間、いろんなことが思い出されたし、ライブを中心に活動しているミュージシャンたちの苦しさをリアルに感じた。
とてもまっすぐな言葉と音楽に心が震えた。
ふと、ヨーロッパで死者がどんどん増えていく3月に、ドイツのモニカ・グリュッタース文化相が「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と言って支援を約束したことを思い出した。
あの時、レオ・レオニの「フレデリック」という絵本も思い出していた。飢えと寒さの中で「想像力」と「詩」の力を示したネズミのフレデリック。
音楽や芸術や文学は、お腹の足しにはならないし、病気を治すこともできない。
だけど、人間にとって絶対に必要なものなのだ。
最初は遠慮がちだった観客も、ライブの後半になるとマスクの中から少し声を出すことが増えた。
何よりも、拍手をする手が高かった。
いつものライブなら、自分の胸の前で拍手をするのに、みんなが大声をあげられない分、自分の気持ちを伝えようと、手を高く高くあげて拍手していた。私も。
それぞれがいろんな思いを抱えてここにいて、改めて今、音楽の力を感じているんだろうなと思った。そう思うだけで泣けてきた。
久しぶりの生ライブ。5時間半もあっという間だった。(今回は座っている)
ただ、私の大好きなブルースマンたちが、60歳、70歳になってもステージに上がるということに敬意を抱きながらも、パワーは少しずつなくなっていることを感じたことも事実だ。
特に、比較する若手バンドがあったから、余計にそれを感じてしまった。「若い」ってやっぱりそれ自体が財産なんだなぁ。もちろん年を重ねた「味わい」みたいなものは、若い人には出せないし、それぞれの良さはあるのだけど、単純に「パワー」という意味で。
もう1つ感慨深かったのは、自分が元気になってこの会場に来られたということ。
1年前は抗がん剤治療がスタートしたばかりで、1年後のことなどうまく想像することもできなかった。
だけど、元気になってここにいる!!
そのことがたまらなく嬉しかった。
22時半、なんばハッチを出て地下鉄の駅へ向かうとき、まるで終電を逃した後か、明け方みたいだと思った。
それくらい人が歩いていなかった。
なんだか淋しい街になってしまったなと思った。
でも、だからこそ、人々の心から、生活から、音楽の灯を消してはいけないんだ。
このイベントがすごいのは、大阪市浪速区長・玉置賢司氏の発案で始まったことだ。
2016年に第1回が開催され、今年で5回目を迎えた。
1970年代になぜか関西に根付いた「ブルース」。特に「憂歌団」のような大阪独自のブルースが発展したのは、黒人のBLUESと大阪人のSOULにはどこか共通点があったのだろうと思われる。
この「なにわブルース」を継承していかなければならない、広く発信していかなければならないと、玉置区長が発案したわけだ。
自らがギターを持ってポスターになっているのも面白い。なにわ魂だなぁ・・・
それが、第1回に行った時、あまりに面白くなくて、2回・3回は行かなかったのだが、昨年の4回目は亡くなった石田長生を偲ぶライブだったので行くことにした。
抗がん剤治療1クール目の投与から8日目。それも立ち見。
最後まで行くかどうか迷ったが、結局行ったのだった。5時間立ち見!!
健康な人でも疲れるのに・・・。ケロッとしている自分を、さすがに超人かと思った。
そのライブがとてもよくて、今年もすぐにチケットをとった。
と言ってもコロナのことがあり、本当に開催されるのかどうか怪しんでいたのだが。
会場は「なんばhatch」。
時間差入場、検温、QRコードを読み取って問診と個人情報の提供、手洗い消毒、客席は1つずつ空けて座る、もちろんライブ中もマスク使用。
これがwithコロナ時代のライブなんだなと思った。
有山じゅんじ、上田正樹、近藤房之介、木村充揮、永井ホトケ隆、三宅伸治、清水興、KOTEZ、BEGINなど、ブルース好きにとったらたまらんアーティストが続々登場するわけで。
特に今回楽しみにしていたのは、大上瑠利子だった。何度も何度も聴いた「スターキング・デリシャス」のCD。だけど、リアルでは聴いたことがなかったのだ。
すっかりおばあさんになっていたが、ハスキーボイスは変わらずでカッコよかった。
しかし思った。
平均年齢、何歳なんだろう・・・。60歳?70歳?
1970年代に20代で活躍していたのだから、みんなそれくらの年齢になっている。
大好きなブルースマンたちも一人、また一人と亡くなっている。
そんな中、一番の若手(一番というか、唯一?)である「OSAKA ROOTS」というバンドが登場した。私は初見。
1曲でガツンとやられた。
私が好きなタイプのギタリスト。自分がギターを支配するのではなく、ギターに魂も体も引っ張られる感じの弾き方。
女性のサックスが入っているのも新鮮だ。めちゃくちゃカッコイイ。
2曲目で今回このバンドとコラボする「かりゆし58」の前川真悟が登場。
ファンクからいきなり南国ムードに一変した。
曲の途中で客席に語りかける。
「ここは音楽の名のもと、同志しかいない」
「あなたが向かい側にいてくれるおかげで、音楽は死んでいません」
「ライブが世の中のつまはじきになってしまって淋しかったです。自分の存在意義を考えたりしました」
たぶん、会場にいた全員の心に響いたと思う。
コロナによって変わってしまった世の中、自粛の続いた半年間、いろんなことが思い出されたし、ライブを中心に活動しているミュージシャンたちの苦しさをリアルに感じた。
とてもまっすぐな言葉と音楽に心が震えた。
ふと、ヨーロッパで死者がどんどん増えていく3月に、ドイツのモニカ・グリュッタース文化相が「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と言って支援を約束したことを思い出した。
あの時、レオ・レオニの「フレデリック」という絵本も思い出していた。飢えと寒さの中で「想像力」と「詩」の力を示したネズミのフレデリック。
音楽や芸術や文学は、お腹の足しにはならないし、病気を治すこともできない。
だけど、人間にとって絶対に必要なものなのだ。
最初は遠慮がちだった観客も、ライブの後半になるとマスクの中から少し声を出すことが増えた。
何よりも、拍手をする手が高かった。
いつものライブなら、自分の胸の前で拍手をするのに、みんなが大声をあげられない分、自分の気持ちを伝えようと、手を高く高くあげて拍手していた。私も。
それぞれがいろんな思いを抱えてここにいて、改めて今、音楽の力を感じているんだろうなと思った。そう思うだけで泣けてきた。
久しぶりの生ライブ。5時間半もあっという間だった。(今回は座っている)
ただ、私の大好きなブルースマンたちが、60歳、70歳になってもステージに上がるということに敬意を抱きながらも、パワーは少しずつなくなっていることを感じたことも事実だ。
特に、比較する若手バンドがあったから、余計にそれを感じてしまった。「若い」ってやっぱりそれ自体が財産なんだなぁ。もちろん年を重ねた「味わい」みたいなものは、若い人には出せないし、それぞれの良さはあるのだけど、単純に「パワー」という意味で。
もう1つ感慨深かったのは、自分が元気になってこの会場に来られたということ。
1年前は抗がん剤治療がスタートしたばかりで、1年後のことなどうまく想像することもできなかった。
だけど、元気になってここにいる!!
そのことがたまらなく嬉しかった。
22時半、なんばハッチを出て地下鉄の駅へ向かうとき、まるで終電を逃した後か、明け方みたいだと思った。
それくらい人が歩いていなかった。
なんだか淋しい街になってしまったなと思った。
でも、だからこそ、人々の心から、生活から、音楽の灯を消してはいけないんだ。