月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

音楽は死んでいない。

2020-09-16 | ライブ
日曜に夫と一緒に「なつかしい×あたらしい なにわブルースフェスティバル2020」へ行ってきた。
このイベントがすごいのは、大阪市浪速区長・玉置賢司氏の発案で始まったことだ。
2016年に第1回が開催され、今年で5回目を迎えた。

1970年代になぜか関西に根付いた「ブルース」。特に「憂歌団」のような大阪独自のブルースが発展したのは、黒人のBLUESと大阪人のSOULにはどこか共通点があったのだろうと思われる。
この「なにわブルース」を継承していかなければならない、広く発信していかなければならないと、玉置区長が発案したわけだ。
自らがギターを持ってポスターになっているのも面白い。なにわ魂だなぁ・・・

それが、第1回に行った時、あまりに面白くなくて、2回・3回は行かなかったのだが、昨年の4回目は亡くなった石田長生を偲ぶライブだったので行くことにした。
抗がん剤治療1クール目の投与から8日目。それも立ち見。
最後まで行くかどうか迷ったが、結局行ったのだった。5時間立ち見!!
健康な人でも疲れるのに・・・。ケロッとしている自分を、さすがに超人かと思った。

そのライブがとてもよくて、今年もすぐにチケットをとった。
と言ってもコロナのことがあり、本当に開催されるのかどうか怪しんでいたのだが。

会場は「なんばhatch」。
時間差入場、検温、QRコードを読み取って問診と個人情報の提供、手洗い消毒、客席は1つずつ空けて座る、もちろんライブ中もマスク使用。
これがwithコロナ時代のライブなんだなと思った。

有山じゅんじ、上田正樹、近藤房之介、木村充揮、永井ホトケ隆、三宅伸治、清水興、KOTEZ、BEGINなど、ブルース好きにとったらたまらんアーティストが続々登場するわけで。
特に今回楽しみにしていたのは、大上瑠利子だった。何度も何度も聴いた「スターキング・デリシャス」のCD。だけど、リアルでは聴いたことがなかったのだ。
すっかりおばあさんになっていたが、ハスキーボイスは変わらずでカッコよかった。

しかし思った。
平均年齢、何歳なんだろう・・・。60歳?70歳?
1970年代に20代で活躍していたのだから、みんなそれくらの年齢になっている。
大好きなブルースマンたちも一人、また一人と亡くなっている。

そんな中、一番の若手(一番というか、唯一?)である「OSAKA ROOTS」というバンドが登場した。私は初見。
1曲でガツンとやられた。
私が好きなタイプのギタリスト。自分がギターを支配するのではなく、ギターに魂も体も引っ張られる感じの弾き方。
女性のサックスが入っているのも新鮮だ。めちゃくちゃカッコイイ。

2曲目で今回このバンドとコラボする「かりゆし58」の前川真悟が登場。
ファンクからいきなり南国ムードに一変した。
曲の途中で客席に語りかける。

「ここは音楽の名のもと、同志しかいない」
「あなたが向かい側にいてくれるおかげで、音楽は死んでいません」
「ライブが世の中のつまはじきになってしまって淋しかったです。自分の存在意義を考えたりしました」

たぶん、会場にいた全員の心に響いたと思う。
コロナによって変わってしまった世の中、自粛の続いた半年間、いろんなことが思い出されたし、ライブを中心に活動しているミュージシャンたちの苦しさをリアルに感じた。
とてもまっすぐな言葉と音楽に心が震えた。

ふと、ヨーロッパで死者がどんどん増えていく3月に、ドイツのモニカ・グリュッタース文化相が「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と言って支援を約束したことを思い出した。
あの時、レオ・レオニの「フレデリック」という絵本も思い出していた。飢えと寒さの中で「想像力」と「詩」の力を示したネズミのフレデリック。
音楽や芸術や文学は、お腹の足しにはならないし、病気を治すこともできない。
だけど、人間にとって絶対に必要なものなのだ。

最初は遠慮がちだった観客も、ライブの後半になるとマスクの中から少し声を出すことが増えた。
何よりも、拍手をする手が高かった。
いつものライブなら、自分の胸の前で拍手をするのに、みんなが大声をあげられない分、自分の気持ちを伝えようと、手を高く高くあげて拍手していた。私も。
それぞれがいろんな思いを抱えてここにいて、改めて今、音楽の力を感じているんだろうなと思った。そう思うだけで泣けてきた。

久しぶりの生ライブ。5時間半もあっという間だった。(今回は座っている)
ただ、私の大好きなブルースマンたちが、60歳、70歳になってもステージに上がるということに敬意を抱きながらも、パワーは少しずつなくなっていることを感じたことも事実だ。
特に、比較する若手バンドがあったから、余計にそれを感じてしまった。「若い」ってやっぱりそれ自体が財産なんだなぁ。もちろん年を重ねた「味わい」みたいなものは、若い人には出せないし、それぞれの良さはあるのだけど、単純に「パワー」という意味で。

もう1つ感慨深かったのは、自分が元気になってこの会場に来られたということ。
1年前は抗がん剤治療がスタートしたばかりで、1年後のことなどうまく想像することもできなかった。
だけど、元気になってここにいる!!
そのことがたまらなく嬉しかった。

22時半、なんばハッチを出て地下鉄の駅へ向かうとき、まるで終電を逃した後か、明け方みたいだと思った。
それくらい人が歩いていなかった。
なんだか淋しい街になってしまったなと思った。

でも、だからこそ、人々の心から、生活から、音楽の灯を消してはいけないんだ。

あの声に会いたくて。

2020-01-23 | ライブ
17歳の私は、RCサクセションに夢中だった。
「青春」という言葉を口にすれば、いつだって同時にあのメロディが流れてくる。

忌野清志郎というアーティストは、私の中で今も色褪せることがない。
めちゃくちゃカッコよくて、誰とも似ていない。
伝説の、そして永遠に不滅の、最高のロッカー。

1月18日、夫と二人で「忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー Oh!RADIO ~五十年ゴム消し~ 」を観てきた。



「サリバン・ショー」は、清志郎がいろんなミュージシャンと共演するライブイベントだ。
清志郎が天国に行ってしまってから行われていなかったが、今回14年ぶりの開催。
当然、本人はいないわけだが、生前に交流のあった(もしくは清志郎をリスペクトしていた若きミュージシャン)たちが集まり、主にRCサクセションの曲を演奏するというもの。

詳しくはこちら

RCメンバーだったCHABOはもちろん、奥田民生やトータス松本、宮藤官九郎やリリー・フランキー、はたまた間寛平まで出演。
会場はエディオンアリーナ大阪で、久しぶりの数千人(1万人?)規模のライブに気持ちも自然と高揚した。
(こんな大きな会場は、数年前に行った大阪城ホールの長渕剛のライブ以来だ)

客の年齢層はやはり高い。
40代~50代が中心ではないだろうか。
ここにいる人たちは私と同じように、中学や高校時代に清志郎と出会い、胸を熱くした思い出を共有しているのだと思うと親近感がわいた。

3時間半近くにわたるライブ。
大好きなRCの曲をいろいろと聴けてよかった。
いろんなミュージシャンが出ていたから実感として思うのは、「やはり大御所は違う」ということ。
奥田民生の存在感やトータス松本の歌唱力は飛び抜けていた。

トータス松本は、RCの曲ではなく、オーティス・レディングの「トライ・ア・リトル・テンダネス」を歌った。
上田正樹以外の日本人で、この歌をこんなふうに歌える人がいるんだと感動した。

私も高校時代に、オーティスを聴いた。サム&デイブもサム・クックも、ウィルソン・ピケットも、ジェームス・ブラウンも、この頃に聴いていた。
なぜか。
清志郎がリスペクトしていたからだ。

こうやって、好きなミュージシャンのリスペクトするミュージシャンを辿り、いつの間にかブルースに出会った。
それこそ洪水のように、ブルースは私の中に流れ込んできて、溢れかえった。

ブルースに出会ってからは、黒人音楽以外、ほとんど聴くことがなくなった。
一度魂を掴まれてしまったら、その他の音楽がすべて「耳」にしか届かなくなって。
ソウルまで響く音楽だけを選んで、かたくなに世の中の流行の音楽を拒否して、ブルースやR&B、ゴスペル、それらをルーツにしている日本のミュージシャンのものばかりを聴いていた。
今はそんなことはないし(今は嵐も聴くよ!)、あの頃のかたくなな自分を振り返ると、もう少し柔軟性があってもよかったんじゃないかとも思う。
だけど、きっと、あの頃の「かたくなな自分」は、「今の自分」を作る大きな要素になっている。
若い頃、あんなふうに何かにのめり込んで、狭く深く、孤独の中で聴き続けてきたことを、よかったと思う。
あの経験は、私にしかない感性を育ててくれたはずだから。

サリバンショーの最後にCHABOが登場して、会場はさらに湧き上がった。
9月にも別のライブでCHABOを観たところだが、やっぱり「RCのCHABO」は違う。

皆が清志郎亡き後も、彼の曲を愛し、歌う。
それは本当にすごいこと。
CHABOは、「ソングライターにとって、自分の曲が愛されるのは、とてもうれしいことなんだ」とも言っていた。

「こうしてると、清志郎が『寝坊しちまった』って、遅れて入ってきそうな気がするんだ」
そう言われると、私もふとそんな気持ちになる。
会場にいる全員が、清志郎を感じていたと思う。皆が呼んだ。
とてもいいライブだった。

アンコールの曲が終わり、スクリーンに清志郎の映像が映し出され、清志郎自身の歌声が流れる。
客席は帰る人もいてざわついているが、ほとんどの人が動かずにその映像を観ながら清志郎の声を聴いていた。
誰にも似ていない、唯一無二の、あの声を。

清志郎本人の声が会場に流れた瞬間、思った。
ああ、聴きたかったのはこの声だった、と。
いろんな人が、清志郎の曲を、RCのヒット曲を、演奏し、歌い、それはそれで楽しい時間だったけれど、ずっと何か違和感を抱いていたのが何なのか、この瞬間にわかった。
あの少しざらっとした感じ。
清志郎の曲は、清志郎が歌って初めて完成するのだ。
ざらつきがなくなって、すとんと胸に落ちてきた。

誰かが歌えば、もうそれは清志郎の曲でも何でもないのだと感じ、
また、清志郎の声を聴きながら、もう二度と生では聴けないことを思い知らされ、一気に淋しさに包まれた。

人の波に押されるように会場を出て、なんばの街を歩いた。
夫と立ち飲みの店に入り、ビールと日本酒を飲みながら、ライブのことを振り返り、熱く語った。
同じものを、同じ熱量とスピードで、同じように感じ取れる人と出会い、こうして酒を飲みながら語れることに心から感謝した。

帰宅して、二人で清志郎復活ライブのDVDを観た。
何度観ても飽きない。
やっぱり永久に不滅の、最高のロッカーだ。

永遠なんてないのだから

2018-08-04 | ライブ
金曜、土曜と連続でライブに行った。
京都の老舗ライブハウス「磔磔(たくたく)」で、木村充揮(憂歌団)が1週間出ずっぱりのイベントがあったからだ。

「磔築101周年記念!木村充揮満載な一週間!!楽しんでや!!! 」
と題されたライブイベントで、毎日違うゲストが木村充揮とのセッションする。

私は3日の泉谷しげる、4日の永井“ホトケ”隆&近藤房之助のチケットを入手し、夫と行ってきた。
昨年も磔磔で泉谷を見たけれど、パワーがすごい。70歳とは思えない。
とにかく全力で、それがものすごくカッコイイ。対照的に、木村充揮のテキトーなこと・・・。ゆるすぎ・・・。まあ、これが“味”なのだが。
ずっと客と「アホボケカス!」と言い合っていた。

4日は最初からブルース!!
ホトケと房之助が出るならブルースだろうとは思っていたが、王道ブルースの連続でたまらなくよかった。
みんな70歳近くなってもずっとブルースやってるんだから、カッコイイよなぁと思う。
「ブルースやってても年金もらっていいだろう!」とホトケが言っていたのがおかしかった。周りから「ブルースマンが年金って・・・」と責められるらしい。
いやいや、当然の権利だ。ブルースやってようが、なかろうが。笑

何にしろ、久しぶりにベタベタのブルースを何時間も生で聴いて楽しかった。充実した2日間だった。

客の年齢層がとにかく高くて、平均年齢55歳くらいかなと思う。
60歳超えたくらいのおばちゃん4人組などもいて、ああ、きっとこの人たちは20歳くらいの青春時代を彼らの音楽と共に過ごしたんだろうな、と思った。それはとても微笑ましく、また頼もしくもあった。パワーを感じた。
1970年代の京都のブルースシーンをリアルタイムで見ることができていたなんて、羨ましくも思う。

私が若い頃から何度もライブハウスへ足を運んで聴いてきたブルースマンたちは、ずいぶんいなくなってしまった。
天国でもまだ音楽をやっていそうな人たち。
塩次伸二、マンボ松本、島田和夫、石田長生、服田洋一郎、妹尾隆一郎・・・。
訃報はとても辛かったが、まだ同じ世代で頑張っているブルースマンがいると思うと少しだけ救われる。
でも、いつかみんないなくなるのだ。
だから、この2、3年はできるだけライブには足を運んでいる。
あのパワーを、輝きを、ユーモアを、心地よいリズムを、しっかり自分の中に刻みたい。

宵越しの体力は持たない

2017-10-14 | ライブ
「年をとると、新しいことが億劫になる」と聞いた。
確かにそうだなと思う。
いつものこと、知っていること、馴染みのある人や場所は安心するけれど、それ以外のことが「少し億劫」だ。
まだ「少し」だけで、本当に動きたくないわけではないし、ましてや動かないわけでもない。
でも自分の中で、「刺激を求める気持ち」や「新しいものへの挑戦心」などは確かに薄れていると感じる。好奇心も確実に弱まっている。

また、とにかくだらしなくなった。
若いときから自分が守ってきたようなことができなくなった。
例えば部屋が汚くなるとか、そういうことなのだが。

仕事も遅い。とにかく遅い。
人の話が理解できない。すぐ忘れる。言葉が出ない。

ああ、これが「老い」かと思う。失望する。
ただ、40歳を超えた友人に会うと、必ずみんな同じようなことを言うので「自分だけじゃないんだ」とわずかな安心感はある。

でも、やっぱり嫌だな、そういう「一般的な老い」を感じながら、本当に老いていくのは。
そう思う出来事がこの間あった。
久しぶりに泉谷しげるのライブに行ったのだ。

最初に泉谷しげるの音楽を知ったのは高校のときだった。
親友のもんちゃんが「いいから聴いてみて」とテープを貸してくれて、本も読ませてくれた。
一度で好きになり、それからどんどんはまっていった。
その頃の泉谷はフォークではなくロック。それもLoserというバンドを従えていて、それがまた中井戸麗市(RCサクセションのギタリスト)や村上“ポン太”秀一をドラマーに迎えるなど、とにかくすごい面々のバンドだった。これが好きにならないわけがない。

久しぶりのライブ。夫と行った。それも京都の老舗ライブハウス「磔磔(たくたく)」へ。
前から2列目のど真ん中の席だった。


今回はバンドでなく1人だったので、泉谷ってギターうまいんやなと思うようなライブで、最高だった。
相変わらずの泉谷節のトークもよかった。

そして、曲が終わるごとに「俺を撮れ!」と言う。みんな慌ててスマホを取り出して撮影するのも新鮮だった。
ちゃんとポーズもとってくれる。


「俺はネットとかそういうのはやり方がわからねーからな。お前らが俺を撮ってネットにアップしろ!」と。
みんな笑いながら撮影していた。


笑いもあるけど、音楽やってるときの泉谷はめちゃめちゃカッコよかった。


席があって基本的に座って聴くタイプのライブだったんだけど、最後は総立ちで。
ライブに来ているのは40~60代の人が大半だったと思うが、そんなじじい、ばばあに、泉谷はジャンプしろとか、いろいろ要求して。
それでもきっとこの会場にいる皆が若返ったような気持ちになっただろうなと思った。
若い頃、泉谷のライブで立ちっぱなしで、手を挙げて、ジャンプして。そういうのを思い出したのではないだろうか。(少なくとも私はそうだった)

最後に泉谷が言った言葉が忘れられない。
「俺は宵越しの体力は持たねぇんだ!」

カッコええーと思った。かといって、酒やタバコやらと無茶をしているわけではなく、恥ずかしそうに「健康に気を付けてるんだ」と言っていた。
健康に気を付けて、歌ってギター弾きまくって、皆に力を与えてくれる。
宵越しの体力は持たないくらい、出し切ってくれる。最高だ。

こうも言っていた。
「よくミュージシャンがライブで『今日はみんなから勇気をいただきました。ありがとう!』とか言うやつがいるけど、なんで金払って来てくれているやつから勇気まで取るんだ!それじゃ、総取りじゃねーか!そうじゃないだろう」

みんな笑っていたけど、すごく心に響いたと思う。
それは逆に言えば、俺はお前らにいろんなものを与えるつもりで来たんだ、持って帰れよ!ということだから。
そうは言わないところが泉谷のカッコよさなのだけど。

宵越しの体力は持たず、全部使いきって、ライブに来た人たちにいろんなものを与えて帰っていった。
「全力だ」ということは、どうしたって伝わってきた。
そういう人なのだ。そういう人だから、好きなのだ。そういう人の音楽だから、心に響くのだ。

来年70歳になるとは思えないパワーだった。
46歳の私が老いを感じてどうするんだ?と思った。
まだまだやれるやん、私。
やらなあかんやん。
それは別に何か大きなことをやるということではなくて、もっとちゃんと生きないとあかんということ。
老いに甘えて怠惰を受け入れていてはいけない。
人と会った時に、老いの話をするのもやめようと思った。(少なくとも自分からは)

私も健康に気を付けながら、ここというときは宵越しの体力は持たないように、全力でやろうと思う。
(仕事のときはやっているけど、家のことなどがおろそかなので・・・)

そういうことを感じさせてくれた泉谷に感謝。