月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

山形出張からの茨城出張

2017-02-27 | 仕事
2月後半は出張が続いた。
21日~24日まで山形へ飛び、酒蔵3軒と飲食店2軒を取材。
土日休んで、また27日(月)から茨城へ。
ようやく今日は家で原稿書き。

よく「出張が多くて大変だね」と言われるが、実際は出張よりも家で原稿を書くほうが疲れる。
20代の頃から出張ばかりだったから慣れているということもあるかもしれないが、いろんなところへ行けるのは楽しいし、取材さえ終わってしまえばあとはホテルのベッドでゴロゴロしているだけなので、むしろ楽だと感じる。
家事もしなくていいので、自由時間がたっぷり。

ただ、山形は取材がハードだったので、多少疲れた。
クライアントとカメラマンと3人で3晩飲み続けたし、最後の晩はカメラマンと多少言い合いもした。
3日間も朝8時から夜10時頃までずーーーーっと一緒にいれば、そりゃ仲良くもなるしケンカもする。
(仲直りしたけど)

土日で復活して、次に行った茨城の酒造はとてもよかった。


小さいけれど頑張っている蔵で、夜の飲み会には蔵元さん夫婦も参加してくれ、とても賑やかで楽しい時間を過ごせた。



この取材した飲食店も素敵なマスターのいるお店で。
新鮮な地元野菜の蒸し物が本当においしかった。


いろいろ蔵の話も書きたいけれど、記事になっていないのでまだここには書けない。
ただ、今回もきっといいものが書ける。
私の中に、しっかりとドラマが描けているから。

祝!ショートヘア

2017-02-16 | 癌について
9ヵ月ぶりの美容院。
髪を切った、というか、整えた。

「見事に全部が同じ長さですね!」と珍しそうに言う美容師さん。
ショートの人でも普通はトップ、前髪、サイド、後ろと、長さはさまざまだが、私の場合は全部なくなって、どの部分からも一斉スタートで伸びていったので、どこも全部同じ長さ。
カッコよくするのには、トップと前髪がちょっと足りない。
わかってはいたけれど、来週の酒蔵取材に向けて、思い切って美容院に行った。
(酒蔵では衛生上、キャップをかぶらされることが多く、いつも着脱がヒヤヒヤものだったのだ)

ウィッグをかぶっていって向こうではずせるようなウィッグ対応の美容院にしようかなとも思ったけれど、自分で白髪染めだけしてなんとか外を歩けるようにし、一昨年から通っている普通の美容院に行った。
昨年5月、脱毛前の準備としてショートにしてもらった美容院でもある。
担当してくれている美容師のかおりさん(私と同じ名前!)が私はとても好きで。
年齢は20代後半かな。
女優の杏ちゃんとジャニーズの亀梨くんを足して2で割ったような美人さん。
とにかく接客が優しくて丁寧で、私はいつも「息子がいたら、こんなコにお嫁に来てほしい!」と思うのだ。(いないけど)

脱毛前に抗がん剤治療のことを話して、「髪が伸びたらまた必ず来ます!」「お待ちしています!」というやりとりをしていたので、やっぱり最初はかおりさんに切ってもらいたいなと思っていた。
美容院に入ると私のところに飛んできて、満面の笑みで「わー!よかった!お元気そうで!」と喜んでくれた。
私が予約を入れたのを他のスタッフから聞いて、私の髪がまだ中途半端で他のお客さんの目が気になるんじゃないだろうかとか、個室にしたほうがいいだろうかとか、いろいろ心配してくれていたらしい。
「お電話しようかと思ったんですけど・・・」と。

ここは関西で一番入社希望者が多いという美容院。北海道や九州からも入社希望者がいるというから驚く。
大阪に10店舗ほど展開している。
ものすごい人数の中から選ばれたスタッフだけあって、やっぱり優秀なんだなと思う。
かおりさんだけでなく、どのスタッフもちょっと目が合っただけで微笑んでくれるし、とても優しい。
この美容院は大阪府の事業冊子を作っていたときの取材で知った。
「女性が輝いて働ける会社」の見本としての取材だった。
自社でスタッフのための保育所を作ったということで取材に行ったのだ。
美容院ジプシーになっていた私は、こんなに人を大切にする会社の美容院なら間違いないと思って行ってみて、一度で気に入った。

今回は、自分で染めてまだらになってしまった髪をきれいに染め直し、ほとんど切るところもなかったけど、部分的にすいたりして整えてくれた。
「ショートが流行っているので、よかったですね」
「このくらいの長さの人、いっぱいいますよ」
と言ってくれる心遣いもうれしい。

まだバランスは悪いけど、とりあえず「普通のショートヘアの人」に生まれ変わって美容院を出た。
久しぶりに頭皮に直接風を感じて、なんだかくすぐったかった。
初めてウィッグで外を歩いたときのように、人の視線を意識しているのがおかしかった。
かぶるのを忘れてきたようでドキドキした。
いやいや、これが普通やし!!(笑)

ただ、8ヶ月のウィッグ生活もこれで終わり・・・のはずだけど、やっぱり持っている服と髪型がアンバランス!!
花柄のスカートが似合わない・・・。
うーん・・・
まだしばらくは、TPOに合わせて地毛とウィッグの両方を使っていくことになりそうだ。

でもねー、やっぱりうれしい。

6年ぶり

2017-02-15 | 
年賀状に「実はガンになりました。でも元気になったよー」という内容を書いて送っていたら、「年賀状だけの関係」になっていた人が1人だけすぐにメールをくれた。
高校1年の時に同じクラスだった同級生。
どういうきっかけだったか忘れたが、同じくもう1人の同級生と3人で数年前に再会し、その時に集中して3回ほど会って、それからまた会わなくなっていた。
年賀状でお互いの近況は知っていたけれど。

正月早々くれたメールをきっかけに久しぶりに会おうということになり、高槻でランチ。
3人で振り返って考えた結果、6年ぶりだということがわかった。
(こういう時、子どもの年齢が役に立つ)

久しぶりだったけど、2人ともあまり変わっていなくて、おしゃべりも楽しかった。
メールをくれた人は出産が遅くて、まだ子どもは9歳と5歳で専業主婦。
もう1人は高校2年生の娘がいて、今はパート勤め。
私は既婚子なしのフリーライター。
三人三様であまり共通点がないから頻繁に会わないのかなと思ったが、しょっちゅう会っている友達も古くからの付き合いのある人ほど何の共通点もない。
だから、そういうことでもないのかな。

子どもが学校から帰って来るからと、2時過ぎには解散。
ランチとお茶だけだったが楽しかったし、もう少し話していたかったくらいだったので、また近々会えたらいいなと思った。
LINEも交換したし、以前より連絡もとりやすい。

でも、帰ってから早速LINEしていたとき、そのうちの1人が「また近いうちに会いたいね!次は来年くらいかな」と書いていてびっくりした。
そうか・・・。「近いうち」が「1年後」の人もいるんだなぁと思った。
私は少なくとも「年内」のつもりだったので。

こういう感覚も人それぞれ。
私は人と会うのが好きだからなぁ・・・(それも異常に!)
今年に入ってからも週に1、2回はいろんな人と飲みに行っている。
ざっと数えてみたらすでに15人くらい。(3人グループも多いので、回数は10回ないくらい)
仕事や家庭の縛りもゆるゆるだし、飲むのが好きで毎日でも平気だから、できることなんだろうな。
何より「マメやなぁ・・・」と人に言われ続けてきたこの性格が大きいかも。
だから感覚がおかしいけど、普通の主婦にとったら「懐かしい友達と会うこと」は年に一度でも多いくらいなんだろう。
そんなことを思った同級生とのランチ。


頑張りどころを見極める。

2017-02-13 | 想い
先日、取材したベンチャー企業の若き31歳の社長がこう言っていた。
「仕事において大切なのは“プロとして”という姿勢。100点は当たり前で、プロなら101点、102点を目指すべき。1点でもいいからプラスできるように、より完璧なものを目指して努力したい」

2014年と2015年の2年間、その101点を目指す余裕が私にはなかった。
もちろん100点は目指してきた。
でも、本当は100点を超えた「プラス1点」を目指す中に、その仕事の本質的な面白さがあるんじゃないだろうかと思った。

2016年、病気になって半年ほど仕事を休んで、ようやく自分の「老い」を認められた。
ずっと20代と同じような記憶力、理解力、構成力で原稿が書けると思っていたし、いつも元気で体力もあって、多少眠らなくてもハードな生活でも、自分の能力は何ら変わらないつもりでいた。
40代になっても変わらないなんて、「決してそんなはずはない」と頭のどこかではわかっていながらも、老いをはっきりとは認めたくはなかった。いつも“やれる自分”でいたかったのだと思う。

でも、老いを認めて、今の自分が気持ちよくできる仕事を取捨選択していくようになったら、とても楽になった。
100点を超えた「プラス1点」を目指すような仕事ができているから、とても楽しい。
前はただ「100点のもの(高品質のもの)を書こう」と、クオリティを上げることだけは妥協せずに書いていたが、今はそこに“自分らしさ”であったり、“味わい”であったり、何かあと1つプラス肉付けできる余裕ができたと思う。
ここはちょっとドラマチックに書いてみよう、とか。
書き出しを映画のワンシーンのようにしてみよう、とか。
そして、実はそれこそが、「文章を書く」という本当の楽しさであったことを思い出したのだ。

「老い」と書くと、マイナスなイメージをもたれるかもしれないが、私が主張しているのは特別な「老い」ではなく、普通に、「45歳ってこんなもの」ということ。
体力も記憶力も確実に低下している。
でもそれは、決して悲しいことでもみじめなことでもない。
きっと悲しいのは、それを認められなかった自分のほうだし、みじめなのは認められずにムチャをして倒れた自分のほうだ。
自分をきちんと見つめて、認めて、一番気持ちよく楽しく暮らせる方法を考えることが大切だと気づいたのだ。

取捨選択はとても大事だと思う。
もう7、8年は続けていた某大手家電メーカーの広告コピーの仕事を、ついに断った。
依頼された今回の案件は受けたが、「これで最後にしたい」ということを話した。
理由はいろいろあって、それをきちんと誠実に伝えた。

広告の仕事はあまりやってこなかったし、クライアントが誰もが知るメーカーということもあって、自分の実績作りのために続けてきたけれど、やっぱり自分は広告コピーを書くことが好きではない。
わかっていながらも手放す勇気はなかったが、今回、いつも重荷になっていたこの案件を手放したことで、とても気持ちが楽になった。

私が頑張るのは、そこじゃなくていいはずだ。

どうしても出張があったり、いろんなところから依頼があるので一定期間に集中してしまったりと、会社勤めの人のように規則正しく仕事をするのは限界があるが、それでも今はできる限り週休2日をキープし、1日8時間労働くらいの仕事量に調整している。
もちろん夫と家計を折半して、自分1人で暮らせるくらいの収入(ギリギリだけど!)は確保しつつ、だ。

そうすると、先に書いたように、「プラス1点」を目指す余裕ができた。
文章を書くって楽しいなぁとしみじみ思いながら、次はこう書こう、ああ書こうと、創意工夫ができるようになった。

こんな当たり前のことが、失われていたんだなぁ。

決して頑張ることをやめたわけではなく、「頑張りどころ」を間違えないようにしていきたい。
手放した分、今ある仕事の「プラス1点」を目指したいし、勉強もしたいし、将来の糧になるものを書いていきたい。
大学卒業の時、「自分のペンで食べていく」と決め、なんとか(奇跡的に!)この20年はそれが実現できた。
10年後も書いていたいし、自分のペンで生活していたい。
そのためには20代と同じように頑張るのではなく(無理だし!)、「頑張りどころ」を見極める時期なんだろうと思う。
まだ模索中だけど。
今年はゆっくり、それを探していきたい。