月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

年が明けてからのこと、いろいろ

2023-02-04 | 生活
2023年2月
これが今年最初のブログ投稿となる。
年が明けてからnoteではいくつか記事を投稿していた。やはり今年もメインはnoteになりそうだ。
ただ、noteでは書けないこと、書きたくないこと、読まれたくないことなどもあるので、それはこっちに書いていこうと思う。

まずは体調のこと。
昨年12月後半くらいから、どちらかといえば良好である。
ただし、毎日元気いっぱいに暮らしているかといえば、決してそんなことはない。
ひどい腹痛がどのタイミングでやってくるのかわからないのだが、これがくると寝ているだけで何もできない。
夜は相変わらず熟睡できず、午前3時以降はだいたい眠れないか、1時間置きに目が覚めるか、という感じだ。
夜中に1,2回は湯たんぽをつくりにいく。
横になる体勢がどうやらお腹によくないというのはわかってきた。起きていると痛くない時も、何時間か寝ていると必ず痛くなるからだ。
しかし、それももう慣れてきた。人生は何でもあきらめてしまえば楽になる。「熟睡」をあきらめてしまえば、まあ、眠くなれば昼寝でもすればいいし、とりあえず今日も生きているんだからいいか、という気持ちになった。

1月の後半は、この1年で一番体調が良かったのではないかと思う。
毎日つけている「一言病状日誌」のようなものがあるのだが、1月後半は「ほぼ痛みなし」という記述が多かった。
そして不思議なことに、これまでずっと「左下腹部」が痛かったのに、今は「右下腹部」になった。
左は治ったんじゃないかと思うほど、まったく痛みがない。
がんが進行しているとしたら、「左」にプラスして「右」も痛くなるというのが普通なのじゃないだろうか。
不思議だけど、二重になるよりよかった。左のがんが小さくなっていたらいいなと思う。

最近は整腸剤と酵母ドリンクを飲み始めた。あと、免疫系ヨーグルトも。
胃腸の調子がこれでかなりよくなってきて、食欲も少し出てきたし、食べた後も起きていられるようになってきた。
お酒は相変わらずほぼ飲めない。

次に仕事のこと。
昨年、思い切って仕事をいくつかやめたことで、穏やかな日常を送れている。
1つ手放せば、1つ新しいものが入って来るというのは本当で、新たな媒体での取材案件が入って来た。
今のところ月に1本程度だし、報酬も安いが、新しい媒体で書けるというのは楽しいものだ。
内容も面白いし、WEBだけど記名入りで掲載されるので、まあまあやりがいもある。
紙媒体が好きだけど、今後のことを考えればWEBでの仕事を増やしていかないといけないと思っていたので、良い足掛かりになったと思う。

紙のほうがWEBより価値があるように思っていたが、もうその考え自体が古臭いのだと思うようになった。
「私はWEBでこういう記事を書いています」といえるほうがカッコいい。紙での実績など、もう時代遅れだと相手にされなくなるのも時間の問題だ。
今後、紙での実績になるのは、書籍くらいのものじゃないだろうか。
淋しいけれど、これが現実。

酒蔵の取材はぼちぼち入って来る。
1月に三重県へ行き、今後予定が入っているのは、新潟と北海道。もう少し暖かくなってから行くことになる。
今年は雪が多いので、寒い地域へ行くのはタイミングが難しい。

プライベートのこと。
今年一番のニュースとしては、ソファを買い替えたことだろうか。
3年半くらい前に買ったソファは、幅が150センチくらいの小さな二人掛けだった。
二人暮らしだし、家具で部屋がいっぱいになるのも嫌だったので、あえて小さなものを買った。それで十分だと思っていた。
ただ、私がこんな体調になってしまい、多くの時間を横になって過ごすようになり、ソファが小さく感じるようになってきた。私がソファで横になると、もう夫は座れない。夫が座るときは私も座らないといけないのだが、それがしんどくなって、結局早々に布団に入ってしまう。
なんというか、「ソファに横になる」のはいいのだが、「布団に入る」のは病人感がすごい。
まだ夕方なのに布団で寝ていると、本当に重病人になったような気持ちになるし、家の中が不健康な気がしていた。

夫が「大きなソファを買おう」と言い出した。そうしたら、楽になるやろ?と。
リビングが家具でいっぱいになるのが嫌だと思っていたけれど、よく考えてみると、リビングに空間を設けているからといって、なんだというのか。
大勢が歩き回るわけでも、子どもが走り回るわけでもない。
極端な話、リビングに空間などなくても何の支障もないのだった。そのことに気づき、大きなソファを買いにいった。

「大きなソファ」といっても、特別巨大なわけではない。これまでの小さな二人掛けに比べて、という意味だ。
家具の卸問屋のショールームに行き、良いものを安く買うことができた。
幅220センチのカウチソファ。
うちのとは違うけど、イメージはこんな感じのだ。


これだと二人ともが足を伸ばして座ることができる。なんなら私は横になっていても、夫はゆったり足を伸ばして座っている。
さらにこのソファが優れモノで、コーナーの縦長部分を取り外して組み替えると、「ソファ」+「オットマン」にすることもできるのだ。
友達が来た時などはそうすれば、4人がゆったり座ることができる。

うちはもともと「人がたくさん来てくれる家」を夢見て、ダイニングテーブルを置かずに(椅子が人数分必要になるので)、150センチ×90センチの大きな座卓テーブルを購入している。
こんな大きなソファを置くことは想定していなかったので、今はこのテーブルとの組み合わせがおかしなことになっているが、それもまあいいか、という感じだ。
確かにリビングは狭くなったが、それでも空間はまだあるし、天井も吹き抜けだから圧迫感もない。
何よりこのソファが最高に気持ちいいのだ。

このソファが来てからというもの、ますます私はソファから離れられなくなっている。
ここでゆったり足を伸ばしながら読書するのが至福の時。
最近はもう「堕落してもいいか」とすら思う。あんなに怖かった「堕落」なのに。

いろんなことをフラットに考えようと思い始めた。
自分が今まで抱いていた信念とかこだわりとかって、結局のところは「~せねばらならない」という強迫観念にすぎなかったのかもしれない。そんな崇高なものじゃなかったな、と思う。
「~せねばらならない」「~すべきだ」そんな理想は私を追い詰めるだけで、成長にも人徳にも評価にも、なんなら自己満足にすらつながったかといえば、あやしいものだ。

50年生きたんだ。
これからの人生など、もうおまけみたいなものだ。
もっと自分を解放してやって、もっと自由に、もっと楽しく生きてみたい。

手始めに、好きなアイスとお菓子を買ってきて、ソファで足を伸ばして、食べながら本を読んでみた。
それもみんなが一生懸命仕事をしているであろう、平日の昼間に。
ものすごい背徳感。
それに、お行儀悪いったらない。
でも、なんだかスッキリした。楽しかった。母が見たらどう思うんだろうか。
堕落への第一歩だ!と思ったが、それがすごい解放感だった。

いいんだよなぁ、もう、自由に生きたって。誰にも怒られん。

すでに「鎌倉殿」ロス

2022-12-13 | 生活
12月も半ばに入り、いよいよ今年も終わりという感じがしてきた。
例年のように原稿に追われてはいるが、いつもと違うのは取材がないこと。
2社と業務委託契約を解消したので、いつもなら12月も取材がいろいろと入ってくるところ、それがなくなった。
ゆっくりと自分の体をケアしながら原稿が書けるのはいい。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がいよいよ次週で終わる。
すでに「鎌倉殿ロス」。

長年、大河ドラマを見続けているが、私個人としては歴代一位の面白さだった。
毎回45分があっと言う間。
終わった瞬間「え?もう終わり?」といつもつぶやいてしまう。特にこの2,3カ月はそうだ。

やっぱり三谷幸喜は天才だと思う。
前回の北条政子が御家人の前で演説するシーンは、本当にたまげた。
歴史的に知られているあの有名な演説。
「右大将の恩は山よりも高く、海よりも深い。さあ、名を惜しむものならば朝廷側に味方する武将を討ち、右大将の恩に報いるのです」云々。

あれをどう見せてくれるのかとワクワクしていたら、なんとなんと!!
あの名演説が「書かれたもの」とし、それをまずは政子が読み上げる。しかし、途中でそれを捨て、自らの言葉で語り出すのだ。

「捨てた!」と思った。
でも、それによって、この後の政子の生身の言葉がより強く御家人たちの心に響いたことがわかった。

うまいな~、三谷幸喜!

もう毎回毎回こんな名シーンの連続で、とにかく続きが楽しみで仕方ないわけで。
小栗旬演じる北条義時のダークっぷりも素晴らしい。
人の好かった伊豆の豪族の次男坊が、どんどん変わっていく。その変化が極端なんだけど、すっと受け入れられるのは、やはりキャラがしっかりしているからだ。
それに前回は、義時はやっぱり真面目すぎるだけなんだ、志半ばで死んだ兄と頼朝のおもいを一身に背負って、こんなふうに生きることしかできなかったんだと、そう思うこともできた。久しぶりに義時に同情できた。

しかし、いよいよ最終回。
以前、出演者のトーク特番を見ていたら、小栗旬も小池栄子も最終回の脚本が届いた時、かなり衝撃を受けたと話していた。2人ともすぐに三谷さんに「こんな最終回とは・・・!」と驚きと感動のメールを送ったらしい。
それを聞いてから、最終回を早く見たいような見たくないような、複雑な気持ちで過ごしてきた。

一体どうなるんだろう。どんな最終回なのか。
山本耕史演じる三浦義村のずるがしこい立ち回りも目が離せない。
それから、皆の希望である北条泰時(坂口健太郎)の行動も。

歴史小説というのは、歴史上の人物の「相場」を決める。
そんな言葉を聞いたことがある。
司馬遼太郎の「竜馬」がそうであったように。

小説家、脚本家としては、それが何よりの醍醐味なんだろうなと思う。
歴史の流れは自分で変えられないが、人物の行動の意味は自分自身で決めることができる。
本当に悪女だったのか、本当に忠誠を誓っていたのか、本当に裏切ったのか、本当に信頼していたのか。
そんな歴史上の疑問の答えを作者で決めることができ、それをあるひとつの「事実」として見られるのが歴史小説やドラマの面白さだ。
「事実だったかもしれない」と、見ている者にどれだけ納得させられるか。作り手の手腕が問われるところだろう。

そういう意味で、今回の鎌倉殿は大成功だったと思う。
やっぱり三谷幸喜、天才!

「できたこと」を数える日々

2022-11-28 | 癌について
あっと言う間に日が過ぎる。もう11月末だ。
今年は、1日のうち、仕事のデスクに座ってPCに向かう時間が随分と減った。
その分、ソファや布団で過ごす時間が増えた。

毎日寝る時に「今日は何ができたかな」と考える。
今日は掃除と洗濯と料理ができた。今日は少しだけ仕事ができた。今日は遠出ができた。
そうやって「できたこと」を数える日々。
何もできなかった日は「今日もとりあえず生きられた」と思うようにしている。
「生きてるだけでいいんだよ」と言う夫の言葉を信じて。

11月・12月は繁忙期で、とにかく出張が多い。
秋田へ行き、福岡へ行き、明日は岐阜へ。
3か月間、毎日温灸を続けた効果なのか、腹痛を除けば体は元気になってきたので、出張へ行ってもあまり疲れなくなった。
5月に秋田へ行った時は死にそうになっていたことを思い出し、今回は元気に帰ってこられたことに満足。
「良くなっている」「元気になっている」と自分に言い聞かせる。
とはいえ、活動量は以前の半分になり、もどかしい気持ちもある。本当はもっと動きたい。

今の願いは、1日でいいから6時間以上連続して眠ること。
少なくとも今年に入ってから1日もそんな日はない。良くて4時間。基本は3時間で目が覚める。
目が覚めると腹痛との闘い。2時間くらい悶えていて、いつの間にかまた寝ている。2時間くらい寝て起きる。
今度病院に行ったら睡眠薬を処方してもらおうと思う。

「ガンは痛みとの戦い」だという。
私の毎日は痛みとの戦いだ。時々逃げ出したくなるけど、絶対に逃げない。
「良くなったこと」を思い出す。「できたこと」を数える。
時々、痛みがない時間がある。それは本当に幸せな時間。50年も当たり前だったことが、もう当たり前ではない。特別な時間になってしまった。
この時間が少しでも長く続くよう、訪れる回数が増えるよう、毎日心と体のケアをしていくしかない。
繁忙期も乗り越えよう。

湯たんぽをようやく手放せた!

2022-11-07 | 生活
気づけばもう11月。今年も残り2か月を切った。早い早い。
ブログというのも毎日書く習慣がなくなると、あっと言う間に滞ってしまう。見直して、え?もう1カ月近く書いていなかったの?と驚いてしまう。

4月・5月あたりの体調を思い返し、夫と「あの頃とは比べ物にならないくらい元気やなぁ」と言い合う。
8月より9月、9月より10月、そして10月より11月の今のほうが確実に元気になっている。
体質改善をするのには3か月かかるというが、温灸を始めてからもうすぐ3か月。徐々に効果が出ているのかなと思う。
1日寝て過ごすことはなくなったし、気が遠くなるような腹痛で生きる気力をなくすこともなくなった。
食欲が出て、またいろんな料理をするようになった。(再び食生活が充実して夫も大喜び)
夜はまだあまり量を食べられないが、昼は大食漢の私に戻り、親子丼と蕎麦のセットでもペロッと食べられるようになった。
アルコールも、調子が良ければビール1缶を一人で飲み切れるようになった。

とはいえ、なぜか体重は減っていく一方で(こんなことは人生で初めてだ!)、もう二度と戻れないかもしれないと思っていた「結婚式の時の体重」を軽々達成し、さらにそこから3キロも落ちた。
ただ、筋肉量が減ったことも大いに関係しているので、それほど喜ばしいことではない。筋トレをして筋肉をつけていかないといけないと思っている。
まだ「痩せすぎ」の部類ではないが、この年齢になって痩せすぎると不健康に見えてしまうので、筋肉をつけて健康的な体型を保ちたいと思う。

湯たんぽもあまり使わなくなってきた。
普通はこれから寒くなるので使用頻度が増すと思うのだが、この夏の間、私は湯たんぽを手放すことができなかったのだ。
あの酷暑といわれた夏に、ずっと寝ながら熱々にした湯たんぽを下腹部に当てていた。
温めて痛みを和らげるというよりは、熱さで痛みをごまかすという意味合いが強かった。
左下腹部は低温火傷のようになり、皮膚の色もすっかり変わり、あざのようなものがまだらにできている。
そんな機会は絶対ないけど、二度とビキニは着られないだろう。(いや、そんな心配は無用)
火傷の痛みの方がマシなくらい、お腹が痛かったのだ。だからずっと熱湯を入れた湯たんぽを使い続けた。どれほどの痛みだったか、このエピソードを聞けば少しはわかってもらえるかもしれない。

最近は夜寝る時に、「体を温めるため」に使用するようになった。正しい湯たんぽの使い方ができている。
そういうことを思い返しても、自分が元気になってきていることがわかる。
痛みがなく、体の芯が元気だと、自分がガンだということを忘れる。この「忘れる」というのが一番良くて、心からまた元気になる。良い循環だ。
一番ひどい時を1とすれば、今は6か7くらいまで回復しているように思う。どんどん元気になって、また10に戻すのだ。そんな日も夢ではないような気がする。

ほぼ隠居みたいな生活を始めたのもよかったかもしれない。
のんびり生活することに、だんだん罪悪感を覚えなくなってきた。
今月から酒蔵の取材が始まるので、秋田と福岡に出張するのと、メーカー1社の取材があるが、ピーク時でこの程度なので、もう隠居も同然だ。
身体のケアを第一にして、2~3時間仕事をして、家事をして、好きなだけ本を読んで過ごす。時々、noteなどで好きな文章を自由に書く。
週末は夫と旅行やキャンプに出かける。月に1、2回は友達と食事に行く。
もうこの生活を「怠惰」だとは思わなくなってきた。一応自分の食い扶持は稼いでいるので、「ごくつぶし」だと思うのもやめた。
好きなことをして、楽しんで生きていいのだ。それは罪じゃないと、今はそう思えるようになった。

今日も部屋の窓から見える空がきれいだ。秋の空と雲はいつだって美しい。
あさってから秋田へ。少し寒いかな。
取材を思い切り楽しんで来よう。

運命に降参した

2022-10-13 | 癌について
昨日は3カ月ぶりのCT検査&血液検査の結果を聞きに行った。
名前を呼ばれて夫と共に診察室に入り、椅子に腰かける。
「体調はどうですか?」「わりといいです」「それならよかった」
そんな会話の後、CT画像を見せられた。

自然退縮していればいい……。そんな私の願いもむなしく、全体的にまた大きくなっていた。
変化のない腹膜のがん細胞が2つ。わずかだが大きくなっているのが3つ。
そのうち、一番大きな骨盤リンパ節のものはもうすぐ4センチに達しようとしていた。1カ月に1㎜ずつ大きくなっている。
転移している肺はほとんど変化なし。
また、血液検査の腫瘍マーカーも数値が上がっており、ついに100を超えてしまった。(正常値は37以下)
前回が70台だったので、これもまた大きく跳ね上がった。

がんばってきたことが何の成果もなかったのだなとしょんぼりする一方で、いや、がんばってきたからこれで済んだのかもしれないとも思い直す。
まだ自分でできることはあるはず。まだ治療はしたくない。

主治医は私のそんな気持ちを察して、「このまま……様子見ますよね?(治療は)やりたくないですよね?」と訊いてくれた。
「はい。すみません」
私が言うと、「そう言うと思ってたから」と笑う。

それから、新薬の話になり、「治療を実際に受けている人の状態はどうですか?」と訊いてみたら、それが「たいして効果が出ていないんですよ」と言う。
これは意外だった。
今、私の病院では10人ほどが今年から保険適用になった新薬(キイトルーダ+レンビマの併用療法)をやっているのだが、誰一人として喜ぶほどの結果は出ていないのだという。むしろ副作用が強くて困っているとか。
毎日服用する薬だから抗がん剤のように「回復期」というのがなく、全身の筋肉痛のようなものがあり、ロキソニンでなんとか過ごしているという。
私もネットで使用している人のブログなどを見ていたので、そのことを話し、「皆さん、レンビマがきついみたいですよね。休薬したりしながら続けているみたいですけど…」と言うと、「よく調べてますね!」と感心された。
実際こちらでもそのようで、副作用に耐えられなくなれば休薬する。すると2日くらいで回復し、また薬を続けては休薬と、ごまかしごまかし続けている状態らしい。

「前にあんなに(新薬を)勧めておいた僕が言うのもなんですけど、やるほどではないかなと思ってます」と主治医。
その言い方に、私も夫も思わず笑ってしまった。
かといって、抗がん剤のAP療法のほうがマシかといえば、これはこれで心毒性や腎毒性が強く、新薬とはまた違ったきつい副作用が出る。
子宮体がんの治療法は本当に少なくて、あとはあまり効果が期待できないドキタキセルを単剤で使うくらいだ。
どれもまだ選べない。

そうやって一通り確認し合った結果、まだ治療はせずに様子を見ましょう、ということになった。
「経過観察」といえば聞こえがいいが、決してポジティブな要素はない。
どちらかといえば「打つ手なし」ゆえの「様子見」なのだ。
もう治ることはない。延命しかない。それなら体調がそこまで悪くない今、効果があるかわからない新薬や抗がん剤をやって副作用に苦しむ生活を送るより、ギリギリまで様子を見ましょう、ということだ。
幸い、私のガンは進行が遅い。
主治医もそれで治療を無理には進めないのだ。
私の意思や私のQOL(生活の質)を尊重してくれるのは、本当にありがたい。

主治医が最後に言った。
「とりあえず、楽しく過ごしてくださいね」
悩んでも考えてもどうなるものでもないから。QOLを守るために治療しないと決めたなら、生活を楽しんでほしいと。
優しい人だなぁと思った。毎回、この主治医で本当によかったと思う。

次のCT検査は4か月後になった。
病院では「被爆」を最小限にしようという取り組みをやっているようで、少しでもCTによる被爆を抑えるため、3か月だったところ4か月になった。次は2月だ。
結果はあまり良いものではなかったが、私はどこかスッキリした気持ちで診察室を出た。
この気持ちをうまく表現することはできないのだが、決して悪い意味ではなく「降参した」のだと思う。
「あきらめた」というのとはまた違う。
やれることをやって、それでもガンが進行していくなら、それはもう私の運命なんだ。降参しようと思った。
でも、命がある限り、生きることをあきらめはしない。
今回、大きくなったガンもあったが、変化がないものもあった。いろいろ頑張っているから、その成果は出ているんだと思う。
もうすでに奇跡は起きているのかもしれない。

自然退縮なんて大きなことは望まず、次回は1㎜も大きくなっていないように、少しでも進行を抑えられるように、また4カ月頑張ればいい。そうすればまだ治療せずに、QOLを下げずに生きられる。
そうしていつか耐えられないほど進行したら、今度は治療を頑張ってみよう。QOLは下がるけど、そこからまた何年か生きられるだろう。
医学は常に進歩しているから、3年後、5年後まで生きていたら、また新しい治療法が見つかるかもしれないし、新薬の上手な使い方も確立されているかもしれないし。

それにしても、「新薬は副作用がきついけど、効果はある」というふれこみがあったから、あとは自分が使用するかどうかの勇気だけだと思っていたのだけど、あまり効果が出ていないというのはショックだった。
ネット上では「ガンが消えた」「マーカーの数値が下がった」という人もいるので、抗がん剤と同じで「効く人には効く」ということなのだろう。
それよりもまだ使用している例が少なく、期間も短すぎるので、「上手な使い方」が確立されていないことに不安を感じる。
どんな副作用が出て、それに対してどういう処方をしていくのかというデータが少なすぎるのだ。
私はもう少し様子を見させてもらおう。これから実用例の数が増えていけば、私が使用したいと思った時にはもっと上手に副作用と付き合いながら使用できるようになっているかもしれない。

とりあえず、体調は良くなってきているし、心も元気だ。
毎日生きていることに感謝して、とにかく楽しんで生きよう。もう私は「楽しいことしかしない」と決めたのだから。