月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

忙しい夏の始まり

2015-06-25 | 仕事
5月後半から6月初めまでの原稿追い込みがかなりきつくて、パソコンに貼っているToDoリストにずらりと並ぶ原稿の数を見るたびに、酒を飲んで逃避していた。

本当に終わるのか?
いよいよ初の穴を開けるか?
原稿が終わるのとアル中で体壊すのとどっちが早いか?

そんなことを日々考えながらも、とにかく1字、1行、1件・・・と永久に終わらないような気持ちを引きずりながらも進めていった。

そうしたら、終わった。
全部間に合った。

終わるもんやねんなぁ・・・と感心。

それからちょっと一段落してゆっくり過ごしていたが、新案件が怖いほど入ってきて、今びびっている。
またあんな日々がやって来るのか、と。

行政関係の冊子だけでも、4冊話が来ていて、1冊はすでにスタートしている。
それに加えて、介護施設のフリーペーパー(16P)の立ち上げ(ライターは私のみ)。
ウイスキー蒸留所のwebサイト。
100ページ以上になるであろう、セミナーのマニュアル。こちらもすでにスタート。
企業のメルマガはずっと2社分(合計、月5本)やっているが、さらに単発で就活イベントのメルマガも5週分頼まれ、昨日また5ヶ月間に渡って作るセミナーのパンフレットの新案件も入った。
それに、単発のメーカーのwebサイトが2件。7月にはまた東京で取材がある。
日本酒雑誌の10月号もそろそろ動き出すし、すでに2蔵分原稿はたまっている状態・・・

こうやって書き出すと恐ろしい。
恐ろしいけど、わくわくする。いつもこれ。

またきっとToDoリスト見ながら「本当にできるのか?」と焦り、逃避し、それでもなんとかできるんだろう。
とにかく忙しい夏になりそうだ。

初めてのサシ飲み

2015-06-24 | 想い
「波長が合うなぁ」と感じる人、というのがたまにいる。
ディレクターのマキコちゃんもその1人で、昨年夏から冬にかけて、あるプロジェクトで仕事をさせてもらったのが出会い。
最初に話したときから、初めて会った人という気がしなくて。
数回ミーティングや取材で顔を合わせるうちに、より気軽に話せるようになった。

今度、介護施設の販促用フリーペーパーの制作をT社長から任せてもらえることになり、ディレクションをお願いした。
今日はその初めての打ち合わせで、T社長と3人で会った。
打ち合わせは非常にスムーズに進み、「やっぱりお願いしてよかった!」と心から思ったし、T社長もマキコちゃんを気に入ってくれたようでホッとした。

T社長と別れた後、自然と「軽く1杯行きますか?」ということになった。
大勢でのランチや打上げでの飲み会は2、3回あったけれど、サシで飲むのは初めて。
「軽く1杯ビールでも」ということだったので、エビスバーへ行った。

彼女はまだ2歳になろうかという小さな子供がいるので、お酒は好きでもなかなか外で飲む機会がないとのこと。
メニューを見て「わー!いっぱいあるー!」「どれにしよー!」とはしゃいでいる姿がかわいかった。

初めてのサシ飲みだというのに、緊張感のようなものは微塵もなく、まるで昔からの友達のような気安さ。
「1杯」のつもりがつい「4杯」となり、結局3時間近くしゃべっていた。
途中、「最初からしゃべりやすかった。波長が合うと思っていた」と告白すると、「私もそうです!」と。
なんだか嬉しかった。

年は私より6歳下。
ずっと広告やマーケティングの世界で、デザイナーやディレクターとして活躍している人。
これまで3回ほど転職されているが、面接の時に必ず聞いたのは「結婚、出産をしても働き続けてよいか?」ということだったという。
子供が産まれたけれど、産まれたときから心臓の病気で入院・手術があって、1年くらい本当に大変だったという話も聞いた。
そんな状況でもすぐに仕事に復帰し、病院に通いながら仕事をしていたらしい。
肉体的にも精神的にも普通ならまいってしまうような状況だろう。
でも、むしろ「仕事をしていたから」、子供の病気・子育てという厳しい現実も乗り越えられた、と。

そう話すのを聞いて、東村アキコさんの「かくかくしかじか」という漫画の最終巻を思い出した。
本当にやりたい仕事を持っている人って、強い。

辛い現実だけと向き合っていると、そのことで頭がいっぱいになってしまい、どんどん精神的にやられてしまう。
もちろん彼女だって平気だったわけではなく、子供の病気のことをネットでつい調べてしまい、悪いことが書かれているのを見ては落ち込んで、泣きじゃくっていたという。
だから、必死に仕事をした。
仕事をしている間だけは、忘れることができたから、と。
「仕事に救われる」という感覚はよくわかる。

私が最初から彼女に惹かれたのは、たぶんそういう強さなんだろうなと思った。
心が強いというわけではない。
私が思う「生命力の強さ」。

私自身もそうなのだ。
何か本当にキツイことがあったときには、生きる術を考える。
ある意味、図太いのかもしれないけれど、自分を闘わせて生きようとする。
そういうところが似ているし、波長が合うと感じた理由なのかな、と思った。

「仕事をしない人生は考えられない」というところも同じ。
「ものづくり」が好きなところも。
彼女と一緒だと、なんだか安心してライティングができる。

これからスタートするフリーペーパー。
内容は、これまで全く縁のなかった「介護」なので、また勉強の日々。
でも、また新しい世界を知れる。
それは、いいものを創るのと同じくらい、私にとっては嬉しいことだ。


仲間がいる

2015-06-18 | 仕事
「お願いする」と予告されていた仕事のあてがいくつか外れて、来週は少し余裕できるかなと思っていたら、また話がひっくり返って。
打ち合わせに行ってみれば「創刊号立ち上げのお手伝い」と思っていた案件は丸投げで「すべてお任せ」だったし、一旦流れたと思っていた冊子も納期が延びただけで結局「やります」と。
今週は毎日バタバタと忙しく、取材・打ち合わせ・原稿の繰り返し。ひたすら繰り返し。
先週末、北海道で取材で、それがかなりハードなうえ、休みをとらないまま今週に突入したこともあるのだろう・・・肉体的にはちょっと疲れが出ている。
でも、気分は明るい。

先ほど書いた「丸投げですべてお任せ」というのは、介護系のフリーペーパー。
以前、お世話になっていたT社長からのご依頼だ。
久しぶりに一緒にお仕事ができるのだと思って打ち合わせに行ったら、なんだか言いにくそうにしていたので、「他の人に頼むことになったのかな?」と一瞬思った。
でも、よく話を聞いてみれば、逆に「全部お任せしたい」というムチャぶりで、それでモジモジされていたのだった。

企画・取材・ライティング・編集・デザイン・印刷・納品までの一連の作業を私に任せたいとのこと。
もちろん、デザインなどはできないので、デザイン会社を選定して頼んでほしいと。
手が足りなければライターも入れていいと。
とりあえず創刊号から、年4回のペースで1年は発行する。その後継続するかは、その時の状況を見て決まる。

数年前の自分だったら、こんなことを頼まれたら「無理です!」と断っていたかもしれないな、と思う。
でも、今はすぐにY澤さんを思い出して「ひとまず持ち帰って、デザイン会社に打診してみますね」と言うことができた。

翌日、たまたま別件でY澤さんの事務所に行くことがあったので、その時にこの話をしてみると、すぐ快諾。
さらに、Y澤さんのところのブレーンで、以前も一緒にお仕事させていただいたNさん(女性)にプランニングとディレクションをお願いすることになった。
ちょうどNさんもY澤さんの事務所に来ていたので、あっと言う間に話がまとまってしまった。

私は、取材とライティングしかできない。
デザインのセンスもないし、印刷のこともよくわからない。
広告畑で育ってないからキャッチコピーなども下手くそだし、交渉ごとはまるでダメ。
企画は多少はできるけれど、今はそこに力を入れる余裕が時間的にない。
1人では何にもできないのだ。できるのは、ただひたすら人に会って話を聞いて書くことだけ。

それが、Nさんが企画・編集をしてくれて、Y澤さんがデザインから納品までを担当してくれることになった。
気心知れたメンバーで、話も本当にスムーズだった。

打ち合わせが終わって帰り道。
歩きながら、しみじみ・・・。
嬉しい気持ちがこみ上げてくるのを感じていた。

もう1人じゃないんだなぁ・・・と思った。
利害関係じゃなくて、一緒にモノを創る「仲間」がいる。
そのことが嬉しくて仕方がなかった。

まず、私を信頼して仕事を任せてくれる人がいる。
その仕事を一緒にやろうと言ってくれる仲間がいる。
以前は1人だったらできなかった案件も、今は受けることができる。だから、仕事の幅がぐっと広がった。

毎日忙しいけれど、楽しい。
カタチになる仕事をたくさんいただいて、好きなお酒のことも書けて、新しい仲間がどんどん増えて。

日々、出会いと書くこと。
それだけで生きていけるなんて!
家の前の坂を登りながら、「あー、幸せだなぁ・・・」と勝手に言葉が口をついて出た。

まだもう少し・・・もう少し書き続けていいんだと。
目に見えない何かに許されていると感じられた日。

さて、明日は千葉出張だ。
仕事の果ては全く見えないけど、今は目の前にあることを全力で!

カモられる

2015-06-16 | 生活
梅田で1件取材して、その後、打ち合わせまで時間があったので、通りすがりのカフェへ。

半セルフみたいなカフェで、レジで注文していたら、若い可愛らしい男の子の店員がやたらと話しかけてくる。
「お仕事ですか?」とか「この後は?」とか、「雨降ってました?」とか。

そして、「今日、お仕事終わるのは遅いんですか?」と。

「えっ!・・・いや、早いですけど・・・(ドキドキ)」

そんな会話を交わして、にっこり笑顔で番号札を渡されて、なんだかふわふわしながらテーブルへついた。

PCを出して資料を見ていたら、次のお客さんが入ってきた。
耳をすませていると、そのお客さんにも同じようなことを話している・・・

そりゃ、そうか

「ホストかっ!」と心の中でツッコミを入れたが、悪い気はしなかった。

このカフェはそういうサービスでお客を獲得しているのだ。
他の店員さん(みんな若い男の子)もすごく優しい。

クロックムッシュとアイスティーを持ってきてくれたとき、私が慌ててPCを片付けたら、
「あっ、慌てさせてしまいましたね。。。すみません」と優しく言ってくれたし、
帰りには別の店員さんが「お仕事頑張ってください~」とにっこり。

うん。
悪くない。
また来ようかな・・・



クロックムッシュもアイスティーも美味しかったし。



ウイスキーのロマンを追う

2015-06-11 | 
日本酒においてもまだ未熟なのに、次はウイスキー。
今、頑張ってウイスキーの勉強中。

明日、東京へ移動して、土曜の朝、羽田から釧路へ飛ぶ。
北海道の道東で初のウイスキー蒸留所ができるのだ。
稼働は来年の10月から。
それに先立って、蒸留所のWEBサイトを制作することになった。

実はこの案件は夫が受けたもの。
その蒸留所で働くことになるスタッフと知り合いだったということから、WEBサイトの仕事を個人で受けたという。
(会社も了承済み)
夫がディレクター、私がライター。初めての共同作業(笑)

カメラマンは私の日本酒雑誌のカメラマンさんの中で、ウイスキー好きな人にお願いした。
デザイナーは夫の仕事の関係者。
そんなメンバーでこの案件は進めていく。

夫との初仕事!!
それも「酒」関連!!

不思議だね~
どんどん夢が叶っていく。現実になる。

日本には今、稼働している蒸留所は8つある。
山崎、白州、余市、宮城峡、マルス、富士御殿場、江井ヶ島(あかし)、秩父(ベンチャーウイスキー)。

過去にはもっとあったけれど、どんどん閉鎖されていった。
でもまたウイスキーにスポットライトがあたっている。
実は、今回取材するところ以外にも、同じ時期に静岡にも新しい蒸留所が1つできる。
ウイスキーが売れる時代が来たのだということを感じる。

あさって行く北海道の蒸留所はまだ更地。
これから建設が始まる。
「マッサン」を見ていた人はわかると思うが、ウイスキーというのは最初の投資から利益になるまでの時間が本当に長い。
工業製品はもちろん、ビールや日本酒とも違って「年月」というエッセンスが必要だからだ。
売れるから作ればいいというものではなく、技術や努力ではどうしようもない「年月」が必要になる。
こちらの製品も本当に売り出すのは稼働から3年後だ。
3年でもまだまだ浅い。
でも、これがやはりウイスキーの魅力なんだなぁと思う。

「山崎12年」とか普通に言うけど、よーく考えてみてほしい。
12年という時間を。
小学校に入学してから高校卒業までと同じだ。
自分の人生を振り返ったとき、この12年間でどれほどの経験、挫折と成長、喜びと感動があるか。
私達がそれだけのことをしている間、ウイスキーはじっと樽の中で眠っているのだ。
少しずつ少しずつ熟成を進めながら。

これがウイスキーのロマンだ。

そういうロマンを最初から、本当にゼロから、取材させてもらって書くことができる。
こんな幸せなことってあるだろうか。

更地から蒸留所が建設されて、ウイスキーが造られて、そこで寝かされて販売されるまでをこれからずっと追っていけるのだ。
考えるだけでワクワクするし、胸がいっぱいになる。
それも夫と一緒に!

また北海道から報告します。