月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

リセット

2016-03-24 | 想い
いろんなことが少しずつ、ゆっくりと、でも確実に戻ってきている。

毎晩きちんとお風呂につかって、歯磨きをして、布団に入って眠る。
そんな当たり前のことができなくなっていた日々が嘘のように、今は「日常」になった。

お酒がなくても夜を過ごせるようになった。
今は「生姜紅茶」を飲んでいる。

キッチンがいつも片付くようになった。
自分で言うのもなんだが、私はわりときちんとしている人間で、酔っ払った日でも洗い物を片付けるようなタイプだった。
それが、いつの間にかいつもキッチンに洗い物をためるようになっていた。
もちろん、次に使うときには洗うのだが、前の自分にはありえないことだったのだ。

洗濯物が片付くようになった。
これも同じ。前は取り込んだ洗濯物がいつまでもリビングに置かれていることなんてなかったのに、最近はずっとそうだった。
たたむ前にそこから引っ張り出して使うことすらあった。
私が一番軽蔑していた行為だ。
それがもうなくなった。
なくなってみると、どうしてこの間まで、短い期間ではあったけれど、そんな自分を許せていたのか不思議なくらいだ。

それから、小説が頭に入るようになった。
これが一番大きく嬉しい変化だ。
決して「本を読む時間がなかった」わけではない。
例えば電車の中でも、何か読もうと思っていつも本を開くのだが、活字が全く頭の中に入ってこないのだ。
あんなに大好きだった物語の世界に引き込まれない。
外の世界から客観的に文字を追っている自分がいることに気づくだけ。
それが辛くて、この1、2年はほとんど小説を読んでいなかった。
読みかけの小説が何冊もたまっていく一方だった。

それが、病気になって仕事を減らして、日常が戻ってきたら、急に読めるようになったのだ。
この間までいくらページをめくっても進まず、途中で投げ出し、また最初から読む・・・ということを繰り返していた数冊の本が、昔のように一気に読めた。
ぐんぐん自分の中に物語が入ってくるのを感じて喜びに震えた。
「面白くないから読みきれない」と思っていた本が、まるで別物のように入ってくる。面白くて仕方がない。

もし、病気になったことに意味があるとすれば・・・。

私はリセットしたかったんだと思う。
休みたかった、というのもある。

よく「神様が休めって言ってるんだよ」というけれど、そういうのとはまた少し違って・・・。
私はリセットしたかった。
自分の意思では止められないから、何かに強制終了してもらって、また始めたかったのだと思う。

仕事をしすぎじゃないか?忙しすぎるんじゃないか?とよく人に言われたが、決してそんなことはなかった。
これは謙遜しているわけでも、私のキャパが大きいわけでも何でもない。
朝9時~夕方6時か7時くらいまで、普通の会社員のようにフルタイムで集中して働いていたら、そこでまかなえる程度の仕事量だ。
もちろん、不規則な仕事だし、フリーでやっている以上、そんなにうまく割り振れるわけもなく、1日に締め切りが集中することもあるし、出張だって多い。
でも、そういうのを除いても、ちゃんとやっていれば、たいした仕事量ではなかったのだ。

この2年間、辛かったのは酒蔵の原稿だったと思う。
何の知識もない中での取材、業界向けの難しい原稿と向き合う日々。
ライター2人で、もう一人は日本酒業界の人で、常に比べられているというストレス。
頑張っても追いつけない。
本来の引っ込み思案も邪魔して、積極的に出られない。どんどん差がつく。
クライアントがどんなに褒めてくれても、自分で納得のいくものが書けても、劣等感から逃れられることはなかった。

このストレスから逃れるために酒を飲む。飲むから書けなくなる。書けなくなっても締め切りはくる。だから無理をする。無理をするから他の仕事も押してくる。押してくるから酒を飲む。・・・(繰り返し)

この2年間、私はほとんど仕事と酒を飲むこと以外、できなくなっていた。
豊かな生活も、感受性も、音楽も文学も何もない。
ただ最低限。
いつも最低限の仕事のクオリティ、最低限の家事、最低限のおしゃれ、最低限の人付き合い。
それを守ることで精一杯だった。

こんな生活じゃダメだ。
どこかでリセットしないとダメだ。
本当に堕落する。本当に這い上がれなくなる。本当に自分を見失う。

そんな不安とストレスに襲われ、夜はうなされ、叫び、それでもまだ同じことを繰り返していた。

子供をあきらめたことも大きかったと思う。
いつもぐらぐらしていた自分の存在意義が、またもや大きく揺らいで。
その分、仕事をするんだと、やりがいのある仕事をするんだと、そう思っていた。
でも、書いても書いても、自分の存在意義はわからなくなる一方だったけれど。

仕事が楽しかったことは嘘じゃない。
酒蔵の仕事も大好きだ。やりがいは十分にある。
でも、そのやりがいを本当の意味で楽しむ余裕がなかった。
どこかでリセットしないといけないと、そればかりを考えていた。

だから、病気になったことはよかったんだと思う。
「よかった」と口にしてしまうには、あまりにも大きすぎる代償だけれど。
それでもただ災難を災難として受け入れてしまうのは悲しすぎるから、得意な「意味づけ」をするのであれば、やはりこれは今の私にとっては必然で、「リセットの機会だった」と思う。

そう思ったら、自然に頭に浮かんできたのは、「あー、私は書きたかったんだなぁ」ということ。
ここまで追い詰められるほど毎日何千文字も書いてきたのに矛盾しているかもしれないが、私は書きたかったんだと思う。
仕事の文章ではなくて、こんなブログでもなくて、自由に書かせてくれるような文章でもなくて、やっぱり物語を書きたかったんだと思った。
昔のように、1円にもならなくても、誰にも認められなくても、自分の物語を書かないと、存在がグラグラするのだ。
今日ここにこうやって赤裸々に想いを綴っているつもりでも、私の考えの何百分の一も表現できない。
物語でしか表現はできないし、それしか自分を恢復させる方法はない。
そのことに気がついてしまった。

大きな代償を払って、リセットする。
私の人生は第4章へ。
章のタイトルをつけるなら、「原点回帰」だろうか。

これからはもう「最低限」ではなく、以前のように豊かな生活をする。
こんな癌が、たまたまこんな初期で見つかったのは、やっぱり意味があると思う。
私が強運の持ち主ということだけでなくて、どうしてもリセットが必要だったんだ。

検査尽くし

2016-03-23 | 生活
PET-CTの結果は「転移なし」ということで、極めて初期のガンとのこと。
4月の入院と手術に向けて、今はいろんな検査が続いている。

歯のレントゲンを撮り、口腔検査。
普通に歯医者さんの検診みたいなもので、歯垢の除去までしてくれた。
手術の時は全身麻酔で口からチューブを入れるので、歯がぐらついていたり、細菌があったりするとよくないらしい。

その後は、呼吸器。
こちらは肺活量の検査みたいなもので、吸ってー、吐いてーを繰り返す。

それからエコーでの内診があり、一旦昼食タイム。

ご飯の後は、輸血用の自己血貯血のため、400mlの採血。
毎回、何本も採血するのだが、合計しても30ml程度なので、一気に400ml採るということにびびりまくる。
献血もしたことないのに・・・(献血は基本は200ml)

この採血に向けて、1週間、鉄分の錠剤を飲まされていた。
できるだけ、苦手な肉も食べるようにした。

時間になると、私ともう1人が同じ採血室に入り、それぞれベッドに寝かされる。
カーテンで仕切ってあって、隣は見えない。
針を通すと、ものすごい勢いで自分の血が流れだすのがわかった。
庭の水やりのとき、水の勢いが強すぎてホースが暴れることがあるが、あんな感じで管が時折ぶるぶると震えてうねる。
ああ、生きているんだなぁと、変なところに感動したり。

あっという間に血は採れ、すぐに同じ量の点滴が始まった。
ものすごい勢いで点滴も入っていくので、針を刺している部分から右腕全体にかけてが冷たく凍るような感覚。
不安になって看護師さんに「冷たいんですけど、こんなものですか?」と聞いたら、「こんなものですよ」と。
何もかもが初めてのことで、興味深い。

ベッドに寝ながら、天井を見つめてみる。
こういう時は何を考えればいいんだろうかと思う。

たまに「ぼーっとするのが好き」という人がいるが、それを聞くたび、目にするたびに、「ぼーっとする」の「ぼー」は一体何を考える時間なんだろうかと不思議に思っていた。
暇なのでいろんな思考が頭をめぐる。
病気のことを考えて泣きそうになったり、感謝の気持ちでまた涙があふれそうになったり。
泣いてたらびっくりされると思い、心を落ち着かせるんだ!そうだ、心地よい草原にいるような気分になってみよう!と想像してみたり。
結局続かなくて、今日帰ってあれして、明日はあの原稿書いて、土日は1時間ずつ仕事したら、もうこれで終わりで・・・なんてまたいつものようなことを考えている。
ああ、あかん、あかん。
こういうのがあかんねんと、楽しい思い出をよみがえらせようとか、あれこれ考えているとまた疲れてきて。
あー、やっぱり「ぼーっとする」って何なんだろう。「ぼー」の中身は何なんだ?!と怒りすら湧いてくる。

点滴は30分以上続き、その間、本当に退屈で仕方がなかった。
何もしない、眠るわけでもない、この時間が無駄に感じて仕方がなかった。
そして、そんなことを考える人間だから癌になるんだな、きっと。と、そんな結論にたどり着いた。

私の退屈な点滴の時間が終わる頃、ようやく隣の人の血が流れ始めた。
先生も看護師さん二人もその人にかかりきりで、何度もいろんな箇所に針を刺して試していたが、ちっとも採血できないようだった。
そういう人もいるとは聞いていたが、本当にいるんだなぁと思った。
不思議だ。血が少ないのか、低血圧なのか。何なんだろう?

点滴が終わると、車いすに乗せられた。
そんな大げさな!と思ったが、規則らしい。

生まれて初めての車いす!!
こういうのに乗ると、急に大病になった気がしてくる(血を採っただけ)。
「クララや、クララ!」と心の中で叫んだり、看護師さんが結構早く押してくれるので「おー、快適、快適!」などと心の中で騒いでしまったり。
そんな自分の不謹慎さに思わずニヤニヤしてしまった。

救急の空いているベッドに寝かされ、20分ほど横になった。
看護師さんが来て、血圧をはかってくれて、「帰れますか?」と聞いてくれた。
もうすっかり元気だったので、すぐに帰った。
外を歩いたら、さすがに少し疲れているなぁと感じた。
でもそれはたぶん血をたくさん採ったからではなくて、慣れないことをやっているからだ。

入院までの検査はあと1回のはずだったのに、もう1回増えてしまったのも憂鬱。
私は子供の頃から心音に雑音があり、心電図でよくひっかかる。精密検査も何回か受けた。
今回も、先日撮った心電図に異常があり、急に循環器系の精密検査を受けることになったのだ。
「子供の頃からなんです」と一応話してみたが、「手術に関わるかもしれないので、専門の先生のご意見聞きましょうね」と看護師さんに言われてしまう。
検査ばっかりもう嫌だーーー

それが終わったら、あとは骨塩定検査と採血(また!)で全部終了。
あとは入院してからということになる。

当たり前だけど、癌って大変だ。

今年はお花見もできないなぁ。
それがとても淋しい。
退院したら、自分が桜前線を追って北上して、お花見すればいいか。




















名残の梅

2016-03-21 | 
空が青く、きれいな休日の朝。

今年は梅を見ていないことに気づき、夫を誘って長岡天満宮へ。

もう遅いだろうな、もうないかもしれないなとも思いながら。

着いてみると、やはりもう残りわずかだった。

わずかに2本程度。

でも、青い空に映えて、きれいだったな。







近くのお店でピザを食べたら、それが予想以上においしくて。

短い短い、2時間程度のデート。

夫はまた仕事へ行ってしまった。

でも、ぎゅうっと幸せが詰まった時間。

明日は久しぶりに取材だ。

この原稿を書いたら、1か月ほど休業に入る。

なんだか少しほっとしている。


根っこのところ

2016-03-02 | 生活
日曜の午後は天気がよかったので、春に向けて花壇の植え替えをした。
シーズンごとのこの行事は、私の楽しみの一つ。
この春は、元気の出るカラーを選んで、イエローガーデンにすることにした。
黄色い花を中心に、20株ほど植えていく。












アイビーを壁に這わせていたのだが、思い切って全部抜いた。
表面だけでなく、土の奥までしっかりと根を張っていて、抜くのは大変だった。
ものすごい罪悪感。

え?こんなところまで?という離れた場所まで根が伸びていて驚いた。
それも探り当てながら、とにかく抜いていく。

「根絶やし」という言葉が浮かび、なんだかぞっとした。

土の中から根を掘り出しながら思った。
表面には見えなくても、根は張っている。それも思いがけない強さで。

自分という人間は、随分と変われたように思っていたし、実際変わった部分も多いと思うが、それでも根っこの部分はこんなふうに強く残っているのかもしれない。
普段は見えないが、土の中を掘るように、奥まで探るような出来事があると、わかってしまう。

私は、自分にあまり価値を感じていなかった。
やっぱり自分を好きではなかった。
自分には何の期待もなかった。

そういう根っこをごまかすために、一生懸命に「価値」を見出そうと頑張っていたんだなぁ。

先週金曜日に癌宣告を受けた。
ショックで眠れない夜を過ごしたけれど、朝が来たら前を向いていた。

周りの人たちに告げると「なんであなたが・・・」というような反応を受けたし、中には自分が病気になったとき「なんで私が?」と思ったという経験談を送ってくれた人もいた。
それが自分にはなかったことに驚いた。

なんで私が?!という気持ちにはならなかったのだ。

あー・・・そうきたか。
やっぱりきたか。

そんな感じだ。

最近、いろんなことがうまくいきすぎていた。
そんな心穏やかに、幸せな世界の住人になるなんて、神様はなかなか許してくれない。

そんな気持ちになる自分に、自分が一番びっくりしたのだ。
私はもう、そういう自分からは脱したと思っていたから。
根っこはあった。まだあった。

変に落ち着いた気持ちでこの状況を受け入れて、それからまた頑張ろうと思った。

まずは悪いところを取って、それからその結果によって、今後の治療が決まっていく。
どんな形でもまだ生きていけるなら、周りの人たちに恩返ししていきたい。
夫や両親、友人や仕事先の人。
皆が私のことを心配してくれるのも、ただ申し訳ない気持ちで。

夫にはとにかく申し訳ない。
私が泣いてしまうのは、それを想った時だけだ。

とはいえ。

泣いてもセンチな気持ちになっても、くよくよしても、後ろを向いても、後悔しても、状況は何一つ変わらないのだから、前を向くことにした。
生きていれば、元気になれば、なんぼでも恩返しできる。
だから、今は完治することしか考えない。

明後日はPET検査。
「初めてのことやから、ちょっと興味深いよね」と夫に言ったら、「変わってるな。俺は絶対そんなんやりたくない」と言われた。
今回は痛くない検査だから、どんな感じかなぁと、恐怖より興味が先に走ってしまう。

しかし、1、2ヶ月のうちに、人生がこんなに変化するなんて、病気って恐ろしいなぁ。
熱も出したことのない健康な人間が、毎週検査。こんなに短い期間に何度も採血したこともない。

明後日のPETでいろいろと今後のことが決まりそうだ。(結果は1週間後だけど)
1日も早く完治するためにも、転移していなければいいなと、それは祈っている。



うさぎの気持ち

2016-03-01 | 
かどやが年末に買ってあげたお酒のお金を持ってきてくれた。

「はい、利子」と言って、和菓子をくれた。
10分くらい玄関先で立ち話して、家に入って開けてみたら、可愛い生菓子だった。



もったいなくて食べられないよーと思いながら、1日2個ずつ食べた。
可愛いだけでなく、すごくおいしいお菓子だった。

優しい手紙も入っていて、心和んだ。

「お雛様飾りやー」と言われたので、1人暮らしをしていた時に飾っていたウサギ雛を探す。
久しぶりに窓辺に出してあげた。



昔は一人暮らしでもちゃんとしていたなぁと思い出す。
お雛様やクリスマスツリーや・・・
豪華なものではないけれど、自分なりに季節のイベントを祝うような心のゆとりがあった。

いつから私はこんなふうに、心の貧しい人間になってしまったんだろうな・・・

小さなウサギのお菓子と雛人形が、大事なことを思い出させてくれた。