月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

ドラマを書ける人

2016-10-31 | 仕事
さっき気づいて卓上カレンダーをめくった。
今日で10月も終わり。明日から11月だ。

残り2枚になった2016年のカレンダー。
今年は癌と向き合っているうちに終わってしまったなぁと思う。
でも不思議と焦燥感のようなものはなく、「長期休暇明け」のような気分でリフレッシュした感じさえする。
残り2ヶ月を思い切り頑張ろうと思える。

10月になると酒造りが始まる。
これからだいたい長い蔵だと5月くらいまで酒を仕込み、搾っていく。
その間、私も日本全国を飛びまわり、酒造りを追う。

既に10月は奈良へ取材に行き、先週は高知へ。
(仕事とは関係ないが、週末は奈良の吉野へキャンプにも行っていた)
明日は金沢、金曜日は神戸。
さらに11月半ばには新潟の佐渡島へも出張が決まっている。
(また関係ないが、半ばの週末に志摩の方へキャンプへ行く予定)
もともとフリーライターになった時、「好きな旅と、好きな書くことと、両方ができないだろうか」と考えていた。
最初から願いは叶って、ずっと全国を飛びまわる仕事ばかりだった。
「出張はほとんどない」というライターさんも結構いるので、やっぱり思えば実現するというか・・・、そっちのほうへ引き寄せられているんだろうなと思う。
20年前に願ったように、今もまた全国のいろんなところへ行けて、楽しくて仕方がない。

先週の高知は飲食店取材もあったので泊まりだった。
取材を終えてホテルにチェックインした後、クライアントのE本さんとカメラマンさんと3人で飲んだ。
2、3杯飲んで帰るつもりだったが、途中からやたら全員のテンションが上がってきて、少し飲みすぎた。
最初はビールで乾杯。
その後、八海山や久保田、越乃寒梅など、一昔前に流行ったような地酒があったので、「2合。お猪口3つ」で注文したのだが、お互いに注ぎあっているうちに
「2合おかわり!」
「2合!」
「すみませーん!2合!」・・・
と延々注文するようになり、最後は手勺になり、店員に「ラストオーダーです」と追い出されるまで飲んでいた。

グラスだと自分で何杯飲んだかわかるし、自分のペースで飲めるからいいのだが、この「2合徳利でお互いに注ぎあう」というのは恐ろしい。
どれくらい飲んだのか全くわからないし、ペースも崩れていく。
最初は仕事の話をしていたのに、途中からカメラマンさんの新しい彼女の話や漫画の話などで盛り上がった。
自分たちは酔っ払っているから気づいていないが、最後のほうはかなり大声ではしゃいでいて、うるさかったと思われる。
翌朝、ホテルのロビーでカメラマンさんと「喉が痛いです」「声が嗄れてるわ~」と言い合った。
E本さんは待ち合わせの時間より10分遅れてきた(寝坊だ)。
3人ともぐったりしていた。

思い返せば4時間も飲んで騒いでいたことになる。
そりゃ、声も嗄れるわ。
ダメな大人の見本である。

何を話したのかも全部は覚えていないのだが、まだ酔っ払う最初のほうでE本さんにとても嬉しい言葉をもらった。
3年前は私がまだ日本酒の知識もそんなになくて、「私のこと大丈夫かなーって不安だったでしょう?」と聞いたら、「正直、それはそうだった」と。
でも、それは結果的に(仕事として)問題なかったと言い、その理由をこう表現してくれたのだ。

「あなたはドラマを書ける人だから」

知識も経験もあるにこしたことはないけれど、それよりも酒蔵の話が単なる知識や情報の羅列ではなく、いつもドラマになっていて、それがいいのだと。

うれしくて飛び上がりそうだった。
この後で絶対酔っ払うけど、この言葉だけは忘れないでおこうと、「ドラマを書ける人、ドラマを書ける人」と心の中で反芻した。

自分の中で「ドラマを書こう」という意識はないし、“ドラマ”という単語自体、私が仕事を語るうえであまり出てこない。
でも、いつも「作品」を書こうとは思っていた。
ただの「記事」ではなく、むしろ「物語」に近いもの。
人にフォーカスをあて、酒造りを通して、蔵元さんや杜氏さんの生き方や考え方、人柄などが見えるものにしたかった。
ただし、“自分”は出さない。
あえて私の想いや、私から見た人物像などは描かないように気をつけている。
あくまでも第三者として事実だけを綴ることで、私が感じたものと同じものを読者にも感じ取ってほしいのだ。
そういう“言葉のチカラ”を私は信じている。
そして、そのチカラを上手く使えた時の喜びこそが、表現者としての醍醐味だとも思っている。

だから、E本さんに「ドラマを書ける人」と言われたことが、たまらなく嬉しかった。
そうか、伝わる人には伝わっていたんだな、と自信になった。

彼には3年に1回くらいしか褒めてもらえないけど・・・。
でも、この言葉であと3年は頑張れそうだ。

7分睡眠

2016-10-25 | 想い
「眠い時は7分だけ眠るといいんですよ」
先日、クライアントのI山氏がそう言ったので、昨晩試してみた。

疲れを引きずったまま久しぶりに集中して長時間文字と格闘していたら、ブドウ糖が全部脳に費やされ、思考が完全に停止してしまったのだ。
同時にものすごい眠気が襲ってきたので、これはいかん、仕切り直しじゃ!と、お風呂に入ってみたが全く効果なし。
そこで思い出した「7分眠る」戦法を実践してみることにしたのだ。

結果・・・

9時間寝てしもた!!

いやー、びっくりした。
22時半から7時半まで、しっかり9時間。
私はもともと睡眠があまり長くないので、こんなに寝たのはいつ以来かというほど珍しい。
しかし、7分が9時間半って・・・寝坊しすぎだろう。

疲れていたんだなと思う。
体は睡眠を欲していたのだ。
その証拠に、今朝は久しぶりに体が元気で、何より脳が軽い。
「脳が軽い」って変な表現だけど、もうそうとしか言いようがない。
錆びついてギシギシして回転できなくなっていた自転車のタイヤが、油をさしたみたいにするすると回転して、こぐペダルが軽やかな。
そんなイメージだ。

長らく忘れていた「思考の速さで書く」という感覚を思い出している。
「絞り出して書く」のではなくて。
これなら昨日寝てしまった分も、今日1日で挽回できそうだ。

ある意味「7分睡眠」成功か・・・?!




定期検診

2016-10-21 | 癌について
今日は定期検診だった。

採血と腫瘍マーカーと内診。

結果は・・・

問題なし!

先生も「いい数値ですね」と。(いい数値って何だ?と思いつつ、うれしい)

12時半に採血して、診察が16時。
いつもならぐったりするところだが、今日は気持ちが明るいので体も軽い。

次は12月にまた採血とCT検査があるけれど、それも「念のため」という感じなので、きっと大丈夫だろう。
良い結果を聞いて、明るい気持ちで年を越して、来年は再々スタートを切るんだ。

これでようやくホッとした。

本当に治ったんだなぁ、私。





2016-10-19 | 想い
この1年の間に、自分の周りで「独立」した人が3人もいる。

独立する。
つまり、これまで勤めていた会社(組織)を辞め、個人事業主になる、もしくは会社を立ち上げるということ。
先週、この10年近くお世話になっていた制作会社のWEBディレクターさん(ポジションは副社長くらいの方)から「退社して東京を軸に頑張ります」とメールが来た。
大阪の小さな制作会社では収まりきらないその才能が、傍から見ていても溢れていたので、この報告には特別な驚きはなかった。
御祝に日本酒「獺祭 純米大吟醸 2割3分」を贈った。心からのエールと共に。

「ありがとうございます。必ず大成功します。ワクワクします」とお礼の返事が来た。

いいなぁと思った。
“成功”ではなく、“大成功”という表現も彼らしかった。
未知なる世界への扉を開けるとき、「ワクワクする」と感じられる人は、確かに成功する。
この人は、これまでの人生においても、まだ見ぬ世界への憧れと希望を抱いて次々と扉の前に立ち、恐れることなく開いてきたのだろう。
勇者だけが得られる冒険の楽しさと喜びを味わってきたのだ。
どこまで登りつめるのか、大阪からそっと見守らせてもらおう。

昨晩はもう一人、この夏に独立してフリーになったイラストレーターさんと食事をした。
私の快気祝いをしたい、とのこと。(祝杯はまだ続いている!)

私が行ったことのないお店で、自分ができる範囲の中で喜んでもらえそうなところへ案内したかったと、選んでくれたのはハイアットリージェンシー大阪の中にある「彩(いろどり)」という和食のお店。
彼女の実家が近くにあり、家族で何か美味しいものを食べたいときなど、時々訪れるのだという。

JR大阪駅から無料のシャトルバスが出ていて、一緒に乗っておしゃべりしていたので、遠いのもあまり気にならなかった。
日本庭園が見えるしっとりした和食のお店で、あまり人がいないのもよかった。
コース料理を予約してくれていたので、ビールや日本酒を飲みながら堪能した。

先付け


お造り


焼き物


煮物


ゴハンの後で、デザート


どれも美味しくて、量的にもちょうどいい感じだった。

ゆっくりしゃべることができたのもよかった。
フリーになって新しい案件を頑張っていること、周りのイラストレーター仲間の営業力のこと、お父さんがバイクを改造して乗っていること、安住アナウンサーのラジオのネタ、キャンプのこと、共通のクリエイターたちのこと・・・。
いろんな話を聞けた。

とても楽しくて、ずっと笑っていた。
7月にも彼女とランチをした時のことを思い返し、「やっぱりあの時の私は調子が悪かったんだな」と感じた。抗がん剤治療の真っ最中だった。
そのランチの帰り道、思っていることがうまくしゃべれなくて、ひどく落ち込んだことを思い出したのだ。
昨晩は違った。ただただ楽しかった。
別れてから、結局5時間もしゃべっていたんだなぁ、あっという間だったなぁと思った。

私の周りはどうしてもクリエイターだらけなので、独立した人、個人事業主(フリーランス)が多い。
「独立する」ということは、やっぱり大変だと思う。
私は「独立した」ことがない。それは大学を卒業して社会に出てからずっと個人事業主だからだ。
結婚するまでの9年間、一人で稼ぎ、一人で暮らしてきた。
気づけば、フリーライターとして20年も生きている。

よく人から「最初からフリーってすごいね」と言われるが、私はそれをずっと否定してきた。
何がすごいもんか。
単に組織に入ることを拒み続けた、ガマンのきかない、自己中なわがまま人間じゃないか!と。
ちゃんと就職活動をして、ちゃんと会社に就職して、数年間でも会社の中で働くことができた人のほうが、よほどすごい。
そんな誰もができる「当たり前のこと」すらできないほどの欠陥人間をなぜ賞賛するのか、私には本当に意味がわからなかった。

でも最近は、「すごいですね」と言われると、「まー、なんやかんやで20年やってこられました」と、相手の賞賛を否定はしないようにしている。
それは、20年間、頑張れたからだ。
ゼロからのスタート。10年後に一度、積み上げたものがすべてなくなり、またゼロからの再スタート。そしてまた10年経った。
今は好きな日本酒のことを書けるし、たくさんの信頼できるクリエイター仲間もいる。
何より、とにかく書きたい、書くことが好き、書かずにいられないという気持ちだけで社会に飛び出したあの頃の気持ちは、20年経った今も変わっていない。
何もかも中途半端で、何一つやり遂げられなかった私が唯一誇れること。
それは「書くことでゴハンを食べるんだ!」という夢を一度も捨てず、実現できているということ。
20年やれた今、ようやく頑張ってきた自分を認めて、褒めてやれる。
「案外、やるやん」と。

そして、20年経って、癌になった。
ある意味、来年は再々スタートだなと思う。
でも、今度は“ゼロから”ではない。知識と経験と人脈という財産を持っているから不安はない。

私もワクワクした気持ちで扉を開けよう。
扉の向こうには絶対に楽しい出来事が待っていると信じて、前へ進もう。
勇者になろう。

なぜ疲れているのか、という話。

2016-10-17 | 生活
どうも疲れが取れない。
10月1週目はゆっくりしていたのだが、8日の三連休の始まりから、体を休めるヒマがなくて。

8日は広島県西条まで「酒まつり」の取材へ。
2日間で延べ20万人以上も動員するお祭りで、小さな街中に人が溢れる。
全国1000銘柄を飲めたり、酒蔵通りにある8軒の酒蔵がそれぞれにイベントを行っていたり。
駅から続く大きな通りにはずらりと屋台が立ち並び、歩くのも難しいほどの人ごみだった。

朝6時に家を出て、新大阪で6時50分発の新幹線に乗ったのだが、自分の席には既に他の人が座っている。
ちょうど通りかかった車掌さんにチケットを見せて「合ってますよね?」と聞くと「間違ってますよ」と。
なんと、同じ6時50分発の「東京行き」に乗車してしまっていたのだった!
幸い、停車時間が長かったので、出発寸前のところで飛び降りた。

慌てて広島行きのホームへ移動したが、当然、出発した後・・・。
三連休のため他の列車はすべて満席。
結局どうしたかというと、次の列車の自由席車両に“立って”乗ったのだった・・・。
岡山でたくさん人が降りたので、岡山から広島までは座れたが、あせったこともあり、どっと疲れが・・・

移動中、クライアントのI山氏にLINEしたら、「また伝説を作りましたね!笑」と返信があった。
そう。私には、こういう漫画のようなことが平気で起きるから怖い

広島から西条までの電車もすごい人でもちろん40分間立ちっぱなし。
駅に着いたときにはもう疲れ切っていた。足も痛い。
そんな状態で夕方まで街を歩き回って(時々酒も飲みつつ)、実行委員長のインタビューもして帰って来た。(帰りは座れた)

翌日はまだぐったりしていたが、この原稿が超急ぎなので、1日で仕上げてデザインまで持っていかなければならなかった。
昼間では少し体を休めて、そろそろやろうと思ったら、夫の母から電話。父方の祖母が亡くなったというのだ。
翌日、徳島の阿波加茂という田舎町まで行って通夜に参列することになったので、さあ大変!
大慌てで原稿を書き、さらに、翌日やるはずだった原稿もやり、またフラフラに・・・。
そして、そんな状態で翌日は徳島まで行って、ほとんど知らない親戚の中で気を遣いながらも、わりと中心の役割を担い、お祖母さまを見送ったのだった。
こう書くと冷たいようだが、私はお祖母さまと会ったのは結婚した後に一度だけ。それも、その時にはすでに寝たきり状態で、会話すらしていないので、申し訳ないが本当に全くの他人を見送るくらいの感情しか湧かなかった。
きれいなお顔を見て、苦しまずに亡くなったのなら良かったなぁと思ったが。
それより、親しく接してくれている叔父さん(夫の父の兄)が泣き崩れている様子を見ているほうが辛かったし胸が痛んだ。
叔父さんの奥さんも娘さんも、私の癌を心から心配してくれていて、お見舞いも贈ってくださったし、今回もこんな大変な状況においても「かおりさん、お体はどう?」「お大事にしてや」と、言葉を何度も何度もかけてくれた。
この一家は本当に優しい人ばかりなのだ。

お通夜や葬儀は身内でなくとも、なんだか疲れるものだ。
独特の雰囲気にやられてしまうというのか。
そんな状態で、また4時間かけて最終電車で帰って来た。

そして、その三連休の疲労を背負ったまま、翌日は奈良へ酒蔵取材。
行きは京都で拾ってもらい車で行ったが、終了後は御所駅へ放置されたので、電車を乗り継いで2時間近くかけて帰宅。
ただでさえ、酒蔵取材は頭フル回転、緊張感MAXなので、後でどっと疲れが出る。
もうボロボロだった。
でも、翌日昼までに出さないといけない原稿があったので、とりあえず寝て、朝6時から原稿書き。
なんとかやりあげて、この日の午後は少し休んだ。
なぜなら、翌日からまたハードな取材が待っていたからだ。

13、14日は京都の不動産系の会社のWEBサイト&採用パンフの取材。
今回はマイナビへの掲載記事も含めて一括で受けたので、久しぶりにまとまった額の仕事になった。
しかし、その分、取材はハード。
2日間拘束され、10時~18時までほぼ休憩もなしに、取材と移動の繰り返し。
人物インタビューが5人分と、座談会が2つ。
撮影もかなり時間がかかり(クライアントの要望がわりと強めで)、その間もずっとサポートで休む間もない。
座談会も30分くらいで終わるのかと思っていたら、1時間半もとってある!
支社長クラスの人たち相手に座談会を仕切り、五感フル回転ですべてメモをとっていく。
でも、後で録音データは聞き直さないと書けないだろうなぁ・・・。
若い頃は録音に頼ることなんて講演会の取材くらいだった。メモを見ればほぼ自分の頭の中に再生できるくらい記憶力も良かった。だから、原稿を書くのも今よりずっと早かった。
今はもう録音がきちんとできているかどうかが気になって仕方がないし(レコーダ命!)、文字おこしまではしないものの、何度か聞き直さなければ書けなくなってしまった・・・。
労働生産性が下りまくっている。
年を重ねればそれは誰でも仕方のないことだと思うので、問題なのは「若い頃と同じような仕事をしている」ということなんだろう。
あの頃は、45歳になった自分が「足で稼いでナンボ」みたいな仕事をまだやっているとは思いもしなかった。
もっと大御所(?)になって、若いライターを育てるとか、自分の“名前”で書けるような案件を持っているとか、作家先生気取りのことができると(したいと)思っていたのに、やっていることは20代と全く変わらない。
ひたすら現場へ足を運び、話を聞き、書く!
もちろん、それが今でも“大好き!!!”なのだが、こうも体と頭がついてこないとは・・・!
若い頃と同じようなキラキラした感性があって、今よりずっと頭の回転と記憶力が良い自分を保っていられるのなら、同じような現場仕事を永久にしたいところだが。

正直、今は鈍りまくっている自分にイライラするし、原稿を書けば落ち込むし、自信もない。
前は書きながら自分の原稿に感動して涙して、出来上がると部屋の中で「いい!めっちゃいい!」と叫びながら小躍りしていたのに。
「自分が感動できないようなモノで、人が感動できるわけないやろ!」なんて、偉そうなことまで言っていた。
それが、今はいつもクライアントのOKが出るまでビクビクしている。

ふぅーーーー。

もう私には“成長”はなく、あとは“衰退”しかないのだろうか。
周りの40代も「最近、“老い”がひどい」と話しているので、きっと衰えているのは私だけではないのだろうけれど。

話が逸れたが、そんなハードな2日間を過ごした後、この週末はまた1泊2日のキャンプだった。
それについてはまた次回書いていこう。
病気をしてから、本当に体力が落ちたと感じる。とにかく疲れる。
でも、できるだけ人と会ったこと、自分が感じたことなどは、ここに書いていきたいと思っている。
抗がん剤治療中、久しぶりにほぼ毎日のように日記を書いていて、やっぱり「その日を振り返って書く」ということは、自分にとって大事なことなんだなぁと実感したから。
小学生の頃から“書かずにはいられない自分”と付き合ってきて、それだけは今も同じだと感じる。
書くことで感性が動き、感性が動くことでまた書きたくなる。
いい循環がここにある。

とりあえず、HardDaysは一旦落ち着いた。
今週は疲れを癒しつつ、たまった原稿を書いていく週。またがんばろ。