さっき気づいて卓上カレンダーをめくった。
今日で10月も終わり。明日から11月だ。
残り2枚になった2016年のカレンダー。
今年は癌と向き合っているうちに終わってしまったなぁと思う。
でも不思議と焦燥感のようなものはなく、「長期休暇明け」のような気分でリフレッシュした感じさえする。
残り2ヶ月を思い切り頑張ろうと思える。
10月になると酒造りが始まる。
これからだいたい長い蔵だと5月くらいまで酒を仕込み、搾っていく。
その間、私も日本全国を飛びまわり、酒造りを追う。
既に10月は奈良へ取材に行き、先週は高知へ。
(仕事とは関係ないが、週末は奈良の吉野へキャンプにも行っていた)
明日は金沢、金曜日は神戸。
さらに11月半ばには新潟の佐渡島へも出張が決まっている。
(また関係ないが、半ばの週末に志摩の方へキャンプへ行く予定)
もともとフリーライターになった時、「好きな旅と、好きな書くことと、両方ができないだろうか」と考えていた。
最初から願いは叶って、ずっと全国を飛びまわる仕事ばかりだった。
「出張はほとんどない」というライターさんも結構いるので、やっぱり思えば実現するというか・・・、そっちのほうへ引き寄せられているんだろうなと思う。
20年前に願ったように、今もまた全国のいろんなところへ行けて、楽しくて仕方がない。
先週の高知は飲食店取材もあったので泊まりだった。
取材を終えてホテルにチェックインした後、クライアントのE本さんとカメラマンさんと3人で飲んだ。
2、3杯飲んで帰るつもりだったが、途中からやたら全員のテンションが上がってきて、少し飲みすぎた。
最初はビールで乾杯。
その後、八海山や久保田、越乃寒梅など、一昔前に流行ったような地酒があったので、「2合。お猪口3つ」で注文したのだが、お互いに注ぎあっているうちに
「2合おかわり!」
「2合!」
「すみませーん!2合!」・・・
と延々注文するようになり、最後は手勺になり、店員に「ラストオーダーです」と追い出されるまで飲んでいた。
グラスだと自分で何杯飲んだかわかるし、自分のペースで飲めるからいいのだが、この「2合徳利でお互いに注ぎあう」というのは恐ろしい。
どれくらい飲んだのか全くわからないし、ペースも崩れていく。
最初は仕事の話をしていたのに、途中からカメラマンさんの新しい彼女の話や漫画の話などで盛り上がった。
自分たちは酔っ払っているから気づいていないが、最後のほうはかなり大声ではしゃいでいて、うるさかったと思われる。
翌朝、ホテルのロビーでカメラマンさんと「喉が痛いです」「声が嗄れてるわ~」と言い合った。
E本さんは待ち合わせの時間より10分遅れてきた(寝坊だ)。
3人ともぐったりしていた。
思い返せば4時間も飲んで騒いでいたことになる。
そりゃ、声も嗄れるわ。
ダメな大人の見本である。
何を話したのかも全部は覚えていないのだが、まだ酔っ払う最初のほうでE本さんにとても嬉しい言葉をもらった。
3年前は私がまだ日本酒の知識もそんなになくて、「私のこと大丈夫かなーって不安だったでしょう?」と聞いたら、「正直、それはそうだった」と。
でも、それは結果的に(仕事として)問題なかったと言い、その理由をこう表現してくれたのだ。
「あなたはドラマを書ける人だから」
知識も経験もあるにこしたことはないけれど、それよりも酒蔵の話が単なる知識や情報の羅列ではなく、いつもドラマになっていて、それがいいのだと。
うれしくて飛び上がりそうだった。
この後で絶対酔っ払うけど、この言葉だけは忘れないでおこうと、「ドラマを書ける人、ドラマを書ける人」と心の中で反芻した。
自分の中で「ドラマを書こう」という意識はないし、“ドラマ”という単語自体、私が仕事を語るうえであまり出てこない。
でも、いつも「作品」を書こうとは思っていた。
ただの「記事」ではなく、むしろ「物語」に近いもの。
人にフォーカスをあて、酒造りを通して、蔵元さんや杜氏さんの生き方や考え方、人柄などが見えるものにしたかった。
ただし、“自分”は出さない。
あえて私の想いや、私から見た人物像などは描かないように気をつけている。
あくまでも第三者として事実だけを綴ることで、私が感じたものと同じものを読者にも感じ取ってほしいのだ。
そういう“言葉のチカラ”を私は信じている。
そして、そのチカラを上手く使えた時の喜びこそが、表現者としての醍醐味だとも思っている。
だから、E本さんに「ドラマを書ける人」と言われたことが、たまらなく嬉しかった。
そうか、伝わる人には伝わっていたんだな、と自信になった。
彼には3年に1回くらいしか褒めてもらえないけど・・・。
でも、この言葉であと3年は頑張れそうだ。
今日で10月も終わり。明日から11月だ。
残り2枚になった2016年のカレンダー。
今年は癌と向き合っているうちに終わってしまったなぁと思う。
でも不思議と焦燥感のようなものはなく、「長期休暇明け」のような気分でリフレッシュした感じさえする。
残り2ヶ月を思い切り頑張ろうと思える。
10月になると酒造りが始まる。
これからだいたい長い蔵だと5月くらいまで酒を仕込み、搾っていく。
その間、私も日本全国を飛びまわり、酒造りを追う。
既に10月は奈良へ取材に行き、先週は高知へ。
(仕事とは関係ないが、週末は奈良の吉野へキャンプにも行っていた)
明日は金沢、金曜日は神戸。
さらに11月半ばには新潟の佐渡島へも出張が決まっている。
(また関係ないが、半ばの週末に志摩の方へキャンプへ行く予定)
もともとフリーライターになった時、「好きな旅と、好きな書くことと、両方ができないだろうか」と考えていた。
最初から願いは叶って、ずっと全国を飛びまわる仕事ばかりだった。
「出張はほとんどない」というライターさんも結構いるので、やっぱり思えば実現するというか・・・、そっちのほうへ引き寄せられているんだろうなと思う。
20年前に願ったように、今もまた全国のいろんなところへ行けて、楽しくて仕方がない。
先週の高知は飲食店取材もあったので泊まりだった。
取材を終えてホテルにチェックインした後、クライアントのE本さんとカメラマンさんと3人で飲んだ。
2、3杯飲んで帰るつもりだったが、途中からやたら全員のテンションが上がってきて、少し飲みすぎた。
最初はビールで乾杯。
その後、八海山や久保田、越乃寒梅など、一昔前に流行ったような地酒があったので、「2合。お猪口3つ」で注文したのだが、お互いに注ぎあっているうちに
「2合おかわり!」
「2合!」
「すみませーん!2合!」・・・
と延々注文するようになり、最後は手勺になり、店員に「ラストオーダーです」と追い出されるまで飲んでいた。
グラスだと自分で何杯飲んだかわかるし、自分のペースで飲めるからいいのだが、この「2合徳利でお互いに注ぎあう」というのは恐ろしい。
どれくらい飲んだのか全くわからないし、ペースも崩れていく。
最初は仕事の話をしていたのに、途中からカメラマンさんの新しい彼女の話や漫画の話などで盛り上がった。
自分たちは酔っ払っているから気づいていないが、最後のほうはかなり大声ではしゃいでいて、うるさかったと思われる。
翌朝、ホテルのロビーでカメラマンさんと「喉が痛いです」「声が嗄れてるわ~」と言い合った。
E本さんは待ち合わせの時間より10分遅れてきた(寝坊だ)。
3人ともぐったりしていた。
思い返せば4時間も飲んで騒いでいたことになる。
そりゃ、声も嗄れるわ。
ダメな大人の見本である。
何を話したのかも全部は覚えていないのだが、まだ酔っ払う最初のほうでE本さんにとても嬉しい言葉をもらった。
3年前は私がまだ日本酒の知識もそんなになくて、「私のこと大丈夫かなーって不安だったでしょう?」と聞いたら、「正直、それはそうだった」と。
でも、それは結果的に(仕事として)問題なかったと言い、その理由をこう表現してくれたのだ。
「あなたはドラマを書ける人だから」
知識も経験もあるにこしたことはないけれど、それよりも酒蔵の話が単なる知識や情報の羅列ではなく、いつもドラマになっていて、それがいいのだと。
うれしくて飛び上がりそうだった。
この後で絶対酔っ払うけど、この言葉だけは忘れないでおこうと、「ドラマを書ける人、ドラマを書ける人」と心の中で反芻した。
自分の中で「ドラマを書こう」という意識はないし、“ドラマ”という単語自体、私が仕事を語るうえであまり出てこない。
でも、いつも「作品」を書こうとは思っていた。
ただの「記事」ではなく、むしろ「物語」に近いもの。
人にフォーカスをあて、酒造りを通して、蔵元さんや杜氏さんの生き方や考え方、人柄などが見えるものにしたかった。
ただし、“自分”は出さない。
あえて私の想いや、私から見た人物像などは描かないように気をつけている。
あくまでも第三者として事実だけを綴ることで、私が感じたものと同じものを読者にも感じ取ってほしいのだ。
そういう“言葉のチカラ”を私は信じている。
そして、そのチカラを上手く使えた時の喜びこそが、表現者としての醍醐味だとも思っている。
だから、E本さんに「ドラマを書ける人」と言われたことが、たまらなく嬉しかった。
そうか、伝わる人には伝わっていたんだな、と自信になった。
彼には3年に1回くらいしか褒めてもらえないけど・・・。
でも、この言葉であと3年は頑張れそうだ。