月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

お手紙

2016-11-28 | 生活


私の「かわいいお友達」から、お手紙が届いた。

頑張って書いてくれた「字」や「絵」に、じんとする。
一生懸命、机に向かっている小さな姿が目に浮かぶから。

私がたくさんシールを貼ったお手紙を送ったら、たくさんシールを貼って返してくれた。
私はもう大人だから、シールは持っていなくてもいいけれど、彼女にとっては「大切なもの」だったのじゃないだろうか。

でも、私が今でもかわいい記念切手を買うと、一番好きなのは残しておくように、とっておきのシールはちゃんと残しているのかな。

そんなことを考えながら、うれしくて何度も見た。
友達の子供は、誰の子供もみんなかわいい。

お母さんに倣って、あんな小さいのに「さとしさん」「かおりさん」と、私たちを「さん」づけで呼ぶのがまたいじらしいな。










ミンクちゃん

2016-11-19 | 癌について
最後の抗がん剤投与から1ヶ月ちょっと経ったくらいから、いろんなところの毛が生えてきた。
4本ずつくらいしか残らなかった眉毛も立派になったし、ツケマがないと人に会えなかったまつ毛もしっかり生え揃った。
心配していた「生える向き」も前と同じように、ちゃんと「上向き」に生えて、相変わらずのビューラーいらず。

しかし、なんだか体毛が全体的に「濃くなった」気がする・・・。
よく「抜くと、よけいに濃い毛が生える」という都市伝説的な話があるが、あれは本当だったのかも?
顔のウブ毛なども以前はそんなに気にならなかったのに・・・。
もみあげやうなじも毛がボワッと生えて来て、放っておくとルパン三世みたいになりそうだったので焦った。
気になった時にちょいちょい剃っている。

そして髪の毛は・・・というと、「大阪のミナミのほうにこんなオバチャンいるよね!」と夫と笑うくらいの、ベリーベリーショートになっている。
もちろんまだウィッグは手放せない。

抗がん剤の前に「次に生えてくる髪の毛は、赤ちゃんの毛みたいに柔らかいんだよ」と友達が教えてくれていて、「ふふ・・・気休め言ってくれてる。ありがたい」と思っていたのだが、実際に生えてきてみると、本当に赤ちゃんの毛だ!(いや、本当はオバチャンの毛やけど)

ふわふわで柔らかく、その手触りときたら、まるでベルベットか上等の毛皮のよう。

「こりゃー、ミンクや!ミンクの毛皮や!」と私。(知らんけど)

あまりに気持ちがいいので、夫もよく「触らせて~」と頭を触ってくる。
今のアダナは「ミンクちゃん」。

昨日、実家に行ったら、母がウサギの毛皮で作ったバッグを持っていたので触らせてもらったら、私の頭とほぼ同じ手触りだった。
「私の髪の毛、今こんなんやで」と母に言ったらびっくりしていた。(ちょっと触りたそうだった)
母にもウィッグを取ったところは見せていない。

唯一見ている夫は、時々私の頭をじっと見て、「だいぶん生えたなぁ。もうそろそろ(そのまま外出しても)いいんちゃう?」と言うのだが、さすがにまだあかん。
「こんなオバチャンおるやん」とも言われるが、別にそういうオバチャンになりたいわけではないのだよ、私は。

そして、残念なことに、白髪はやっぱり白髪だった!
不思議だなぁ。
毛根が生まれ変わったわけではないのね・・・。

佐渡島へ行って来た

2016-11-17 | 仕事
ついに佐渡島へ上陸した。
山と海、自然に囲まれたいいところだった。
ただの田舎ではなく「島」独特の空気がある。

天気があまりよくなかったのが残念。




いつかは行きたいと思っていた佐渡。
プライベートも仕事も「旅」はつきものだったから、日本中の「観光地」と言われる場所や「首都圏郊外の主な街」にはほとんど足を踏み入れたことがあると言っても過言ではないのだが、佐渡だけはまだだった。
今回行ってみてわかったが、やはり遠い。

家の最寄駅~京都~東京~新潟~バスで港まで~フェリーと、9時間くらい移動しっぱなし。
飛行機を使えばもう少し早く着くのだろうが、まあ遠い。
今回は、島に渡った後も車で1時間ほど行ったところが取材先の蔵だったので、10時間も移動していた。
さすがに疲れた。

1日目は移動で終わり。
泊まったのは旅館風のホテルで、民営ではなく公営の雰囲気。
とんでもないところを想像していたら、とてもきれいで温泉まで入れたので、かなり満足した。
夜は近くの小さな店へ。(そこしかない)
夫婦でやっているようなお店で、ラーメンやカツ丼なども出すし、お酒を飲むなら勝手にアテをみつくろって出してくれる。
客はわたしたち3名だけで、シーンとしていた。

でも、勝手に出してくれるアテがうまいこと!!
1人1匹ずつ、大きなアジの塩焼きが出たが、こんな美味しいアジは初めてだった。
牡蠣フライや自家製シュウマイ、カニ雑炊など、全部美味しかったし、安かった。
しかし、帰りに思い切り転んで、ズボンがびりびりに破けた。ホテルで見たら傷だらけになって血が出ていた。

「なぜ転ぶのか」
この謎はもう解けない・・・。
酔っ払っているからではない。素面でもとにかくしょっちゅう転ぶのだから。

2日目は午前中待機で、昼から酒蔵へ。
社長が豪快な人で、取材はとても楽しかった。
盛り上がりすぎて、終了したのが17時半。もう外は真っ暗だった。
そこから社長と一緒に近所の飲食店へ。
飲食店取材も兼ねていたが、早々に終了させ、用意されていたテーブル個室で宴会が始まった。
蔵から持ち込んだお酒を何本も開けてもらい、社長に「女王さま」と呼ばれ、接待を受けた。
1人1匹ずつカニもあったし、お造りはこれまで食べたことがないくらい新鮮で美味しかった。

E本氏が「女王は昨日酔っ払って転んだんですよ」と社長に言いつけたら、「知ってる。ズボン破れて、そこから傷が見えたから、転んだと思ってた」と言われてしまった。
やはり見られていたか・・・。
そりゃそうだ。ビリビリのズボンで取材に来る女性はいないだろう・・・。

何にしろ、楽しい宴だった。

3日目は帰るだけ。
朝7時半に集合し、家にたどり着いたのは4時半だった。
やはり長旅だ。

10月・11月と出張が続いたが、これで遠出の取材は一旦終了。
あとは近場の取材が週に2件ずつくらい入っているが、基本的に今度は年末まで原稿との闘いになる。

でも、今年はバタバタした年越しはイヤなのだ。
私の年越しは異常で、とてもあり得ない。(それも毎年だから・・・)
毎年31日の夕方から慌てて「おせち」を作り始め、真夜中までフラフラになりながらキッチンに立っている。
ほとんど仮眠状態で元旦を迎え、「とりあえず」のおせち料理を並べて乾杯し、その後は眠い目をこすりながら年賀状を書く・・・。

もうそんな年越しはこりごり!!

今年こそ(毎年言ってるような気はするが)、20日までに年賀状を書き、27日には仕事を終え、28・29日で大掃除をし、30・31日の夕方までに、ちゃんとしたお節料理を作り、大晦日をゆっくりとテレビでも見ながら過ごすのだ!!
そして、普通に寝て、爽やかな元旦を迎える!!

そのためにも、とにかくたまっている原稿をコツコツと片付けていかなければならない。
年末はあやもアメリカから一時帰国する。
思う存分遊ぶためにも、頑張らなければ!!

目指せ、「普通の年越し」!!

まだ続いていた祝杯。

2016-11-08 | 
最後の抗がん剤投与が終わってから3ヶ月とちょっと。
この間にずいぶんたくさんの人に快気祝いをしてもらった。
友人や取引き先の人たちに食事会を開いてもらうことも多かったし、お花やお酒、靴下など、贈り物もたくさんいただいた。

つい先日も、沖縄に住んでいる夫の親友から、沖縄のお酒が届いた。
オリジナルの甕に入っていて、何年経っても決して漏れることがないそうだ。(もし漏れた時には返金保証がある!)
すぐに開けて乾杯するのではなく、願いを込めて数年後に開けることを設定し、古酒として育てていく。
子供が生まれたときに成人式で一緒に飲むことを夢見て古酒にする人も多いそうな。
私もすぐに飲まず、「10年後」に開封を設定することにした。
癌の検診は10年後まで続くから。
10年後も元気でいられたときに、本当のお祝いとして開封しようと思う。
(万が一再発した時は、先に飲み干すつもりだ。笑)

いろんな人への感謝。
自分がどれだけたくさんの人に支えられて生きているかを知った。

先週の日曜日も床床さんファミリーがお祝いの食事に誘ってくれて。
と言っても、私はLINEでやりとしていた時は「お祝い」というつもりはなく、普通に二人で久しぶりに食事でも・・・と思っていたら、ダンナさんも一緒にという話になり、行ってみたら「お祝いの会だった」という感じなのだが。

床床さんのご主人が行きつけだという心斎橋のお店を予約してくれていた。
日曜日の4時半という早い時間で、ほぼ貸切状態だったので、子供連れもOKで。
床床さんとご主人、娘ちゃんの3人と、私と夫と5名での宴。
子連れだと聞いていたので個室のある和食屋のようなところを想像していたら、ビルの中にある若いママさんが1人で切り盛りしている和食スナック(?)のようなお店だった。
お料理はしっかり出してくれるが、基本的に常連さんがママさんとやりとりしたくて立ち寄るような雰囲気のお店。
床床さんのご主人もかなり常連っぽく、自分で冷蔵庫からビールを出していた。

お料理はいろいろコース仕立てにしてくれていて、ボリュームもあった。






あわびが柔らかくて美味しかったなぁ。
最後は「むかごご飯」も土鍋ごとテーブルに出してくれた。

日本酒もいいものを置いていたので、杯が進んだ。
最後にご主人が「お祝いだから」とほとんど支払ってくれて、飲み過ぎたことを後悔・・・。
もう少し控え目にしておけばよかった。

娘のMちゃんは4歳。
利発でよくしゃべるし、人懐こくて可愛らしい。
着せ替えやクイズ、お絵描きをして一緒に遊んだ。
大人の話をマイペースに遮ってくる感じが、うちの姪が小さかった頃と同じで(たぶんどこの子供もこのくらいの年の時はそうだろう)、それがなんだか懐かしかった。
アットホームでとても楽しい時間だった。よく笑ったし、ずっとキラキラした空間の中にいたように思う。
大人の話が全然できなかったのは残念だったけど、それはまた次の機会に。

全快のお祝いにと、冷えとり用のレッグウォーマーとハンドウォーマーをもらった。
今も身につけている。
とても暖かい。(ありがとう!)


4時半スタートで解散したのも早かったので、私と夫はご主人のおすすめのお店で二次会。
立ち飲みの店で、1杯だけ飲んだ。

お酒と感謝と人の優しさと、いろんな感情がぐるぐると体中を巡って、ふわふわしながら家へ帰った。

10年後も私は元気で生きている。
その時は中学生になったMちゃんに、この日の話をしよう。
ママさんに特別に用意してもらったウインナー、7本くらい食べてたよって。笑