遠く離れる者、ここに残る者を
僕が決めてもかまわないなら、
何も言わないけど・・・
小学生の頃に聴いていた佐野元春の歌の歌詞が、最近、口をついて出る。
ふとした時に。
13歳の春に出会い、42歳の春を迎えるまで一緒にいた親友・あやが、遠く離れたアメリカは南部へ行ってしまうことになった。
ダンナであるとしくんの仕事の関係で。
としくんはもう先に行っていて、あやは秋頃に追いかけて行くことになる。
最低5年。
最初にこの話を聞いたとき、嘘だと思った。
嘘だと信じたかった。
でも、現実だった。
だから、自分に言い聞かせる。
長い人生の中のたった5年じゃないか。
そういえば、ベルギーにも3、4年いたし、その前はドイツに1年留学していたじゃないか。
離れて暮らすのは初めてじゃないやん。
歳とったから、1年があっという間だし、5年なんてすぐだよ。
今はメールもあるし、テレビ電話だって利用すれば、一緒に飲みながら顔を見ておしゃべりもできるさ。
そうだ、ずっと行きたかったアメリカ南部へ遊びに行けるチャーンス!
・・・・
さんざん言い聞かせると、元気になるのかと思いきや、なんだか落ち込んで涙がじんわり浮かんできてしまう。
逆効果だ。
アメリカ行きを告げられてから、何度もこんなことを繰り返している。
ふと、あー、私って、本当に大切な身近な人を失ったことがないんだなぁ、なんてことも考える。
たった5年、アメリカへ行くくらいでこんなふうになるなんて、本当に身近な人が死んでしまって二度と会えなくなったら、一体どうなっちゃうんだろうと思う。
いや、逆にそれはそれであきらめがつくのか?
そんな関係ないことまで考えてしまうのだ。
友達というのは不思議なもので、それぞれが自分にとっては、その人にしかできない役割を果たしてくれている。
ただ一緒に飲めればいいというわけではないのだ。
優劣もつかない。
あやには、あやにしかできない役割がある。
だから、自分のそばからいなくなると、そこだけぽっかり穴が空くようで怖いのだ。
結局、大人になりきれない私のわがまま。
でも、私の寂しさをわかってくれて、言葉が通じる人は他にはいない。
そして、どんなときでも、私が悪くても、何があっても、私の味方でいてくれた。
だけど、彼女は私がこんなふうに淋しがることを喜ばないだろう。
元気に笑って送り出してあげたほうがいいんだろうな、と思う。
本心は、ホームで電車を走って追いかけて、泣きながら転んで名前を大声で叫びたいくらいだけど。
昨日、兵庫で取材があり、夕方に終わることになっていた。
ちょうどあやの家のところを通るので連絡してみたら、仕事のあとに会えるということだった。
バーのような雰囲気のイタリアンのお店で、一緒にワインを飲んだ。
5時間以上話し込んだ。
私の仕事の話や近況報告。
だけど、アメリカの話は少しだけ。
アメリカ南部といえば思い出すのは、「オズの魔法使い」「トムソーヤの冒険」「ハックルベリーフィンの冒険」「風と共に去りぬ」・・・。
文学少女だった私たちは、盛り上がる。
スカーレットのコルセットが、ドロシーが、ミシシッピ川が・・・
それから、村上春樹の話をした後は、ずっと政治の話ばかり。
従軍慰安婦、憲法改正、アベノミクス、右翼と左翼・・・
楽しい時間だった。
帰りに駅まで送ってくれて、終電までまだ話した。
ワインは2本空いた。
ドイツやベルギーに行ってしまった時も、こんなに淋しかったのかなぁ、私は。
もうあの時の気持ちを思い出せない。
エアメールをたくさん書いたっけ。
今はわざわざ手紙にしなくてもメールでいいけど、でも、たまにはエアメールを書きたいなと思う。
日本の空気を一緒に送ってあげたいから。
中学生の頃もよく学校で手紙を交換し合った。
「赤毛のアン」にかぶれていた私は、アンを真似して「死が我々を引き裂くまで、あなたの友より」なんて大げさなことを書いてみたりもした。
幸い、まだ死によって引き裂かれてはいない。
どこにいても、友である。
「かおりちゃんのこと、目が離せない。なんでかなって考えたら、私にとっては物語の中の人みたいだから」
昨日、あやはそんなことを言った。
帰りの電車の中で一人、ぼんやりと思い出す。
物語の中の人かぁ・・・
じゃあ、自分の人生はハッピーエンドにしないといけないな、絶対に。
出発まであと4ヶ月。
数年ぶりに一緒に旅行をしようねと話した。
きっと笑って見送ろう。
・・・いや、涙腺ぶっこわれている私には、やっぱりムリかな。
僕が決めてもかまわないなら、
何も言わないけど・・・
小学生の頃に聴いていた佐野元春の歌の歌詞が、最近、口をついて出る。
ふとした時に。
13歳の春に出会い、42歳の春を迎えるまで一緒にいた親友・あやが、遠く離れたアメリカは南部へ行ってしまうことになった。
ダンナであるとしくんの仕事の関係で。
としくんはもう先に行っていて、あやは秋頃に追いかけて行くことになる。
最低5年。
最初にこの話を聞いたとき、嘘だと思った。
嘘だと信じたかった。
でも、現実だった。
だから、自分に言い聞かせる。
長い人生の中のたった5年じゃないか。
そういえば、ベルギーにも3、4年いたし、その前はドイツに1年留学していたじゃないか。
離れて暮らすのは初めてじゃないやん。
歳とったから、1年があっという間だし、5年なんてすぐだよ。
今はメールもあるし、テレビ電話だって利用すれば、一緒に飲みながら顔を見ておしゃべりもできるさ。
そうだ、ずっと行きたかったアメリカ南部へ遊びに行けるチャーンス!
・・・・
さんざん言い聞かせると、元気になるのかと思いきや、なんだか落ち込んで涙がじんわり浮かんできてしまう。
逆効果だ。
アメリカ行きを告げられてから、何度もこんなことを繰り返している。
ふと、あー、私って、本当に大切な身近な人を失ったことがないんだなぁ、なんてことも考える。
たった5年、アメリカへ行くくらいでこんなふうになるなんて、本当に身近な人が死んでしまって二度と会えなくなったら、一体どうなっちゃうんだろうと思う。
いや、逆にそれはそれであきらめがつくのか?
そんな関係ないことまで考えてしまうのだ。
友達というのは不思議なもので、それぞれが自分にとっては、その人にしかできない役割を果たしてくれている。
ただ一緒に飲めればいいというわけではないのだ。
優劣もつかない。
あやには、あやにしかできない役割がある。
だから、自分のそばからいなくなると、そこだけぽっかり穴が空くようで怖いのだ。
結局、大人になりきれない私のわがまま。
でも、私の寂しさをわかってくれて、言葉が通じる人は他にはいない。
そして、どんなときでも、私が悪くても、何があっても、私の味方でいてくれた。
だけど、彼女は私がこんなふうに淋しがることを喜ばないだろう。
元気に笑って送り出してあげたほうがいいんだろうな、と思う。
本心は、ホームで電車を走って追いかけて、泣きながら転んで名前を大声で叫びたいくらいだけど。
昨日、兵庫で取材があり、夕方に終わることになっていた。
ちょうどあやの家のところを通るので連絡してみたら、仕事のあとに会えるということだった。
バーのような雰囲気のイタリアンのお店で、一緒にワインを飲んだ。
5時間以上話し込んだ。
私の仕事の話や近況報告。
だけど、アメリカの話は少しだけ。
アメリカ南部といえば思い出すのは、「オズの魔法使い」「トムソーヤの冒険」「ハックルベリーフィンの冒険」「風と共に去りぬ」・・・。
文学少女だった私たちは、盛り上がる。
スカーレットのコルセットが、ドロシーが、ミシシッピ川が・・・
それから、村上春樹の話をした後は、ずっと政治の話ばかり。
従軍慰安婦、憲法改正、アベノミクス、右翼と左翼・・・
楽しい時間だった。
帰りに駅まで送ってくれて、終電までまだ話した。
ワインは2本空いた。
ドイツやベルギーに行ってしまった時も、こんなに淋しかったのかなぁ、私は。
もうあの時の気持ちを思い出せない。
エアメールをたくさん書いたっけ。
今はわざわざ手紙にしなくてもメールでいいけど、でも、たまにはエアメールを書きたいなと思う。
日本の空気を一緒に送ってあげたいから。
中学生の頃もよく学校で手紙を交換し合った。
「赤毛のアン」にかぶれていた私は、アンを真似して「死が我々を引き裂くまで、あなたの友より」なんて大げさなことを書いてみたりもした。
幸い、まだ死によって引き裂かれてはいない。
どこにいても、友である。
「かおりちゃんのこと、目が離せない。なんでかなって考えたら、私にとっては物語の中の人みたいだから」
昨日、あやはそんなことを言った。
帰りの電車の中で一人、ぼんやりと思い出す。
物語の中の人かぁ・・・
じゃあ、自分の人生はハッピーエンドにしないといけないな、絶対に。
出発まであと4ヶ月。
数年ぶりに一緒に旅行をしようねと話した。
きっと笑って見送ろう。
・・・いや、涙腺ぶっこわれている私には、やっぱりムリかな。