月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

地獄の4日間

2022-08-28 | 癌について
体は元気になっていると感じられるのだが、前回のブログを書いた後から急にひどい腹痛に襲われた。
いつもの左下腹部。
水曜日はお世話になっていたT社長とお寿司を食べに行く日だったので夕方家を出たが、ホームで電車を待っている間も、電車の中でも、気が遠くなるような痛みに耐え続けた。
もちろんお寿司を食べている間も、だ。
社長は2軒目に一緒に行きたそうだったが、もう限界だったので、お断りして帰って来た。

この夜が一番辛かった。
痛みでほぼ眠れず。

昔、健康法やがんに関する本を読んでいると、よく「真夏でもカイロを腰に貼っている」という記述を目にすることがあり、「嘘やん」と思っていたが、この夏の私は湯たんぽと共に生きていた。
外の気温が35℃を超えていようが、熱々の湯たんぽをつくり、ずっと下腹部に当てている。熱さで麻痺するのか、そうしていると少しだけ痛みが和らぐのだ。

この夜も、何度も起きては湯たんぽを作り直し、腹部に当てていたが、それでも眠ることができなかった。
木・金曜は少しマシになり、「気が遠くなる」ということはなくなったが、痛みは続いていた。

びわの葉温灸セット(電気で温めるお灸)を買ったので(高かった!!)、火曜からそれを始めたので、好転反応みたいなものなんだろうか、とも考えた。
これは毎日やらないといけないので、毎日続けている。(1回やるのに1時間半かかる)

寝たり起きたりしながら、どうしてもやらないといけない原稿だけは、湯たんぽをしながら書いた。
金曜の夜は泣いた。
3日間も続く痛みに耐えられず、不安で心も弱ってきて、このまま死ぬんじゃないかと思い怖くなった。
神様に祈った。
なぜか罰を受けているような気持ちになり、何度も謝った。
ごめんなさい、許してください、もう痛みから解放してください、お願いします・・・
布団の中で悶え、泣きながら、何度も何度も謝って、祈っていた。

ほぼ何もできず、ソファか布団で寝ているだけの3日間。頑張ってやっているのは体のケアだけ。
こんな人間が生きている意味があるんだろうかと思い始めた。何も生み出せない。役に立たない。
それも辛くて、しくしく泣いていた。
夫に訴えると、「生きているだけでいいんやで」と言われた。

土曜日の朝、少しはマシになっていたが、やはり痛みはあった。
それでも動けるようになったので、夫と歩いてスーパーに買い物に行き、お昼はタコ焼きパーティーをした。
ちょっと元気になったかなと思ったら、またすぐ痛くなる。

新たに仕入れた民間療法を試してみた。
びわの葉を患部に当て、その上から熱々に茹でたこんにゃくをタオルに包んで当てるというもの。
半信半疑だったが、これがものすごく気持ちいい。痛みが和らぎ、少し気持ちが明るくなった。
そのまま夕方、寝た。痛みが和らいだので寝ることができた。
夜8時に目が覚めたら、お腹の痛みが完全に消えていた。

その後、ご飯を食べて寝たが、今朝(日曜)起きてからも痛みはない。
ようやく解放された。ほぼ4日間苦しんだ。

痛みさえなければ、体も心も元気で、ご飯もおいしく食べられるし、何でもできる。
今は本当に幸せ。
痛くないって、それだけでこんなに幸せなんだと思う。
こんな日がずっと続いてくれたらいいのだけど。

求めるのは、静謐な暮らしだった

2022-08-24 | 癌について
もう一度元気になる日が来るなんて、この半年は思い描くことすらできずにいた。
体が自分の意志でちゃんと動いたり、空腹感とは関係なしに「何かを食べたい」という欲求がわいたり、明日はもっと元気になっていると信じたり、そんなことが想像すらできないほど弱っていた。

毎日こんなにも苦しく辛く、泣いてばかりいたのに、人に会うと、なぜか「元気そう」と言われる。
酵素風呂のオーナーにも「いつも元気やね」と言われる。電車の中でも駅からの道のりも、ふらふらになりながら重い足を引きずるようにして辿り着いているのに。

そうか、元気に見えるのならよかった、と思う気持ちと同時に、何かモヤモヤした気持ちも湧き上がるのはなぜなんだろう。
思えば昔からそうだ。
「今日私元気ないな」と自分で思っていても、誰からも指摘されず、ついには自分から「ねぇねぇ、今日の私って、ちょっと元気ないと思わへん?」と聞いてしまうようなことがあった。(もちろん相手にされない)
どうしても人からそうは見えないようなのだ。なぜなんだろう。
それなのに、私は次女の「甘えた根性」がいつまでも消えず、いつだって「誰かに心配されたい」と思う、筋金入りのかまってちゃんなのだ。

しかし、もうそんなこともモヤモヤ考えずに済みそうだ。
というのは、本当に元気になったからだ。
この10日ほどの急激な回復力ときたら、自分でもびっくりするほどだ。

おそらく一番調子が悪かったのは、5月、6月で、7月に入ってから仕事が一段落して時間ができ、瞑想の先生とお話したり、胃腸の検査をしたり、自分のケアだけに集中できたことで、少しずつ体調は回復していた。
さらにこの10日間でメキメキと本来の自分に戻っていくのを実感している。

まず、食欲が出た。
以前から「空腹感」はあったのだが、何かを食べたいという欲望がほとんどなくなっていた。だから、料理もあまりしたくなかったし、人と食事にも行きたくなかった。
それが再びあの食欲がやってきたのだ。あれが食べたい、これが食べたいと。
この週末にキャンプに行った時も、久しぶりに私は「あれ作るわ」と自分から計画し、材料を揃え、準備をしていった。そして、キャンプ場でもテキパキと動き、おいしいキャンプ飯を夫にふるまった。
先月はキャンプに行っても何も料理をする気になれず、夫が焼いたバーベキューをほんの数口かじっただけだったのに。
私の変わりように、夫は目を丸くして本当に驚き、泣くほど喜んでいた。

同時に、お酒がおいしくなった。
もう私は二度とお酒をおいしいと思えないんじゃないかと心配していたが、ビールを飲んで「おいしい!」、日本酒を飲んで「おいしい!」と思えるようになった。
まだ量はそんなに飲めないが、おいしいと思えることが幸せで仕方がない。

それから、テキパキと動けるようになった。
キャンプでもそうだが、家でも同じく、家事や仕事ができるようになった。
体が弱ると「家が汚くなる」。掃除ができないからだ。もちろん掃除機くらいはかけるし、最低限のことはやるが、細かなところまではできない。目に入っていても見ないふりをしてしまう。
それが、ようやく目に入ったものを片付けられるようになった。

「めっちゃ元気になったな。活動量が全然違う」と夫が嬉しそうに言う。
私も嬉しい。
まだまだ、本来の私が10とすれば、6くらいだが、この間まで0.1くらいだったことを考えれば、ものすごい変化だ。
ぐったりとソファで寝転んでいるだけの時間が随分減った。

元気になったのは、お腹が痛い時間がかなり減ったからだ。
まだゼロにはならないが、毎日毎日痛かったことを思えば、随分と楽になった。
おかげで、夜中の3時くらいまではなんとか熟睡できるようになった。気持ちも明るくなった。良い循環に入っている。

どうして、いつから急に良くなったんだろうかと考えてみたら、それはきっと「あの時」だと思える。
がんを治してどうしたいのか、どうやって生きたいのか、本来の自分はどんな人間で、何をしていたら幸せなのか。
それを人前で口にしたことがあった。口にすると涙が出た。
でも、思い返してみると、あの時からすーっとお腹の痛みがなくなっていったんだった。

本来の私は、外へ向かう人間じゃない。自分の内へ内へと入るのが好きな人間だ。
好きなのは、家事と読書と手芸とモノを書くこと。そして、美しいものに囲まれること。自然の中にいること。木々や花や風と会話しながら生きることだ。
自然を愛で、言葉を紡ぎ、時々お茶を点てる。
そんな静謐な暮らしが、私の求めるもの。

この間、実家に行った時、母に告げた。
「お母さんが私に呪いをかけたんだよ。自分は自立できなかったから、離婚もできずに我慢する人生だった。だから、かおりはそうならないでほしい。手に職をつけて一人で生きられるようにしておきなさいと。そうやって私に呪いをかけたから、私はずっと頑張らないといけなかったんだよ」

母はきょとんとして、笑ってこう言った。
「じゃあ、今日呪いを解いてあげるわ。もうそんなこと考えなくていいから。でもね、仕事するのが楽しそうだったからよ。もしかおりが辛い想いしながら働いてるんだったら、そんなこと言わなかった」

30年にわたって私を捕らえてきた呪いが解けた瞬間だった。

それから、2つ仕事を辞めた。
どちらも10年以上お世話になって来た取引先だったが、業務委託契約を解約させてもらった。

これでレギュラーでの仕事は、日本酒の雑誌とメーカーのWEB系のライティングだけになった。
あとは単発での仕事が来た時、自分が本当にやりたいものかどうかを考えて、受けるか決める。
お世話になっているからとか、お金になるからとか、そういうことでは動かない。
これだと月20万円も稼げなくなるだろうが、もういいんだ。
家のローンも終わったし、欲しいものも特にない。もう十分すぎるほど何でも持っている。飲みに行くこともほとんどなくなったから、飲み代もそれほどいらないし。
社会保障費と携帯代、最低限の家計に入れるお金と、自分の治療・ケア費、ほんの少しのお小遣い。それくらいなら何とかなるだろう。
それに、代わりに時間はたくさんできるのだから。

少しずつ、がんが私に贈ってくれたメッセージを解読している。
そして、言葉にし、行動している。
不思議なもので、そうするとどんどん元気になってきた。

体と心と魂と、この3つの声を聞かない限り、本当の意味での恢復などありえないことを私は知っている。
今はただ、体に良いことをし、静謐な暮らしを望みながら、毎日を生きている。

飲み食いできなくなった原因は?

2022-08-09 | 生活
昨日は大腸内視鏡(カメラ)検査だった。7月末にやるはずだったのが急性胃腸炎により延期されていたが、なんとか無事に終わった。
結果から言えば、ポリープが1つあり、検査中に切除してもらった。
わずか4mm程度のもので、生検に出してはいるが、悪性である可能性はほぼない、とのこと。
その他にも悪いところは見つからず、がんの転移などはなかった。
とりあえずホッとした。

画像も見せてもらいながら説明を受けた。
ポリープは小さかったけれど、血止めのクリップが付けられていたので、血が出やすい場所だったのかもしれない。このクリップはいずれ勝手に排出されるらしい。
3日間は消化の良いものを食べ、刺激物やアルコールは禁止。1週間は遠出や激しい運動は禁止。とりあえず「安静に」ということだ。
一応「手術」なので、19000円もした。保険の対象になっているか調べてみよう。

大腸カメラの経験者、何人かから「検査は寝ている間に終わるけど、それまでの便を出す前処置がつらい」と聞いていたので、覚悟していたのだが、ハードルを上げていたからか、私はそれほどつらいとは思わなかった。
前日、消化の良いものを食べるようにする。夜8時以降は何も食べない。寝る前に便をやわらかくする下剤を飲む。
当日朝、8時から、薬の入った大きなビニールパックに水を1800ml注ぎ、大量の洗浄剤(下剤)を作る。これを1時間かけてゆっくり飲むと、30分くらい経ったら便が出始め、何度か排便していくうちに、固形物や濁りが一切ない、薄い黄色の水しか出なくなる。そうなったら終了。

私は朝起きるとすでに便意があり、1800mlを飲む前からほとんど便が出ていた。
なので、全量を飲むこともなく、飲み始めてから2時間以内には終了した。
下剤もまずいのかと思っていたら、なんということはない。色も味もポカリスエットだ。ごくごく飲めた。
普段から便秘気味の人は、なかなか出なくて、それがつらいようだ。あと、看護師さんに聞いたら、世の中に出回っている下剤は2種類あって、私が飲んだのは比較的飲みやすいものらしい。もう1つは味がまずくて飲むのがつらいとか。そっちじゃなくてよかった。

しかし、「寝ている間に終わるからラク」というのはちょっと違った。
前回の胃カメラの時は爆睡していたのに、今回は処置中に私はかなり意識があった。
後で先生が言うのには、「腸が少し複雑な形をしていて、なかなか通らなかったので、痛かったかもしれませんね」とのこと。
看護師さんも「痛かったでしょう。何度も顔がつらそうだったので」と気遣ってくれた。
意識があると言っても、かなりボーっとした状態で、まさに夢うつつ。夢か現実かわからない状態の記憶という感じなのだが、「痛い、痛い」と思っていたのは確かだ。
終わってからも、胃カメラの時は勝手にソファに移動させられていたが、今回は意識があったからか、自分で立ち上がって支えられながら移動した。
でも、相変わらず、じろう先生も看護師さんも優しかったので、変なストレスなどは一切なかった。

これで検査はすべてクリア。
結果的に、胃の不調は逆流性食道炎、大腸は特に問題なし(小さなポリープは痛みなど引き起こさないので)。
ということは、下腹部痛はやはりガンが影響している痛みなのだろう。もしくは、手術痕。
それがわかっただけでもよかった。

ここ数カ月、飲み食いする量がガクンと減ったうえ、急性胃腸炎や今回の検査での食事制限などもあったため、気づいたら体重が15年ぶりに結婚式の時と同じになっていた。
夫に管理されているので、毎週金曜日に体重計に乗せられる。
先週は、15年前どころかここ30年くらい見たことのない数字が出て、それはかなり衝撃だった。
世の中にはどうしてあんなにガリガリに痩せている人が多いんだろうかと不思議だったが、なんということはない。やっぱり「食べなければ痩せる」のだ。
私の場合、痩せたと言っても、ガリガリにはほど遠く、今で「ちょうどいい」感じ。(特にガリガリになりたいとも思っていないし)
ということは、「食べられない」と言っても、これでようやく「一般的な50代女性の食事量になった」ということなのかもしれない。
問題なのは、イレギュラーも通用しない、ということなのだが。
普段は食事量が少ない人でも、外食や旅行の時はいつもより多く食べられるものだが、今の私はそれができない。普段はこれくらいでいいのだが、特別な日くらいはたくさんおいしいものを食べたいのに。
夫には「精神的なもの」だと言われている。
確かに最近は「外食する」という場面になると、急激に弱り出すのだ。家を出る前から胸やけがひどくなり、胃酸が上がってくる。そして、いざ食べ物を目の前にすると、もう胸がいっぱいになるのだ。なんだろう、これは。
「食べなあかん。でも食べたらしんどくなるかもっていうプレッシャーなんやって!」と夫が言う。そうなんだろうか。

7月半ばに、1年ぶりにデスクのYさんと二人で飲みに行き、3時間かけて日本酒を1合半飲んだ。
飲み食いがあまりできないことは伝えていたし、おしゃべりがメインだったので、ゆっくり自分のペースで飲めて楽しく過ごせた。
なのに、家に帰ってからすぐに吐いた。吐いたといっても、ほとんど何も食べていなかったので、固形物はほぼ出なかった。
確か6月に友達と食事に行き、1合半くらい飲んだ時は大丈夫だった。
なんだかどんどん飲めなくなっているような気がする。このまま下戸になってしまうんだろうか、私は。

土曜の夜、12日ぶりに日本酒を90mlだけ飲んでみた。これは大丈夫だった。
この12日間の間に、ビールを1缶だけ飲んだ。これも大丈夫だった。
しかし、今はアルコールを口にするのは週に一度あるかどうか、というくらいになってしまった。
いつもなら、こんな暑い日が続けば、毎日1缶は必ずビールを飲んでいたのだが……。今はもう「酒」が自分の生活から消え去ってしまった。我慢しているわけでもなく、「飲もうかどうしようか」など、お酒のことを「考える」ことすらなくなってしまったのだ。
「いいことじゃない!」と思う人もいるだろう。健康のためにはそうかもしれない。
でも、私は寂しくて仕方がない。
お酒が飲めないと、食べたいものも行きたい店も思いつかなくなってしまったし、人と会うことも少し躊躇してしまう。
もともと下戸で、お酒以外の楽しみをつくり、お酒を介さない人間関係を築いてきた人ならいいが、そうじゃない人間が急に下戸になったら戸惑うものだ。異文化の国に来たかのように。
私は別に酔っ払いたくて酒を飲んで来たわけではない。むしろその逆で、なんとか酔わずにおいしいお酒をたくさん飲みたかった。
世の中においしいものはたくさんあるが、お酒と合わせてこそ、味わいが何倍にも膨らむ料理というのは存在するのだ。
ビールと、日本酒と、ワインと。それぞれのお酒との相乗効果によっておいしさを増した料理は至福の喜びを与えてくれる。
20歳の頃から私はずっとそれを追い求めて生きてきた。
それなのに……。

早くまたおいしくお酒が飲めるようになるといいなと思う。特別な日だけでもたくさん食べられるようにもなりたい。
食や酒が自分の人生から消えてしまうなんて、あまりにも淋しすぎるから。
今回の検査結果で胃腸は大丈夫だとわかったから、この原因が精神的なものなら少しずつ治っていくのではないかと期待している。

難しい選択だ

2022-08-02 | 癌について
胃腸炎はすっかりよくなったが、日曜、月曜といつもの下腹部痛でほとんど何もできず、寝たきりで過ごした。
今日はほとんど痛みはなくなり、なんとか起きて活動できている。

保健適用になった新薬、キイトルーダとレンビマの併用について知りたく、ネットで体験の声を探して読んでいるが、まだ使用例が少ないので、ブログなどもほとんど見当たらない。
それでも今年になって数カ月、この治療を受けているという人のブログをいくつか見つけた。

わかったことは大きく2つ。
・がんを縮小させる、もしくは消滅させる効果は絶大
・副作用はかなりある(特にレンビマ)

腫瘍マーカーが、4ケタだった人が2ケタになったり、「ここのがんが消えています!」と医者に言われたり、そんな奇跡みたいなことが本当に起きている。
もちろんそれはすごく魅力的だ。

ただ、そんな魔法みたいな薬があるはずもなく、がんに効く一方で、体への負担もものすごい。
特にレンビマの副作用には100%誰もが悩まされていて、減薬、もしくは休薬も普通のことのようだ。
誰もずっと基準量のままで治療を進めることなどできていない。

血圧が200を超えそうになり、激しい頭痛に悶える。
粘膜がやられるので、口の中は朝起きると血だらけ。何も食べられない。
手足の先がヒリヒリして、家事をするどころかタオルや水に触れるだけで「ひーっ」となる。

それが抗がん剤と違って、「回復期」などないから、治療の間ずーっと毎日続くのだ。2年間も。(休薬しないかぎり)
もう拷問に等しい。
また、今目に見えている副作用だけでなく、新薬ゆえ、5年後、10年後に体がどうなるかなんて、それもわからない。そんなデータはないのだから。

クライアントに「治療をしようかどうか悩んでいる」と話したら、心から私のことを心配して「治療できる選択肢があるならやったほうがいい。2年くらい仕事も休めばいい。待ってるから」と言ってくれた。
もちろん、先に書いたような壮絶な副作用の話などしていないから、単純に「できる治療があるならよかった。ラッキーやん!長い人生の2年くらい、死ぬことを考えたらどうってことないやん」と思ったのだろうし、それはすごくまともで親身な意見だったが、やっぱり心の中で「・・・そんな簡単なもんじゃないんよ・・・」とがっくりしてしまう自分がいる。申し訳ないけれど。

私が友達に個人的に今の状況を連絡しなかったのはまさにこれで、こんな重大なことを言われたって相手が困るだけだろうと思ったからだ。
「治療を受けたほうがいい」とか「やめたほうがいい」とか、誰がそんなことを言えようか。
そして私自身も誰の意見も求めていない。自分で決めなければいけないことだから。

昨日、一昨日のように、体も頭も動かず寝たきりになっているときは、「受けようかなぁ・・・。副作用は辛くても、それで治ってラクになるんだったら・・・」と思うこともある。
逆に、「痛い、辛い日々が途切れることなく2年続くくらいなら、このまま時々やってくる痛みをごまかしてガンと共存していくほうがマシなんじゃなかろうか」と思うこともある。

とりあえず、結論を出すのは8日の大腸カメラ検査を受けてからだ。
でも、やっぱり新薬は怖くて、できれば受けたくないと思ってしまう。

そうだ、新しい仕事も入った。
私がnoteに書いていた日本酒の記事を読んでくださった某交通系企業からのご依頼。
地域の酒蔵を取材して、ビギナー向けの記事を自社のメディア(WEB)に書いてほしいとのこと。
明日はその打ち合わせに行く。
ずっとやりたかった、日本酒の「消費者向け」の記事。業界誌でないものをやってみたいと思っていたから、本当に嬉しかった。
頭の隅に、ちらっと治療のことが浮かんだが、すぐに仕事を請けた。
まあ、どれくらいの期間でやる仕事なのかもわからないし、詳しい話を聞かないことにはどうしようもないので、とりあえず打ち合わせに行ってくる。
でもこの時点で私はもう「治療しない」の方向に進んでいるのかもしれないな、とも思った。

難しい。本当に難しい選択だ。