月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

旅人卒業

2016-06-30 | 
昔の塾の生徒と飲みに行った。
今年26歳になる年代が中学2・3年だった頃、数学と国語を教えていた。
2年連続で教えたこの学年は、今でも連絡をくれる子が多い。

今回会ったのは田中こうちゃん。背が高くてちょっとイケメンの男の子だ。
なぜか私のことをとても慕ってくれていて、数年前からちょいちょい連絡をくれるので、そのたびに飲みに行く。
彼は旅人で、世界や日本をずっと旅している。
今回も沖縄に5ヶ月いて(さとうきび畑などを手伝って暮らしている)、3、4日だけ大阪に戻って来るという。
病気の事も伝えていたけれど、体調もよかったし、「いろいろ話したいことがある」というので会うことにした。

彼女を連れてきていた。
彼女は偶然にも「かおりちゃん」という。
去年の夏にも少し会っていたので初対面ではなかったが、ゆっくり話すのは初めてだった。

こうちゃんはアフロヘアをぎゅっとしばって、あごにちょびっとヒゲを生やし、真っ黒に日焼けしていた。
いかにも沖縄の人!って感じだ(大阪の人だけど)
かおりちゃんはこうちゃんより2つほど年上だけど、童顔の可愛らしい子で、こうちゃんと一緒に沖縄で暮らしていた。
去年会った時と今回では2人の仲が深まっているように見えてピンときた。

「もしかして、結婚するの?」と聞いたら、やっぱりそうだった。
26歳にして、ようやく旅人卒業!!
かおりちゃんの実家は九州なので、挨拶をしに行き、九州を1ヶ月ほどじっくりまわって、大阪に帰って来たら、それで旅は終わり。
大阪に2人で家を借りて住んで、結婚するのだとか。
もちろん仕事も探す。

長い長い自分探しの旅だったけど、いよいよ終わるんだなぁ。
世界に触れて、いろんな人と出会って、彼は本当にたくさんのことを考え、インプットできたのだと思う。
世の中の人はもしかしたら「甘えている」と言うかもしれないけど、私はむしろ若い時にそういう時間を持つことはとても大事だと思っている。
その証拠に、会うたびに彼の目はキラキラしていた。

「たくさんインプットしたものを、今度はアウトプットしていかないとね」と言うと深くうなずいていた。
思っていたよりも現実的で、大阪に住んで結婚するからには「自分に合う仕事は何か?」とかそういうことはあまりこだわらず、とにかく何か仕事を探して働きながらまた考えていくというので安心した。
そうやって地に足付けて、見えて来る世界もあるんだろうと思う。

こうちゃんとかおりちゃんと3人で話すのはとても楽しかった。
年も20近く違うし、生きてきた環境も何もかも違う。何の共通点もないはずなのに、とにかく楽しくて盛り上がる。
「昔話が出ないのがいいな」と思った。
無理に共通点を探して、「塾にいた頃は・・・」とか「〇〇くんどうしてるの?」とか、そういう「過去」を振り返るような話題が一つも出なくてよかった。
それは彼らが常に前を向いていて、自分の中にいっぱいいろんなものを持っているということだ。
沖縄の話、これからの話。
いろいろ聞けたし、私もいろいろ話した。

こうやって何人かつながっている生徒は、今でも私の宝物だ。今も昔も変わらず、無償の愛情を注げる対象。
彼らが幸せだと、私もうれしい。

とてもいい夜だった。

「宮古島の天ぷら。朝揚げ立てを買ってきた」とくれたのがこれ。


「美味しいから、絶対食べてほしかった」と言う。
夜にはもうすっかり冷めてしまっていたけれど、その気持ちがうれしくて、家に帰ってから1つ食べた。
残りも翌日、朝と昼に食べた。
油ものは体調を考えて控えているのだが、そんなこと嬉しそうに私にこれを手渡してくれた彼に言えるわけがなかった。
ふわふわの衣で美味しかった。

1ヵ月後、結婚の挨拶を終えて、旅を終えて戻ってきたら、私も抗がん剤治療が終了している頃だ。
私も気持ち新たにがんばっているだろう。
また8月に会ったとき、未来に向けた話ができればいいなと思う。

甘いものはガマン

2016-06-29 | 癌について
今日は2クール目のケモ外来。
白血球が減少するのは仕方がないが、他は特に異常なし。
この1週間は感染症だけ気をつけて過ごそう。

体調はすこぶる良いので、久しぶりに家で日本酒を飲んだ。
木下酒造のアイスブレーカー。
氷を入れてロックで飲むことを想定して造られている。
これを飲むと「夏が来た!」という感じがする。


最近の昼食・夕食はいつもこんな感じで、あっさりしている。
野菜、魚、豆腐、海草が中心。

今日はお肉もあるが、脂の少ない高たんぱくの鶏胸肉。
塩麹に漬けた後、低温で長時間火を入れた「やわらか鶏ハム」。
そこに自家製のジェノベーゼソースをかけた。
しっとりと柔らかくて美味しいので、よく作る。インゲンやチーズを巻くこともある。

アスパラは白和えに。
白和えって本当に好きだ。食べる前に振る黒胡椒がアクセント。

炭水化物(白米・小麦粉)、揚げ物(サラダ油)、甘いもの(砂糖)はできる限り避けている。
特に「糖分はガンのえさ」と聞くので、甘いものは食べないようにしている。
一生食べないつもりはないが、少なくとも治療が終わるまではガマンする(つもり)。

でも、甘いもの大好きだから・・・。ツライ
だから毎朝食べるバナナの甘味がしみるんだよなぁ・・・。
「甘い」ってなんて美味しい味なんだろう、なんて幸せな気持ちにさせてくれるんだろう、と思う。
昔の日本人が柿を好きだった気持ちがわかるなぁ。
甘く熟した柿はとんでもなく旨いスイーツだったに違いない。

日本酒も糖分高いので、あまり飲まないほうがいいのだが、まあ、たまには。
何もかも抑えていたら、逆にストレスになるからね

紅茶とお香

2016-06-28 | 生活
病気になってから、家でお酒をほとんど飲まなくなったので、また紅茶好きが復活している。
この間、ルピシアのお茶福袋(5400円)を買ってみた。



13種類のリーフティー(ノンフレーバード)が50gずつ。
1万円分入っているらしい。
おまけにアイスティーを作る容器もついていた!
これ、茶漉しもついてて便利!
いろいろ楽しめて満足だ。

それから昨日は取材の帰りに梅田で雑貨屋さんに寄って、お香を買った。
誕生日にライター友達のnamiusaさんから素敵なお香立てをプレゼントしてもらっていたのだが、「香りを生活に取り入れる習慣」がないので、立てるお香がなかったのだ。
買いに行こう、早く使いたいと思いながら、治療や何やでバタバタしていて、ようやく昨日買えた。
ひのきの香りにしてみた。



真ん中のお花のがそれ。
上品で可愛らしい。銅製なんだって

ついでに夏らしい団扇の箸置きも見つけて買った。

こんなちょっとしたことが生活に潤いを与えてくれる。



誰のために、いつまで生きるのか。

2016-06-27 | 癌について
取材に行った。
酒蔵関連以外の取材はおよそ3ヶ月ぶり。

学生向けの就活ナビサイトの記事作成のため、大阪のものづくり企業を訪れた。
ハシゴや脚立など足場関連のツールを専門で製造しているメーカーで、創業60年。海外展開も積極的に行っている会社だ。
技術力だけでなくブランディングが上手で、イタリアにも通用するようなオシャレな脚立まで造っていた。
社長さんは二代目で、まだ若そう。40代か50代前半というところ。
インタビューにも気さくに朗らかに、しっかりとビジョンや考え方を語ってくれて、取材はとてもやりやすかった。

こういう採用関連の取材は、月に1~3本くらいではあるが、もう10年近くやらせてもらっている。
この仕事が好きなのは、とにかくいろんな企業へ行って、社長などトップの話を聞けるからだ。
大阪の中小企業は製造業が多いのだが、取材で話を聞くと「日本はこういう中小のものづくり企業によって支えられている!」といつも思う。
普段の生活で何気なく使っているモノに、一体どれほど多くの情熱と知恵と工夫と努力が込められていることか。
久しぶりに「新しいもの」を見て聞いて、刺激になった。

取材が終わると17時過ぎ。
同行のカメラマンさんが親しいKさんで、数ヶ月ぶりに再会したので、「ちょっとビールでも1杯行きましょう」ということになり、取材先の近所の居酒屋へ入った。
Kさんとは一緒に飲みに行くくらいの仲だが、病気で休んでいることは知っていても詳細は全く話していなかったので、「ガンなんですよ」と告白すると、とても驚いていた。

枝豆、ピリ辛こんにゃく、アジの南蛮漬けをつまみながら、ビールを1杯。
我ながら数日前に階段を這って上っていたとは思えない回復ぶりで、美味しく飲んだ。
でも、やっぱりたくさんはまだ飲めない。1杯は美味しいのだけど・・・。(そりゃそうだ)

Kさん(46歳)は社会人になってから、ただの1度も「検診」や「人間ドック」などに行ったことがないという。
仕事でも動き回るし、毎日ジムに通ってフルマラソンも参加するくらいの人なので、たぶんあまり病気はしないだろうなぁと思う。
奥さんも専業主婦なので毎日ちゃんとゴハンも食べているようだし・・・。

なぜ検診に行かないのか聞くと、答えはこうだった。
「怖いから」

なるほど。別に健康に自信があるというわけではないのだ。
もし何か見つかった時に、自分はただひたすら落ち込むタイプなので、そこから這い上がれないのだという。
明るく前向きに治療するなんて無理だ、と。
だから、早期発見で治療するくらいなら、見つかった時には手遅れで死にたいのだと言っていた。
あと10年くらいは大丈夫だろうと思っていて、逆にあと10年生きられたら、子供も成人するから死んでもいいかと、そう思っているらしい。

「あと10年」という短い目標があるなら、まあそれでもいいのかなぁと思った。
それでも、自分に置き換えてみれば、普通の人が簡単に「まあ10年くらいは何もしなくても生きられるだろう」と思っている「10年」が、今治療をしなければ、それすら危ういわけで。
ガンになったら病院で「5年生存率」「10年生存率」という話を平然とされる。
今の私にとったら、5年、10年と生きるのもすでに大変な苦労がある。とても重い10年だ。

病気になってからいろんな人と病気や生死の話をするけれど、Kさんみたいな考え方の人は珍しくはない。
私が「10年生きられるか・・・」というと、自分は別に長生きはしなくていいと言う人もいる。
そりゃ、10年後にコロッと心筋梗塞か何かで死んで、辛い治療もせず、病院のお世話にもならず、誰にも迷惑をかけずに死んでいけるならそれもいいが、そんなにうまくはいかないわけで・・・。
例えばガンになったら、「延命措置は必要ない」というスタンスでいても、治療をしないから翌日コロッと死ぬわけではないのだ。
治療をしなければしないで、体は弱っていくし、痛みもあるし、最後は動けなくなり、結局死に切るまで誰かのお世話になる。
今の世の中、なかなか人に迷惑をかけずに死んでいくのは難しい。

あと、この間友達と話していて思ったのは、「自分が」長生きしたいとかしたくないとかではなく、「誰のために」「いつまで」生きなければならないか、ということが重要なんだろうということ。
私も若い頃は漠然と「100歳まで生きてやる!」と思っていたが、今は自分のためには何歳まで生きたいという気持ちはない。
Kさんも「あと10年」と言ったのは、子供が今10歳で「成人するまで」という具体的な目標があるからだ。
別の、まだ子供が小さい友達は、子供が25歳で結婚するとしてもあと22年は生きないと!と言っていた。
そう考えると、私はどうしても長生きしないといけない。
夫が10歳年下で、彼を一人で残していけないので、夫が70歳まで生きるとすると、私は80歳まで生きる必要があるのだ。
あと35年!!!
逆に、夫がもし早くに死んだら、私はもうそこから先の人生は必要ないもんなぁ・・・。
そうならば、おそらくガンになっても延命治療は受けないだろう。

5年、10年先すら今は見えないが、私は夫が生きている限りは80歳を目標に、どんな病気になったとしても治療して生きていきたいと思っている。
2人で仲良く、まだまだ人生を楽しみたいのだ。
そういう目標のある人間にとって「早期発見」は重要なので、私はこれからも定期検診はしっかり受けるだろうし、健康にも気遣って生きていくだろうと思う。

この間、別の友達とも「定期検診に行くか、行かないか」という話をしていて、いろいろ考えていたのだが、Kさんの話を聞いて自分の考えはまとまった。
私は「夫を看取る」という目標を持っているので長生きが必要だが、例えば「見つかってすでに手遅れで5年先に生存できなくてもいい」という考えであれば、別に検診など行く必要もないんだよなぁ・・・。
それこそKさんのように、「病気が見つかった時は死ぬ時。治療は怖いし精神的にももたないから必要ない」というスタンスの人も、なんだか潔くて、さっぱりしていていいと思う。
自然の流れに逆らわない、というか。
もしそれで、残された身内が身のまわりのことや経済的に困ることもなく、自分の死がそれほど誰かの負担にならないのであれば。

でも、自分が病気になって思うのだ。
自分の「生」や「人生」は、決して自分だけのものではないんだなぁと。
それは誰しも同じことで・・・。
人は、多くの人と関わりあって生きているのだから、ある日突然その存在がなくなった時に、まわりに何の影響もないなんてことはない。
こんな私なんかにも「生きていてほしい」と思ってくれる人がたくさんいた。
逆に、自分の周りの人たちに対して、私も「生きていてほしい」と思ってしまう。
だから、Kさんのようにいろんな考え方の人がいるんだから・・・とは思いつつも、最近は友達に会うとすぐ「検診行ったほうがいいよ」「早期発見が大事」と口うるさい小姑のように言ってしまうわけで・・・。
自分のエゴだとわかっていても、やっぱり周りの人には自分のような痛みや苦しみを味わってほしくないし、早々と私を置いてコロッと逝ってしまわれるのも、淋しくて仕方がないから。

抗がん剤治療2クール目 1週間

2016-06-26 | 癌について
朝起きると随分楽になっていたけれど、今度はダル重・・・。
体が動きにくい。
朝食、片付け、洗濯と簡単な家事も少ししんどかった。

家の中の切花が枯れていたので、新しいものを切ってこようと庭へ。
長雨で花壇が荒れていたので少し手入れしていたら、だんだん夢中になって、延びすぎたミントを刈ったり、芝生の雑草を抜いたり、気づいたら苗の植え替えまでしていた

何度も書くが、これが本当に不思議なもので、何かに夢中になって動き始めると急に体が楽になって、いつも通りに動けるのだ。
体を休めよう・・・と思って、テレビを観たり、のそっと寝転んでいたりすると、いつまで経っても楽にならないのに。
私の細胞たちは元気に動きたいんだ!と思った。

結果、ふらふらで庭へ出たのに、1時間後戻るときにはシャキッとしていた
元気いっぱいになったので、夫と高槻まで出た。
うろうろして、風月でお好み焼きを食べて、それからauショップへ。

ようやく機種変更!
3年も使って、電源は切れなくなるし、バッテリーはすぐ切れるし、カメラのレンズは傷だらけという、とんでもなくボロボロのスマホだったのだ。(auショップに行くのが面倒で替えていなかった)
世の中はiPhone派が多いが、私は最初からずっとアンドロイドだし、単に使い慣れているほうがいいという理由で、またXperiaの最新機種にした。
新しいスマホはテンション上がるなー
これでスマホのいろんなストレスからも解放された。

そして、帰りに「これだけ歩けたら、もう大丈夫やな」と夫。
本当に、もう大丈夫だ。

帰ってからも特にぐったりするというわけでもなく、スマホをいじっていろいろ設定して、普通に夕食の準備をした。
メニューは、鱸の塩焼き、小松菜と豚肉の中華風炒め、ゴボウの唐揚げ、サラダ、オクラの和え物、冷奴、味噌汁。
何も凝ったものはないけれど、私はとにかく品数がないとイヤなので、1時間で作れるだけ作る(洗い物も終わらせる)というスタイル。
いろんなものを少しずつ。野菜とたんぱく質中心で。
やっぱりおうちゴハンはいいなぁ・・・
今日は何を食べても美味しく感じる。
それに、ご飯が美味しいと元気になっている気がする。

実は明日、久しぶりに単発の取材を入れていたので、今日のうちに元気になってホッとした。
1クール目の感じで「大丈夫だろう」と思って引き受けていたのだが、5日目の時点ではあまりにしんどいので、「あれ・・・もしかして無理?」と不安になっていたのだ。
普通に動けそうでよかった。

無理をする気持ちは少しもないが、体が動くならできるだけ仕事もしていこうと思っている。
「日常」を過ごすということが、いちばん自分にとって心の負担がないからだ。安心する。
せっかく時間に余裕があるのだから、ゆっくりと時間をかけて、いつもより丁寧に、いい仕事をしていこう。