月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

誕生日には50本のバラを。

2021-05-27 | 生活
昨日は朝早くから京都へ、エステサロンのホームページ制作のため取材に行った。
カメラマンが撮影している間に、エステティシャンとネイリストに話を聞く。
表面的な「美」を追求するのではなく、体の本質的なところを改善し、健康になり、そこから美しくなるという考え方だったので、話がとても興味深かった。
機会があれば、個人的に客として行ってみたいエステサロンだ。
まずは、想いの伝わるホームページを作ってあげたい。がんばろう。

夕方から夫がキッチンでバタバタし始めた。
私の誕生日だが、コロナで外食もできない状況なので、何か準備してくれるという。
ソファでくつろいでいたら、名前を呼ばれ、振り返ると、色とりどりのバラの花が目に飛び込んできた。



「お誕生日おめでとう!」と夫がニコニコしている。
50本のバラの花束!
なんてかわいいんだろう。バラの香りが漂ってきた。
朝摘みたてのバラがクール便で届くというものを申し込んでくれたらしい。
「採れたてやで」と、野菜みたいに言うので笑ってしまった。

渡されて抱えてみると、それは想像よりずっと重く、ずっしりと腕の中で存在を感じさせてくれた。
その重みが、50年の命の重み、尊さのように感じて、涙がじわーっと溢れてきた。
泣いている私を見て、夫は「してやったり!」という笑顔。

花束に添えられているメッセージカードには、「これからもずっとよろしくね。」と書かれてある。
さりげない一言だけど、気持ちのこもった一言。



それから食卓にいろんな料理を運んでくれた。
私には内緒で、高槻にある友人の店でテイクアウトを注文してくれていたという。
キンメダイの煮つけやサーロインステーキまであり、とても豪華な食卓になった。



それから、日本酒とワインも用意してくれていた。
日本酒は、磐城寿の『機関始動』 おりがらみ純米吟醸生酒。



この蔵はもともと福島県浪江町にあり、東日本大震災で津波と原発事故のためにすべてを失った。
山形県で酒造りを再開。
そして、10年経ち、ようやく浪江町で酒造りを復活させたのだ。
その酒がこれだ。

「復活の酒だから、かおりにぴったりやと思って」と夫。
泣かせるじゃないか!

それからワインがすごかった。
私はワインの知識はほぼゼロに近いが、飲むのは大好きなので、いつもエノテカで2000円までで好みのものを10本まとめ買いしている。

この間、としくんとあやと会った時にワインの話になり、「1000円台のワインと、3万円とか5万円とかするワインとでは味がそんなに違うの?」と聞いたら、「違う。3000円だから1000円の3倍美味しいとはならないけど、5万円のワインは全然違う。何倍も違う」という話だった。

あの話を聞いてから、ワインを飲むたびに「一回そんなワイン試してみたいねー」と言っていたのだった。
そうしたら・・・!!



夫はとしくんに聞いて、美味しいワインを選んでくれたという。
特に右端の「オーパスワン」はカルフォルニアの最高級ワイン。
二人が口を揃えて「美味しかった」と言っていたワインだ。
ビンテージも2016は高く評価されている。

ちょっとやりすぎやろ・・・と、人に物を買ってもらうのが苦手な私は、うれしいを超えて恐ろしくなってしまった。
夫は「だって、50歳やで!復活祭やで!」と言うのだが・・・。

結局、オーパスワンは開けなかった。
二人で飲むのはもったいないけど、人にあげるのももったいない。ああ、難しい・・・いつ飲もう。

まあ何にしろ、美味しく、楽しく、幸せな誕生日だった。
いろんな人からお祝いメッセージやプレゼントもいただいた。

今年の誕生日はやっぱり特別。
だって、50年生きられた!!
節目の年齢というだけでなく、私はそのことにとても感動していた。

去年の誕生日は、9クール目でアレルギー反応も出て、もうこの先の治療の手段も見えなくなって、不安で押しつぶされそうになっていた。
口に出して言うと現実になりそうで怖かったので、誰にも言わなかったが、「来年の誕生日は生きているのかな」と、そんなことも思っていた。

だから、50歳の誕生日を元気に迎えるということは、この1年、私の目標だった。
美味しいお酒を飲みながら、ワハハ、ワハハと笑って誕生日を過ごす。
そんな小さいけれど切実な願いが叶ったのだ。嬉しくないはずがない。

年齢を重ねていくと、「誕生日が憂鬱」と言う人がいる。
「おめでとう」と言っても、「ありがとう。でも、年とるから、誕生日なんてあんまり嬉しくないけどね」と言う人もいる。

私は、誕生日が嬉しい。
それは、ガンになる前からずっとだ。
だって、ただ「生まれた日」というだけで、何にもしないのに、いろんな人から「おめでとう」と祝ってもらえるのだから。

なぜ、生まれただけで「おめでとう」なのか。
それは、きっと、「生きて何をしたか」なんて関係なく、すべての人は「生まれたこと」に意味があるからなんだと思う。

何者にもなれない人生だったけど、生まれてきてよかったんだなと、そう自然に思える日。
だから、私は誕生日が好きだ。

これは奇跡を起こす手なんだろうか。

2021-05-21 | 仕事
最近、今後の仕事について、結構真剣に考えていた。お腹が痛くなるくらい考えていた。

今年50歳。
最低でもあと10年(できれば死ぬまで)、書いて稼いで、個人事業主として自立した生活(夫の扶養に入らず、自分で税金や社会保険料を払うということ)を続けるにはどうしたらいいのか。

2年前のガンの再発、そしてこの1年のコロナで、人生は何が起こるかわからないことを実感。
「現場で取材して記事を書く」という極めてアナログな仕事に、一体いつまで需要があるのか。
私はそれが好きだが、それを望む人がいなくなれば、単純に「食えなくなる」。
「数は少なくても、やりたいことだけをやろう」というスタンスなら、そこを追い求めて生きていけばいいが、多少自分の信念を曲げてでも、稼ぐこと、自立することのほうが私にとっては大事なわけで。

気づけば世の中には「WEBライター」と称する人々が溢れていた。
ずっとライターという職業は、大きく分ければ「取材ライター」と「コピーライター」の2つだと思っていたが、今は3つ目のWEBライターがいる。
いろいろ調べていると、WEBライターになるための講座や、検定資格まであるようだ。
クライアントと顔を合わせることなくネット上でのやりとりになるから、そういう資格のようなものが「信用」に結び付くのだろう。
ライティングだけでなく、SEO対策の知識とか、WordPressでの入稿の仕方とか、そういうことも学べる。
全く知らなかった。
私が知らないところで、いろんなことが動いていたんだ。

そんなにWEBライターという人が溢れているなら、仕事はたくさんあるんだろうと、そこもいろいろ調べてみたが、どうしても自分がやりたいと思える案件がない。
まず、「1文字○円」という報酬の金額設定に拒否反応が起きてしまう。
それは「安いから」ではない。
文字単価で自分の文章に値段を付けられることへの嫌悪だ。
なぜなら、先日も古賀氏の本の紹介で書いたが、推敲して一気に何百文字も削除することもあるわけで。
出来上がった原稿は、○円×文字数で計算できるようなものではないのだ。

それに、文字数やSEO対策を意識した文章は、自分が書きたいものとは違うように思う。
それこそ、これから先、AIにとって代わられるようなものも多いんじゃないか。
と考えると、WEBライターという仕事は、「ライター」と付いているだけで、私がやっている職業とはまったく別のものだと考えてもいいように思う。

さっき私は「多少自分の信念を曲げてでも、稼ぐこと、自立することのほうが私にとっては大事なわけで。」と書いていたが、これは「信念を曲げる」とか、そういうレベルの話ではなく、「違う職業に転職する」という話だ。
そう気づいたら、WEBライターの仲間入りをするという選択肢もなくなった。
さあ、困った。

それで、ここのところずっと、これからどうしようか、自分は何がしたいのか、どんなものを書きたいのか、誰とつながって、どんな仕事で世の中に役に立ちたいのか、そんなことを考えていた。
今は幸い、仕事はある。レギュラー案件もある。
だけど、これが来年も、5年後も、10年後もあるかどうかはわからない。
ならばやっぱり今のうちに、10年先までできる仕事をつくっておかなければならないのではないか。

春先に、少し年下のライターさん(数年前に知り合って3回ほど飲みに行った)から連絡があり、「今私がやっている案件のクライアントが、もう少しこのコンテンツを広げたいので、ライターを増やしておきたいと言うので、かおりさんをご紹介していいですか?」と言ってくれた。
仕事の幅が広がることはもちろん嬉しいが、同業者から声がかかるということが何より嬉しかった。
自分が認めているライターでなければ、大事なクライアントに紹介など絶対にしないはずだから。

でもこうやって、「待ち」の態勢でいていいんだろうか、とも思う。
常にいろんなクライアントやデザイナーさんから声がかかって、単発の案件をこなしてきたわけだが、もっと積極的に自分のやりたいことをアピールして仕事を取ってくるくらいのことをしないといけないんじゃないだろうか。
そうしないと、この先、50歳を超えて年を重ねていけば、もうお声もかからなくなってくるかもしれない。
そんなことをまた悶々と考える。

そうしたら、つい先日、また別のライターさんから連絡があった。
日本酒関連の仕事もされている人なので、その共通項でも話すことがあったが、もう何年も会っていない人。
びっくりしたが、「ライターとつながりたい人がいるので紹介したい」と言ってくれる。
「何年もご無沙汰しているのに、なぜ私に?」と尋ねると、「私は『想い』のある人が好きだから。そういう人と一緒に成長発展したいので」と言ってくれた。
その言葉で、やってみようと思えた。ありがたかった。

まだきちんと受注できるような仕事に発展するかはわからないが、彼女の属しているビジネスグループとつながりを持たせてもらえるとのこと。
その中に、地酒の販売をやっている人がいるようなので、その人のビジネスをライティングでお手伝いできるかもしれない。

そういえば私はまだ一度も異業種交流会のようなものに参加したことがない。
もしかしたら、こういうところにこそ、私がやりたい仕事が転がっているんじゃないかと、ハッとした。
自分がこれまでやってきたことは、取材とライティングで、いろんな企業や人のビジネスに役立つこと。
もちろん酒類業界のためになるなら嬉しいが、業界は何だっていいのだ。
書くことで、誰かのビジネス発展のために役立ちたい。やっぱりそれだ。

そこに気づいたら、目の前の霧がさーっと晴れていった。
新しいご縁、新しい仕事、いつも私が一番わくわくすること。
まだどうなるかわからないが、なんとなくうまくいくような、新たな道が拓けるような、そんな予感。

本当に不思議だけど、人生でいつも進むべき道に本気で悩んだ時は、必ずどこからか道を示す手が伸びてくる。
今回もそうだ。
「なぜこの人が?」というところからのお誘いだから、よけいにそう思う。奇跡の予感がする。
人生で何度か起きた奇跡の出会い。
今回もそうであってほしい。私に差し出されたのが、奇跡を起こす手であってほしい。

また3ヶ月生き延びた

2021-05-20 | 癌について
昨日は検査結果がわかる日。
雨だったので、夫の運転する車で行った。

病院の駐車場に車を停めてから、先に昼ごはんを食べようと、駅まで行って駅構内にある飲食店へ。
時間もあまりないし、どこでもよかったので、すぐに入れそうな「つけ麺」の店にした。
つけ麺を食べるなんて、5年ぶりくらいか?
私はつけ麺を人生で3回しか食べたことがないくせに、「ラーメンはあんまり好きじゃないけど、つけ麺は好きなんだよなー」とずっと言っている。
たぶん、人生で初めて食べたつけ麺(出張先の関東にある店で、取材先の人に連れて行ってもらった)がものすごく美味しくて、そのイメージが今も残っているからだろう。
それも15年以上前の話。

人生4度目のつけ麺は、やっぱり美味しかった。
カツオ系のこってりしたつけ汁で、麺は太目でもちもちしていた。
私はカツオ系の出汁が好み。(比較するほど知らんくせに)
次に食べるのは、また5年後くらいだろうか。

病院は13時半の予約だったので、食べ終わるとギリギリだった。
待ち合いスペースのソファで座っている時間は10分もなく、すぐに呼ばれた。

今回はあまり緊張していなかった。
診察室に入ってすぐに、先生の表情や机の上の書類に目をやる。
「悪くない」雰囲気。

「どうですか?体調は?」
「元気いっぱいです。変わりません」
と、いつものやりとり。

血液検査の結果は、これもいつも通りで何の問題もなし。
きれいで健康な血だ。
腫瘍マーカーも何の反応もない。
それでも、ガンはちゃんとあるんだから、不思議だなぁ。

CT画像の説明を聞く。
「結果から言うと、ほぼ変わりなし」とのことでホッとする。
ただ、たくさんあるガン細胞のうち、2~3㎜大きくなっているものもあった。
「これとか・・・これ」と、先生が見せてくれる。
前回と比較してみても、よくわからない程度の差だ。
先生も「まあ、そんな気にするほどでもないでしょう。本当ならもっと大きくなっててもおかしくないのに、思ってた以上にゆっくりですね」と言う。
それから、「何年もこういう状態の人もいますからね。何かする(治療のこと)ほうが悪くなるケースもあるし」と言っていた。

何冊もがんに関する本を読んだが、確かにその中にも「治療をするほうが悪くなる」ケースもあることが書かれていた。
治療すると、ガンが反撃するのだ。ガンにとって「治療」は「攻撃」だから。

もちろん治療して良くなる人もたくさんいるし、治療をやめて亡くなる人もいる。
あくまでも「そんなケースもある」ということ。
ガンの人が100人いたとしたら、1つとして同じガンはないのだ。だって、その人の持っている細胞なんだから。
だから、何が効くかというのも、進行の速度も、人それぞれ。

先生もその「医学的には納得いかないケース」があることは認めつつ、それでもやっぱりそういうケースは「例外」だと考えているようだ。
私もその「例外」の一人で、もちろんガンが進行しないことを願ってくれてはいるけど、「大きくならないのはおかしいなぁ」と何度も首をかしげる。
いつもそれを聞くと、「大きくなってほしいんかいっ!」とツッコミたくなるが、その後に「でも、よかった」と言ってくれるのでツッコまない。

そして、今回も「治療なし」でいくことを了承してくれた。
もう今回は先生のほうから「これならまだ様子見でいけますね」と言ってくれたくらいだ。

次は3ヶ月後の8月18日がCT検査。
また3ヶ月生き延びた!

診察室を出て、夫と顔を見合わせて、「よかったー」と胸をなでおろす。
でも、2~3㎜大きくなっているガンがあるのが気になる。
だって、今は2㎜でセーフだとしても、3ヶ月ごとに2㎜ずつ大きくなっていったら、1年経ったら1㎝くらい大きくなることになる。
やっぱり「現状維持」以上になったらダメだ。小さくならなくてもいいけど、1㎜も大きくならないようにしたい。

食事、運動、睡眠、温浴、瞑想、水素。
これをもっと徹底して、さらに何か追加したほうがいいのかなと夫と話し合った。
前から瞑想の先生に勧められていた「酵素風呂」へ行こうかなとも考えている。
酒量もかなり減ったけど、もう少し減らすか・・・。

まだ課題はいろいろあるけれど、何にしろ、今回も生き延びた。
今年の誕生日は、「痛みのない誕生日」。
たったそれだけのことが、うれしくて。


真夜中の美しい訪問者。

2021-05-18 | 生活
昨晩のことだ。
寝ようと思って部屋の灯りを消したら、横にいた夫が「見て!!」と慌てて叫んでいる。
何だろうかと言われたほうを見ると、畳の上で何やら光っているではないか。

それがあまりにも美しく、光の色が人工的ですらあったので、何なのか把握するのまでに数秒。

……ホタルだ。



いつ、どこから、どのタイミングで、どうやって入ってきたのかはわからないが、ホタルが部屋にいたのだ。
思わず夫と顔を見合わせる。

「ホタルの里」みたいな、ホタルが乱舞するような場所に暮らしている人にとっては、珍しいことではないかもしれないが、大阪に住んでいたらなかなか経験できることじゃない。

ただ、確かに私の住んでいる町にはホタルがいる。
川がきれいで、町で放流をしているのか、6月初旬にはかなりの数のホタルを目にすることができる。
子供の頃から初夏の風物詩として、友達を誘って見に行くこともあった。
今の家は山の中にあり、川どころかたまに溝の中でホタルを見つけることもあるくらいだ。

だから、市内の街中に住んでいたなら「なぜこんなところにホタルが?!」と驚愕ものだが、「どこかから紛れ込んできたんだね」くらいの驚きで済んだ。

しばらくこの突然の訪問者を眺める。
一定の間隔で、お尻の光が点いたり消えたり。

電気をつけて明るい中で見たら、ただの黒い小さな虫だ。
昔、手にホタルを乗せたことがあるので、小さいほうかなと思った。わずか1~2㎝くらい。

だけど、その光りはとても明るい。
先にも書いたように、LEDのイエロー系の光のように人工的にも思える。
それほど強くはっきりとした光だった。(写真参照)

夫と眺めながら、「すごいね」「どこから入ったんやろね」「きれいやね」と言い合う。
真夜中にこんな訪問者、ちょっとファンタジー。

ずっと見ていたかったが、こんなところに間違えて入って、ホタルも動揺しているはず。
いつまでもここにいてもらうわけにもいかず、ティッシュにそっと移動してもらって、窓から放した。
さよなら、ありがとう。ちゃんと仲間のところへ帰ってね。

きれいなものを見せてもらえて、ちょっと得した気分だった。
突然やってきた訪問者の置き土産は、ほっこりあたたかな気持ち。

「びっくりしたね」「おやすみ」と布団に入って目を閉じたけど、随分長い間、目の奥からあの美しい光が消えなかった。

書き手に恋をした。

2021-05-17 | 
週末は庭掃除をしたり、クリーニングに行ったり。
あとはAmazonプライムやネットフリックスを使って数年前のドラマ(話題になったけど見逃した)を見たり、本を読んだり、少し文章を書いたり。

のんびり暮らしているなぁと思う。
仕事もあまりなく、たまっている原稿を書くだけ。
自粛期間なので、夫と外食もしないし、友達と会うこともない。
街へ出かけることも、もちろん旅行もしない。

刺激がなさすぎて、ボケそうだ。

そういえば、ゴールデンウィークに読むと言っていたこの本、実際読んだのだが、想像をはるかに超える素晴らしい本だった。



こんなふうに文章から著者の「熱」みたいなものが伝わってくる本を読んだことがない。
ふと、これが「ライター向けの教科書」だということを忘れてしまうほど、言葉のリズムが心地よくて、まるで好きな音楽でも聴いているかのようだった。
好きな作家の小説みたいに、内容を追う以前に、その言葉にずっと触れていたかった。

そもそもライターとは、からっぽの存在である。
だからこそライターは、取材する。
からっぽの自分を満たすべく、取材する。
自分と同じ場所に立つ読者に代わって、取材する。

ライターとは「取材者」である。
そして取材者にとっての原稿とは、「返事」である。
取材者であるわれわれは、「返事としてのコンテンツ」をつくっている。


ガイダンスの中で一番心に響いた箇所だ。
それからもう1箇所、好きだったのは「推敲」の章。

文章を書くのは、孤独な作業だ。それは、まるで深い海に潜るようなものだ。
でも、その漆黒の深い海の中で、「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれる命綱がある。
その命綱を、古賀氏は「自信」だという。

自分なら大丈夫、自分ならもっと先まで行ける、深淵のなにかに触れられる、という根拠なき自信だけが「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれるのだ。

この感覚が、人生で何度も味わってきたこの感覚が、こんなふうに的確な言葉になって伝わってくると、本当にもう感動でしかなかった。

そして、文章を「書き上げる」とはどういう状態なのか。
その答えを古賀氏はこう表現した。

原稿から「わたし」の跡が消えたときだ。
原稿を構成するすべてが「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときだ。


そうか、そういうことなのかと思った。
私も、時間や労力は一切無視して、恐ろしいほどの時間をかけて推敲する。
何時間もかけて書いた部分を、がっつり削除して、一から書き直すこともある。
でも、どんなに苦労しても、泣きながら削っても、「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときの喜びと充実感は言いようのないほど大きい。

あの感覚を味わいたくて、ライターをやっているのかもしれないと思うほどだ。

それから、面白かったというか、古賀氏と同じ感覚なのかなと思って嬉しかったことがある。
私は昔から「文章を書くのが速い人」のことを説明する時、藤子不二雄の「まんが道」の中にある手塚治虫が驚異的なスピードで描けるのはなぜか、ということを引用して話すことが多かった。
それは圧倒的な「自信」の差なんだと、「まんが道」の中で描かれている。
迷っていると線がまっすぐに引けない。自信があると、まっすぐに線が引ける。だから速いのだ、と。
文章を書くこともそれと同じで、取材内容や自分の書きたいと思うことに自信を持っていればおのずとスピードが上がる。
取材内容が乏しく、構成がうまくいかず、これでいいんだろうかと迷っていれば筆は進まない。

この話、夫や他の人にもしたことがあったし、確かブログにも過去に書いたことがあると思う。
なんと、その全く同じ漫画のページが、古賀氏のこの本の中にも紹介されていたのだ!!

見た瞬間、ああーー!っと嬉しさで声が出た。
「共感」が好きな私。
自分と同じ感覚を見て、とにかくうれしく、興奮してしまった。

この本を読んでから、私は古賀氏に夢中で、まるで恋でもしているみたい。
何度も何度も、好きな箇所を読みたくて、この本を開いてしまう。
「熱」がぐんぐんと私の中に迫る。それが心地よすぎる。

今日はこの本についての古賀氏のインタビュー記事も見つけた。
https://diamond.jp/articles/-/270553

https://diamond.jp/articles/-/270609

https://diamond.jp/articles/-/270620


https://diamond.jp/articles/-/270629

実は、古賀氏はこの「教科書」を使って、ライターの学校を開校するという。
https://college.batons.jp/

行きたくてたまらないし、応募条件に年齢制限はない。
だけど、「できれば若いライターを育てたい」という意味のことが書かれてあったし、こんな50歳のおばちゃんライターが今更行ってもなぁ・・・と思い、断念。
あと20歳若かったら、絶対応募していたんだけど・・・。

ただ、できることなら古賀氏に感謝の気持ちを伝えたい。
こんな素晴らしい本を作ってくださって、ありがとうございました、と。

取材して、書いて、推敲する。
このライターという仕事に、改めて誇りを持つことができたから。

帯に「この一冊だけでいい。」とあるが、私のライターの教科書は、本当にこれだけでいい。