月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

限りなくゼロに近い副作用

2020-03-31 | 癌について
日曜に退院。
いつものように夫が迎えに来てくれて、「おつとめご苦労さんです」と芝居がかって言う。
私も「シャバの空気はうめえな」とか言いながら車に乗り込む。(関西人がやりがちなミニコント)

昼から晴れるとの予報だったので、食べ物を少し買って、川べりの桜でも見に行こうということになった。
屋外かつ人もいないので安心だ。
最近ハマっている近くのコッペパン屋さんに並び、4個購入。スーパーにも寄って食材を買い込んだ。
しかし行ってみれば、曇ってきて風も吹き寒いので、コッペパンを食べるとすぐに退散。桜も満開にはまだ少し早かった。
曇天をバックの桜はなんだか寒そうだ。


帰宅してからもバタバタと入院の荷物を片付け、夕食を用意し、モリモリ食べた。
体に良さそうな食材と宅配の有機野菜で作るからいつも代わり映えしないけど、病院食と違ってうまい。
なんぼでも食べられる。
今冬は鰤が豊漁だったんだろうなぁ、とにかくいつスーパーに行ってもおいしそうな鰤が並んでいて、ずいぶんお世話になった。
この日の「ぶりトロ」のお造りも最高!


食器の後片付けもして、自分でお風呂も洗って湯を張り、入って寝た。
抗がん剤投与7クール目の退院日とは思えないほど元気だった。

月曜の朝もほぼ副作用なし。
仕事でもしようと思い、WEB記事の原稿を1本書いた。
さすがに取材に行ったりややこしい記事を書くパワーはないが、これくらいなら問題なし。
こういう時、自宅だけで完結できる案件もいくつか手放さずに持っていてよかったなと思う。
東京のWEBマーケティング&広告の会社で、もう12、3年のお付き合い。会議などはすべてWEBで行う。
案件がどれも大手メーカーのものなので、個人情報管理やこちらの作業環境の徹底が厳しいのだけが面倒だけど、それを差し引いても大事にしておきたいクライアントだ。
この日も1時間半くらいでちょこちょこっと書いて、とりあえず9000円。今日の稼ぎだ、ありがたい。

夫が在宅勤務なので、昼ご飯、夜ご飯も用意し、洗濯もした。
やっぱり元気だなぁ。普通に主婦がやっていることは全部自分でできた。

火曜の朝もほぼ副作用なし。
昼ご飯にお好み焼きを作って食べた。夫は午後からどうしても行かないといけないと、会社へ行ってしまった。コロナが怖いのでできれば出社してほしくないのだけど。

少しだけ下腹部がうずくので横になってみたが、うずく感じは変わらない。
今日は料理もあまりせずにゆっくりしようと決めて、YouTubeで「中川家」チャンネルのコントを見て爆笑していた。
最近、中川家にはずいぶん助けられている。「笑い」って本当に大事だ。笑っているうちに気分もよくなった。
志村けんさんの訃報には、ただただ心が痛む。
私の世代は「8時だよ!全員集合」がドンピシャで、子供時代にドリフのお世話になっているからなぁ・・・。
こんな形で日本の誇るコメディアンを失ったことは、とてもせつない。
世の中のコロナに対する空気がぐっと変わった、とも思う。

夕方、サイモントン療法のCDを聴きながら瞑想し、夜は水素を吸入しながら本を読んでいた。
22時に就寝。
特に痛みやしんどさもなく、辛いことは一切なく、今日も終わるなぁと思った。
もちろん、胃の違和感や関節痛、倦怠感のようなものはゼロではないのだけど、限りなくゼロに近い。
7クール目が一番副作用が軽いなんて・・・本当に不思議だ。
水曜からぼちぼち仕事も始めよう。

抗がん剤治療7クール目

2020-03-28 | 癌について
【入院1日目】

入院前日は手が痛くなるほど掃除をし、冷蔵庫の野菜などもだいたい片付け、仕事はもちろん終わらせていたのでメールチェック程度で、心穏やかなまま病院へ行くことができた。

採血の結果、好中球数が1000以上あればいいのだが、1900以上あったので特に問題なし。スムーズに入院ができた。
いつもなら仕事を持ち込んでいるので、早く薬剤師さんや看護師さんからの説明を終わらせて、病院内の落ち着ける待ち合いスペースまで出かけて仕事をする。でも、今回は仕事もないのでそんな必要もなく、友達からのLINEを返したり、ベッドで本を読んだりとのんびりしていた。
すると、いつも放置時間が長いのに、クレームでもあって改善したのか、今回はびっくりするほど来てくれるのが早い。
イライラすることなくやりとりを終え、出かける必要がないのでシャワーも早めに済ませ、14時半にはすっかり病人スタイルでベッドの上にいた。

中野が持ってきてくれた本『本のエンドロール(著:安藤祐介)』がとても面白い。どんどん読み進めた。
しかし、特に薬も入れていないのに、いつも入院当日はとても眠くなる。安心したのか、疲れが出るのか・・・
この日も時々うとうとして、22時には就寝。

【入院2日目】

朝5時半に起きて瞑想。
8時までまた読書。朝ごはんを食べながら朝ドラを見る。「武志、死なないでくれ」と祈る。
毎朝、自分と重ね合わせてしまって涙がにじみ出る。

10時半頃に恐怖の点滴ルートとり!
今回も若い男性の先生(研修医?)だったので一瞬身構えたが、慣れというのはわかるもの。
自信が感じられたので安心して腕を出すことができた。
思った通り、一発で入った!痛みも全くなし!
だんだん先生の雰囲気だけで上手いかどうかわかるようになってきたなぁ・・・
(下手な先生は不安が伝わってくる)

11時過ぎから点滴が始まり、そのまま昼ご飯。
この病院は時々びっくりするようなものが出てくるのだが、この日は「牛丼」だった・・・
完食して、点滴につながれたままうとうとしていると、1時になって母と姉がやってきた。
そこからまた例のごとく怒涛のおしゃべりだ。
少し前に高松にいる叔父さん(父の弟)のお葬式があったのだが、私は体調やコロナのことがあったので父に「来なくていい」と言われ、葬儀には参列できなかった。
父の本家を継いだ叔父さんなので、子どもの頃からおばあちゃんのところへ遊びに行くと自然に叔父さんとも顔を合わせることになり、父の兄弟の中でも一番親しみのある叔父さんだった。
気さくで優しく、話も面白かった。
最期くらい手を合わせたかったが、「年寄ばっかりだから来るな」と言われ、それもそうだと辞退した。

で、その時の面白い話(叔父さんの葬儀自体は涙涙だったのだが・・・)がたくさんあると姉が当日からLINEをくれていて、昨日は当然その話が中心になった。
「めっちゃ面白いことあってん!!忘れないようにメモってるから!」とスマホのメモを見ながら話す。
私の親戚(従妹)はとにかく変人ばかりなので、その人たちの話を面白おかしく、身振り手振りやモノマネも入れながら姉が語る。落語だな、あれは・・・。
私も母もお腹を抱えて笑い、病室はずっと明るかった。
「こんな笑ってる病室、他にあるんやろか」と姉が言い、私が「たぶんここだけでしょ」と答えた。
きっとそうだ。
ガンになってよかったことの1つだ。家族の愛情を改めて感じることができていること。
姉が特別なお守りをゲットしたと、それもくれた。(この件についてはまた別記事で)

16時半には点滴はすべて終了。
アレルギー反応も起きず、無事に終わったことが何より。
17時半頃に「そろそろ帰ろうか・・・」と用意し始め、18時前に病室を出た。
18時から夜ご飯。これも完食。
もんちゃんから送られてきた「黒ニンニク」もこっそり食べた。甘くておいしい。

いつも母と姉が帰るとぐったりしているのだが、今回はそうでもなかった。
入院前からのんびりしていたことや、今回から少しだけ薬を減らしたこともあるのかもしれない。
それでも、19時半には眠くなり、本を読んでいる間に寝てしまった。
21時過ぎに目が覚め、慌てて顔を洗って寝る用意をして、22時には就寝。
今日もいい一日だったなと思いながら。

【入院3日目】

今朝も元気だ。6時に起床。
本を読んだりしていたら、もう8時で朝食。スカーレットの最終回を観る。
途中、「えっ!」と声を上げた。
あっけなく武志が死んだ。
朝ドラで子供が病気で死ぬのはあかんと思う・・・
なんだかがっくりしながら朝食を食べ終えた。スカーレットが終わるやいなや、姉からLINE。
「あっけなかった!」
ほんまそうやねと返した。
あっけないという感想をもつほど、武志の死は悲痛なシーンは一切なく、むしろ希望さえ感じさせるような終わりだった。
この悲しみもすべて陶芸に向ける喜美子の、そして八郎の姿があった。
女性という「性」も、子どもの「母」としての存在も超えた、1人の「芸術家」をテーマとして描きたかったのかもしれないけれど、やっぱりハッピーエンドがよかったな・・・
ただ、もう一つのテーマとして感じられた「作品は残る」ということ。人が死んでも作品は残り、その作品に元気づけられたり、日々の慰めになったり、影響を受けてその道に進んだり、生きる目標になったり・・・、そこに込められた「想い」は続いてゆく。
それに関しては共感する。
特にガンが再発してからは、それを前以上に意識するようになった。
だからこそ、少しでも多くの物を書いていきたいと思うのだけど。

午前中にシャワーを浴びて化粧をしたら、シャキッとした。
午後からは夫が来てくれたので、院内のドトールへ行き、こっそりワッフルを食べた。
病院食はとにかくお腹が減るのだ。
その後は病室でいろいろしゃべり、夕食が来る18時に帰っていった。
お腹はすいているのだけど、病院食を見るとげんなりする・・・。
抗がん剤の後は少し舌が痺れていて、味の濃いものが食べたくなるのだ。薄味の病院食は味を感じにくく、食が進まない。
それでもお腹の減りには負けて、完食するんだけど・・・(完食かいっ!)

食後に、『本のエンドロール』を読み終えた。よかった。
いい本に出合えたと思った。なかのに感謝。
感想については追々書ければいいな。今年はもう少し読書感想なども書いていきたいものだ。

入院にもすっかり慣れて、看護師さんが来る時間帯もわかったので、最近はこっそりパソコンでこれを書いている。
やはりスマホで書くより断然早いし、まとまりやすい。
明日は退院だ。
副作用はきっと軽い。ほとんどない。そう信じることができる。

まだ20時半だけど眠いので寝よう。
今日もすべてのことに感謝して。



この3ヶ月の心の変化について

2020-03-25 | 想い
1週間の取材ラッシュが無事に終わり、月曜には7社分の原稿も書き終えた。
酒蔵の原稿だけ1本残してしまったが、これはまだ締切まで間があるので大丈夫。
とりあえず今回は追われることなく入院ができそうだ。これが一番大事。

気持ちが落ち着いてきて、ようやく入院が楽しみになってきた。
今回はどれくらい副作用を抑えられるだろうかとか、最近読書量が少なかったので本をたくさん読もうとか、姉がお見舞いに来てどんなネタを持ってきてくれるだろうかとか、いろいろ思う。

3クール目からそうなのだが、「嫌だ嫌だ」と思っていると抗がん剤は効かないし副作用も強くなると思っているので、楽しみにするようにしている。
でも、無理に「楽しもう!」と思ってもダメ。自分をごまかしてもダメ。
本気でそう思わないといけないので、この境地に達するにはかなり精神状態がよくないと難しい。

そういう時に役立つのが瞑想だ。
この間の検査結果が出てから毎朝「10分瞑想」をやっている。
最近は10分なんて一瞬に感じてしまうのでもう少し長くやってもいいのだが、とにかく「続けること」を優先したので、まずは10分にした。これなら取材がある日など、多少忙しい朝でもできるので。

アメリカでも流行しているという「マインドフルネス瞑想」。Googleなど大企業でも社員のために取り入れていると聞く。
私も朝の10分瞑想を始めてから、かなり仕事の効率が上がっている。
ここ数年、「集中力がない」「頭の回転が鈍くなった」「書くのが遅くなった」という悩みを抱いていたが、それがほぼ解決。
まるで20代の時のように集中して原稿を書ける。
今回、7社分の原稿も予定通りに書き上げることができたので、こうやって余裕を持って入院ができるわけだ。
集中力の低下に悩んでいる人には瞑想をおすすめしたい。

昨日は高濃度ビタミンC点滴を受けに行き、ベッドで寝ながらいろいろと考えていた。
この半年の治療でガンは6割程度の大きさになり、それは本当にうれしいことだけど、逆に「なぜ6割残ったんだろう?」と。私はゼロにするはずだったのに。
考えてみると、治療に専念できたのは半年ではなく3クール目からだったように思う。
ただ、3クール目の後に心をかき乱されることがあり、もっと細かく言えば本当の意味で落ち着いて治療ができたのは4クール目からだった。
11月の自分と3月の自分では、心の持ちように大きな開きがある。
少なくとも今の自分はもう再発を告げられる前の自分ではない。もっと進化している。
でも6割残ったということは、何かまだ足りないものがあるのだろうな。それは治療法という意味でも薬の量でもなくて。
ガンからのメッセージを読み解けていない部分があり、これがテストだとしたら私の点数は40点だったということだ。

とはいえ、昨日より今日、今日より明日と、日々進化していることは間違いなく、私が抱いていた心の重荷もそれに伴って軽くなっていっていることを感じられる。
それと同時に、感受性もどんどん強まっていて、最近はちょっとしたことですぐに涙ぐむ。
家族や友達の優しさが沁みて。

この半年まったく知らなかったのだが、姉はもう15以上の寺や神社に行き、私のことを祈ってくれているらしい。
姉はもともと御朱印を集めるのが趣味ということもあるのだけど、やはりそういうのを聞くと(仲の悪い姉妹だけに)目の奥が熱くなる。
昨日はまた友達が「入院中に読んで」と本を持ってきてポストに入れてくれていた。
そんな特別なことでなくても、いろんな人がちょこっとくれるLINEなどもとても嬉しくて、毎日力になっている。

仕事仲間も体調を気遣ってくれる。
4月にもまた1件だけ、酒蔵へ取材に行けることになった。
私の入院予定を見てスケジュールを組み、できるだけ近場の蔵でセッティングしてくれた。
本当にありがたい。

実は、日本酒関連の雑誌の4月号がもうすぐ校了になるのだが、6年以上やってきて初めて私の記事が1本も掲載されない。
毎年、1月号と4月号分は秋から2月くらいにかけてまとめて取材するのだが、私はこの期間がちょうど治療中で、1本しか取材をさせてもらえなかったからだ。
この1本は1月号に掲載された。
そして、先日取材した分は7月号に、4月に取材する1本は10月号に掲載される。

1本も掲載されない号ができてしまったのは残念だが、それでもたいして気になっていない。
スタッフ共有フォルダの工程表を覗いてみた時、担当者欄に1つも自分の名前がなく、代わりに新しいライターの名前が並んでいたのを見た時も特になんとも思わなかった。むしろ、「わー、大変そうやなぁ。3蔵もある!大丈夫かなぁ」と同情した。
それから、ふと「なんとも思わない自分」に気づき、結構びっくりした。
半年前・・・いや、11月の私はまだ病気という理由で取材の主力メンバーから外されることに納得がいっていなかったし、そのことで気持ちが落ちていくばかりだった。新しいライターさんが代わりに頑張ってくれていることも、ありがたいと思うより悔しい気持ちのほうが大きかった。
なんで?なんで?なんで?と、関わるいろんな人たちにいろんな疑問を持っていて、ぶつけることもできずにモヤモヤしていた。
私が6年もかけて守ってきたものを簡単に乗っ取られるようなそんな気持ちだった。
力がなくて外されるのなら仕方がないけれど、病気だからというこんな理不尽な理由で渡してなるものか!!と戦闘態勢でいた。
夫が「かおりの代わりに頑張ってくれているんやから、感謝せなあかん」と言う意味も全く理解できなかった。
「私は元気だし、取材もできるねん!それをやらせてくれへんだけやんか!なんでなん?なんでなん?」とわーわー言って泣いていた。
何をしていてもそのことしか考えられなかった。取り返そうとして必死だった。何度もクライアントに直訴した。
自分が大事に育ててきたものを横取りされたような気分で、子どもみたいに暴れまくっていた。
私の宝物を取り上げた(としか思えなかった)クライアントもスタッフも新ライターもみんなを恨むことしかできなかった。
今思えば完全な逆恨みだ。

でも、執着を捨てた。捨てられるようになった。手放した。
そうしたら一気に世界が変わって見えた。心が急に楽になった。
楽になると、いろんなことが良い方向に動き出した。すべてはつながっているんだと思った。

あんなに自信がなく、自分の存在意義を奪われるようで怯えていたのに、今は自分がちゃんと書けることを知っているから、掲載本数が少なくても気にならない。
雑誌を発行し続けなければならない人たちの立場も、ようやくわかるようになった。ようやくそこに心を遣えるようになった。
クライアントもデスクも、ちゃんと「私」に書いてほしいと思っていることも、信じられるようになった。
ただただ体調を案じ、全快を祈ってくれていることも。
だから、今は本当に心が穏やかだ。
来週、最終の校正があるので、「何かお役に立てたら」と自分から手伝うと言えたのも、すごい進歩だ。
11月頃の自分だったら、こんな穏やかな気持ちで「掲載ゼロ」の号に関われないし、発行も楽しみに待てなかっただろうなと思う。

7月号以降も、私が望んでいた通り「1号につき1蔵」でやらせてもらえているのでありがたい。
一度手放してみると、むしろこれくらいのペースがいいなぁと心から思える。
その1本がキラリと輝いていれば、それでいいのだ。
そういうものをこれからも書いていく。

さあ、今日は午後から家中を大掃除する。
きれいにして、明るい気持ちで明日から入院しよう。
帰ってきたら、お花見だな。

キャンプの話 ~田の浦野営場(香川県)

2020-03-22 | キャンプ
三連休は天気がいいのでキャンプに行くことにした。
ただ、探しても探しても空いているキャンプ場がない。「ここなら・・・」という穴場ですら埋まっている。
原因は三連休や天気の良さによるものだけではない。この1、2年のキャンプブームに加え、「新型コロナはキャンプ場なら大丈夫」というよくわからない噂が立ったせいだろう。
結局、「予約不要」「無料」のキャンプ場を探すしかなくなった。

数時間のリサーチ(仕事もほっぽり出して!)の上、私が選んだのは香川県の「田の浦野営場」。
「キャンプ場」でなく「野営場」となっているのが不安をあおるが、昨年GWの四国一周キャンプで、「四国の無料キャンプ場はいいところが多い」ということを実感していたので、それほど心配はしていなかった。
ただ、夫に「ここにしよう」と言うと、よく調べもせずに「そんなところ、近所のローラースケート場と変わらんやろ!」と言う。
当然怒った。そんな偉そうなことを言うのなら、自分で探してみろ!と。私がこれに何時間かけたと思ってるんや!(仕事もほっぽり出して!)

私が不機嫌になったので、夫も折れて野営場を目指して出発!
天気が良くて、良すぎて、車で走っているだけでも幸せな気持ちになる。
流れてくるのは心地よいブルース。この間、CDの整理をしていて20年ぶりくらいに見つけたパイントップ・パーキンスだ。
CDケースだけあって、中身がなくなっていた。何年も探しても探しても見つからなかったのに、見つかった。
ビートルズのファーストアルバムの中から出てきたのだった。(ということは、このアルバムも20年聴いていないのだな)
何年探しても見つからなかったものがふいに見つかるというのは不思議な気分だった。

淡路島を走り抜け、野営場にたどり着くと、たくさんの車が停まっていた。
なんと、こんなところまで人が押し寄せていたのだ。
それでも広い場所なのでテントは余裕で張れた。



そうだ。書こうと思ってまだ書けていなかったが、今年はついにキャンプ用の「薪ストーブ」を買ったのだ。
(写真左の黒い物体)
北海道の製作所で注文して取り寄せた。
これがもう最高で・・・!暖かいし、調理もできるし、本当に買ってよかった。

例えばこんなこともできる。アヒージョをぐつぐつさせながら、横でパンを焼く。


海が近いので、スーパーで地元産の魚がいっぱい売っているのもよかった。
まだ動いているシラサエビ、シタビラメ、天然鯛のお造りなどを買って食べたが、どれも信じられないくらい旨かった。
特にエビは普段食べている「エビの風味」って、実は「臭み」だったのだと気づかされるほど、ただひたすらに純粋なエビの甘みを感じられるものだった。

そして、テントから1分で海!




泳ぐにはまだ早いが、水がきれいで、こんな海なら泳いでみたいと思ったほどだった。(←カナヅチ)

ロケーションも食材も最高!
「野営場」なんてとバカにしていた夫も私に謝ってきた。そして、「ここめっちゃいいやん!一番好きかも!」とまで言い出す始末・・・。
「私の検索力、なめんなよ!!」と言い放つ私。
たぶん私は普通の人の何倍かの検索力がある。良い店、良い宿、良いキャンプ場、何でも検索してほぼハズレなし。

今回は場所だけでなく天気と気温までしっかり調べ、電源なしでも一晩過ごせることまで確認していた。
多少は寒かったが、なんとかシュラフとカイロだけで乗り切った。
やっぱり瀬戸内は気候が温暖でいいなぁ。

予約不要で無料なのでチェックアウト時間もない。
翌日は夕方5時前に撤収して帰った。帰りにまたスーパーで魚とエビを買い込み、さらに近くの三谷製糖で和三盆のお菓子を買った。
うちの実家へのお土産だ。
香川県出身の母が昔よく「大阪に来て初めてエビを買った時、腐ってると思ったわ」と言っていたことを思い出したからだ。
臭みのない、昔食べていたエビを食べさせてあげたくて。
実家に寄ってお土産を渡すととても喜んでくれた。よかった。病気で心配かけているぶん、少しでも親孝行せねば。

久しぶりのキャンプでとても楽しかったが、この2週間ほど仕事がハードで疲労していたうえに、普段浴びない日光を2日浴び続け、夜は震えながら眠り、いつもよりアルコールもたくさん飲み、あまり得意でないドライブを往復6時間して、体が悲鳴を上げてしまった。
帰宅するとお風呂に入るのがやっとで、刺身と豆腐をちょっと食べたらコトンと寝た。
翌朝も体中が痛くて動くのが辛かった。

それでも、まだ食べたくて買って帰ったエビを素揚げにし、シタビラメをムニエルにしてお昼ご飯。


1日経ってもまだ美味しかった。
地元のスーパーで美味しいものに出会えるのも、キャンプ旅の魅力だな。

強く、強く!!

2020-03-18 | 癌について
「私よりあなたのほうがコロナにかかったら大変だから」と、この時期にお金を積んでも買えない貴重なマスクを持ってきてくれたり、郵送で送ってくれたりする友あり。
今が戦時中だったら、この人たちはきっとわずかな食べ物も私に分けてくれるんだろうなと、そんなことを思う。

「何か免疫力アップになるものを」と、私が欲しがっていた「黒ニンニク」を探しに行って送ってくれる友あり。
自分の母親にまで「親友のがん治療がうまくいっている」と喜びを伝えてくれる友あり。
自分の家族にも大変なことが起きていたのに、そんなことは微塵も触れず、私の報告をただただ喜んでくれた友あり。

親友たちの優しさに触れるたびに、また少し強くなれる気がする。

とにかく、なんにしろ、身近な人たちがみんな私の良い結果を喜んでくれた。
絶対にあと3ヶ月で完全復活を果たそうと思う。
気持ちを強く、強く持たなければ。

昨日初めてフジテレビの笠井アナのブログを読んだ。悪性リンパ腫の闘病中のことが綴られている。
24時間×5日間連続の抗がん剤投与を2週間おきにやっているというのを読んで、気が遠くなるような寒気がした。
私とは投与の薬も違うので比べることはできないが、それでもあれを24時間×5日間!!と思うと、自分なんてたいしたことないな、弱音を吐いてはいけないなと思った。6時間の投与を1日だけ、4~5週間おきだもの。

正直に言えば、9クール(2016年の3クールも入れれば12クール)というのはあまり聞いたことがなく、少し怖かった。
再発して1クール目を受けると決まった時のような不安がよみがえってきた。

先週土曜日、セカンドドクターのところへ行って、話を聞いてもらった。
今の不安を話すと、先生は言った。
「今のSさんは、1クール目の時のSさんとは違うはず。同じ状況のように思えるかもしれないけど、もっと高い位置にいる」と、紙にぐるぐると螺旋を描いた。
そして、「治療を受けると決めたのなら、それまでに不安を払拭して準備をしなければ」と。
その方法として、「不安を書き出す」「瞑想」などを挙げてくれた。

そして、いつものように高濃度ビタミンC点滴。
看護師さんが「良い結果でよかったね。いろんなことやっていて、本当にえらいわ」と言ってくれた。
でも、右腕の一番いい血管はそろそろ使えなくなる。採血と点滴とCTの造影剤に使っていた血管だ。「だいぶん硬くなってる」と言われた。あと3ヶ月、もつといいのだけど。
左腕は抗がん剤用にとってあるが、それも一番いい血管はもうダメで、毎回ルートをとるのに苦労する。
腕でとれなくなったら手の甲になるらしいが、これがとても痛いというので、なんとかそれだけは避けたい。
血管が何度も使っていると使えなくなるなんて、そんなことも知らずに生きてきた。

点滴しながらぼんやりとそんなことを考えていた。
木曜・金曜と朝から夕方までのハードな取材で体が疲れ切っていて、気づいたら眠っていた。一瞬で1時間半の点滴が終わった。

昼ご飯を挟んで、午後からは瞑想。
瞑想の先生が「よかったね」と結果を喜んでくれた。
この日は、蝋燭で「火を見る瞑想」と、コップの水で「水を見る瞑想」をやった。
帰りに残った蝋燭とおいしいお茶をくれた。

まだ不安は払拭されていないことに気づいている。
朝から夕方まで毎日取材に行って、10000歩以上も歩いて帰ってくると、いつもぐったりして23時には眠気が襲ってくる。
「体が弱っているのかもしれない」と急に不安になる。
でも、しばらく考えて思い直す。もしかしたら(わからないけど)、普通の人でも1日中働いて10000歩以上歩いたら、23時に眠くなるんじゃないか?
ずっと自分が健康すぎて、元気すぎて、人の何倍も働けたから、基準がまったくわからない。
体が弱っているのか、普通なのか。

何にしろ、そんなことにも不安を感じるということがダメなのだ。
あと1週間でこの不安を払拭し、前のように良い状態で治療を受けたい。
月曜日までに仕事を終わらせて、ちゃんと時間をとって強い気持ちを作ろうと思う。
やっぱり仕事に追われていると余裕がなくなるなぁ・・・