月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

真夏のキリギリス

2012-07-31 | 生活
先週末はシンガポールから一時帰国中の「姫」と「ひな」が泊まりに来た。
土曜の夕方にうちの実家の両親と一緒にやってきて、みんなで私の作ったご飯を食べた。
両親が帰った後、姫とひなは泊まって、翌朝もずーっとおしゃべりして、近くにランチに行き、結局夕方までずっと一緒にいた。

この件についてはいろいろと思うことがあり、書きたいこともたくさんある。
だけど今日はちょっと時間がないので、またにしよう。

しかし、この2日間は、もしかしたら人生で姫と一番仲良くできた日だったかもしれない。
一度もケンカしなかったし、いろんな話ができた。
お互い歳をとったということか?
私にとったら奇跡のような時間だった。

まあ、この件はまたの機会に。
私もまだ心の整理がつかない。

それにしても、毎日ヒマだ。
去年もそうだったけど、7月後半から8月半ばまでは本当に仕事がない。
ポツリ、ポツリだ。

そんなことを言っていてもまたどうせそのうち忙しくなるのだし、気にしないようにしようと思っているのだが、やっぱり情緒不安定になってきた
カードの明細書が来ていて、「しばらく封を開けない」という現実逃避をやってみたが、どうしたって現実からは逃れられるはずもなく、2日寝かせて今朝見てみた。

並んだ数字を見て、急に怖くなる。
でも、いろいろ計算するほうがもっと怖いので、そっとしまっておいた。
(やはり現実逃避)

さっき歯磨きしながら「やっぱり節約だな・・・。うん。そうだ、節約しよう!」と決意。
稼げるときは使いまくり、稼げなくなると急に節約と言い出す私
キリギリスは真夏なのに死にそうです・・・

美容院行きたいけど・・・ダメだ、今は無理だ。ボサボサ・白髪でも仕方がない。
服も買いたいけど・・・もういい、いつも同じ格好で構わない。

節約だ!

と言いつつ、お盆休みは北海道への旅行が決定した。
最初は信州のマルス蒸留所に行く予定で、2日間もかけて計画を立てたのに、夫が却下。
仕方なく、また2日間もかけて北海道へ安く行けるよう計画を立てた。
移動時間から泊まるところ、食べるものまで細かく決めた。
夜、帰宅した夫にプレゼンしたら、「すごい!旅行会社の人みたい!」と大喜び。

美味しいお店を探すのと同じで、私はいい宿を探すのも得意だ。
また、大学時代からあちこち旅をしてきたので、なんというか、旅のツボみたいなのを心得ている。
マメな性格も手伝って、いつもカンペキな旅のシナリオを作る。
好きなんやなぁ、こういうことが。

今回の北海道は、ニッカの余市蒸留所がメインだ。
私と夫のライフワークである「酒造りを訪ねる旅」の一つとなる。

余市蒸留所以外にも、余市ワイナリー、小樽ビール、北の誉酒造を巡る。
それから富良野へ足を延ばして、最後は札幌で美味しいものを食べて帰って来る予定。
3泊4日の旅だ。

私がお金がないから信州にしようとしていたのに、北海道がいいと夫が言い出したので、
「私は貧乏だから5万円しかないよ・・・」と泣きついたら、5万円以上かかった分は家計から出していいという許可が出た
(夫は全額自分のお金で行く)

北海道は久しぶりだ。
6年ぶりかなぁ。
最初に行ったのは大学4回生の9月(夏休み)で、もんちゃんと2週間くらいかけて主なところはほとんどまわった。
そうそう、貧乏旅行でなんと電車で北海道まで行ったんだった!
最後は網走刑務所まで行ったもんなぁ・・・若い時は体力あった!

前半の摩周湖でもんちゃんとケンカして(笑)気まずくなったけど、後半があまりにもサバイバルだったのでケンカしたことも気にならなくなった。
サウナを泊まり歩いたりして楽しかったなぁ・・・

その後は、2回、仕事で取材に行ったついでにぶらぶらして帰って来た。
今回で4回目の北海道。
美味しいものが多いし、自然は豊かだし、何度行っても楽しいところだ。
それに、念願の余市蒸留所にも行けるので嬉しい。

しかし、節約と言いながら北海道

そうして、キリギリスは寒い冬がやってくることも考えず、夏の間じゅう遊び続けましたとさ。


人との付き合い方

2012-07-30 | 生活
今月はいい感じでブログも更新できていたが、先週末はバタバタして途切れてしまった。

木曜は、あやと会った。
ふみこの家がリフォームしたので今度お披露目会に行く。その時に渡すお祝いを買いに行った。
あまり人と一緒に買い物しないので、なんだか楽しかったなぁ

そして、その後はもちろん飲んだ
目をつけていた、お初天神にあるワイン居酒屋「ブラッスリーランコン」。
昨年オープンしたばかりのようであまり情報もなかったので(クチコミなど)、どうかなぁと思ったのだが、やはり私の「美味しいものアンテナ」は性能が良い!
気取ったところのない、まさに「ワイン居酒屋」。バー使いもできそう。
ソムリエのオーナーがまた気さくで感じが良くて
お料理も美味しいし、ワインの種類もめっちゃ多いしで、非常に居心地良いお店だった。

まずはビール。
エビスの生だけでなく、エルディンガー・ヴァイスビアというドイツの生ビールがあって(大阪では生を出すのはここだけらしい)、あやもおすすめだったので飲んでみた。


美味しい~!

お料理も手頃な値段で心惹かれるものがいろいろある。
とりあえず、オイルサーディンのカナッペを。
これが予想以上のうまさ!


それから、豆とソーセージの煮込み。
いいねぇ、なんか(行ったことないけど)フランスの居酒屋メニューって感じで。


ホロホロ鶏のフリカッセ。
ホロホロ鶏ときのこをクリーム煮込みにしてある。
こちらはバゲットももらって、ソースもしっかりつけて食べた。


それから、食べたかったキッシュ。
2個で700円だから、オトクな感じ!
アツアツで美味しかった~


ワインは、まずは白をグラスで注文した後、赤のボトルを開けた。
本当に種類が多くて何を頼んだらいいのかわからないので、とりあえずは値段で候補を絞った。
安いもので3000円台。高いと何万円もする。
もちろん、私たちは3000円~4000円台前半を狙った。
あやが「これが気になる」というので、注文。
ソムリエのオーナーに聞くと、オーナーもこの値段ではオススメとのこと。
1996年と年代は古いけれど、熟成感というよりフレッシュな味わいがあって非常に美味しかった。


盛り上がりすぎて、最後にもう1杯ずつ赤ワインを注文。
料理もワインも美味しいし、あっと言う間の4時間半。
話題は、原発やいじめなどの社会問題から、夫や友達のこと、私の仕事のこと、あやがドイツやベルギーに滞在していたときのことなどなど、とにかく話は尽きなかった。
あと3日間くらいはしゃべり続けられそうだった。
彼女は本当にいろんなことを考えている。
そして、その考えを正確に言葉にして話し、相手の意見を聞き、また考えを深めるという能力に長けている。
普段からいろんなことを「考えている」ということの大切さをしみじみと感じた時間だった。
また、そういった考えを交換できる友がいるということは本当に貴重なことで、身震いするほど嬉しかった。

「どうしてかおりちゃんと友達になったんだっけ?」とあやが聞いた。
二人で記憶を辿る。
もともとは私とふみこがガッチリと仲良くて、中学を卒業して高校が離れても休みの日には「お茶会」と称した「おしゃべり会」を催して会っていた。
そこに、あやも誘っていたのでは・・・?と思い出した。
でも、中学の終わり頃には、あやと私の間にも確かに強いつながりはできていたので、「お茶会」は3人で会うことになったきっかけに過ぎないような・・・。

何にしろ、数年後に私の幼馴染と勝手にあやは出逢って結婚することになるわけで、そこにはきっと私たちにはわからない、見えない「何か」があるのだといつも思う。
「運命の糸」なんて言葉を使ってしまうと、あまりにも陳腐ではあるが、まあそういう類のもの。
そんなのが現実にあるとしたら、確かに糸でつながっていると感じる。

友達は本当に宝物。
今になって人から「友達がたくさんいていいねー」なんて言われることもあるけど、それは付き合い方の問題だと思っている。
私は、自分が欠落した人間であることを知っていたから、「みんな」と仲良くしたいとは一度も思ったことがないのだ。
「みんな」の中には絶対イライラする人がいるし、私を好まない人もいる。
そんな人たちと愛想笑いを浮かべて、無駄な時間を一緒に過ごしたくはなかった。
その時々は一人ぼっちでどんなに淋しい想いをしたとしても、「一生付き合える人」とだけ親密に過ごしたいと思っていた。
そういう頑なな人との接し方が、20年、30年と経って、ようやくカタチになったのではないだろうか。
そして、別にこの接し方が優れているとも思っていない。
ただ、「そうしかできなかった」だけだ。
いろんな場面で、社交的にふるまえて、皆に好かれて、いつも笑っている人をどれほど羨ましく思ったことか。

学校にいたときは、決して友達が多いほうではなかったし、今も付き合いのある友達と縁が切れる恐れは何度だってあった。
「社交的」とか「誰にでも好かれるタイプ」とか「クラスの人気者」なんていう存在とは本当に間逆。
内気だった小学生時代、反抗的だった中学生時代、変わり者で敬遠されていた高校時代、世を捨てたがっていた大学時代。
社会に出ても組織に属さなかったから、毎日顔を合わせるようなつながりは作りにくかった。
唯一、友達だと思って10年も一緒に仕事をしていた仲間には見捨てられ、後で独りよがりだったことに気づかされた。
塾でも他の講師はみんな仲良くグループを作って遊んでいたけれど、私は誰からもどこからも誘われなかった。
個人的には私を好いてくれる人は何人かいて、1対1では今もつながりはあるけれど、「私」という存在は大勢の中ではいつでも歓迎されなかった。
何が、どこが、どう他の人と違うのかわからないけれど、「私」という存在によって、平和に楽しく保たれている均衡みたいなものが崩れるんだろうなぁと、なんとなく思っていた。

情緒不安定で、自己主張が激しくて、ややこしい性格。
基本的には、人に好かれない。
敵・味方がはっきりして、それをはっきりさせない人たちの中には馴染めないタイプ。

でも、たまーに、私を好きになってくれる人がいるのだ。
こういう人を「面白い」と思ってくれたり、私の奥にある熱いものや、人への情や、そういうものを感じ取ってくれて、つながっていたいと思ってくれる人がいるのだ。
そういう人は、私にとって貴重な存在だから、私はとても情熱を注ぐ。大切にする。
もし私がこんなにマメな人間じゃなかったら、切れていた縁もあっただろうけれど、幸いマメな性格だったのもよかった。

こうちゃんなんて、中学のときから私に意地悪ばっかりして、高校卒業したら東京の専門学校へ行くと言って、私が淋しいと言っても「知らん」と言って、最後はケンカみたいになったまま東京へ行ってしまった。
だけど、私は手紙を書いた。何度も何度も書いた。東京へも押しかけた。
数年後、こうちゃんが大阪に戻ってきて、また一緒に飲んだりするようになった。
いつか酔っ払ったとき、「東京に行ったとき、遊びに来てくれて、ずーっと手紙を書き続けてくれたのは、かおりちゃんだけだった。感謝してるねん。他にそんな人はおらん」というようなことを言われた。
「私、マメやから」と返したけど、涙が出るくらい嬉しかったことを覚えている。

せっかく出逢えた大好きな友達を、たかが「距離」くらいで失いたくはなかったのだ。
結局、もう30年も一緒にいる。。。

でも、夫に「あなたは本当に自分に自信がないんやな」と驚かれることがあるけれど、私はこうして20年、30年と付き合っている友達でさえ、「いつか嫌われて見捨てられるかもしれない」と心のどこかで思っている。
(意識はしていないけれど、潜在的にそういう気持ちがある)
例えば、メールの返事がないというだけで、「何か私が悪いことをしたんじゃないか?」と不安になって、前に会ったときのことを思い返したり、メールの内容を確認したりするほどだ。
そういう私を見て、夫は笑って時々おちょくってきたりもする。
「心配やなー(笑)○○ちゃんからメールなくて、不安やなぁ
「メール来たんか(笑)よかったなぁ。嫌われてなかったなぁ」などなど・・・
夫から見ても、そういうところは不思議なんだろうな。
これだけ固い絆のような友情関係があって、何をそんなにビクビクして生きているのか・・・。

それは、たぶん、私が、もう絶対的に、私という存在を否定しているからなんだろう。

昔はそれを頑なに守ろうとしていた。
否定することを守るって、変な感じだけど、まさにそうだった。
今は毎日頑張って「否定すること」を否定しようとして生きている。
自分で自分を認めてやること、好きになること、幸せになること。
そうでなければ、周りの誰も幸せにすることはできないと知ってから、私は自分を否定することをやめる努力を始めた。
夫と出会ってからは、それが自然にできるようになっているので、今はもう意識して努力なんてしていない。
だけど、ちょっとしたことで、それが表に出ることがあるのだ。
そういう自分に気づくとき、「あー、私もまだまだやなぁ」と思う・・・
人に対してマメである自分をやめられたら、その時こそ心の底から自分を肯定できたときなのかもしれない。

まあ、なんか流れで久しぶりにこんなこと考えて書いてみたけれど、今はここに書いたほどややこしいことを毎日考えながら生きているわけではない。
もう少し気楽だ。(と思う)

とりあえず、新しい出会いと周りの人たちを大切にして、できるだけ楽しく有意義な時間をたくさん作っていけたらいいな。
そして、これから先、周りの人が困っているときに手を差し出せるよう、自分自身の力もたくわえておきたい。
(残念ながら、お金は貯えられそうもないが・・・

思えば、助けてもらってばかりの人生だった。
(物理的な助けではなく精神的に)
今はただ、人に、世の中に、恩返しができるよう、まずは自分自身がしっかりと生きることを考えている。

小さな庭での出来事

2012-07-26 | 生活
夏は庭の手入れも面倒になってくる。
暑いし、焼けるし、蚊にくわれるし、いろんな虫が多いし。
かと言って、水やりを怠ると、あっと言う間に枯れるので、毎朝、完全日焼け対策の変な格好で水やりに出る。

昨日はクモ退治とヤスデとダンゴ虫の死骸掃除、草むしりもした。
今年はクモが大発生して、1晩であちこちにクモの巣を張られるので、取っても取ってもキリがなかった。
そこで、「クモの巣ジェット」なるものを購入!
クモに向かってジェット噴射(?)させるだけで、クモは死に、さらにそこにはしばらくクモの巣も張られないとのこと。

早速使ってみたら、効果テキメン
巣もきれいに取り払い、今日見てみたら新たにかけられてはいなかった。

ヤスデとダンゴ虫も本当に多くて・・・
でも、両方とも薬をまいたら全滅した。おそろしい薬やな・・・
なんか人間のエゴを感じて胸が痛むが、仕方がない。

しかし、全滅したのはいいのだが、その死骸の数たるや・・・50ではきかないな・・・
なんか黒い塊があるのでなんだろうと見てみると、ダンゴ虫がいっぱい丸まって死んでいたり
2階のベランダも、なんでこんなところに?と思うが、何十匹もヤスデの死骸が転がっているのだ。

不思議なことに、死骸のほうがぞっとする。
生きているときの気持ち悪さといったらとんでもないけど、死骸は死骸で、なんというか・・・変な恐ろしさがあった。
それは、見た目の問題ではなく。

でも、心を無にして、全部溝に捨てたりゴミ袋に集めたりして片付けた。

余談だが、私はダンゴ虫を見るといつも「グレゴール・ザムザ」だ、と思う。(カフカの)
私の中で変身した虫の姿をイメージしたときに浮かんだのがダンゴ虫だったからだと思う。
未だに見るたびにそう思ってしまう。イメージって抜けないもんだ。

まあそうやって精神的にも肉体的にも苦痛な虫退治作業を終えたわけだが、それでもやっぱりきれいに花が咲くと、ガーデニングはやめられないなと思うわけで。



今、我が家の夏の花たちはこんな感じ。
今年は黄色とオレンジで元気いっぱいの花壇を作った。
ジニアとマリーゴールドは、切花にしても意外にもつので夏にはいい花だ。

あとは、ペチュニア、ポーチュラカ、日々草、ケイトウなどが咲いている。
もう少しだけ増やしたいところ・・・。

そんな感じで今朝も水やりをしていたら、隣の畑のおっちゃんに「おはよう」と声をかけられた。
「久しぶりだね、奥さん」と。
・・・どうもまだ「奥さん」と呼ばれることに慣れない

このおっちゃんは、顔を合わせるといつも畑で育った野菜をくれる。
今日も「トマトいる?」と聞いてくれたので、「えー、もらえるんですかー!嬉しい~」と私。
トマトは毎日1個食べているので、今日も買いに行かないとなーと思っていたところだったのだ。

こんなにいっぱいもらった!


全部ミニトマトだけど、4種類もある!
こうやって見るときれいねー
早速2ついただいたが、甘くて本当に美味しかった。

トマトをもらえるのも嬉しいけど、こういう人との触れ合いがまたうれし。
おっちゃん優しいなー、いい人やなー。
いつか何かお返しできたらいいのだけど。
(いつ畑に来るかわからないので、1ヶ月に1回くらしか顔を合わせない)

と思っていたら思い出した。
私は20代の頃、上新庄に一人暮らしをしていた。
新聞をとっていて、支払いは引き落としでなく集金に来てもらっていた。
その新聞集金のおばちゃんがいつも私の家に入って、玄関の靴箱の上に飾ってあるお花を褒めてくれていた。

最近、その当時の画像を見つけたのだけど、こんな感じ。
今見てもきれい









あの頃は毎日のように梅田の事務所に顔を出していたから、いつも第2ビルか第3だかの地下の安いお花やさんで買って帰って活けていた。
ガーデニングができるようなベランダはなかったから。

集金のおばちゃんといつもお花の話などしていたら、すっかり仲良くなって、それから、私が母に頼んで作ってもらった古布パッチワークの巾着袋をプレゼントすると、とても喜んでくれた。(母はセミプロの手芸作家だ)
そのうち、「知り合いにいい人がいるんだけど、お見合いとか興味ないかしらねぇ」なんておばちゃんが言うようになった。
断ったけど(笑)
上新庄を去ることになって、最後の集金の時にはお赤飯だったか、栗ご飯だったかをくれた。
いや、そのお礼に巾着をあげたんだったっけな・・・?記憶はあいまいだが、とにかくそんな感じで親しくなったのだった。

懐かしいなぁ・・・
今、おばちゃんはどうしているんだろう。
元気でいてくれたらいいのだが、もう10年以上経つからなぁ、顔も忘れてしまった

隣の畑のおっちゃんと話して、野菜をもらったりしていたら、あのおばちゃんのことを久しぶりに思い出した。
こういうちょっとした触れ合いを大事にしていきたいといつも思う。
おっちゃんにも何かお返しできたらいいなー。

暇な時期の過ごし方

2012-07-25 | 生活
今月下旬はほとんど仕事がない。
やりかけのチラシや冊子、簡単な単発の仕事がしょぼしょぼっとあるだけ。
3月からずーっと仕事があったけど、久しぶりに谷間に入ったなぁ。
今年はこのままいけるんじゃないかと期待していたのだが、そうそううまくはいかないか・・・

また健康保険の料金が上がって(!!)保険・年金・住民税などで毎月5万円ほどかかる。
それに、自分の分担の家計が10万円。
さらに、飲み代、交際費、化粧品代、本代、携帯代がかかるし、たまには服も買いたいし・・・
どこも節約する部分がないので、稼ぐしかない。
あー、今の3倍働くから、3倍稼ぎが欲しい・・・
と言っていても、仕事は降ってこない。

はぁ。
そんなことを考えていると、頭が痛い

仕事で忙しいときはお金のことをまったく考えていないのに、仕事が減ると急に収支を確認し始める
いつ、どこから、いくらお金が入ってくるか、普段はあまり確認していない。
たぶん先方のミスで振り込まれていなくても気づかないくらいだ。
10箇所くらいから振り込まれるのに、いちいち確認できるかいなー・・・(と思ってしまうダメ人間)
カードで使った分もよくわからないので、今月もカードの明細書を見て「ええっ?」となった。
結論から言えば、東京に3回出張に行ったときの新幹線代の立替がかなり入っていたのだが、明細書を見て「あれ?何に使った?」と焦るくらい、何も把握していない。

で、暇になってくると急に「最悪、このまま仕事がなくなったとして、いつまで飲みに行く分あるかな・・・」とか気になってしまい、あれこれ計算を始めてしまう。
さっき見たら、まだ7月末に結構な額が振り込まれるみたいだったので、ひと安心

最近ちょっと思ったことだけど・・・
もしかして、私がお金の管理ができないのって、サラリーマンのように振込みが一定じゃないからでは・・・
サラリーマンだと給料は一箇所からで、請求書など作らなくても、月の決まった日に決まった額が振り込まれる。
これだと1ケ月にどれくらいお金を遣うかといった計画も立てやすい。

いや、それ以前に性格的な問題があるのは十分に承知しているが、こういう性格にプラスして、ややこしい振込みになっているのがよけいにダメなのでは?と思ったのだ。
会社によって締め日が違うし、金額もその月によって違う。振込みも翌月末、翌月15日、翌々月10日、翌々月末とマチマチ。
いつ、どこから、いくらお金が入るのかわからないので、1ヵ月の計画が立てにくいのだ。
だから、とりあえず「ある分」を使っていくしかない。

・・・どこかおかしい?

そういうお金の管理に関するダメっぷりを見せていると、倹約派の夫がいつも
「俺がかおりのお金を管理してやろう。入ったお金をいったんこちらに預けなさい
と言うのだが、死んでも渡さない!

夫に渡したら、いちいち「すみません、飲みに行くので5千円ください」とか「服を買っていいですか?」とか言わないといけないっていうことやんね。
それが嫌で財布を別にしているのに、意味ないやん・・・

いい仕事して、報酬もらって、それで美味しいものを食べて酒を飲み、友と楽しい時間を過ごす。
自分が書いたもので、今こうやって美味しい酒飲んでるんだなぁ・・・と思う時間が至福の時だ。

とはいえ。

時々、「はぁ・・・私ってこんな人生でいいのかなぁ」と考える事もある。
いつまで稼げるんだろう?
いつまで自分の財布だけで生活できるんだろう?
夫より10歳も上なわけだから、もうあっと言う間に60歳が来てしまうわけで・・・
というか、50歳で今と同じくらいの稼ぎがあるだろうか?
もしなかったら、夫の扶養に入ったり、夫におこづかいをもらって飲みに行くような生活になるんやろか?
そうなったら、もう飲みに行くのは月1くらいで、友達を呼んで家で飲むしかないなぁ・・・
美味しいものを食べに行けなくなるのは淋しいなぁ・・・

と、こういうことばかり考えてしまうのは、結局、ヒマだからだ
毎日忙しく働いて、「あー、休みたい!休みになったらあれして、これして・・・」と考えているときが一番幸せだとつくづく思う。

もちろん、フリーランスだから、だけど。
(サラリーマンは、同じ給料なら休みはあるほうがいいだろう。)

私は、たぶん8月上旬もたいして大きな仕事はなく、長いお盆休みがあり、お盆明けにようやく東京での取材。
ということは、これから1ヶ月間くらいゆっくりできる。
(旅行も行くぞ!)

もちろん仕事は忙しいほうがいいし、仕事をしている時間が一番楽しい。
でも、これまではヒマになるとびくびくして、やりたかったこともやれずに日々が過ぎ去っていく・・・ということが多かったが、そういうのはやめようと思っている。
実際、鬱状態に入ってもひどく落ちることもなく、すぐに這い上がって来られるようになった。

この暇な時間を生かして、なんとかして死ぬまで稼ぎ続けられる方法を考えなければ・・・と思う。
そのきっかけとして、書籍の執筆をボランティアで引き受けたわけだし。
ボヤボヤしていたらすぐ50歳になってしまうぞ、今動かないと!と自分を叱咤する。

夫もさすがプロやなーと思ったけれど、私がやりたい事業のことを、自分の仕事でやってるみたいにリサーチして競合との比較して、どういう訴求をしたら成功するかということをパワポにまとめて見せてくれたことがあった。
こういう心強い協力者もいるし、ちゃんと自分が思い描いた軌道には乗っている。
そう思える偶然が数々あった。

才能もないし、大きな成功も望んでいない。
ただ、「死ぬまで稼げる環境」を自分で作って、毎日コツコツ一生懸命働いて、1日の終わりに美味しいお酒を飲めたらそれで幸せ。
これくらいの控えめな野心なら、凡人だって実現するのは難しいことじゃないと思う。
(控えめなら「野心」とは言わないか・・・)

20代の頃は頂上の見えない高い山を登ることしか考えていなかったし、そういう無謀な挑戦もカッコイイと思っていた。
30代で失望して山を降り、あたふたと麓を走り回る時を過ごした。
35歳で夫と結婚し、まずは山を登れる強い体と精神を作ることを考えた。もう一度自分を見つめなおした。
40代はしっかりと自分の能力に合った頂上の見える山を、一歩一歩登っていこうと思う。

「何者かになりたかった自分」は、「何者にもなれない」ことを知り、そして、ようやく自分自身と対峙した。
気づくのは遅かったけれど、まだ20年残っている。
この間に、自分がやりたかった面白い仕事ができたらいいなぁ

美味しいお誕生日会

2012-07-24 | 美味しいもの
日曜日は夫の誕生日(24日ですが)を祝うために、夜は二人で食事に出かけた。
普段、「ちょっと飲みに行こうよー」という感じではいけない値段のところ・・・。

いつもは一人5000円前後という感じなので、こういう特別な時の予算はその2倍。
夫よりはるかに貧乏な私にご馳走してもらうのは悪いと、「いいよ、いいよ~」と夫は遠慮していたが、年に一度のお誕生日くらいね

そこで、私が候補に挙げたのが、以下のお店。
・じき 宮ざわ
・YAOYA
・季里
・はた田
・二条椿

どこも夜は1人予算1万円前後。
私が諭吉を飛ばしても惜しくないと思える大好きなお店ばかりだ。

夫に選んでもらうと、「久しぶりにYAOYAに行きたい」というので決定!
私も他のお店は全部、今年入ってから既に行っていたので、YAOYAは久しぶりだからいいなぁと思っていた。気が合いますなぁ・・・

京都は出町柳にあるこの居酒屋。
そう、外観は「居酒屋」と言ったほうがいいと思う。
ただ一見しただけで「店主がめっちゃ酒好きやな」とわかってしまう。

↓外観




たまらんな~
そそられるわ(笑)

中もこじんまりしていて、カウンターが5席、小上がり、テーブル。15人も入れないだろう。
そして、見た目は普通の居酒屋なのに、値段は普通じゃない。
もし私が何の知識もなく、ふらっと入ってきたら、メニューを見て冷や汗が出るだろう。

まあ、野菜やお肉を使った料理や、酒のアテ系のものは500円~1000円くらいでもあるし、全体的に見れば決して高いものばかりではないのだが、魚料理の値段が結構すごくて。
本当に目利きでいいものを選りすぐって仕入れているんだろうけど、だいたい1品2000円~7000円くらい。

やっぱり庶民なので、1品に2000円とか3000円とかついていると、ドキドキする。
「あ、ノドグロ食べたい~!」と思って見たら、6800円だった
下手に見間違えて注文したりしたら、エライことになる!

そんなわけで、夫と緊張しながらメニューを選ぶ。
大将はめっちゃいい人で、ちゃんと我々のお財布を想像して「刺身やったら、どこどこの鯖、どこどこの岩牡蠣、焼きは鮎もあるし、秋刀魚もたたきでいいですよ」と比較的値段の安いものを提案してくれる。

ちなみに、私たちの後で常連っぽい「先生」と呼ばれるおっちゃんが部下と思われる女性3名を連れて入ってきたが、ぐじなどの高級魚を勧めていた。やっぱりね・・・
びりけんもそうだけど、こういう「高いけど美味しいものを置いている飲み屋」って、「先生」と呼ばれている人が常連になっているなぁと感じる。
たぶん、医者か弁護士ね。女性なら看護師さんも多い。
びりけんはそんなに高くないけど、北新地だし、メニューないし、なかなか20代の女性や、いつも1杯飲み屋でひっかけて帰っているサラリーマンにはちょっと厳しい値段だ。

で、結局、私たちは紀州の鯖をお造りでお願いした。
(先生たちは盛り合わせを頼んでいた!)


その前に、つき出しがあった。
生鰊の麹和えとオクラ。
あー、酒のアテやね


ビールで乾杯した後は、早速日本酒を。
ここは単にいい蔵のお酒を置いているだけでなく、その蔵に自分の店のオリジナルの酒を造ってもらっているものも多い。
つまり、「ここでしか飲めないお酒」。

私たちが「日本酒を・・・」というと、大将は本当に嬉しそうな顔をする。
そして、何本か並べて説明して、選ばせてくれるのだ。
最初はこちら。
福井の「花垣」と青森の「豊盃」。
どちらも好きな蔵だが、花垣はこちらのオリジナルラベルがついている!これが旨い!
チェイサー(日本酒で言えば、和らぎ水)のお水も当然、仕込み水。瓶ごと置いてくれる。


賀茂茄子田楽。
赤味噌と白味噌を半分ずつ。
京都ならではの茄子だ。身がホクホクとやわらかくジューシーで、味噌と絡めて食べると非常に美味しい。


お酒は、秋田の「一白水成」と兵庫の「奥丹波」。
奥丹波は初めて!
お米に「野条穂」を使っていた。独特のコクと甘みが出る。


ここはお肉もバツグンに旨い。
朝つぶしたばかりの鶏を使用。
せせりの焼き鳥を頼んだ。


お酒は、福島の「飛露喜」と岐阜県「三千桜」。
飛露喜は愛山を使用。爽やかな甘み。
三千桜も旨い。


鮎を焼いてもらった。
川魚大好き!今年は鮎も2回目だなぁ。
ワタを抜いて、横に「うるか」として付けてくれていた。
もちろん、頭からかっぷりと。


お酒は、再び「花垣」と滋賀の「不老泉」。
この花垣、めっちゃ美味しかったなー・・・うまみがたまらん。


秋刀魚のたたき

「たたき」というから、もっと炙ったものを想像していたら、ほぼお造り。(冷たいし)
やや拍子抜けしたが、生姜や葱を乗せて食べると秋刀魚の甘みが広がってめちゃ旨い。

さらに、その秋刀魚の骨を揚げ、ワタも焼いてくれた!!
私たちが頼んだ「1匹」はこうして何一つ残ることなく、お腹におさまったわけだ。
大将のこういう料理のやり方が好き。
何より、本体より(!)この揚げた骨が一番美味しかった!


最後に、デザート酒代わりに、もう1杯を二人で分けた。
岐阜の「小左衛門」の貴醸酒!!
このお店のオリジナルラベルが貼ってあるから、特別に造ってもらったんだろうなぁ。
甘くてデザートワインみたい。
ちなみに、貴醸酒というのは、お米を水で仕込むのではなく、お米をお酒で仕込んだもの。(これは水:酒=3:7と言っていた)
濃厚になるはずで、造っているところは珍しい。


いつもならこれでおしまいにするところだが、シメを!!
普段、シメのご飯や麺などをほとんど食べない私だが、ここに来るとこれを注文しないとせっかく来た甲斐がないと思っている。
一度食べて忘れられなくなった「焼きおにぎり」。
あー、残念、写真ブレブレ!


前は中に昆布が入っていたが、今回はちりめん山椒だった。
うまい~

夫は卵かけご飯!
醤油ではなく、塩昆布がついていて、卵をかけた後に乗せて食べるのだ。


見よ!この美しきオレンジ色の黄身を!!
卵の甘みと塩昆布の辛いのが混じりあってたまりません!!
日本に生まれてよかった!


お料理もお酒も美味しくて、大満足の食事会だった。
夫もとても喜んでくれた

お値段は・・・
どきどき・・・

18,910円也!

なんとか予算以内に収まって、ホッとした。
お財布に残った最後の諭吉さんお二人に別れを告げたが、不思議とここに来ると、惜しくないんだよなぁ・・・
もちろん、滅多に来ることはできないけど、帰り道は、
「やっぱりたまにはいいね!来てよかったね!」
「ほんま、美味しかったなぁ」
という言葉しか出てこない。

良いお誕生日になってよかった。
「おめでとう」ももちろん言うけれど、いつもなぜか「ありがとう」と言ってしまう。
生まれてきてくれて、ありがとう、と心から思う。
おかげでどんなに私は幸せな人生を送れているだろう。

だから、おめでとう。
そして、ありがとう