月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

「ボヘミアン・ラプソディ」を観た件

2018-12-07 | 生活
この間の日曜日、夫と映画を観に行った。
伝説のロックバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーの半生を描いた「ボヘミアン・ラプソディ」だ。



公開を知って、観たいなーと思っていたが、ハードな追い込みの時期なので、結果的に見逃すかもしれないとも思っていた。
そうしたら、すでに観たというもんちゃんから「絶対映画館で観たほうがいい!」と勧められたので、まだ元気なうちに行こうと決めて行ってきた。(おそらく今月20日頃は追い込みでボロボロになっているはず・・・)

結論から言えば、助言を聞いて映画館に行ってよかった。
確かに音楽映画なのだから、DVDじゃ映画の良さも半減だ。

それも、普通のスクリーンと、音響の良いDOLBY ATMOSのスクリーンと選べたので(料金は同じ)、DOLBY ATMOSにしたら、とんでもなく素晴らしい音で観ることができた。
雨の音なども、本当にそこで降っているかのようにリアル。

最後のライブエイドの再現は、本当に感動した。

また、これはもんちゃんとも話していたのだが、フレディも感じがよく出ていたし、他のメンバーもみんなよくもまあ、あんなにそっくりさんを集めたものだと感心。
終わってから、夫とも「ブライアン・メイが出てきた時、ご本人登場かと思った」と笑っていた。
自叙伝的映画を作るとき、これは本当に重要だと思う。
あまりに本人とかけ離れた役者が出てきたら、観ていても感情移入がしにくいし・・・
その点、ここまで違和感がないのはすごいと思った。

とにかくいい映画だったな・・・
もう一度観たい。
何度も思い返し、そのたびに感動がよみがえってくる。

帰ってからずっとクイーンを聴いている。
改めて聴いてみるとブルースもやっているし、ジャンルにとらわれない幅広さがクイーンの魅力なの一つなんだろうなと思った。

そんなわけで今は原稿を書くのに疲れたら、「ウィー アー ザ チャンピオーン」と歌って気分転換している。

平成最後の師走を迎えて

2018-12-01 | 想い
気がつけば、12月。平成最後の師走を迎えた。
10月後半から11月後半までのおよそ1ヶ月、週のうち2、3日は遠方へ出張。1日は関西圏で取材。
秋田と山形のあとは、新潟と福島へ行っていた。
出張から帰った翌日は疲労とたまった家事をこなすのとで、ほとんど使い物にならず、急ぎの原稿をやったらまた次の取材。
せめて休みの日くらいおとなしくしていればいいのに、遊びもしっかりやらないと気が済まない性分だから困る。

先月は、実家の両親を連れて舞鶴へ行ったし、最後の三連休には小豆島へキャンプへ。
私の親友のかどやがバーをオープンしたので、そのプレオープンへお祝いに行ったり、床床さんファミリーが来てくれておもてなししたり、4月以来会っていなかった中野とちょっと早い忘年会をしたり。
平日は取材を頑張って、週末は遊んでリフレッシュした。こういうメリハリは大事だと思っている。

しかし、そんなことをしていれば、当たり前だが原稿はたまっていく・・・
20日までに取材原稿をあと9本書かなければならない。それまでにまだ栃木への出張取材もある。
いよいよ追い込みだ。

最近は、真っ白なWordの画面を目の前にすることが怖くなくなった。
一時期は「これが本当に埋まるのか?」「本当に書けるのだろうか」と不安で押しつぶされそうになっていたのだが、今は違う。
心の底からワクワクしていて、「どんなふうに書こうか」と胸が高鳴る。

この表現が合っているかわからないが、「自由になれた」気がする。
祇園の店で働いたことがよかったんだなと思う。
「書くことでしか生きられない」ということを実感したし、言葉がこれまで以上に愛おしくなった。
自分が勝手に自分で縛っていたものがなくなって、子供の頃、ただ書くことが好きで、書いていれば幸せだった、あの時と同じ気持ちでまた文章と向き合っている。

自由だ。とても自由だ。

それに、この間、久しぶりに大手メーカーの広告の仕事をした時に、気づいたことがあった。
企画書に基づいて構成案を作って、コピーを書いて、送って、それで終わり。
なんだか不完全燃焼というか、やりがいのようなものを感じられず、これはどういうことなのかと考えてみた。
それで気づいたのだが、世の中にはいろんな種類のライターの仕事があるけれど、私がこれまでにやってきた仕事のほとんどは「取材相手の反応が見える」仕事だった。

クライアント(お金を支払ってくれるところ)が満足するものを書くのは仕事なんだから当たり前というか、大前提のこと。読者はいろんな人がいて、いろんな感性があるから、100%評価してくれるわけではない。
だから、私はずっと「取材相手」が喜んでくれることを目標にしてきた。そして、幸いにも、私がこれまでやってきた仕事というのは、多くが「クライアントに納品して終わり」ではなく、取材相手から直接感想を聞けるような仕事だった。

先日も、取材した相手から「これまで書いてもらった記事の中でも特に素晴らしいものでした」という言葉をいただいた。
今たまに書かせてもらっている新聞の記事ですら、編集部から「この間の記事、先方が大変喜ばれていましたよ」と教えてもらえたりする。
これが自分にとってはやりがいだし、書く意味なんだと、改めて感じている。
「まだ書いていていいのだ」と思える瞬間。

あと、今年は新聞の仕事をやらせてもらえたことがありがたかった。
今は紙面がWEBとも連携しているので、新聞を買わない人にも読んでもらえる。たくさんの人の目に触れる。
この間も、夫が会社の人に「今日ネットに日本酒の記事が載ってましたよ」と教えてもらい(夫が日本酒好きなのは有名なので)、見てみたら私が書いた記事だったという・・・。「これ、うちの嫁が書いた記事やわ」と話して笑っていたらしい。

今年を振り返ると、収入という意味では、あまり良くない1年だった。病気をする前の半分以下だ。
でも、すごく「いい仕事」ができた1年だったと感じている。
来年やその先に繋がるような、何かができたような気がしている。

そして、昨日、嬉しい案件も1件飛び込んできた。
今年最初で最後の、Yデザイン事務所との仕事だ。
一時期は収入の半分ほどの仕事をそのデザイン事務所からいただいていたが、昨年は2件だけで、今年はまだ1件もなかった。
別に私が切られたのではなく、その事務所で受ける仕事の種類が変わってしまい、外部のライターに依頼するような案件がなかったのだ。
デザイナー兼ディレクターのAさんと飲みに行くたびに、「また一緒に仕事がしたい。できるように営業も頑張ります」と言ってもらっていた。

昨日、スマホの着信の「Yデザイン事務所」の文字を見た瞬間、いよいよ来たか!と思った。
開口一番、Aさんの弾んだ声!
「やっと、お仕事お願いできます!」と。
涙が出そうだった。

来年3月納期の冊子なので、年明けからスタート。
取材自体は10社くらいらしい。
私の大好きなデザイナーさんにイラストはお願いしているとのことで「また可愛い冊子になりそうですよ」とAさん。
今から楽しみで仕方がない。きっとまた「いいもの」ができる。

それに、大阪万博も決まった。これも本当にありがたかった。
前年の2024年までは、何かしら仕事にありつけそうな予感がする。

そんな明るい気持ちで過ごす平成最後の師走。
あとは20日までにすべての原稿を書き上げて、良い年を迎えるだけだ。