月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

幸せをかみしめる毎日

2019-08-28 | 癌について
来週、5日から抗がん剤治療のための入院が決まった。(3泊4日)
今日手続きに行ってきた。

終わるとちょうどお昼頃だったので、好きなお店で「ふわとろオムライス」を食べた。
4ヶ月に1度の定期検診の時、いつもここでオムライスかハンバーグを食べるのが楽しみなのだ。
毎回、結構本気でどちらにするか悩む。でも、3回に2回はハンバーグに軍配が上がる。

ここのハンバーグは最高に美味しい。
外で食べる美味しいハンバーグって、デミグラスソースにこだわるなど「外でしか食べられないプロの味」のものが多いが、私はそういうのは嫌なのだ。
あくまでも家庭の味。その頂点。
ここのハンバーグは私が作るハンバーグと似ている。その系統の最高峰という感じ。

オムライスもそう。自分が作る味に似てるけど、それをもっと美味しくして、卵をとろとろにしたものなのだ。
今日は悩んだが、ちょっとハンバーグが胃に重く感じたので、久しぶりにオムライスにした。
やっぱり卵とろとろで美味しかった。(サラダ・スープ付き 950円)

その後、花屋で黄色いガーベラを買った。
今、家の花壇は植え替え時期で、ほとんど何も咲いていないから。



花を活けてから、今後の細かい予定を仕事先に連絡した。
入院までちょうど1週間。抱えている原稿は3本だけなので、終わらせておきたい。

「退院してからの副作用ってどんな感じだったっけ?」と、自分のブログを見直してみた。
すごい!詳細が綴られていて、めちゃくちゃ参考になる。やっぱり記録は大事だ。(参考にしたくなかったけどね)
もう副作用の痛みなど忘れていたが、読むとまあまあしんどそうだ。
とは言え、ピークを過ぎたら普通に生活しているし、出張も行っている。

驚くのは3クール目の投与から1週間後には取材に行き、翌週、その翌週と連続で東京出張。さらに北海道まで出張している・・・。
「どんなパワフルやねん!」と自分で自分にツッコんだ。

安心するなぁ・・・。
やっぱり「頑張ってきた過去の自分」にはいつも助けられる。そういうことなんだな、うん。
本で読んだことでもない、他人の体験談でもない、過去の自分が実際にやったことだから素直に信じられる。勇気をもらえる。

抗がん剤治療を受けると決めて、復活までの計画書を作成してからというもの、目に見えて元気になっている。
試しにわざと「マイナスのこと」を考えようとしても、考えることができない。完全に思考がブロックされている。
体調もさらによくなってきて、3年前の後遺症だった「下腹部のシクシクした痛み(これはずっとあったが異常ではなかった)」すら、なぜか消え去ってしまった。
今もう一度検査したら、何も映らないんじゃないかと思う。

結局、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせているうちは、まだダメなんだなと思った。
今のように、とにかくいいことしか考えられず、どちらかと言えば「ウキウキした状態」までこないと。
本当に、強がっているわけでも何でもなく、ただただ元気。

それに、1日に何度も何度も「幸せだなぁ・・・」という言葉が勝手にこぼれる。
ブログを見たという人、何人かからも、「何かできることがあれば」というメールをもらい、そういう人のやさしさに触れるたびに「幸せだなぁ・・・」とつぶやいている。
朝から晩までずっとニコニコしている。

今朝は、「復活したら、『私はこうしてガンを治した』っていう本を書こうか」と夫と話していた。
本当にそれはいいかも!
他の人の参考になれば、私も嬉しいし・・・。って、まだ治療も始まっていないのに。

とにかく毎日毎日、周りの人のやさしさに包まれて、私は幸せだ。
「かおりはほんま、周りの人に愛されてるなぁ・・・」と夫が言う。
私は、そう言われて嬉しくて、にへらにへらと笑っている。

もしかしたら、それを確かめたくて、自分の存在を確立したくて、私の中のガンが目覚めたのかもしれないなと、そんなことを思う。
みんなに相手にされずに、かまってほしくて暴れる子供みたいに。

そう思うと、不思議なんだけれど、ガンはもう悪者には見えなくて。
私の中の、一番弱くて、一番わがままで、一番本当の私に近いものに思えてくる。

そうすると、ガンは怖くなくなって、愛しいとすら思うのだ。
顔つきは悪いけど、私の一部であることには間違いないし。

今はこう思っている。
治すのは医者でも薬でもない。
私が作ったガンだから、私が必ず治してみせる。

※この記事にコメントはできません


オリジナルメソッドが完成!

2019-08-27 | 癌について
昨晩、夫が帰ってきて、「不安というのは90何パーセントかは現実にならないらしい」と言う。
「ああ、知ってるよ。94%と言われているね」と私。

さらに夫は、「不安なこと、心配事は、書き出してみるといいらしい。不安なのは考えが整理されていないからで、書き出して整理すれば不安でなくなることが多いというよ」と言う。
「ああ、そうやね。だから私は子供の頃からずーっと不安なことを書いてきた。ブログも半分はそういう役目もある。そんなの自分にとっては当たり前のことやで。それくらい子供の頃からずっと不安の中で生きてきたから」と私。

「かおりは何でも知ってるなぁ!っていうか、そんなことを考えてるって『生きにくい人』やなぁ!」と夫。

そうなのだ。
子供の頃から不安と心配事と劣等感の中で生きてきた私は、「不安を取り除く方法」とか「自分を不幸にしない方法」をずっと探して実践してきた。
「生きにくかった」ということもあるし、逆に言えば「それでも生きたかった人」なんだと思う。

昨日、「再発からの完全復活計画」と題した計画書なるものを作成した。
夫に言われなくても、「書き出す」ということの力を私は身をもって知っている。
先日のブログもそうだが、とにかく「書き出して整理すること」が私には必要だった。

旅行でも食事する店でも何でも「計画」が好きな私。行き当たりばったりなんて絶対に嫌なのだ。
「病院」「生活」「仕事」に項目を分け、これからの「やるべきことチェックリスト」を作成。
さらにこの数日で7冊くらい「がんが治った人」の本を読み、それを理解・分析・応用して、「完全復活へ向けてのオリジナルメソッド」なるものを作り上げた。
計画書を作っているうちに、どんどん自分が良くなっていくイメージが浮かび、書き終わる頃にはもう何の不安もなくなっていた。

「治る」>「死ぬ」

イメージは逆転した。こうなるともう何も怖くない。

私を勇気づけ、治るイメージを持たせ、治る方向へと導こうと考えながら帰宅した夫は、私の計画書を見て飛び上がった。
「かおり!すごいよ!!俺がこういうことをやってもらおうと思っていたのに、自分でやっちゃうなんて・・・」
それから、泣きそうな笑顔でこう言った。
「もう治るよ!こういう考え方の人はみんな治ってるから!やった!」
そう言われると、私もさらに勇気づけられ、治ることへの確信が固まった。

夕方、取材の依頼の電話があったこともよかったかもしれない。
「先の予定」が入ったことで、未来を実感できた。

抗がん剤治療を受けることに心は決まったし、緩和ケアとしてのクリニックも素敵なところを見つけた。
このクリニックはまだ行っていないけれど、偶然見つけて、HPを見てピンときたのだ。
近いうちにセカンドオピニオンに行く予定だ。
ただ、別の治療方法をそこに求めているのではない。あくまでもサポート的な役割を求めている。
それについては、実際に通うようになってから追々書いていこうと思う。

治療は、今の大学病院で行う。
ケアは、そのクリニックで行う。
そして、家ではオリジナルメソッドを実行する。
この3本柱でなんとか乗り越えていくのだ。

やることさえ決まれば(グレー期間脱出!)、私はもう何も怖くない。悩むことなどなく、ただ乗り越えればいいのだから。
もちろん、100%不安がないわけではないし、恐怖が頭をかすめることもある。
でも、シーソーは死神より生命力に傾いた。

ちなみに、オリジナルメソッドの中身は、「食生活」「生活習慣」「考え方」「治療中の時間の使い方」という項目に分かれている。
たとえば食生活。
野菜はもともとよく食べるし、それこそ一人暮らしの時から22年間、宅配の有機野菜を食べ続けている。
卵と豚肉もそこで注文しているので、放牧された健康なものだ。
調味料もこだわったものしかない。

これまでも質の良い食生活を送ってきたと思うが、より良いものに変更。
白米は玄米に変えることにした。
昔も一人暮らしの時には胚芽米を食べていたこともあったが、結果的にお酒を飲むからカロリーを取りすぎるのが怖くて「米をほぼ食べない」生活になったので、わざわざ胚芽米などを買うのはやめた。雑穀やもち麦を混ぜることはよくやっていたけど。
でも、やっぱり玄米はいいらしい。ついでに夫のアトピーにもいいので、玄米は採用!

今年からはダイエットのために糖質制限していたので、もともとほとんど口にしていなかったが、パンや白い小麦粉もできるだけ食べない。
パンなら全粒粉やライ麦のものを選ぶ。麺類や粉モノも大好きだけど、控え目にする。
まあ、あまり神経質になるとそれがよけいにストレスになるので、「徹底」はせず、「緩め」に。

上白糖は22年間使ったことがないけれど、糖分自体が「がんのエサ」と言われているので、どんな砂糖でも控え目にしようと思う。

アルコールは「飲み会」以外、基本的に平日は摂取しない。週末だけのお楽しみにする。
友達や仕事仲間、日本酒仲間など、とにかく交友関係が多い自分にとって飲みニケーションはとても大事だけど、これからは少し減らしていくし、数が減らせないなら会っている時の飲む量を減らそうと思っている。

まあ、主だったものとしてはそんなところ。他にも細かいことがいろいろあるけれど、ストレスにならないよう「緩め」にすることと、あとは「ガンに良い食べ物」「悪い食べ物」なんて諸説あるのだから、あまり「信者」的にならず、自分が食べて幸せな気持ちになるもの、体が喜ぶものなら基本的にはOKにしていくつもりだ。

生活習慣としては、前からやるつもりで実行できていなかった「朝のウォーキング」を始めた。
そのために、夜23時には就寝。7時間たっぷり睡眠をとるようにした。
「早寝」=「時間がもったいない」という考え方を、まずは捨てなければ。

とにかく、心が元気になったから、もう大丈夫だ。
まだ人に会う気分ではないけれど、くよくよと沈んでいる自分はもういない。
治療が始まるまでに終わらせないといけない仕事もたくさんあるし、いろんな準備も必要だ。(ウィッグを探して洗わないと!)

黙って死に向かっていくほど、私の生命力はやわじゃない。

※この記事にコメントはできません


秋来ぬ

2019-08-26 | 癌について
数日前、姉にLINEで再発のことを告げた。
「かわいそうに・・・でも、前も効いたし、きっと大丈夫!」と前向きかつシンプルな返信。

そして「1つ特技できたし、病院で披露するわ」と言う。
「え?特技って何?」
「ルービックキューブ」

・・・この令和に、まさかのルービックキューブ?!

あまりの意外な答えに思わずふき出していると、
「いつでも6面そろえられるようなった。でも5分かかるからまだ誰にも披露してない。そんな長い時間見てられへんやろ?」と。
私は笑いながら「病院はいっぱい時間あるし、見せてな」と返信した。

「目標がないと生きられない」と言う姉は、きっとルービックキューブも毎日練習していたんだろうなと思う。
練習して、コツをつかんで、6面そろえられるようになった。
フルマラソンに挑戦した時と同じで、いつもそうやって目標を立てて努力して、必ず達成して、成功体験を自分の力にする。
私にはない性質なので、いつもすごいなぁ、おもしろい人だなぁと思う。

そして、昨日は実家へ行って両親に再発を告げた。
病院で結果を聞く時よりも私は緊張していた。胸に大きなものが詰まっているような感覚。呼吸の方法を忘れそうだった。

車の中で夫が「もし、二人がパニックになったら・・・」「もし、怒り出したら・・・」「もし、とても感情的になったら・・・」等の「もしもの反応」を挙げて「こちらは冷静でいよう」と言う。

やっぱり血のつながりがないって、こういうことなんだなぁと、それを聞きながら思った。
「絶対にない」「それも絶対にない」と夫の「もしも」をいちいち否定する私。
あの人たちの娘を50年近くやっているんだ。どんな反応をするか、手に取るようにわかる。
パニックになることも、感情的になる(泣く・怒るなど)ことも、絶対にない。
穏やかに話を聞いて、落ち込んで。
それでも気を確かに持とうと何でもないように見せて、凛として対応する。
私はそう思っていた。

結果、やはりそうだった。
二人とも、「そう・・・もう治ったと思って忘れていたわ」とがっくりした感じは見せながらも、一生懸命私の話を聞いてくれた。
もちろん「最悪の話」はしない。事実のうち、「前向きな要素」だけをつまんで聞かせた感じ。

「大丈夫、治るわね」と母。
「なったものは仕方ない。とにかく治療せんとな」と父。

「こんな話の後で、北海道の写真見る気分じゃないよね?」と聞いたけれど、「見る見る!」と母。
気を紛らわすかのように、写真に見入って、いろいろ質問して、感想を述べて、時には笑いもした。
思っていた以上に冷静で、拍子抜けしたくらだった。

ただ、いつもより長く、私たちの車を見送っていた。
いつもは玄関で手を振るのに、外まで出て、車が見えなくなるんでずっと二人で立ってこちらを見ていた。
胸が苦しくなって、二人の顔を見られなかった。

本当に親不孝者。
いつも勝手ばかりで、就職はしないし、すぐに家を出てしまったし、なかなか結婚もしなかったし、癌になるし。
自由気ままに生きさせてもらったうえ、迷惑ばかりかけてしまった。
これ以上、親不孝をしないためにも、両親より絶対に長生きしなければ。

帰ってから、夫と外へご飯を食べに行った。そのほうが気がまぎれるから。
お酒も少しだけ飲んだ。週末だけのご褒美。
どこも痛くないし食欲もあるし、極めて元気なのにがん患者だなんて不思議だなぁ。
でも、今日も生きているし、明日も生きる。

夫と話した。
がんになっても10年生きる人もいれば、何の病気もなくても明日事故や災害で死ぬ人もいる。
私が人より寿命が短くなったわけでも、一番死に近いわけでもない。
「いつか死ぬ」ということは、みんな平等なんだ。
だからこそ、今日も生きていることに感謝しないとね、と。

夫とこういう考え方が一致する人でよかったと思う。
嘆いたり、悲観したり、夫自身がボロボロになっていくような人じゃなくてよかった。
そういう人がそばにいたら、治るものも治らないだろう。

とは言え・・・

私の精神状態はまだ安定していない。
元気で前向きな日もあれば、不安と恐怖で震えている日もある。

でも、今朝は穏やかな気持ち。
きっと、心地よい風のおかげだ。
昨日から風が変わり、今朝、窓を開けた瞬間、確実に秋が来たことが感じられた。

『秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる』

毎年、この風を感じた瞬間に、この和歌が頭に流れる。

秋は好きだけれど、毎年仕事が一番慌ただしい時期で、あっと言う間に過ぎ去ってしまう。
ここ数年は「自分には秋がない」と感じていた。夏が終わって気づくと年末だから。
でも、今年はある意味、特別な秋になりそうだ。ゆっくりと過ぎていくような気がする。

それもいい。
秋のはじまりも、深まっていく様子も、ゆっくりと感じながら生活してみよう。

※この記事にコメントはできません

この2週間の闘いについて

2019-08-23 | 癌について
「心と体は密接なつながりがある」とはよく言われることだが、本当にそうなんだろうなと実感している。

ニワトリとタマゴではないが、心が弱ったのが先か、体が弱ったのが先なのか、どちらかはわからない。
ただ、この数ヶ月、精神状態が良くなかったことは事実。

だから、7月末の定期検診のCT画像に「怪しいものがいろいろ映っています」と医者に言われたときも、それほど驚きはしなかった。
ただ、頭の中が真っ白になり、先生の話がほとんど入ってこなかった。足元から崩れ落ちる気がした。

「再発」=「寿命」
根治は目指さず、延命治療となる。
標準治療もなく、患者の状況を見ながら、延命を考える。

そんな情報は3年前の手術の時から頭に入っていたから、ぼんやりとした頭で「ああ、そうか。もう死ぬんだ」と思った。
とにかく詳しいことを調べましょうと言われ、PET-CTの予約をして、ふらつく足取りで診察室を出た。
こらえていないと涙がこぼれるので、トイレに駆け込んだ。

それが8月7日のこと。
11日から楽しい北海道キャンプを予定していたので、夫にすぐに伝えるかどうかを迷った。
こんな重い気持ちを抱えておくのは自分だけで十分で、北海道は楽しく過ごし、帰りのフェリーで告げようかと考えた。
とにかく夫を悲しませることが、それを想像するだけで、息が詰まりそうだった。過呼吸のようにはぁはぁ言いながら、病院のソファで会計の順番を待った。

でも、夫への思いやりよりも、自分一人で抱えておく苦しさのほうが勝り、結局そのソファの上でメールした。
仕事中に動揺させて申し訳ないと思い、事実と前向きなことを書いて、病院を出た。
どうやって帰って来たのか覚えていない。

部屋で少し泣いた。
でも、泣いていても寿命は1日だって延びないんだと思い、前向きに生きる方法をネットで検索し始めた。
夜、夫が帰ってきて話をした。「一緒にがんばろう。生きよう」と約束した。
そして、予定通り、8泊9日の北海道キャンプへ。
「いい空気を吸って、いい景色を見て、美味しいものを食べて、たくさん笑っていたら、ガンも消えるかもね」
二人でそう話して、たくさんたくさん笑った。
でもずっと心の奥に影が潜んでいて、それが出てこないようにするのに必死だった。

19日に帰宅し、翌日PET検査(全身がん検査)。
3年前のことを思い出したが、とにかく前向きに、何も映らないことを祈りながら検査を終えた。
この検査自体は、痛みも何もない。時間は3時間ほどかかるが。

もうその翌日、21日に検査結果が出るということで、夫は会社を早退してきた。
結果を聞くのは一人より二人のほうがいい。心強い。
その時は、私はもう何の恐怖感もなかった。どんな結果が出ても、やることは一つだけだから。「生きる!」
待ち合いのソファで夫のほうが死にそうな顔をしていたので、背中をさすって元気づけた。
北海道で撮った写真をいっぱい見せてあげて、気持ちを紛らわせた。私は笑っていた。
「かおりはすごいな」と夫が言った。

結果は、骨盤リンパ節および腹膜播種再発。
簡単に言えば、お腹辺りにたくさんのガンが散らばっているという状態。
新しくできたガンというよりは、3年前に叩ききれなかったガンが顔を出したと考えるのが妥当とのこと。
内臓などではないので、手術はできない。放射線も無理。選択肢は抗がん剤治療のみ。3年前と同じ薬だが、「最低でも6クール」という。
平然とした顔で、毒を盛ると言う。
私は涙一つこぼさなかった。ずっと医者をにらみつけていた。
「3年前、再発を防ぐために抗がん剤やったんですよね?でも再発した。効いていないってことなんじゃないんですか?」と突っかかったが、医者は「効いていると思う。やらなかったらもっと早く再発していたはず」と言う。
夫が冷静に、いくつか質問をして、医者はそれに答えた。

私は、前日の夜に夫に1つのことをお願いしていた。
それは、「すぐに答えを出さない」ということ。夫はそれを実行して、「一度持ち帰る」ことになった。
なので、まだ今の時点で抗がん剤治療の申し込みはしていない。

会計を済ませ、病院を出たとき、私が言ったのは「ビール飲みたいな」だった。
夫はびっくりしていたが、「うん、飲みたい」と言った。
まだ陽は高く15時半。
私は笑いながら、よく行く立ち飲み屋へ夫を誘った。
平日の15時から立ち飲みにいるのは、定年過ぎたオッサンばかりだ。その中に紛れて、生ビールを注文。
「決起大会や!」と私が言い、乾杯した。
思わず笑いがこみ上げてくる。
「知ってた?ガンの再発を告げられた夫婦は朝まで泣きとおすらしいよ。再発の告知を受けて、その足で立ち飲みに行く夫婦は、この世の中でうちらだけやよ」
愉快だった。勝った気がした。何にかわからないけれど。

その時の私の心境はこうだった。
8月7日に一人で結果を聞いた時、私は「再発してるんだな」と思っていた。医者の口ぶりはそうだったから。
あの時がショックと悲しみのピーク。
そして、その後、いろんな本やネットの情報を読んで、「最悪は、余命宣告もありうる」と覚悟していたのだ。
あと数ヶ月、あと1年・・・と。
だから、再発していた事実へのショックより、「余命宣告されなかった!まだ生きられる!」という喜びのほうが大きくて、自分の中の生命力がむずむずと顔を出し、どうしたって「生きる」という方向へしか、思考も行動も向かなかったのだ。

夫にそんな話をすると、夫は「かおりはすごい。かおりは強い」と言う。
「それは違う」と私は言った。
3年前の時もそうだった。いろんな人に「あなたは強い」と言われたが、何を言っているんだと腹立たしかった。
強い人間などいるわけがない!
病気になって、死を間近に感じて、平気でいられる人間なんているわけがない!
私がずっと平気で、笑っているとでも思っているのか。
この世への執着、やりたいことがまだある。愛している人たちがたくさんいるのに。
だけど・・・いや、だからこそ、強くあろうとするんだ。強くなりたいんだ。愛する人たちの想いを受け止めて強くなれないなら、それこそ生きていく資格がない。

「今日でひとまず最後」と言って、私はビールを飲み干し、日本酒を注文した。
酒がうまかった。
泣きながらご飯を食べたことがある人間は、大丈夫だ。まだ生きられる。

*    *    *    *

3年前もそうだったが、「なぜ私がこんな目に?」のような感情は一度も湧かなかった。
ただ、もっとポジティブな意味で、「がんになった意味」は考えなければならないと思う。
それは物理的な原因を探るという意味ではない。
よく「がんにならない食生活」のようなことが言われるが、じゃあ、私は人よりガンになる食生活をしていたのか?
ガンになっていない人は、毎日玄米を食べてにんじんジュースを飲んで、野菜とタンパク質を豊富に摂取して、インスタントもレトルトも甘いお菓子も一切口にしていないのか?絶対そうじゃないだろう。
少なくとも私の食生活は、平均以上に良質だ。
お酒のことを言う人もいるが、それもどうなのか。
直接、肝臓がんになるくらいアルコール摂取をしているのなら原因だろうけど。
だから、物理的な「がんの原因」を探ることは無意味だし、答えなど出るはずもない。
逆に言えば、「私はこれでガンを治しました!」も「その人には効いた」だけで、私に効くとは限らない。
特効薬はない。

ただこう考えている。「ガン」は私の一部で、絶対に何かを教えてくれているはずなんだ。
独りよがりの思い込みでもいい。無理やりの意味付けでもいい。それが生きることにつながっていくと信じている。
そして、余命宣告を受けたり再発したり、ステージが進んで発見されたりした人で長生きしている人は必ずこう言っている。
「ガンになってよかった」「意味があった」と。

「なぜ私が?」「なんで私がこんな目に?」と考えている人は、絶対によくならない。
意味を探すことが大切なんだと思う。
原因を探るのではなく、何を教えてもらっているのか、
ガンを治してその先に生きていく理由は何なのか、何ができるのか、
ガンを治して何がしたいのか、
それを考えて見つけることが、必ず生きることにつながる。
私はそう信じているし、それを実証してみせる。

*    *    *    *

今、悩んでいるのは一つだけ。
医者の勧める抗がん剤治療を受けるかどうか。
治療の選択肢は他にはないし、高い金を出してよくわからないサプリや免疫療法などに手を出すつもりもない。
受けないときは、自分の自然治癒力を信じて、それを高める努力をして、寿命を自然に全うするということ。
これは本当に勇気と覚悟のいることだから、おそらく抗がん剤治療を受けるだろうと思う。
でも、まだ病院に返事をしていないのは、100%納得いっていないからだ。

調べれば調べるほど、本を読めば読むほど、いろんな意見があって頭がごちゃごちゃになる。

「抗がん剤は死期を早めるだけ。医者を信じるな。毒を盛るな」
「ちゃんと臨床試験を経て効果があるのだから、抗がん剤は受けるべき」
「自分の自然治癒力を信じなさい」
「放置せず抗がん剤をやってくれていたら、もっと長生きできたのに残念です」
「私は抗がん剤などしないで、ガンを克服しました!」
「私は抗がん剤をやって、余命宣告から10年生きています!」

いや、ほんま、どっちやねん。
私は今、「再発した」という事実よりも、自分がどうやって治療していけばいいのかわからず、それでとてもしんどい。
グレーが苦手。選択肢が苦手。何より嫌い。

以前、3クールやってわかったことは、「こんなもん、3クールが限界や」ということ。
医者の言う通り6クールもやったら、ガンで死ぬ前に体がボロボロになる。
抗がん剤を投与するとき、恐怖感というより、私の中には罪悪感があった。
健康な細胞たちを殺してしまうことへの罪悪感。自分の体がかわいそうで泣けてきた。申し訳なかった。
もし、本当に自然治癒力で治るなら治したい。
でもそんなことが可能なんだろうか。

今、最も有力な選択肢は、「3クールだけ受ける」というもの。
どちらにしろ3クールごとに効いているのかCTとるので、効いてなくなっていれば3クールでやめるし、全く変わらなければ6クールやっても無駄だからやっぱりやめる。
その時、後悔しないだろうか。ボロボロになった体で、今さら自然治癒力も望めず、最初からするんじゃなかったと後悔しないだろうか。それだけが私の今の悩みだ。まだ結論は出ない。

ああ、もう一つあった。
日曜日、実家へ行って再発の事実を伝えてくる。
これは悩みというよりも落ち込むこと。母にどう言えばいいんだろうか。また心配かける。本当に親不孝。
母がどれほど苦しむかと思うと、それで落ち込んでしまう。辛い。

*    *    *    *

幾人かの友達にこのことを伝えた。
当たり前だが、みんな心配してくれている。応援してくれている。
「何もできないけど話くらい聞くよ」
「ごはん食べられてる?眠れてる?」
「よく考えて話し合って納得のいく治療をしてね」
「何かできることがあったら言ってね」
「祈ってるよ」
たくさんの励ましの言葉に救われた。

栃木から駆け付けようとした友達がいて、それは止めたけど、うれしかった。
盆正月に、親のところにも帰らないのに。そう思うと泣けてくる。

車を走らせて、癌封じの神社へ行き、お守りと祈祷後の砂を届けてくれた人もいた。
毎日、いろんな人の愛を感じて、それで泣いてばかりいる。

会いたいと言ってくれた人もたくさんいたけど、それは全部断った。
なんだろう・・・友達を避けたのは生まれて初めてかもしれない。
会いたいけど、まだみんなには会えない。そんな気分だ。
会えば、私は笑うし、よくしゃべる。
「あれ?思ったより元気やん。よかったー」
そう思ってもらおうと、体が、顔が、勝手に動くのはわかっている。
それが自分の体にはきっといい影響があることもわかっている。
明るい気持ちになるし、笑うことも免疫力を上げるし。
でも、今はそれを想像するだけで、とてもしんどい。
本当は大好きな人たちの顔を見たら、声を聞いたら、絶対に泣いてしまう。大声を上げて泣きたい。抱きつきたい。
でも、それを見せたくない。強くありたいから。だから、まだ会わない。

*    *    *    *

これから抗がん剤が始まるとして、次に考えなければならないのが仕事のことだった。
早ければ9月から今期の酒造りが始まる。10月、11月には毎週のように出張だ。
入院と副作用で動けない時期が出てくるし、また脱毛してウィッグをかぶるから、どうしたってチームメンバーには話さないわけにはいかない。
クライアント3名、デスクのYさん、ライターIさんにのみ、メールでざっくりとした内容と、これからどうしたいかということを書き、検討をお願いした。
「また迷惑かけるので再発したら辞めようと思っていたが、どうしてもまだ書きたいと思ってしまった」
ということも伝えた。
もしかしたら、長い戦いになるかもしれない。タイミングよく新しいライター候補が2名も勉強中。私はもうお払い箱になっても仕方がないと思っていた。

一人ひとりから、あたたかい返信があった。その人の人柄がとてもよく表れていた。

「あなたの代わりはいませんから、抜けられたら困りますからね。あとは筋トレしてたらなんとかなるっしょww」

「辞めるという選択より、続けるという選択をしてくださったことに、勇気と覚悟をもらいました。平日休みをとりますので、お会いしたいです。お顔、拝見したいです」

「あなたはこの雑誌に絶対に欠かせない人。休養してパワーをためこんで、また想いのぎゅっと詰まった記事を読ませてくださいね」

「再発したら辞めようと思ってたんですね。残念ながら今さら辞められませんよ。もう若くないんだから、我慢しながらやっていってください。笑」

「わがまま言っていいですからね。僕たちはそのためにできることを最大限します」

本当はもっともっとそれぞれ長いメール。
何度も読み返して、何度も泣いた。感謝しかない。最高のチーム。

私の席をあけて待っていてくれると、全員が言ってくれた。
だから、それまで治療に専念しなさいと。

抗がん剤治療を受けるなら、11月で3クール目。なんとしてもそこで終わらせて、年内に復帰する!
12月に1蔵でも取材に行くという具体的な目標ができたのもよかった。

これから、生きる方法と、生きる意味を考える。
これは神様がくれたチャンス。もう一度、生き直すんだ。

※この記事にコメントはできません。


自分にやさしく。

2019-08-01 | 想い
久しぶりに、鬱々と過ごしていた。
仕事をしたり、人と会ったり、お酒を飲んだり、いろんな楽しいこともあったが、この2ヶ月ほど心の調子が悪かった。

そういう時は、悪いループから抜け出せなくなる。
いろんなことがマイナスに感じて、人のせいにしたりイライラしたりする。
だからまた、マイナスのことが起こる。その繰り返し。

ひとりでいると涙ばかり出るし、ああ、もう限界だと思い、今日は一日自分と向き合ってみた。
無理に元気になろうとか、ポジティブシンキングだ!とかではなく、ただひたずら鬱々としている自分を観察してみた。
何に落ち込んでいるのか、何が気になっているのか、何に自信がないのか、何に不満なのか、何が不安なのか。

ただじーっと自分のことを客観的に観察していたら、何となく見えてきた。
3年前の今頃は何をしていたのかと、ブログを振り返ってみたら、抗がん剤治療をしていた。
「腫瘍マーカーの数値が悪くて再発しているかもしれないと言われた」という内容のブログを読んで、今までそんなことがあったことをすっかり忘れていたことに気づいた。
読みながら泣いた。あの時のことを思い出して。
それくらいもう「がんの自分」は過去だった。

少し泣いて、自分を見つめていたら、元気になった。
元気というか、バカバカしくなって目が覚めたというか。

怒りが長続きしないように、ネガティブもそんなに長続きはしないものだと理解する。

今日、偶然、こんな言葉に出合った。
「自分が何を持っているかをチェックして使い方にフォーカスしてたら、人をうらやんでる暇はない。」

本当に。
そんなことにエネルギーを使うのがもったいないと自然に思えた。

私はもう少し自分に優しくならないといけない。
人のことは「いいよ、いいよ」と許してあげられるのに、どうして自分のことは徹底的に責め立てるのだろう。
いつまでもねちねちと、これでもかというほど追い詰める。
それも、別に何の失敗もしていないのに、その存在を否定してかかる。

昨日、仲良し日本酒好きグループで、15時から酒蔵見学へ行き、夕方から飲んだ。
60代のおじさんと、35歳の女性2人と、私という変な4人組。
だけど、たまにこの4人で集まって飲んでいる。とても心地よい。(祇園の店で働いていた時に出会った)

お店に入って、日本酒の飲み比べセットを注文し、あまりに美味しいので私がうひゃうひゃ言いながらにやけていたら、3人が「なんか可愛いんですよねー」と言う。
最初、自分のことを言われていると気づかなかったが、私のことだった。
もちろんそれは「容姿」という意味ではなく、「愛されキャラ」のような意味で。
びっくりして否定したけれど、3人が本気でそう言ってくれているのが伝わって、うれしくなった。
40歳過ぎてから出会うような人に「癒し系」のように言われるようになったのはなぜなんだろう。
ジャックナイフとか、すぐ人に噛みつく野良犬と呼ばれていたのに(笑)。

今日、昨日のそのシーンを思い出してみた。
私をそんなふうに思って慕ってくれる人がいるのだと思うと、少し自分に優しくなれた。

それから、お世話になっているクライアントに今月の請求書を送る時、暑中お見舞いのハガキを同封していたのだが、昨日「嬉しくて会社のデスクに飾っています。夫にも写メして見せました」と喜びのLINEが来たことを思い出した。
私は、手紙を書くのが好きだし、その女性が子育てしながら時短で頑張って慣れない編集作業をやっていることをいつも感謝していて、この機会にそれを伝えたいと思い、書いたのだった。
字が下手すぎて送るかどうか迷ったけど、送ってよかったと思った。
きっと、社会人って、なかなか「あなたはよくやってるね。ありがとう」と言葉にして褒めてもらえることって少ないんだと思う。
たった数行のハガキをとてもとても喜んでくれた。

私だけじゃなくて、みんな何かと闘っているんだろうな、と思った。
私も仕事以外でも役立つことがあるんだなとも思った。
それをきっかけに、少しずつ自分を認めてあげて、少しずつ恢復していった。

何度もクライアントに「この仕事を辞めさせてもらおうか考えています」とメールを送りかけたけど、送る前に恢復してよかったと思った。
私はきっとそのメールを送って、クライアントから「あなたがいないと困るんです」という言葉を引き出したかったのだろう。
それを自信に変えて頑張りたかったのだろう。
もし、そう言ってもらえなければ、また「やっぱり私なんて」と落ち込んで、さらに自分を追い詰めたかったのだろう。
私は本当に、私に対して意地悪だから。

でもこれもきっと、本当は自分が大事だからなんだろうな。
他人に攻撃されるのが怖いから、攻撃される前に自分で攻撃しているんだと思う。オフェンスは最大のディフェンス、みたいな。

こうやって一つひとつ客観的に分析していくと、答えが出た。
答えが出ると、重い石が取り除かれたみたいに心が軽くなった。

自分を、自分の中の小さな種を、きちんと育ててやろうと思う。
自分が見捨てたらいけない。
そして、今は余計なことは考えず、目の前のことを一生懸命やる。
やると決めたことから逃げずに取り組む。

本当に、嫌になったら潔く辞めよう。
でも、こんなに好きなことを、ただ才能がないとか人より劣っているとか、そんなことで失ってはいけない。
自分だけは、自分を見捨ててはいけない。やさしく見守ろう。