月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

プチ整形

2012-04-29 | 生活
をしたわけではないのだが、5日前から右目だけが二重瞼になっている

もともと奥二重で、疲れ眼や、こすり過ぎたときなどは二重になることがあったのだが、数時間すれば治っていた。
今度もそんな感じで「目が疲れてるんやなぁ」なんて思っていたら・・・
1日経ち、2日経ち、3日経ち・・・今日で5日目。
治る気配なし。

その間に会った友達には、「プチ整形ちゃうからね!」と最初に念押し。

「四十にして、ふたえの人生を歩むのかな・・・」と私が言ったら、
「それもいいんちゃう?人生まだ折り返しやし」と言われた。

右目だけ?
すごーくヘンやねんけど・・・

もしかして、これに合わせて本当に左目はプチ整形をすることになるんじゃぁ・・・

それに、ふたえになってこの小さな目がパッチリ大きくなっているならまだいいのだ。
むしろ、瞼がかぶさって、以前よりもっと小さな目になっている

しかし、なんでこんなことになったのだろう。
「年で瞼が痩せてきたのでは?」という恐ろしい意見もいただいた

え?そうなん?!

毎朝、鏡を見るたびに、どよーんと気持ちが落ち込む。
早く治ってほしい。

そして、これから会う人へ。
プチ整形(それも失敗?)じゃないからね!!




心を言葉に尽くすのは……

2012-04-28 | 想い
ふいに思い立って、夜中に一人で尾崎豊のレコードを聴いていた。
中学生のとき、毎日聞いていた尾崎。
伝説の大阪球場コンサートも行った。
かなり傾倒していた。

もうあれから四半世紀経つのか……
そう思うと、嘘みたいでもあるし、現実を実感するような気持ちにもなるしで、複雑な心境に陥る。

20曲、全部歌えた。
ほとんど間違えずに。
昔覚えた歌というのは、体に沁みついていて、簡単にはがれるものではない。

歌詞を聴いていて思う。
私は尾崎を聴きすぎて、こんな大人になってしまったんだろうかと。

サラリーマンにはなりたかねぇ
朝夕のラッシュアワー、酒びたりの中年たち

自由になりたくないかい?

何を縛られて生きるの?

こんな歌詞ばっかり聴いて、聴きすぎて、すり込みっていうやつで、サラリーマンにならなかったんじゃないのか?
ラッシュの電車をあんなにも毛嫌いするのではないのか?
縛られることを嫌がるのではないのか?
(酒びたりの中年にはなったが

そんなことを考えていたら、夜中1時頃、夫が帰って来た。
「私はまだ行き先もわからないまま、盗んだバイクで走ってるんやなぁ」と言ったら、
「正気か?!」と言われた。

正気も正気だ。
いや、もうずいぶん前から狂っていたのかもしれないけれど。
とりあえず、「今」おかしくなったわけではない。

四半世紀前の自分はまだ夜の帳の中を走っている。行き先もわからないままで。
どこに行けば辿りつくのだろうかと未だに思っている。
(シェリーがいたら尋ねてみたい)

結局、あんまり成長していないのか。
40歳になってもまだ本当の自分の生き方を模索している。

この15年間、「書くこと」には助けられてばかりだった。だけど、これが私の悩みのタネでもあるわけで。
自分が本当に書きたいものなど書ける場はない、ということを実感させられることばかり。

人が好きなリズムって、それぞれ違うのだ。
音楽と同じで、文章にもリズムというのがある。
それが自分とぴったり合うと、音楽を聴いているときのように心地よく文章が読める。
その逆もある。
読んでいる途中から、退屈で退屈で。まったく入り込めないし、リズムが違うので気持ちが悪い。
「いくらきれいでもなかなか進まなくて、退屈な文章ってあるよね」と夫に言ったら、
「それは、アマチュアのバラードを聴かされているくらいしんどいな」と言った。
言い得て妙。

リズム、そして言葉の使い方。
これは本当に人それぞれ。何がいいとか優れているとかじゃなくて。好みの問題。

私は、難しい言葉が嫌いだ。
なぜなら、仕事で書く文章というのは、「読んでもらわないと意味がない」からだ。
アホでも読める文章を書きたいといつも思っている。

だから、できるだけわかりやすい言葉を使う。ストレートに。リズムよく。スピード感をもって。
それがいつも心がけていること。
漫才じゃないけど、「つかみ」というのも本当に大事で。
とりあえず、最初に、なんか面白そう!と思ってもらえるような「つかみ」を入れたいし、どんなに短くても何かしらストーリー性というのか、テーマというのか、そういうのを出したいと思ってしまう。

まあ、いつも完璧にできているわけではないけれど。目標ね

そういう「表現」のことを考えていると、いつも宮本輝の『夢見通りの人々』を思い出す。
詩を書く春太が、他の人が書いたちょっと前衛的な詩が賞賛されているのを不満に思うシーン。
春太の好きな詩は、
「その橋は まこと ながかりきと 旅終わりては 人にも告げむ」(津村信夫)や
「辛よ さようなら 金よ さようなら 君らは雨の降る品川駅から乗車する」(中野重治)などである。

春太はそれが詩だと思っていた。なんと、ひとことも難しい言葉を使わずに、多くのものを埋蔵していることだろう。それこそが詩ではないか。春太はここ数年、詩壇の世界でもてはやされ、有名な賞を取っている詩人たちの、晦渋で無味乾燥な作品を何篇か思い浮かべてみた。そして自分の詩を口ずさんだ。心を言葉に尽くすのは、きっと不可能なのに違いないと思った。(本文より)

私はこれを読むたびに、ウン、ウンとうなずいていた。
ひとことも難しい言葉を使わず、読んだ瞬間に心にまで届くような、そんな文章が私も好きなのだ。
逆に、そのほうが、「言葉」というものが持っている意味というのか、重みというのか、そういうのが伝わってくるから。
だけど、そうだ。春太も言うように、心を言葉に尽くすのは、きっと不可能なんだろうな……
そうわかっていながら書き続けるというのは、時に虚しく、時に淋しいものだ。なんと変なことを職業にしてしまったものか。

でも、取材は本当に楽しい。新しい人に会うのが楽しい。人の生き様を垣間見れるのが楽しい。
もう何百人どころじゃない、これまでに軽く1000人以上は取材してきた。
取材相手に喜んでもらえるものを書きたいといつも思っている。

そんなふうに、仕事をしているといろんな想いがある。あるけれど、常にその想いが通るわけではない。
楽しいだけではすまない。
どんな仕事だって、納得のいかないことはたくさんあるし、悔しい想いをさせられることはあるのだろう。
でも、ギリギリと歯を食いしばるだけだ。明日も生きていくために。15歳のときのように「自由になりたい」と思っているだけじゃ、ゴハンは食べていけないのだ。悲しいことにこれが大人。

納得しているようでいて、ふとこんなことを思う。
自分の心地よいリズムで、難しい言葉を使わず、取材相手の気持ちに沿いながら喜んでもらえるものを書く。それが全部できたら、どんなにいいだろう。
昔はそれができる場があったが、今はないなぁ。
そして、また同じ結論。何度も何度も同じ。もうわかっているのだ。自分でやるしかない。本当に自由になりたければ。
でも、それができたところで、それが私の求めてきた「自由」なのかどうかもわからない。
そもそも自由になりたいのか、私は。いや、自由って一体なんだ?
ああ、ますます尾崎みたいになってきた。相変わらずブレブレだ。

まだ夜の帳は続くのか。
とりあえず、もう少しだけ走ってみよう。ガソリンはまだ残っている。

春眠暁を覚えず

2012-04-25 | 生活
仕事がなければないで、やたら遊びの予定が詰まってしまい、なんだか毎日ぐったりとしている。
あっという間に夕方が来て、瞬く間に夜中が来る。
酒はそんなに飲んでいない。少なくとも家では。
労働していないと不思議とお酒を飲む気持ちにならない。

またいろいろと書きたいことはたまっているのだが・・・
なんだか筆も進まない。

とりあえず、わが家の花壇にも春が来た。




↑去年、塾の講師の女の子にもらったワイルドストロベリーが、今年もまた花をつけてくれた。
ハーブは生命力強いなぁ、やっぱり。






↑右の子は、今年、わが家のセンターを務めてます(笑)
こんなビオラ初めて!黄色の周りが赤い。可愛い色で気に入っている。

ハナミヅキも開花してきたし、モッコウバラも今週末には満開になるだろう。それから、赤いツルバラも咲き始める。
あと今年は、ちょっと珍しいイングリッシュガーデンっぽい苗もいくつか仕入れたので、それが咲くのも楽しみ。


この季節は摘んできた花をこうやって出窓に飾れるから嬉しい。

気持ちが沈んでいるときも、花の世話をしていると心が和む。癒しの時間だ。

ついでに、本日のランチ。たけのこ定食。


また筍をもらったので、筍尽くしにしてみた。(平日昼なんで、さすがにお茶飲んでます!)
・筍とわかめの味噌汁
・筍ご飯
・筍の土佐煮
・筍入りの筑前煮

筍の産地に暮らしていると、この季節は本当によく筍をもらう。
今年はまだ2回目で、それも2回とも茹でてあったのでラッキーだった!
茹でてあるならいつでもウェルカムなのだが、今回は本当に大量だったので、しばらくはいいかな・・・

ふぅ。

なんかちょっと元気ないなぁ。

今日2件、「エントリーしませんか?」という仕事の案件の募集が来たけれど、どうしようか迷う。
内容は悪くはないけれど、なんだか同じことの繰り返しという感じがして。

ライターの仕事は大好きだし、こういうと思い上がりのようにも感じられてしまうかもしれないけれど、実際、「どんなふうにだって書ける」。
私だけじゃない。15年もやってりゃ、ライターなんてみんなそうだ。

それと、私は本当にどんなものを書くときも、「楽しい」と思えるオメデタイ人間で、とりあえず言葉に触れているだけで満足してしまうようなところがある。
だから、15年もやってこられた。

でも、このままでいいのかな、と最近はよく思う。

思い返してみれば、前にやっていた社内報の仕事が一番自由だったかもしれないな。
企画からすべて携わっていたし、人物紹介の記事などは、本当に自分の感性と主観で書けた。(取材も一人でやっていたし)
その社内報の中で、ある会社の50周年記念に、第1号社員の方から順番に話を聞いて、その時代を生きた人たちの視点から会社の歴史を追うといった連載も2年くらいやっていたけれど、あれは本当に面白かった。
私の想いを散りばめて、私が感じたことを思う存分表して。

でも、今はもうそういう場はない。
「私らしい文章」を書きたければ、自分で仕事を作るしかないのだなと思っている。
これがここ最近のテーマ。ずっと。

暇やとそんなことばかり悶々と考え込んでしまう。

いっそのこと今やっている仕事が楽しくなければ、一歩前に進めるのかもしれないけど、ヘタに楽しくて満足しているもんやから、一歩進む勇気がなくなってしまうんやろなぁ。
いわゆる「ぬるま湯」ってやつだ。
心地よい場所から抜け出すのにはパワーがいる。

私の野心は一体どこへ行ってしまったのか。


小さなお花見

2012-04-22 | 生活
「お腹の赤ちゃんが安定しないので、自宅で安静にしていないといけないの」

友達からそんな内容のメールが来たときは本当に心配になった。
だけど、ちゃんと赤ちゃんはスクスクと何事もなく育っているし、彼女自身もいたって元気。そう聞いてホッとした。
それでも、何ヶ月も「安静」にしているということ、動き回れないこと、外に出られないことというのは、こちらが想像しているよりしんどいことらしい。
ブログなどで少し元気のない様子を感じ、何かできないかと考えた。

そこで思いついたのが、お花を贈ること。
岩手から大阪へ単身お嫁に来た彼女だから、きっと自然もない、大阪のゴミゴミした街のマンション暮らしは精神的に辛いだろうな、と思ったのだ。
私も上新庄に4年半一人暮らしをしていた時期があったけれど、あの頃は本当に精神状態が悪かった。
空と山が見えない生活があれほどしんどいとは思わなかった。そして、新幹線と車の騒音。

あの頃は毎日のように梅田の事務所に出入りしていたから、週に1度、第一ビルか第二ビルだかに入っている安い花屋さんで切り花を買って帰り、玄関に活けることが楽しみだった。
それが、私の唯一の「自然」との触れ合いだった。大げさでなく。

だから、家の中にお花があったら少しは心が和むかな、と考えたのだ。
そこでネットで調べていたら、もっといいものを発見!!

桜の盆栽。

3月だったのでまだ蕾。
毎日蕾が膨らんでいくのを見られたら、単にきれいなお花があるよりもっといいかなぁと思った。
われながら、いいセレクト(笑)

贈ったら、すぐに電話がかかってきて、「ありがとう!」と喜んでくれていた。
何もできないけど、ちょっとは心が和んだかなぁと、私も嬉しくなった。
「咲いたら写メ送ってねー」「うん、送る~」と、そんな会話をして電話を切った。

それから、4月に入って、「咲いたよ~」とメールが来た。
思っていたよりもピンクの色が濃い、可愛い桜。花びらも重なっていて、ゴージャス。

そして、私もようやく仕事が暇になってきたので、木曜日に彼女のおうちへ遊びに行ってきた。
梅田で彼女の好きなグレープフルーツのスイーツを買おうと探し、おいしそうなジュレを購入。
あとは、おしゃべりしながら食べられるよう、私の好きなヴィタメールのエクレアと。

おうちのある最寄駅に着くと、「ザ・大阪!」という感じの車がびゅんびゅん走る街中。自転車も多い。
山の中で暮らしている私からすると、これは家の中にずっとこもっていたら、しんどいなぁと改めて思った。

マンションに着くと、久しぶりに見る彼女の顔。元気そうだったので安心した。
二人でお茶とスイーツを味わいながらおしゃべり。楽しい時間だった。
少し横になってもらって、私もソファにもたれてくつろぎながら、いろんな話で笑い合う。
友達と会っても飲みに行くことばかりだから、こんな感じ久しぶりだなぁと新鮮だった。

岩手出身の彼女が、ダンナさんのお母さんやお姉さんの口真似をして、「~やで」「~したらいいねん」とか大阪弁で再現してくれるのがいつも面白い。
なんだろう、なんか不自然で(笑)。でも、ほのぼのして、これを聞くと私は楽しくなる。

もちろん、桜の盆栽も見せてもらった。
ちょうど満開!!


可愛い桜。
よかった、きれいに咲いてくれて。

帰りに、気を遣ってお菓子などを持たせてくれた。
あと3ヶ月ちょっと。
早く元気な赤ちゃんの顔が見たいなぁ・・・

「生むまでにまた来るからね」と言うと、「うん、また来てね。ありがとう」と彼女。
マンションから出て歩いていたら、窓から声が。
上を見上げたら、彼女が手を振っていた。

「気持ちの良い人だな」と思う。
彼女に会うと、いつも帰りにそう思う。気持ちの良い人。

まだ出会ってから1年半。だけど、ずいぶんと仲良くなった。私の最新の友達(笑)。

小さな小さな桜だったけど、二人で満開のお花見ができて本当によかった。

桜、さくら、サクラ、酒。

2012-04-22 | 生活
遊び疲れてブログが書けない数日間だった。

18日は少し遅めのお花見。
ライター友達と二人で、善峯寺→勝持寺(花の寺)→大原野神社→正法寺というコースを巡った。
街中とは違って山の中なので、ちょうど満開~散りかけといったところ。私の一番好きな頃合だ。また、この辺りは私の好きなお花見&紅葉スポットでもある。
とはいえ、久しく訪れていなかったし、善峯寺などは秋の紅葉しか見たことがなかったので、新鮮な気持ちで楽しめた。

善峯寺はまさに満開。ほとんどがしだれ桜で、ソメイヨシノとはまた違った美しさがある。



↑こちらの桜は、下の写真からわかるように、カエデを背負って立っている。


春には桜、そして秋には紅葉へと入れ替わるわけだ。なんとも趣きがある。

高い山の上にあるので、眺めも非常にいい。


斜面に点々と桜が咲いている様子もまた美しい。ソメイヨシノの桜並木などの迫ってくるような美しさと比べて、穏やかで控えめで、素朴な美しさ。凛として。


とても良い天気で、青空に飛行機雲がまっすぐに1本。清々しい!


善峯寺の名物は、こちらの松。とにかく長い!


満開の桜をたくさん堪能した後は、勝持寺へタクシーで移動。
こちらがお目当てだったのだが、3日ほど遅かったかな。もう半分以上散っていた。ただ、私は散る桜も大好き。

勝持寺には、西行が出家するときに映して剃髪したといわれている岩や、西行が植えて愛でていたといわれている「西行桜」がある。
NHK大河ドラマ「平清盛」で佐藤義清が出家する場面があるので、このお寺も人気が出たのではないかと思っていたが、満開を過ぎたところだったし、平日でもあったので、人出はほとんどなかった。そのことにむしろホッとした。

お寺の敷地内にぎっしりと植えられた桜も美しいのだが、私はやはりこの西行桜が好きで。
繊細で優しく、はかなげ。女性っぽい桜だ。


とても静かだった。こういう小さな山寺にいつも心惹かれてきた。
「静かだなぁ」と思う瞬間が必ずあるから。
この静けさというのは独特で、お寺でしか感じることができない。
しんとした気持ちで空を見上げた。


その後は、大原野神社。ここも大好き。狛犬ではなく、二対の鹿がいる。
ユーモラスで可愛い。


ちょうど「千眼桜」が満開だった。


ひと目で好きになる桜。こんもりとした形も可愛いし、白い花も可憐で。
桜のもつ妖艶さなど、この桜からはまったく感じられなかった。まるで少女のよう。


最後は正法寺。ここはお庭の石が動物の形に見える。
こじつけっぽいのもいくつかあるが・・・(オウムとか、どう見てもオウムには見えない)

庭園の桜もいいね。



夜はそのまま友達と先斗町へ移動して、おばんざいのお店「ほっこりや」さんへ。
結構、有名なお店で、前から行きたいなぁと思っていたので、友達が提案してくれて嬉しかった。
そして、思っていた以上に素敵なお店だった。気に入った!!
こじんまりとした店内。カウンターにずらりと並んだ日替わりのおばんざいと、煮込まれて美味しそうな色になっているおでん。少数ながら、料理に合うようやや辛口で揃えられた日本酒。そして、お客さんとの距離感がちょうどよく、愛想のいいお店の方々。

うまいおばんざいをつまみながら、日本酒をちびちびやるという、私の一番好きなタイプのお店だ。あれもこれもと注文したくなる。それも料理の味が極上ときてるから、非の打ち所がない。
京都らしい薄味でもなく、酒のアテだからといってやたら濃いわけでもない。基本は薄味の中に、ピリッと効かせた芥子や胡椒などがとてもいい感じのアクセントになっているものが多かった。

料理の写真があまりきれいに撮れていない・・・
たぶん、桜モードのままで撮ったんだな。ピンボケ多いけれど、ご容赦を。

鯵の南蛮漬けが最高やった!
私が作る南蛮漬けと同じで、出汁をしっかり使ってお酢の酸味を前面に出していないタイプ。骨まで柔らかい。


この季節はやはり筍。


春らしく、わらびも。ピリッと芥子を効かせていて、おいしい。


鰆の味噌漬け焼き。


おでん。


ポテトサラダ


他にも、ロールキャベツやおでんのタコ、湯葉なども食べたが、どれも非常に美味しかった。
日本酒を結構飲んで、二人で1万円程度。

いいなー。
ここは絶対いわさきっちを連れて来ようと思った。こういうの好きなのを知ってるから。私と同じでおばんざいと日本酒ちびちびは、まさにツボ

いろんな桜に出会え、夜は美味しいものを食べ、充実した1日だった。

友達と別れた後、この日はまだ10時にもなっていなかったので、久しぶりに高槻の行きつけのバーへ。
たまにこうして一人で飲む時間というのが私には必要だ。
自分の心を整理する場でもある。

おすすめのウイスキーを3杯。もちろんストレートで。




お隣のおっちゃんがシガーを吸っているのを見て、久しぶりに吸いたくなって私も頼んだ。
マフィア気分(笑)


最近は吸っていなかったけど、たまにはいいな。本当にたまに・・・、それこそ3年に1回くらいでいいけど・・・。

もう10年くらいは通いつめたバー。
ここに来ると、なんだかホッとする。たぶん、何も「変わっていない」から。
自分がどんなに年を重ねても、状況が変わっても、ここに来ると時間が止まっているみたいな気持ちになる。

マスターに「40歳なった」と言うと、「へー、もうそんなになるか・・・」と驚いていた。
いつものように、ニコニコと笑って、ニコニコを返して、「また来るわ」と帰り際に言って階段を降りていく。

ただ、あの頃と違うのは、自分にはちゃんと「帰る家」があるということ。
灯りがともり、「おかえり」と迎えてくれる優しい家が。

私は、変わったんだなぁ。