月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

ようやく終わりが見えてきた

2014-12-26 | 仕事
昨日で2014年の取材は終了。

最後はこちら。


大手の取材はいろいろと大変で、なんと4回に分けて取材が行われた。
田んぼ(農家さん取材)、酒蔵(蔵全体・杜氏インタビュー・研究室)、社長インタビュー、酒蔵(撮影メイン)・・・。

95%は機械で造っているけれど、こんな手造りもちゃんと残していた。



↑これは、昔ながらの「生モト」という造り方で、「お酒のお母さん」となる「酒母」というものを造っているところ。
最初の仕込みで、蒸米・麹米・水を入れて、攪拌している。
1日置いて、微生物の働きを良くするために摺りつぶし、タンクに移し変えて、およそ1ヶ月育てていく。
毎日温度を調整し、熱を加えたり、冷やしたり。
櫂という木の棒を使ってかき混ぜたり。



↑左、インタビュー中の私(笑)
杜氏さんにお話を聞いている。
蔵によって、白衣や帽子を着せられるかどうかは異なる。
小さな蔵だと、帽子すらかぶらないで土足というところも結構ある。
大手はやっぱり厳重。

私は大手のお酒をほとんど飲まないが、それでもこうして取材をすると「飲んでみよう」という気持ちになる。
それはやはり、「造り手」の想いに触れるからだ。
大手は「経営陣」と「現場」との温度差があり、めざすもの、求めるものも、正直違うと感じる。
でも、それぞれが、それぞれの立場で、自分の役割を全うしようとしていることは同じ。
「良いものを造りたい」と想う気持ちも。
そういうことが伝わる記事になればいいなと願って書いた。

最初の穏やかな入り、客観的な描写から、杜氏の想い、社長の方針へ、そして私の願いへと、記事の内容はどんどん加速する。
なかなかアグレッシブで、未来へつながるような、そんな記事になったのではないかと自負している。

それは「自負」だけではなかったようで、担当者からもお褒めの言葉をいただけたし、一緒にやっているカメラマンさんから、こんな嬉しいメールをもらった。

『原稿を拝読しました。
多くのことが見事にていねいに凝縮されていると思いました。
ラストに向かっていく感じがすばらしく、今回も結びの言葉に感動しました。』

私が意図していたことを感じ取っていてくれたことに、逆にこちらが感動した。
あまり自分の感情を出さないカメラマンさんだけに、こういうのは嬉しい。

日本酒雑誌で一緒にやっているカメラマンさんは3人いて、誰とペアになるかはその時の都合によるのだけど、3人ともそれぞれ個性がある。

一人はすごく自信家で(良い意味で)、自分の気持ちを写真に乗せるのも上手。
どちらかというと、持って生まれたセンスというか、芸術家的な要素が強い人。
報道よりも、写真集的なものを撮ったら上手なんじゃないかなと思う。

もう一人はまだ30歳くらいの若手で、一生懸命な男の子。
そつがなく、人物も上手に撮る。
でもまだ若いしね、これから自分らしいものをたくさん撮っていくようになるんだろうなぁと思う。

そして、今回メールをくれたカメラマンさん。私と同い年。
優しくて寡黙な人だけど、こちらから心を開くと、いろいろしゃべってくれるようになった。
写真はとにかく実直さが現れていて。
飾らず、故意に芸術肌を見せず、まっすぐに真実を伝えようとする。
私の文章の書き方と似ているかもしれない。

カメラマンさんも三人三様。
ライターも、私ともう一人。
この組合せはそのつど変わり、記事が出来上がっていく。

今年はこれで終了。
また来年だなぁ・・・


さて。
秋からかかりっきりだった、就職活動向けの本も、ようやく終わりが見えてきた。
長かった・・・。

2冊セットなので、それぞれの巻頭30ページ程度の特集記事に加え、1050社分の企業紹介の文章を書くという、とんでもない仕事。
ボリュームがすごかった・・・
もうすぐ1000社に到達するので、本当にあと少しだ。

結局、ふみこ、あや、姉ちゃん、夫に少しずつ手伝ってもらったのだが、かなり助かった。
こういうとき、ライターの横のつながりの薄さを感じる。
例えば、ライター女子会でたまに会うメンバーが3名。
仲良くしているライター友達(あんこちゃん・namiusaさん)が2名。
あとはライターの会合みたいなのでお会いしたことがあって、「知り合い」程度の人が5名くらい。

昔に比べたら横のつながりは増えたとはいえ、「飲み会に誘う」のと「仕事を任せる」のとは違う。
頼みたい人は自分の仕事で精一杯という忙しさだし、「時間ありますよ」と言ってくれる人は関係が薄いので、本当に頼んでいいのかどうかわからない。
仲が良い人の書くものは読ませてもらったことがあるから頼むことに不安はないが、知り合い程度だと、正直どれくらいの実力かもわからない。
同じ立場で仕事を請負うというのは非常にやりにくいと思う。

以前、ライター女子会のメンバーの一人から、どうしても行けない取材があるので行って欲しいと頼まれた。
その人は某会社のパンフレットを丸々引き受けていて、中のコピーは自分で書くが、社長インタビューのところだけ、取材にいけないからお願いしたいということだった。
快く引き受けて、取材も無事に終え、コピーも私としては問題なく書けたと思う。
もちろん、その人も喜んでくれて、特に不満があったようには思えなかった。
でも、あとで見ると、キャッチなどがちょこちょこ手を加えられている。
その時、これまでにない「嫌な感じ」を持ってしまった。

例えば、手を加えるのが編集者やクライアントなら、それはそれでいいのだ。
でも、同じ立場のライターとして、「明らかな間違い」ならともかく、「センス」や「感覚」の部分での手直しをされていることになんだかモヤモヤしてしまった。

そんな経験があったので、今回「誰かに頼もうかな」と考えた時に躊躇した。
あがってきた原稿が、もし自分が思うようなものじゃなかったら・・・
手を加えたくなったら・・・
それはきっと相手に失礼だし、私もあまりやりたくないこと。
実力を知っている人ならいいけれど、知らない人に頼むのはちょっとキケンだなーと思った。
で、結局、「文章の書ける友達」に頼むことになってしまった。結果的に正解だったと思っているけれど。(非常に出来がよかったので!)

しかし、これは来年以降の課題だなぁと思っている。
今回、このボリュームたっぷりの仕事のために、随分多くの仕事を断ってしまった。
また、もっと積極的に出れば取れたであろう案件もあった。
こんな時、仕事を「頼む」のではなく、「シェアする」感覚のライター仲間がいればいいなと思う。
実際、そういうグループを作っているライターさんもいるのだ。
そうすれば、仕事がこぼれることなく、自分たちの仲間の中でまわっていくし、クライアントにとっても「ここに頼めば必ず誰かがやってくれる」ということで信頼ができるだろうし。

個人事業主を集めて、何かクリエイティブな請け負いチームができればいいよなぁ・・・
難しいけど、長い目で見れば、そういうのも必要な気がする。

また、そういうとりまとめ(斡旋業務)をやっている人が話していたが、関西は若手のライターがほとんど育っていないという。
もともとパイの取り合いみたいな状況の中、私の世代が引退せず、出版業界がよかった時代からの関係を持ったままフリーで活躍しているものだから、若手の仕事がないらしい。
でも、実際は「若い人の感覚が欲しいから、20代のライターいませんか?」というクライアントの声も聞くという。
金銭的にも、若手を安く使いたい場面というのがあるようだ。
ベテランはしっかり仕事はするけど、それなりにお金もとるし、やっぱり若い感覚とはズレてきている面もある。
これは問題だなぁと思うし、昔から私は自分が一人前になったら、若手を育てるということをいずれはしたいと考えていた。
もともと「教える」ことは好きだから・・・

まあ、今はまだ自分の生活のことだけで精一杯で、そんな余裕はないけれど、今後、業界に必要なことなんだろうなとは思うし、何かの機会があれば、若いライターを育てながら、自分の仕事を手伝ってもらえたら一石二鳥だなと思っている。
難しいけどねー

とりあえず、終わりが見えた!
あとは年内30日まで頑張ってやりきろう!
今年も仕事や人に恵まれた、良い1年だった!

リミット

2014-12-24 | 仕事
不思議なもので、「あとひと息」と終わりが見えると、糸が切れてしまった。
やってもやっても、遅々として進まない。

そのうえ、心がギスギスしてきて、完全に「ブラックかおり」になっている

ああ、1日でいいから布団に入って連続で6時間以上寝たい。
3食まともなものを食べたい。
掃除と花壇の世話したい。

そんな欲望が渦巻くばかり。
私を追い込んで、投げるだけ投げて、自分達はしっかり早めに帰宅して、土日もしっかり休んでいるクライアントのことも、どうしても恨んでしまう。
別に悪い人たちじゃないし、本気で恨んでいるわけでもない。
ただ、あまりに過酷な毎日で、精神が病んできたときには、何かを攻撃したくなってしまう。
それだけのこと。
たぶん、全部終わったらニコニコして会えるんだろうな。

イヤね。ギスギスしちゃって

でも、昨夜はご近所夫婦のところで、蟹パーティ。
蟹にはうるさく、自分が納得いくレベルの蟹じゃないなら、食べる必要もないといつも豪語している私だが、ここでいただく蟹だけは大絶賛。
香住から届く、朝獲れなのだ。
新鮮なので生で食べられる。
甘くて甘くて、「あー、蟹ってなんて旨いんだ!」と思える。



仕事のことが気になって仕方がなく、結局、帰ってからまたリビングでうたた寝しただけで、仕事に戻ったけど。
それでも、久しぶりに人と交流し、美味しいものを食べながらおしゃべりし、気分転換にはなった。

しかし、最近、まともに布団で寝たことがないので、体中が痛い。
この仕事は明日の朝11時がリミット。
そこからまた取材なので。
あと24時間。間に合うのかなぁ・・・とこんなの書いている間に進めればいいのだけど、緊張の糸は完全に切れている。
ゴールはもうそこだというのに。

今日はクリスマスイブ。
いつもなら、チキンを焼いたり、ケーキを作ったりして、ワインの1本でも空けるところだが、今年は徹夜!!(からの取材クリスマス)

朝、そんなことをぶつぶつ言いながら「あははは あははは」と笑っていたら(←もうおかしくなっている)、寝ていた夫に「うるさい!」と怒鳴られ、殺意が芽生えた

イヤね。殺気立っちゃって・・・

追い込まれた時に、人間って本性が出ると思う。
子供の頃、おかんがよく言っていた。
自分が調子の良いとき、人に優しくできるのなんて当たり前。
自分がしんどいときに、どれだけ人を思いやれるか。それが人としての「芯」の部分を表していると。

結局、自分の器ってこんなもんか、と。
小さくて、浅い。底がすぐ見える。
へたれは、いつまでたっても「へたれ」のまんま。
こうなっているのも、自分の怠惰が招いた結果なのかもしれない、とも思う。
もっと頑張れたはずだ。もっともっと。やっぱり怠惰こそが、人間にとって一番の罪悪だ。
そんなことも考える。イヤね、もう・・・

とにかくあと24時間、ベストを尽くそう。

一人ランチ

2014-12-20 | 美味しいもの
また土日が来た。
当然、休むどころか、追い込み中の追い込みである。
とにかく月曜の朝まで、起きていられるだけ起きて、その間中はパソコンに向かう。
「人」としての限界までやって、それで無理な分はまた月曜以降に、という感じだ。

こんな日に限って、家のシロアリ定期検査の日で、朝から大掃除。
おかげで家はピカピカだが、しばらく掃除も適当だったので、午前中いっぱいかかってしまった。
でも、きれいな家はやっぱりいい。落ち着く。

最近の私の楽しみは、取材に出たときのランチ。
8年前まで、私は10年間、梅田の一等地(ハービスやヒルトンがあるところ)のビルの中の1室を間借りして仕事をしていた。
社員ではないので毎日ではないけれど、週に2、3回は通っていたと思う。
そんな時、お昼はだいたい近くのお店で食べていた。

その頃によく通っていたお店を、最近は1軒ずつたどっていっている。

先日はこちら。
まさに隣のビル「ヒルトンプラザ」の地下にある点心のお店「陶陶居」。



1200円のこの点心ランチがお気に入りだった。
昨年、あやがアメリカに行く前に点心が食べたいということで、ふみこと3人で行ったのが最後だったので、久しぶり。
どれもあっさりした味付けで、おいしいのだ。いくらでも食べられる。

自分で料理をする時間もあまりないので、ランチを充実させて満足感を得ている。
こういうひとときが、今は一番安らぐとき。


私の師匠

2014-12-19 | 仕事
ぶつぶつ文句ばっかり、ぐちぐち愚痴ばっかりの毎日だが、
ひとまず、日本酒雑誌の原稿は完了!
あと、残した造りのシーンの撮影があり、来週カメラマンと某酒蔵へ行くが、原稿自体は終了した。
何度かデスクとやりとりして、今朝、ようやく修正も終えて入稿に至った。

今回は3本だけど、いいものが書けたと思う。
担当者からも「この原稿一番好きです。読んでいて楽しかった」という言葉をいただき、飛び上がるほど嬉しかった。

良い原稿がかけるのは、デスクのYさんのおかげである。
Yさんは、いつもとても真摯に私の原稿に向き合ってくれる。
私が書くのと同じような気持ちで読み込み、的確な指示をくれる。
そこには一切、妥協がない。

それは、私がどんな思いで書いているか、それをわかってくれているからだ。
彼はいわば、プレイングマネージャー。
自身もライターなので、書き手の気持ち、言葉の大切さを理解してくれている。
だから、少しも偉そうにしたり、上から手直しをしたりしない。
同じ目線に立って、同じものを見て、同じように感じようとしてくれる。
そのうえで、客観的な意見を読者としても与えてくれる。
言葉選びに迷えば、ぴったりの言葉を探してくれる。

なんと素晴らしいデスクなんだろう!
この人と出会えて、今、文章をもう一度鍛えてもらえていることに心から感謝している。

私はYさんのことを絶対的に信頼しているので、「ここはこうしたほうがいい」と言われると、基本的には従う。
せっかく書いたのに・・・また書き直し・・・と泣きそうになることもあるし、「いや、ここは削りたくない!」と思うこともある。
そんな時は、自分の気持ちはきちんと伝えたうえで、じっくりと推敲してみる。
「ちょっと時間ください。書き直します」と。
今回もそうだった。
すると、「いつもそうやって私の指摘に向き合ってくださる姿勢に打たれます」と返事があった。

そりゃ、向き合うさ!!
だって、うまくなりたいから。もっといいものを書きたいから。
タダで文章の先生に指導してもらえる機会を逃すなんて、もったいなくてできるはずがない。
なにくそ、なにくそ、と思いながら、必死に書き直す。
絶対に認められたい。次こそ褒められたい。
そう思って、眠くても忙しくても、これを優先して書き上げる。

仕上がると、いつも恍惚とする。
今、こんなふうに恍惚とする仕事は他にないのだ。

入稿すると、ホッとして涙が出る。
何かをやり遂げた充実感で満たされる。
それと同時に、この仕事に出会えた奇跡と、素晴らしい人たちと一緒に仕事ができていることに感謝の気持ちがあふれてくる。
そして、またそのことで涙が出る。

担当者、カメラマン、デスク、デザイナー、ライター。
みんなが一つになって、いいものを創り上げようと、たった1つの言葉を何度も何度も話し合ったりもする。
次にバトンを渡す人が仕事をやりやすいよう、できるだけ早く良いものを作ろうと、自分自身の担当を必死にこなす。
それがよくわかるから、いいメンバーだなと思うのだ。

今日は私が使った「底力」という言葉が何か違うということで、皆で他の言葉を考えた。
こんなふうに言葉一つ妥協しない。
(結局「真価」になった)

年が明ければ、また静岡と福島の酒蔵に取材がある。
楽しみで仕方がない。
お酒を好きになってよかったなぁ。

タンクの中の小宇宙をまた覗きに行こう。
いろんな人の思いを、誠実にカタチにしよう。

正月の憂鬱

2014-12-19 | 生活
もう長い間、布団で寝ていないような気がする。
リビングかパソコンの前で机に突っ伏してうたた寝が基本。
どうせ布団に横になっても眠れないか、寝てもうなされるだけなので、うたた寝のほうが熟睡できるんじゃないかと思う。
細切れだが、足すと意外に長時間寝ていて、なんとも効率が悪いというか、体に良くない寝方だが・・・

なんとか29日にはいろんな仕事を終わらせて、30日・31日は大掃除やお正月の準備をしたい。
そう考えると、結局、ゆっくりできるのは、年が明けて3日と4日だけかなぁ。
1日・2日はお互いの実家まわりがあるし・・・。
また夫の実家でキツイ時間を過ごすと思うと、疲労の上に疲労がたまる。
夫の両親に会うのは楽しみだし、少しもイヤではないのだが、お義兄さん夫婦が子供を連れて来るのだ。
全員がその子供に集中するので、お父さん・お母さんとも何の会話もできない。
私と夫はただ端っこで2人でお酒を飲んでいるだけ。
あの、なんとも居心地の悪い、いたたまれない感じ・・・。地獄の時間。

朝ドラ「マッサン」を見ていて思う。
子供の産めない女は離縁されても仕方がない時代があったんだなーと。
今はそこまで厳しくないが、それでもこういうお正月の集まりなどではなんとなく肩身が狭い。
私が勝手に感じている部分が多いのもわかっているが、まあ、とにかくキツイのだ。

お義姉さんも気を遣ってくれるようなキャラではないので、見たくもない子供の分厚いアルバム2冊を見せられ、
「かわいいでしょー」
「あ、この表情いいでしょ」
「あ、これもお気に入りやねん」
「あー、かわいいー!」
と自分で言ってくる。

確かに可愛いものもあるが、親が思うほど他人は子供のヘン顔まで「愛嬌がある」と好意的には見れないわけで・・・。
というか、正直、過去に遡ってまで見たいほどその子に興味がないのだ。(目の前にいるし)
でも、そうは言えないから、とにかく機械的に「カワイイ」と言うしかない。
これは別に私が冷たい人間だからではないと思う。
夫でも「カワイイ」か「これどこ?」しか言わない。(撮影場所を聞く)
そんなもんでしょー!

不思議なもので、姪っこ(姉の子)は、わがままでもある程度、心からかわいいと思えたのだが、夫のほうの甥っこにはたいして感情が動かない。
目の前にいれば、それなりにかわいいとは思うが、離れている時間に思い出して可愛かったなーとか思うことはまずない。
これが「血」というやつか?
いや、でも、それこそ全く血のつながりのない友達の子はかわいいと思えるので、これは何なんだろうなぁ。
結局、親に好意を持っているかどうかが、子供にも影響するということか。

さて、朝6時半。
今日もまた長くて早い1日が始まる。