月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

粉もん&ソースは別腹

2013-03-20 | 美味しいもの
家のすぐ近くに、つくしの宝庫があった!



残念ながら、金網の柵の向こう側で(サントリーの土地だ)、摘むことができない。
こちら側に生えているものもあるのだけど、通り道のすぐ脇で、よく犬を散歩している人がいるので、ちょっと怖い。(何かひっかけられてそう・・・)

そんなわけで、何百と生えているつくしを、指をくわえてみていることしかできないわけだ。
ちょうど、月曜日に飲み屋でつくしを食べたところであり、久しぶりに摘んできて佃煮でも作りたいと思っていたので、非常に残念であった。

祝日なので、昼間は夫とたこ焼きパーティーをした。
日曜日はお好み焼きを食べて、水曜日はたこ焼き。なのに、夫はインスタントの焼きそばまで買ってきていた。
粉もん&ソース大国・大阪に生まれて本当によかった!
まさにソウルフードである。



たこパはいつやっても楽しい。
60個焼いて、30個ずつ食べた。
本当によく食べる夫婦である。(だから痩せない)
でも、粉もんは別腹だから。(←ちょっと何言ってるか意味がわかんないんですけど、と言われる)

仕事に追われる祝日も、こんなちょっとしたことが息抜きになる。



奈良の酒めぐり・・・じゃなかった、取材だ。

2013-03-18 | 生活
ライターに仕事を斡旋してくれるKさんからの依頼で、奈良へ取材に行ってきた。
今回面白かったのは、とにかく頭数のいる取材で、Kさんと関わりのある女性ライターが、私を含めて8人も集められたこと。
そのうち3人はいつもの女子会メンバーだったが、残り4名は初顔合わせ。
みんな30代後半くらい~45歳くらいで、とてもいい感じの人ばかりだった。(嫌な感じの人に会うほうが難しいけど)

大雨の中、大変な取材だったが、とりあえず終えられた。
終了後、喫茶店でコーヒーやスイーツなどでほっこりしながら、おしゃべりを楽しんだ。
初対面だったけど、全員とすぐにフェイスブックでつながった。
本当にこの仕事をしていると、フェイスブックはありがたい!
「それきり」で終わらず、「つながる」のがうれしい。

その後、私はせっかく奈良に来たので、お酒を購入して帰ることに。
商店街へと向かったら、1人が「私もそのへんぶらぶらします」と付き合ってくれた。
「お酒好き?」と聞いたら、「結構好きです」とのこと。
もともと奈良の人なので、ここに行くんだけど・・・と話すと、その店を知っていた。
「飲めるなら、1杯お近づきにどうですか?」と聞いたら、「ぜひに」と一緒に来てくれた。

奈良の酒蔵組合がやっているお店で、奈良のいろんなお酒が飲めて買える。
立ち飲みだが、200円~なので、気軽に飲めるのがいい。

二人で2種類ずつ注文


飲んでいたら、マスターのケンちゃんが、私の事を思い出してくれた。
前に来たときのことを話したら記憶が甦ったようで、「ああ、ああ!」と。

一緒に来てくれた彼女は実家に寄るとのことで30分くらいで帰ってしまったのだが、そこから私の長い長い立ち飲みが始まった。











本当はあと2杯飲んだけど、写真も撮るのを忘れている。
途中で「つくし」を注文した。


つくしの煮たやつを食べたのは本当に久しぶりだった。
これが旨い。酒に合うじゃないか!

3時間ひたすら飲んで、周りのお客さんとしゃべって笑って、ケンちゃんマスターとも仲良くなって、店を出た。
そして、近鉄奈良駅の立ち飲み屋にハシゴ。


つくし以外食べていなかったので、お腹がすいていたのだ。
きんぴらをつまみながら、また3種類のお酒。
あー、幸せだ。

最近、何杯飲んでも酔わないのはなぜ?

別にヤケになっているわけではないのだ。基本的に「酔いたい」酒飲みではない。おいしいから飲むだけだ。
でも、もう片足を突っ込んでいるような気はしている。

立ち飲みだったせいか、全く酔うこともなく、乗り過ごすこともなく、家に帰って来た。
もうすっかりさめていたので、今日の取材の原稿まで書いた。

あんまり気乗りしない取材だったけど、行ってよかったなぁ。
奈良は本当においしいお酒が多い。
今度は取材と関係なしに、お酒を飲みに行こう。


梅見

2013-03-16 | 生活
書く時間がないのだが、どんどんたまっていくので、少しずつでも記録していこう。

16日(土)は、夫と長岡天満宮へ梅見に行った。
この2年ほど梅見に行っていなかったので、嬉しかった。
桜も大好きだけど、梅はまた違った趣きがあって好きだ。
今年は暖かくなるのが早かったので、開花も早いよう。

少し陰り始めた夕方だったので、写真が暗いのが残念。

白いしだれ梅


赤いのや


ピンクの桜に似たものもあって


桜と違うのは、色も形もさまざまだということ。
この梅林はたくさんの梅があるので、1つ1つを見てまわるだけでも楽しい。




やはり一番お気に入りは、白いしだれ梅だなぁ。
なんとも美しい。


帰りにドトールでコーヒーを飲んだ。
「俺は桜より梅が好きやな」と夫。
私は甲乙つけがたい・・・

というか、桜はもう殿堂入り、という気がする。
あれはずるい。日本人のDNAに組み込まれてしまっている。
桜の開花を待ち、花を愛でて、散るのを惜しむ。
誰に教えられたわけでもないのに、それはもうどうしたって抗えない行為なのだ。

今年は開花が早かったので、梅と桜の競演を楽しめる地域も多いそうな。
なんと贅沢!!

トモダチから友達へ

2013-03-15 | 生活
金曜日はヒシカワくんと会った。
彼とは8年くらい前、取材で出会って、それから私の弟分みたいなもので、たまに会う。
と言っても名古屋に住んでいるので、本当に1、2年に一度くらいなのだけど。つまり、まだ合計5、6回しか会ったことがないという、何ともおかしな友人。

友情なんて、お互いの情熱がないと成り立たない。
マメじゃないと成り立たない。
「また会おうね~」「飲みに行こうね~」なんて言ってても、お互いがアクションを起こさなければ会えるはずもない。
その点、私はマメなので、人と会う機会が多い。

ヒシカワくんもマメ男である。
だから、日本全国・・・いや、世界中にトモダチがいる。1年9ヶ月、世界を旅してきた男だ。
たまたま意気投合して、たまたま二人ともマメだった。
だから、関西へ来ることになると、「ねえさん(←私のこと)、今度大阪行きますけど、時間あります?」と必ず連絡をくれる。
本当にありがたい。

今回もそのノリで、1年ぶりくらいに連絡があった。
「いいよー」と、高槻で会う。
焼き鳥屋で1杯、次は私の行きつけの居酒屋で1杯。

世界1周旅行から帰ってきて、今度は大学院を受け、2回目の試験でようやく合格。
この春から晴れて大学院生である。
2年行って、その後は自分が目指すものになるらしい。
実家にはいるけれど、もちろん学費は働いていたときに貯めているので、それを使うそうな。

自由気ままな33歳である。
でも、いつもちゃんと前を向いているし、有言実行。
「ねえさん、俺、世界一周行くわー」と言っていたとき、まさかね~と思っていたら、本当に行ってしまった。
帰ってきて、久しぶりに会って、「これから何すんの?」と聞いたのが昨年。「大学院受けるわー」と言っていて、今回会ったら受かっていた。
私はそういう生き方は好きだな。
人生を楽しんでるし、頑張る時は頑張っている。

今回、初めて「あれ、落ち着いたなぁ」と思ったら、やはりいろんな人に「変わったな」と言われるという。
天真爛漫で人懐こくて、夢ばっかり口にしている彼ではなかった。
だからだろうか、今回は初めて「過去」の話ができた。
自分というものを作って来た軌跡のようなものを語るのを聞けた。
何でもうまくやってきたわけじゃないんだなとか、いろんなことがあって、今の彼がいるんだなとか、いろいろ思った。

それで、ようやく本当に友達になれた気がした。
これまでは、世界中にいるトモダチの一人・・・、つまり、彼が旅先で会った時にご飯を食べたりする人、だったのだけど。
トモダチから友達へ昇格した気分だ。

だから、人間関係っておもしろい。
本音で付き合えば、いろんな発見や感動がある。楽しい。豊かになる。
この間のように悩むこともあるけれど、それでもやっぱりマメに人づきあいをしてしまうのは、得るもののほうがずっと大きいと知っているからなんだろうな。


テクニック

2013-03-13 | 生活
水曜日はあやとふみこと飲みに行った。
皆のタイミングが合い、急遽決まった。
今回は、北新地の「マツケン食堂」さんへお邪魔。
こちらは気軽なワインバルで、北新地のわりに安くておいしいとか。

まずはやっぱりバルの定番「前菜盛り合わせ」。
どれも丁寧に作ってあっておいしい。


こじんまりとしたお店だが、すぐにいっぱいになり、にぎやかだ。
アラフォー女性が多い。
お金を落としているのは、60歳以上とアラフォー女子なのではないかと思う、今日この頃。

3人で集まったのは本当に久しぶりで、話すことは山ほどあった。
実はこの日、集まる前に私はクリニックで再検診を受けていた。
この間、町の婦人科検診で病気が2つも見つかって心配していたのだが、なんと、再検診ではどちらも「ない」とのこと。
「ない」って何なのかと思うが、ないのだから仕方がない。
というか、ありがたい結果ではあった。

しかし、あんなに人をびびらせておいて、「ない」ってどういうことよ?
そのうえ、オプションでエコーをしてもらったので、4200円もかかっているのである。
その結果が誤診?

まあ、「悪いよりはよかった」ということで気持ちを落ち着かせたのだが。
ただ、「ない」で終わればよかったのだけど、別に調べたほうがいいことがあり、血液検査を行った。
1週間後に結果は出る。
いろんなことを受け止めないといけない年齢なんだなぁと、つくづく思った。
二人にはそんな話を聞いてもらっていた。

ワインのボトルを開けて、お料理もいろいろ頼んだ。
店内が暗いので、写真がボケているが、シマアジのカルパッチョ。


丸ごと玉ネギのローストと魚介のグラタン


仔羊のカツレツ


どれもおいしかったし、ワインが進んだ。

話題はこんなこと。
私は、自分がわけもわからず攻撃されたとき、なんだか悲しくなってしまう。
つい先日、そんなことがあった。
私はその人のことを信頼していたし、できれば仲良くしたいと思い、とても気を遣って接してきたつもりなのだけど、ある日、何の前触れもなく無視されるようになり、今度は嫌な言葉で攻撃されるようになった。
人間というのはこんなにも豹変できるのかと不思議になるほどの変わりようで、それを受け止めることすらできずにいた。
明らかにその人はおかしいのだ。
それは自分でもよくわかっている。自分を正当化しなくても、おかしい。
だけど、私が攻撃を受けて、まず浮かんだ感情は「怒り」ではなかった。「悲しみ」だった。
そして、私の真面目さが1つ1つを分析してしまう。なぜそうなったのか。
そこからどんどん発展して、「私」という人間に疑いを持ち始める。
無抵抗で、気遣いをして、仕事もきちんとこなして、相手にも好意をもって接して、それなのにこんなことをされるなんて、やはり「私」という人間はどこか欠落しているのではないのかと。
私自身が気づかないだけで、本当に責められるべき人間なのではないかと。
そう思ったら、向上心があるだけに悲しくなってしまうのだ。少しでも自分はよくなりたい、人に優しくしたい、人とうまくやりたい、傷つけたくない、喜んでもらいたい・・・そんな気持ちで接しているのに、拒否されるなんて、やっぱり人間としておかしいのは私なんじゃないかと。
そう思ったらとにかく辛くて悲しくて、さめざめと泣いていたわけだ。
その流れを話したら、ふみこもあやも、何の迷いもなくこう言った。

「その人がおかしい人やねんて!」

その即答が、あまりにも即答で、「あ、そうなの・・・?」という感じに私もなってしまった。

「は~・・・、なんか、もう、かおりちゃんは生きていくのが大変やなぁ」
「は~・・・何を泣いてるのかと思えば、そんなこと!明らかにその人がおかしいやん」
「相手がおかしい、相手が変な人なんやからしょうがないわ、って思うことも必要やで。これはテクニックやねん。自分を守るための。そういうことも必要なんやって!」

などなど、二人からズバズバといろんな意見を言ってもらって、なんだか自分が恥ずかしくなってしまった。
ありがたいことである。

「そうなんや・・・かわいそうに」と慰められたり(別にそれは望んでいないが)、同情してもらったりするよりもスッキリした。
他人からすれば、私が泣くほど辛いことも「なんでもないこと」なのである。いや、なんでもないというか、「考え方一つでなんでもないことにできる」のである。
その方法を私は学ばなくてはならない。それこそ「テクニック」なんだろう、自分を守るための。

でも、その後、もう少し発展させて話していたら、人それぞれの「テクニック」?があるのだなということもわかってきた。
全く違うように見えて、実はゴールは同じなのだ。
私も別に自分を不幸にしたくはないし、泣きたくもない。ゴールは「ふっきること」だ。
そのふっきるまでの経路が違うのだ。
明らかに相手がおかしいのだから、「あー、変な人もいるもんやなぁ」と思ってしまえば、簡単にそれでふっきれる。
私はそれができない。回り道かもしれないけど、とりあえず自分の悪いところを探して、自分を苦しめて、落ちるところまで落ちてようやく這い上がれる。
結局、今はふっきれているのだから、こういうやり方もありなのかもしれない。
「かおりちゃんは、そうしかできないのでは?」とあやが言ったが、そうなのだ、たぶん。

だから、まあ、人それぞれのやり方があるから、それはそれでいいのじゃないの?ということで落ち着いた。
もし私が今、まだ話しながら泣いて、落ち込んでいて、「どうしたらいいの~?助けて~!」みたいなのだったら困りものだけど、結局この日はもう自分なりの答えは出ていて気持ちも落ち着いていたので、「この間、こういうことがあって泣いててさ・・・」という報告でしかなかったのだから。

しかし、落ち着いていたものの、「なんか、大変やなぁ」「真面目やなぁ」とは言われた。
這い上がるまでの過程が長いし大変だし、何より自分を責めないといけないし。
でも、やっぱりこうしか今のところは方法が見つからないのだ。
もっとスマートにできるようになればいいのだけど。

人と付き合うより、自分自身と付き合うほうが難しいと思う、今日この頃・・・

そしていつも思うのだけど、「3人」というのはいい。
2人だと極端な話、対立が生まれてしまうが、3人だとそれがない。もともと別に対立したくて話しているわけでもないのだから、民主主義的に多数決というか、2対1に意見が分かれると、自然と「2」を受け入れられる。
それがもちろん信頼している友達だからなのだとは思うが、自分が「1」になっても「やられた」感がないのだ。
ああ、そういうものか・・・と、本当に自然に受け入れることができる。だから、スッキリする。「答え」がすぐに見つかる感じがする。
これが2人だと、「あの人はああ言ったけど、どうなんだろう?」と反抗心が生まれる場合もあるのだが。

あやとふみこと3人でいると、そのバランスみたいなのがいいように思う。
だから話すのが楽しいし、話題が尽きないのだろうな。