月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

手術前の気持ちを振り返る

2016-04-28 | 癌について
いつから書こうか、今日は書こうか、明日は書こうか。
そう思いながらも何もしないまま、日々は過ぎていった。

久しぶりにこうしてパソコンに・・・いや、自分自身に向き合うと、軽く緊張する。

何を書こうか。
何から書けばいいのか。

書きたいことはたくさんあるような気もするし、いざ書こうとすると何も書けないような気もする。
とりあえずリハビリだ。
今、思考を言葉に変換するのがとても難しい。
以前のように思考の早さで言葉が生まれてこない。
でも、きっと、書き続けていれば、また書けるようになると信じている。


手術の前は、病気の詳細をここに書くつもりはなかった。
でも今は書いておきたいと思う。
誰かのためにではなく、自分のために。

今日はまず、ざっと病気の詳細と治療の流れについて書いておこう。

今年に入って何度かの検査で見つかったのは、子宮体癌だった。
エコー、細胞診、MRI、子宮鏡で子宮内膜の組織を採取する検査、そしてPET-CT。
およそ2ヶ月かかってさまざまな検査をした結果、子宮内膜にできる初期の子宮体癌(おそらくステージは1a)という診断が出た。
1aというのは、癌が子宮体部のみにしか認められず、浸潤が子宮筋層の1/2未満のものを指す。

書き出すと長くなるのでなぜ見つかったのかは割愛するが、この2ヶ月間は出血も痛みもほとんどなく、ほぼ無症状。
入院する前日まで(もっと言えば手術が終わるまで)、私は「本当に癌?」と疑う気持ちだった。
そんな状態だから、当然、手術に対しても拒否反応が起こる。
当事者にならないと調べることもなかったので知らなかったが、私のように最も初期の1aという段階ですら、「子宮全摘出+卵巣・卵管全摘出+骨盤のリンパ節切除」が「標準の治療」なのだ。
医者は簡単にそう告げてきたが、「はい、そうですか。ではよろしく」というわけにはいかない。

痛くて死にそう、何とかしてほしいという状況なら、まだ仕方ないと思えるかもしれないが、誤診なのではないかと疑ってしまうほど元気な私。
そんな状態で大事な臓器を取られるなんて耐えられなかった。

いや、違うな。
耐えられないというより、「他に方法はあるんじゃないの?」と、まだそう思っていたのだ。
医学は進んでいる。摘出だ切除だとそんな野蛮な方法をとらなくても、薬や何かで小さくするとか抑えるとか、何か方法があるんじゃないの?
そんな気持ちで軽く抵抗した。
しかし、手術以外の選択肢(ホルモン治療)があるのは、「妊娠を希望する39歳まで」の人であることが条件で、既に年齢オーバーかつ子供を生む可能性のない私は選択の余地などないのだった。

医者はこういう抵抗には慣れているようで、とても冷静に説明をし、そしてこう言った。
「手術をするにしても、たぶん4月になると思います。まだ1ヶ月以上あるので、その間にこの病気について、しっかり勉強してみてください。セカンドオピニオンが必要であれば、それも全くかまいませんので」

言われた通り、私は子宮体癌について調べまくった。
親しい友人たちには詳細を話し、相談にも乗ってもらった。
皆、親身になって考えてくれ、「癌なんだから取ってしまえ」というような乱暴なアドバイスはなかったものの、心の中では「辛いかもしれないけど、治すためには仕方ないし、それであなたが治って生きていてくれるなら、そうしてほしい」と思っている気持ちは伝わってきた。実際、やんわりとそういう意味のことを言ってくれた人もいた。

結果的に、私は「標準治療」を受け入れた。
ただ、リンパ節だけは切除を免れた。(これについてはまた長くなるので別編で書く)
リンパ節は切除すると、浮腫(足のむくみ)や排尿障害など、後遺症が起こる可能性が高いので、どうしても切除したくなかったのだ。
術中の迅速病理検査でステージが変わらず1aであること、転移がないことを条件に、残してもらうことができた。
それだけでも本当によかったと思う。
おかげで手術後の体調もよく、後遺症などもまったくない。

先に書いたように、私は手術に対して軽く抵抗したけれど、癌宣告を受けてから手術当日まで(自分で言うのもなんだが)それほど悲観することもなく、落ち込むこともなく、神様を恨むこともなく、わりと堂々として勇敢だったと思う。
ヘタレで大げさで、すぐ悲観的になる自分の性質を知っているから、よけいにそう思った。自分でも意外だった。
ケロッとしている私を見て、「かおりはすごいな。強いな」と夫は何度も言ってくれた。
痛い検査もあったし、病院に行くたびに憂鬱にはなったけれど、それでも手術を受けると決めてからは、泣き言などは言わなかった。

一生懸命勉強したから、わかったのだ。
なんだかわからないけれど私は「癌」になってしまった。
癌という病気は進行する。転移する。再発する。死に至ることもある。
まさか自分が「5年後の生存率は・・・」と生存率の話をされるような状況に陥るなんて思ってもみなかったが、これが現実だ。
そして、何よりも幸運だったのは、「手術ができる」ということ。
ステージが進んだり転移したりしていれば、もう手術すらできず、手遅れになることだってあるのだ。
幸いにも子宮がんは「摘出ができる」部位であり、私のように初期なら「摘出さえしてしまえば」転移や再発の恐れもほとんどない。
生きていたいなら、手術が必要なんだ。
そして、手術できるのはラッキーなことなんだ。

そう思えるようになると、とても冷静に状況を受け入れることができた。
ただ、一度だけ・・・本当に一度だけ、入院する数日前の夜、さあ寝ようと布団に入った時に、なぜか急に悲しくなってきて、ポロポロと泣いた。
「あれ?なんか涙が出てきたよ・・・」
そう言葉が出たくらい、自分でもどうして泣いたのかわからなかった。
夫の前で一度だけ泣いた。この夜は涙が止まらなかった。

自分をかわいそうだなんて思わないけど、なんだろうなぁ・・・すごくみじめだった。
優しい夫が気の毒だった。優しくしてくれればしてくれるほど、彼が気の毒でならなかった。
私なんかを選んだばかりに、子供を持つこともできず、さらにはこんな病気の気苦労までさせた。
周囲の人は「なんでこんな年上の欠陥品を選んだんだ?」と彼のことを思うだろうと、そんな気持ちが押し寄せてきて、彼が気の毒でならなかった。
自分が不幸を背負うのはかまわないけれど、自分の存在が、一番大切な人を苦しめると思うとたまらなかった。

だけど、朝起きるともう泣いてはいなかったし、そんなことも考えないように努めた。
とにかく治すんだ、とにかく治して生きるんだ。
生きていれば恩返しはできる!!
このまま倒れれば夫をもっと不幸にしてしまう。何が何でも治すんだ!恩返しするんだ!
そう思うと勇気がわいてきたし、涙も出なかった。自分を悲観することもなかった。
怖くて怖くてたまらなかったけれど、絶対にその恐怖に向き合わないよう、いつもそっぽを向いて考えないようにした。

強い気持ちをもてたのは、友達や仕事先の人たちのあたたかい気持ちに触れたことも大きかったと思う。
子宮体癌のことを本で調べてコピーして送ってくれた人、知り合いのお医者さんに良い病院や治療法を尋ねてくれた人、自身の子宮けい癌の経験のことを書いたメモを何枚もくれた人、検査のたびに「頑張って」「どうやった?」「お疲れさま」とメールをくれた人、病気封じのお守りを買ってきてくれた人、一緒に飲みに行って話を聞いてくれた人・・・。

嬉しいことがあれば自分のことのように喜び、辛いことがあれば自分のことのように心を痛めてくれる。
それが「友達」というものだと思っていたが、結婚式の時に感じたように今回も友達のありがたみをつくづく感じた。
また、仕事上の付き合いしかなかった人たちもたくさん励ましをくれて、「待ってます」と皆が言ってくれたことが本当に嬉しくありがたかった。

そんなだったから、もうセンチになってる場合じゃないと思えたのだ。
センチになっても、悲観しても、何も変わらない。
それよりも1日も早くよくなって、皆に恩返しをするほうが大切だと思うと、生きる意欲がわいた。
不思議といろんなことに耐えられたし、前向きな気持ちになれた。涙はもう出なかった。

実は、入院してから手術までにもう一度落ち込むことがあったのだが、それもまた追々。
とにかく入院して手術を受け、そして退院した。
今はもう私の体内に癌はない(はず)。
まだ自宅療養中だが、すっかり快復して元気に過ごしている。

手術中もいろんなことがあったが(それもまた追々)、手術前に感じていた「子宮摘出はイヤだ」と思う気持ちをもう思い出せない。
それくらい平気になっている。
たぶん、だから、ここにも詳細を書けたのだと思う。
そんなことは、今の私にとってはもう「取るに足らないこと」なのだ。
もっとそれはとても悲しくみじめな出来事だと思っていたのだが、あの手術前の恐怖と手術直後の壮絶な寒さや痛み、明けない夜の長さを思えば、取れてよかったという気持ちにしかならない。
ふと気を抜くと死神に魂を持っていかれそうで、毎晩「生きるんだ」と強い気持ちを持ち続けなければ精神的にまいってしまいそうだった。
あの張りつめた気持ちは、たぶん、癌宣告をされた人にしかわからないと思う。
それがなくなったということだけでも十分なんだろう、不思議なくらい、子宮や卵巣がもうないという事実が苦しくない。
実際、お腹に違和感もないのだ。
人によって違うのだろうが、私は100%と言いきれる。100%、感覚としては以前と何ら変わらない。
そして、もう何の痛みもなく、体調もよく、ただの元気な人になっている。
(入院で体力が落ちてしまい、まだ少し疲れやすいけれど)

女性ホルモンがなくなる影響で、急に老けたり性格が変わったりするのではないかと脅えていたが、それも全くなかった。
むしろ、「若返った」「健康的になった」「しっとりした」「お姉さんになった」等、わりと評判がいい(笑)
なんだか良いことづくめで、手術して本当によかったと思う。

そして、人生で初めての休暇。
およそ1ヶ月間、ほぼ働いていない。
それが意外に心地良く、やっぱり私は休みたかったんだなぁと感じる。

それもこのゴールデンウィークまで。
明ければまたぼちぼち仕事を始める。
でも、きっといい形で仕事ができるんじゃないかと思う。ストレスフリーで。

私に人生のリセットをさせてくれた癌。
転んでタダで起きるつもりなどなく、これを機にこれからどんな人生を歩もうか、どうやって生きようかと考える日々。
失ったものもあるけれど、得たもののほうが大きいから、今はとても幸せだ。

とりあえず今日はここまで。
細かい話はまた追々。