月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

20代の頃みたいだ。

2018-10-24 | 想い
自分の中で変な現象が起きている。
これをなんと表現していいのか、なんと言ったらいいのか。
この12年、まったくなかった感情、感覚。
ああ、そうだった。私はずっとそうだった、こんな感じだったと思いだしたのだ。

夫がインドへ旅立った。仕事ではなくプライベートで。
会社の友人にインドに精通している人がいて、その人にガイドしてもらおうということになり、会社(東京)で一番仲の良い友人と共にインド通の人とその友人(会社関係者ではない)と4名で1週間。
春くらいから有休も申請していた。
先週の金曜日に出発し、今週の金曜日に帰って来る。

夫はこの数年、週に最低でも1日、多い時は半分は東京に行っているし、私も出張が多いので互いに離れて暮らすことには慣れている。
だから、インドへ1週間行くと聞いてもなんとも思っていなかった。
なのに、不思議な現象が起きた。
金曜日に夫が出発し、私は土曜日に日帰りで金沢へ取材。帰ってきて、夫がいないことに気づき、ああ、そうだ、インドだったと思った瞬間、なんだか暗く落ち込んでしまったのだ。

日曜の朝、目覚めても、心の奥にずーんと重い石が入っているみたいで。
これは何なのか、何なのか。知っている、私はこの感じを知っていたぞと思いだして気が付いた。
「淋しさ」だった。
びっくりした。本当にびっくりした。
常に家にいる夫婦が離れたわけでもなく、10日もたったわけでもない。東京出張で3日とか会わないなんて普通にあるのに、なぜか漠然とした不安に襲われた。
淋しさと漠然とした不安は似ている。心が重くなる。
26歳から35歳で結婚するまでずっと一人で暮らしていた。あの時のいつも淋しい感じとよく似ていた。久しぶりに思いだした。これは何なんだろうかと考えた。考えて分析してわかった。
私は、将来のことをシミュレーションしたんだと。最初から1週間帰ってこないと聞かされて、ふと、夫に先立たれて一人になったらこんな感じなのかなと思ってしまった。それが悪かった。もうその感覚がまとわりついて離れなくなって。
翼をもがれたとか、半分をなくしたとか、まさにそんな感覚。
お酒も美味しくないし何もやる気が起きない。(と言っても仕事はあるのでやるのだが)
そうか、私は夫が死んだらもう生きていないなと思った。

そんなことを実感するとは。

でも、こちらも淋しいと思っている時間もそんなになく、金沢から帰ると今度はすぐに茨城へ。今日帰ってきた。
最近は近場の京都に出てもぐったりしていたのだが、ビール1缶も飲まずに禁酒したら、ハードな移動と取材でも全く疲れを感じず、やっぱり飲みすぎなんだなと思った。この「しんどいって何?」という感覚も久しぶり。そうだった。ずっとどんなに働いてもしんどいと思ったことがなかった。酒もほどほどにしないといけないなと実感。もう若くないのだから。逆に、アルコールを抜いたら私の体力と元気は20代と変わらない。これこれ、この感じだったよなーと思いだした。

なーんだ。
毎日こんなにしんどくて眠くて、パフォーマンスが落ちているのは加齢か病気のせいかと思っていたら、単なる飲みすぎだった。
こんなに変わるのなら少し禁酒しよう。

偶然の出会いなどない。すべては必然だ。

2018-10-18 | 想い
一昨日は祇園の店で一緒に働いていたAちゃんと二人飲み。
私が辞めてからの話などをいろいろ聞いた。
3軒ハシゴして、いいお酒をたくさん飲んで盛り上がった。
彼女とはこれからも何かとつながっていくのかな。時間が経てばどうなるかわからないけど(今は共通の話題があるので盛り上がるが)、一緒にいて楽しい人。

「言葉が通じる人」かどうかというのはとても重要だと思う。
もちろんこの「言葉」とは、日本語や英語といった「言語」の話ではないし、方言やイマドキの流行り言葉という意味でもない。

ちゃんと同じ日本語で話をしているはずなのに、どうもかみ合わない人というのがたまにいる。
それは性格の不一致とかそういうことともまた違って、うまく言えないけれど「言葉が通じない」というのが一番しっくりくる。

言葉そのものの重みをどう捉えているのかということや、表現方法の違いなども影響するけれど、もう少し深いところの話。
こちらがどんなに熱を持って話をしても通じないこともあれば、逆に言葉足らずなのに理解してもらえることもある。
前者の場合はがっかりしてしまうし、時々腹が立つこともある。
後者の場合は、それだけでとても幸福な気持ちになる。

Aちゃんは言葉の通じる人だ。
だから楽しいのだなと思った。

抱えている原稿がないというのもいい。それも今日までだけど。
ぎっしり埋まった取材スケジュールに、さらにや山形行きも追加された。
でも、今週で生気を養えたように思う。やはり一度リセットするって大事だ。今はやる気しかない。
それに正直、まだ物理的な時間の余裕は十分にある。
問題は精神的なものだ。自分の中に抱えていく緊張感にどう耐えるか。それだけ。

実際、物理的な余裕はまだあるので、28日に某酒の会へ参加することになった。
参加費が15000円もするので、気軽に人を誘うこともできず、一人で参加することにした。
祇園で知り合った人からのお誘い。35蔵も集まり、酒だけなら50蔵の酒を飲めるとのこと。それも出品酒クラスの大吟醸がどんどん出るらしい。
その主催が、北新地で有名な日本酒のお店の店主で、いわば個人的なつながりだけで全国の蔵元さんをそれだけ動かせるのだからすごい。
そういうしっかりした会だったので、思い切って参加することにした。
15000円の価値は十分にあるのがわかるので、お金のことはいいのだが、お酒の会に一人で参加するのは初めてだったので、かなり不安だった。
でも、こういう引っ込み思案な自分を克服しないといけないと思っている。
祇園勤めだって、私にしたら大きなチャレンジだったけど、結果的には「人のつながり」という大きな財産が残った。
15000円の価値をちゃんと感じられるような、いわば「大人」ばかり集まる会なので、ここでもいい出会いがきっとあると思った。

そしたら、まだ参加前だけど、すでに大きな出会いがあった。
誘ってくれた人のテーブル(10名)のグループチャットが昨日できたのだが(お金の振込先や会の内容などを共有するため)、なんとそこにふみこの陶芸の先生がいたのだ。
先生から私へ連絡があり(先生が気づいた。それもすごい)、もしかしてふみこさんの友達の方では?と。
世間って本当に狭い!!
びっくりしたけど、共通の話題を持った人がいてくれて、ホッとした。

私はこういう仕事をしているので決して「人見知り」ではない。初対面の人でもガンガン話せるし、人と話すのは大好きだ。
でも、誰も知らない人ばかりの中へ一人で飛び込むのは苦手だ。
それはきっと、学生時代のトラウマがあるからだろう。
クラス替えなどのとき、私はいつも誰からも話しかけてもらえなかった。
「真面目そう」「暗そう」「面白くなさそう」「性格悪そう」と言われるし、実際そのように思われるような「つまらなそうな顔」をしていたのだけど、ニコニコして人に好かれようとも思わなかった。世間を「フン!」と斜めから見ているようなところがあった。
今は大人になって、とにかくいつもニコニコしている。
とりあえず、ニコニコしていたら、「私は人に害を与える人間じゃないですよー」とわかってもらえるからだ。
そうか、ニコニコするってこんなに得なことだったのか、と大人になって気づいた。
それでもいまだに酔っている時以外は、カメラを向けられても笑えない。子供の頃から笑っている写真がほとんどなかった。

もしかしたら、うちの姉もそうだったんじゃないかなと思う。
姉のところの娘(ひな)は小さな頃からとにかくニコニコする子だった。カメラを向けられてもいつも笑顔。
つい最近、それは姉がずっと「笑顔でいなさい」とひなに言って育ててきたからだと知った。
へー、そういう教育をしてきたのかと意外だった。

とにかく、そういうトラウマがあって、大勢の中に入った時に誰からも話しかけられない自分の映像が頭に浮かんで淋しくなってしまうので、一人で参加するのは苦手だったのだ。
でも、じっと膝を抱えて家の中で自分の世界にこもっていたら、本当は安心だけど、何もチャンスはない。
今は少しでも前に出て、「私はここにいますよ」と、世間の人にアピールしていきたい。
これまでの20年も人のつながりで仕事をしてきた。
これから先も自分が行きたいステージに立つためには、人のつながりは絶対に欠かせないものだと思っている。
祇園で得た人脈を大事に、それをまた次へとつなげていきたい。
まだまだやりたいことは山ほどあるのだから。


自己決定

2018-10-17 | 想い
ここ数年は、とにかくNHKにお世話になっている。
他のドラマは何も見ていなくても、朝ドラと大河は欠かさない。

「西郷どん」はとにかく面白く、原作の力を感じる。
しかし、この時代は悲しい。
日本人同士が戦わなければならないということ。それも、みんな私利私欲のためではなく「日本を守りたい」という根柢のところは同じなのに。そう思うと悲しくて仕方がない。
明治維新の頃のドラマ、本、漫画などいろいろ読むけれど、土佐、長州、会津など、どこからこの時代を見るかによって、敵味方の感情が揺れ動く。
今回、初めて薩摩サイドからの明治維新を見ることができたのもよかった。
そういうことだったのね、西郷どん。そう語りかけたくなる。知っているようで知らなかった歴史。

朝ドラ「まんぷく」も面白いが、松坂慶子演じるお母さんにイライラする。
娘の幸せと言いながら、自分の考えを押し付ける、ああいう母親が一番嫌いだ。

ふと、この間ニュースで「所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる」という神戸大学の研究結果が出たというのを見て、妙に納得したことを思い出した。
こちら

アンケートの結果、
1位 健康
2位 人間関係
3位 自己決定

で、所得や学歴よりも「自己決定」というのが人の幸福感を決めるというのだ。
つまり、進学や就職、結婚など、自分の意思で決めることが、人間の幸福感につながっているということ。

「自己決定によって進路を決定した者は、自らの判断で努力することで目的を達成する可能性が高くなり、また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなることから、達成感や自尊心により幸福感が高まることにつながっている」らしい。

これをニュースで見たときに、自分の人生を振り返ってみて、確かに高校、大学、就職(しない)、結婚など、すべて自分の意思で決めてきたから、多少嫌なことがあっても頑張れるし、責任と誇りを持てて、いつも幸せなんだなと思った。
就職しない(作家になるとか、バカなことをほざいて学歴を無駄にした)とか、フリーで不安定な生活をしながらも家を出て9年も一人暮らしをするとか、あげくの果てに10歳も年下の男性と結婚するとか、一般的には反対されてもおかしくないようなことでも、母は一度も私を否定しなかった。「こうしたほうが幸せになるから」「あなたはこうすべきだ」というようなことを一度も言わなかった。
むしろ、いつも肯定してくれて、私の進みたい道へ背中を押してくれたな、と思う。
だから私は人生の節目をすべて「自己決定」できた。これは本当に幸せなことなんだと改めて思った。

朝ドラの「福ちゃん」も、お母さんの意思に負けることなく、自己決定して幸せになってほしいなと、毎朝エールを送っている。

緩む。

2018-10-16 | 想い
秋らしい爽やかな日があるかと思えば、夏の名残のような強い日差しの日もあり。
ぐずぐずとした雨の日も多く、今年はなんだか「秋が来た」とはっきり思える瞬間がない。
今年はこのままそんな瞬間も味わうことなく、気がつけば秋のど真ん中にいるような、そんな予感がする。

また三連休は長野へキャンプに行っていたので、ただ疲れをまとって新しい週を迎え、原稿に追われている間に週末が来た。
土日はようやく衣替えなど自分のことをできると思っていたら、夫の買い物に付き合うことになり、疲れて帰宅してうだうだしていたら時間が過ぎてしまい、無念とも後悔とも恨みともつかないような気持ちになって、また週が明けた。

自分の部屋は、衣替えの途中のままだ。
洗ってたたんだ夏物の服と、捨てるものが積み上げられているだけで、まだ冬物は引っ張り出していない。
今も雑然とした部屋の中で、それらを横目で見ながらパソコンに向かっている。

それでも今週は「何も取材の終わった原稿を抱えていない」という、とんでもなく珍しい1週間。
先週の金曜日に取材済みの最後の原稿を提出した。今週金曜日にまた新たに取材が入っているが、それまでは私の中はからっぽ。
労働をしていようがいまいが、取材を終えたのに書いていない原稿を抱えていると、常に頭の中にはそれがある。
取材の時の空気や、あの時五感で掴んだ感覚を自分の中にとどめておく作業というのは、おそらくそれをやったことがある人でなければわからない。ご飯を食べていても、寝ていても、何をしていても、緊張している状態が続く。
それも、1つや2つでなく、いくつもの瞬間を自分の中に新鮮なままで留めておかなければならないときなど、パンパンに膨れ上がって、今にも破裂しそうで狂いそうになる。
もちろん、書き出していけばいいのだが、取材が続いてそれができない時は、本当にしんどい。ずっと張り詰めている。
でも逆に、今のように何も自分の中に留めていないと、私はぼんやりできる。ほわほわとした気持ちで、時間の流れもゆっくり感じることができる。

とはいえ、やりたいことが多すぎて、時間はいくらあっても足りない。
衣替えすらまだ終わっていないのだから。

ずっとなくなりかけた化粧品をちびちびと使って耐えてきたが、それも限界なので、久しぶりに化粧品をいろいろ買い揃えた。
それだけでもなんだか気持ちが浮かれるから不思議だ。

花苗も注文した。この夏は猛暑と大雨の繰り返しで花がうまく育たなかったけど、秋の花壇はきれいに作りたい。

今日はこれから靴を買いにマルイへ行く。
私の小さな足に合う21cmか21.5cmの靴が一番揃っているから。これでボロボロの靴からも解放される。

秋の服も少し買いたいが、とにかく太っているので鏡を見ると購買意欲がそがれてしまう。何一つ可愛い服は似合わないから。
これはダイエットが先か・・・。

あとはコンタクトを新しく替えに行き、髪染めをし、左手の腱鞘炎を治すために病院へ行けば、だいたいやりたいことは終わる。

しかし、この休息の間にも、どんどんスケジュールが取材で埋められていく。
19日、京都
20日、石川
22日、大阪
23・24日、茨城
29日、京都
30日、鳥取
31日、兵庫
5・6日、秋田

またこれだけの取材を自分の中に抱えて、張り詰めた日々が続くのだ。

慌ただしく過ぎた9月後半

2018-10-04 | 生活
9月の1回目の3連休が終わってから、慌ただしい日々が続いた。
仕事も忙しかったが、イベントごとが多く、本当に息つく間もなかった。

9月28日が祇園の最後の出勤だったので、私企画のイベントをすることになったのだ。
滋賀のお酒を楽しむ会にして、滋賀酒に詳しい「あひるさん」に講師をお願いし、お酒や料理の打ち合わせに追われた。
毎日取材に行き、原稿を書く。空き時間にイベントで出す料理を考える。バランス、材料費、お酒とのペアリング。

同時に、これは本当にたまたまというか、この約束がずいぶん先だったのだが、イベント前日に友達が2人うちに来ることになっていた。
久しぶりに私の手料理が食べたいということで、「この週なら空いているからいいよー」と気軽に承諾していたら、結果的に翌日がイベントになってしまった。

そのうえ、2回目の3連休はキャンプの予定が入っていた。それも島根県松江まで!
毎日原稿が追いつかない状況で、3時間睡眠でキャンプへ。
今回は「旅行キャンプ」だったので、出雲大社や松江城などもまわり、かなりハードに遊びたおした。

帰ってきたら、翌日は朝と夕方の取材2本立て。1日に7人も取材してふらふらになりながらも、合間に原稿を書いて。
「あと何時間?」「あと何時間眠れる?」と逆算しながらの日々。

それでも、27日は無事におもてなし成功。
来客もとても喜んでくれた。
いろんなお酒を出し、ペアリングも楽しんでもらった。


「おいしい、おいしい」と食べて飲んでくれている二人を見て、やっぱり頑張ってよかったなぁと思った。
なんだかそれまでの疲れも吹き飛んでしまった。
ただただ楽しい時間だった。

しかし、まだ終わりではない。
二人が夕方帰ると、そこからイベントのための買い物へ行き、原稿を書きながらの仕込み。
また寝たのかどうかよくわからないような夜を過ごして、イベントの料理作り。
17時前に店に入り、スタッフAちゃんと共に最後の仕上げ、盛り付けをした。

完成!


お酒は9種類。


イベントは友達も含め、13名が参加してくれた。
皆が楽しんでくれて、あひるさんのお話もためになり、イベントは大成功!
そのうえ、私が最後の日だと知ったお客様やスタッフからお花やお菓子など、いろんなものをいただいた。


お店で働いたのはたったの8ヶ月。それも月に5回くらいなので、一人のお客様と顔を合わせたのもほんの数回だ。
でも、「かおりちゃん、淋しくなる」「辞めなくてもいいじゃない」と言って、本当に惜しんでくださるお客様が何人もいて、またここでも人に恵まれたなぁと感じた。
たくさんのお花を抱えて、嬉しくて泣きそうだった。

「人に惜しまれる」ということは、ここでも何かしらの働きができたのかな、とようやく思えた。辞めるその日になって、ようやく。

何よりイベントが終わってホッとした。
たかが2時間のイベントでも、しっかり企画してやろうと思えば、準備から時間がかかるものなんだなぁと、そういうこともよくわかった。
いろいろいい勉強をさせてもらった8ヶ月だったなと思う。

翌日は、午後からあべのハルカスでやっていた「若手の夜明け」という日本酒の試飲イベントがあったので、夫と二人で参加した。
50種類くらいは飲んだかな。(あくまでも試飲。2口くらい)
疲れもピークだったので、私は酔っぱらって帰れなくなってしまった。
夫が近くにホテルをとってくれて、そこでぶっ倒れ、死んだように朝まで眠り続けた。

目覚めると、久しぶりに右目がひとえになっていた。私は寝不足や疲れ目になると右目だけが二重になる。最近ずっと二重のままで「もうこのまま二重の人になってしまうのか?」と思っていたが、戻っていたのでホッとした。
台風が近づいていて、午前中にはJRが運休してしまうということで、慌てて帰宅した。

30日日曜日。
慌ただしかった9月の最終日、久しぶりに休日らしい休日を過ごした。

これがこの2週間の話。
10月前半は比較的ゆっくり過ごせるが、半ばからまた酒蔵取材がスタートする。
「めっちゃ取材入れるから、風邪ひかないように」と営業のE本さんからわざわざ電話があった。(これを伝えるために)
たぶん、私が風邪をひかないかを、この世で一番気にしているのはE本さんだ。

さてさて。
また酒造りの季節だなぁ。