月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

たまたまだと言ってくれ

2013-08-31 | 生活
今日、斜め向かいの雑草ボーボーの家のご婦人が、雑草を刈っていた。
家に帰ると、何もない、きれいな家になっていた。

偶然・・・?
読んだ?これ・・・

夫が言うには、昨日書いていたように、世間は狭い。
その家の本人と誰がつながっているかわからない。
あまりにもタイミングがよすぎるし、読んだのでは?と。

・・・

ごめんなさい!
ほんま、余計なおせっかいでした。
もう二度と言いません。

もし読まれていたら、本当に失礼しました!


平成8年の私との再会

2013-08-30 | 生活
初めて大阪編集教室のOB・OG会に参加した。
同じく教室卒業生のアンデルさんに声をかけてもらい、彼女がいるなら・・・と、思い切って参加してみた。
最近、「大人数の飲み会苦手」「知らない人たちの中に入るの苦手」を克服しようと頑張っている。
去年も頑張っていろんな集まりに参加して、それが新たな人脈に繋がり、今の日本酒冊子の仕事にも結びついたので。
自分が動かなければ、何も変わらないという事実。
そのことを知ってから、機会があれば動くようにしている。

そして行ってみて、やはりよかったと思っている。
1人、とても懐かしい人に会えたからだ。
それは、私が教室を卒業して最初にもらった仕事先のMさんだった。

Mさんも教室卒業生で、NKCという会社で学参関係の編集をされていた。
Mさんは私のことを覚えてくれていて、「今日、たまたま整理していたら出てきたんですよ」と、当時(平成8年)の私の履歴書を見せてくれた。
卒業生のつながりで、編集教室が私をMさんに紹介してくれたのがきっかけだった。
「え~!こんなの残ってたんですか!」とびっくり。
それを見ていたら、いろんな当時のことを思い出した。

私が平成8年に履歴書を持ってMさんの会社を訪れたとき、最初にもらった仕事は、教科書ガイド(それも中2数学!)の校正だった。
それから、小学4年生向けのポピーという教科書準拠問題集の原稿作成(こちらは国語)。
お金はわりとよかったので、その後10年間、この会社がなくなるまで続けることになるのだが、平成8年の私はそんなことまだ知らない。

私はこの日、Mさんの会社を出て駅までの道で泣いた。
はっきり覚えている。
涙が止まらなかった。
「作家になる」とムチャを言って就職活動も一度もせず、今度は「フリーライターになる」と言って編集教室に通って、とりあえず「フリーライター」になった。
だけど、そんな甘い考えや勝手気ままなことが世間で許されるはずもなく、あんなに文章を書きたかった私は数学や国語の問題集を作っている。
結局、そんな仕事しか私には与えられないんだ・・・
そう思ったら悔しくて情けなくて、涙が止まらなかった。
一体何をしているんだろう、と思った。
周りの友達はみんなちゃんと就職してまともな社会人になって働いているというのに、私は毎日酒飲んで塾で教えて、偉そうにライターになったつもりだったけど、やってる仕事は問題集作り・・・。
「こんなのライターの仕事じゃない・・・」

失望して、泣きながらトボトボ歩いて帰った。

そんな私を救ってくれたのは、ある人の言葉だった。

「手塚治虫だって、最初は4コマ漫画からやってんで」

自分を手塚先生になぞらえるなんておこがましいが、それでも、この言葉は救いだった。
あの天才が、あのすごい作品を描く人でも、スタートは4コマなんだ・・・。
そう思ったら、自分もいつかまともな文章を書く仕事ができるようになるかもしれない・・・。そんな希望が生まれた。

それから少しずつ、ライターらしい仕事も増えていった。
最初にやらせてもらったのは、「るるぶ」や「マップルマガジン」の観光地取材。
これも編集教室の先生が紹介してくれた。
京都市内、福知山、天橋立、宮津、滋賀、九州の久留米や柳川など、いろんなところへ行ったし、ここで初めて「取材」というものをして、記事を書くことを覚えた。

一番の転機は、やはり社内報の仕事だ。
これを10年やらせてもらって、それがキャリアになって、新聞やフリーペーパー、広告、WEB、いろんなことをやらせてもらえるようになったからだ。
この仕事は、飲んだくれていたある日、何かが突然降ってきたように目覚めて、コンビニに走って「とらばーゆ」を買いに行って、そこで見つけた。
あの日、目覚めなかったら・・・
あの日、思い切って応募しなかったら・・・
そういう「もしも」を考えると、怖くて今でも身震いしてしまう。
あの日がなかったら、たぶん今の私はいなくて、ライターをあきらめてずっと塾で教えていたかもしれない。

「正社員募集」のところ、「フリー」でやりたいと応募した。
実はこれも、編集教室の先生が言ってくれた言葉があったから思い切れたのだ。

「仕事がないんです」と先生に相談した。
「そりゃ、そうでしょう」と先生。「世の中の人は、誰もあなたがライターだと知らないんだから」
「仕事が来たら、絶対いいものが書けるんです、私」
「じゃあ、まずは知ってもらいなさい。どうしてもフリーでやりたいんだったら、正社員募集だろうが何だろうが応募して、履歴書を預かってもらいなさい。そうしたら、何かのときに思い出してもらえるかもしれないから」

あの先生の言葉があったから、私は応募した。
本当に履歴書を預かってもらえればいい、というそんな気持ちで。
だけど、「あなたのフリーという条件をのみますので、来てください」と言ってもらえた。
天にも昇る気持ちとはあの時のことを言うんだろうな、あそこから本当の意味で私のライター生活は始まった。

OB・OG会にはいろんな先生も来られると聞いていたので、もしあの先生が来ていたら、絶対にお礼を言おうと思っていたが、残念ながら先生は来られていなかった。

教室時代に、私の書いたコラムを褒めてくれたのもその先生だった。
もんちゃんがくれた「地球家族」という写真集について書いたもの。
「視点が素晴らしい」と皆の前で褒めてくれ、お手本にしてくれた。それが自信になった。
いろんな意味で、私を導いてくれた先生だった。私の恩人だ。

そんないろんなことを思い出したOB・OG会。
Mさんにも再会できたし、他の先生ともお話して、最後は日本酒きき酒大会になって楽しかった。
不思議なご縁もあった。
私が今仕事をもらっている会社の担当者が、なんと教室卒業生で、それもアンデルさんの同期で仲良しだったのだ!
二次会は3人でもう1軒。
「1杯だけ」と言いながら、結局終電まで飲んでしまったけど、楽しい会だった。

「世間って狭い」とよく思う。
どこで繋がっているかわからない。
最近、よく仕事でご一緒しているカメラマンが、あんこちゃんの友達のライターさんの知り合いだったり。
私の友達のダンナさんが営業で行く店舗が、別の友達のご実家だったり。
狭すぎて、悪いことができない(笑)

だけど、「世間って狭い」と感じられるのも、それだけ「世間」と関わりが増えてきたからだと思う。
自分の小さな世界に閉じこもっていたら、狭いかどうかもわからない。
OB・OG会も思い切って参加してよかった。
前までの私なら「もう別に教室なんか関係ないし。知り合いもいないし、そういう飲み会苦手やし。私はいいわー」と断っていたはず。
これからも自ら動いて世間を広げていこうと思う。
自分が動かなければ、私を取り巻く世界は何も変わらないのだ。

盛っていません。

2013-08-29 | 生活
本当にどうでもいい話なんだけど、斜め向かいのお宅の庭(?)が気になって仕方がない。
前にも書いたことがあるが、この区画で一番最後に建ったお家。
空き地にポツンと家が建ったみたいな感じで、柵も塀も花壇も植栽も何もない。
おそらくリビングであろう部屋の窓が丸見え!

建設中、夫と「うわー、すごく広い庭ができるね、いいなぁ」と羨ましく思って見ていたのだが、2年経ってもまだ何もできない。
駐車場にするわけでもない。
面倒ならコンクリートで固めればいいのに、それもしない。
相変わらず柵などの目隠しもない。

というか、最近は雑草が目隠しになりつつある

その家の周りにはものすごい量の(本当にものすごい!写真でお見せしたいほどだ!)雑草がイキイキと育っている。
1メートルどころか、2メートルくらいの雑草!
(ホントよ、話盛ってないよ!)
それがうじゃうじゃーーっと!

通るたびに、見慣れたはずでもハッとする

私はしょっちゅう夫に「余計なお世話ってわかってるよ!わかってるけど、あの家、雑草どうにかならんのかね・・・」と言っている。
最初の頃、人の好い夫は「ご近所のこと、そんなん言わなくていい」みたいな感じだったのだが、先日、また私が「見て~!もう耐えられへん。あの雑草・・・」と言ったら、

「さすがに、俺も引いてる」と言った。

夫を引かせる雑草って!!
(これで私が話を盛っていないとわかっただろう)

この辺りは涼しいのに、リビングの窓を開けたくないのかな?
せっかく新築で建てた家の周りが、人が引くほど雑草に埋もれていて嫌じゃないのかな?
そういう家に帰ってくるたびに悲しい気持ちにならないのかな?

本当に素朴なギモン・・・

みんな、どうでもいいね・・・

何度目かの改心

2013-08-28 | 生活
月曜日、夫は東京へ日帰り出張のはずだったのだが、「翌朝も打ち合わせになった」ということで、急遽泊まりになった。
火曜日、午前中にプレゼンを済ませて大阪の会社へ戻り、結局帰宅したのはタクシーで午前2時。
私の夫は相変わらずこんなハードな生活を送っている。
それでも、これも相変わらずだが、愚痴一つ言わないで、「ああ、疲れたー」と言いながらも私の顔を見るとニコニコしてくれる。
「プレゼン、最高の出来やった!」と嬉しそうな報告が来る。

私も昨日は夜遅くまで、例の情報誌のフォーマットを作成していた。
1社4ページで、20社分。合計80ページ。
とりあえずフォーマットを作らないと始まらないので、素材が全て集まった1社をモデルに4ページの構成を考えていた。
文章を作成し、写真も入れながらレイアウトしていく。
(実際にはこれをもとにデザイナーさんがきちんとしたものに仕上げてくれる)

自分では、まあよく出来たかな、と思っていた。
夫に見てもらいたかったが、ハードスケジュールをこなした後の午前2時帰宅ではなかなかお願いしづらかった。
お風呂から出てきた夫に「しんどいと思うから、読まなくていいし、パーッと見てくれる?」と聞くと、疲れているだろうに嫌な顔一つせず「いいよー」と私のラフを見てくれる。

ちょっと気づいたことがあれば言ってくれたらいい・・・くらいに思っていたのだが、「書くもの持って来てー」「それとビールと」と、なぜかすっかりやる気の夫。
ビールグラスを片手に、真剣に見てくれている。
私も横でお相伴させてもらって、じっと待っていた。

すると、「うん、いいよ。だいたい良いと思う。でも・・・」と始まった。
読む人は誰なのか、どんな人なのか、クライアントは何を望んでいるのか、かおりはどうしたいのか・・・。
いろいろ質問されて答えると、新しい紙にささっと新たなラフを書き上げてくれた。
決して私の作ったものを批判はせず、できる限り生かしながらも、レイアウトやページ構成、強調すべきところを変えて、的確なアドバイスをしてくれる。
もちろん、すべてを鵜呑みにするわけではなくて、「私はこういう意図でこうしたんだ」「クライアントはこういうものを望んでいるから、あえてこうしているんだ」みたいなことは伝え、いい意味でのバトルが繰り広げられた。

二人ともビールから日本酒へ。
飲みながら、あれこれと意見を出し合いながら「いいカタチ」を探していく。
気づけば3時半をまわっていた。

さすがにもう寝ようということになって、4時前に就寝。

そして、7時半起床。
前の日もほとんど寝ていなかったという夫のことが心配だったが、朝から私が作った焼きそばをもりもり食べている。
「昨日、ありがとう」と言ったら、「ぜんぜん。楽しかったー!」とにこにこ笑って言う。

ああ、神様・・・
どうしてこんないい人が私の夫なのでしょうか・・・?
毎回挫折していますが、私、今度こそ本当にいい人になります

会社に行く夫を見送った後、なんでこんないい人が私なんかの夫になってくれたのかなぁとしみじみ思った。
そして、夫のアドバイスを参考に、もう一度全ページを作りなおした。

昨日、かなり時間をかけて本気で作ったので、自分で作ったものは決して悪くはなかった。
でも、夫に言われた通りに作りなおしてみると、断然そっちのほうがいいのである。
そして、自分の何が悪かったのかが浮き彫りにされた。

7年前に社内報をやっていたときは、自分が担当したページ、もしくはコーナーは、企画から取材、撮影、ライティング、レイアウト、校正まですべてを任されていた。
その時もよく注意されていたことがある。
それは「文字が多い」ということだ。
私はつい書きすぎるのだ。はっきり文字数が決められていないので、とにかくぎっしりと文字で埋め尽くしてしまう。
「誰が読むねん?」と言われる。
それと、「レイアウトがおもしろくない」。
これはもう仕方がないのだけど、「絵心ない芸人」の私は、そういうビジュアル的なセンスが全く欠けている。
ただ、「おかしいか、おかしくないか」だけはわかるので、「おかしくないもの」は作れる。
だから、間違ってはいないのだが、ハッと目を引くわけでもないし、「センスいい~」と褒められるわけでもないし、ビジュアルで読ませるものになるわけでもない。
ただただ「正しいもの」しか作れないのである。

それが今回も出ていて、「正当な記事って感じで、同業者が興味を持って読むような雑誌ならいいと思う。だけど、これは学生が読むんやんね?正直、誰も読まないよ」と夫に言われた。

確かに・・・

夫のアドバイスのほか、自分でももう一度文章を見直して、削れるところは最大限削って、文字を少なくした。
写真を大胆に使って、自分が書きたいことは半分くらい我慢した。
そうしたら、どんどんよくなっていくのが自分でもわかった。

午前中に仕上げて、クライアントに送ってみた。
すると、30分くらいで返信が来て、
「素晴らしい仕上がりで、一気に目を通しました」
と書かれてあった。

よかった!
ホッとすると同時に、夫に心から感謝した。
私が最初に作っていたものだったら、こんなふうに一発OKはもらえなかっただろう。
夫婦で同業者というのは、本当にありがたい。
そして、こんなディレクターさんがいてくれたらどんなにラクだろうかと思ったし、夫が会社でも頼りにされているのがよくわかった。

忘れそうになるが、確か夫は私と同じく、「書く」ことを目指していたコピーライターだったはず。
それがいつの間にかディレクターになり、むしろそこでのほうが実力を発揮できているように思う。
私よりはかなり「絵心ある芸人」だし、人とのやりとりも上手だし、いろんな視点から物を見られるし、たぶん向いているんだろうな、と思った。
私のように感情的かつ頑固で凝り固まった職人気質の人間とは違う。

とにかく、今回は夫にかなり助けられたし、「さすがだな!」と改めて夫の力を感じた出来事であった。

余談・・・
そんな夫に対して、「来月さー、お金貸してくれへん?」と金を無心する妻・・・
「いいけど、なんで勘違いしてたん?」と、先日のブログを読んでいた夫が聞いてきた。
「あはは、なんでやろね?なんかお金ある!って思ってしまってたんやなぁ、不思議やね~」と私。
さすがに一緒に「あはは」とは笑ってくれなかったが、責めることもなかった。(もうあきらめたのかもしれない)
「10月末には大金が入るんですわ、旦那。そうしたら、耳そろえて返しますがな」と、小説に出てきたら読者が「あー、絶対こいつろくでもないヤツやな」と思うような悪人のセリフを吐いて、罪の意識から夫にマッサージをしてから寝た。

ああ、神様・・・

尊敬するコピーライター

2013-08-27 | 想い
文章を書いていると、文章を書きたくなる。
書かないと、書かなくていいようなムードに流されていく。
これは本当に不思議。
習慣、というものなのか。

だから、私がブログを更新していないと「忙しいのかな」と思う人が多いと思うが、それは逆なのだ。
暇で酒しか飲んでないような時は、何も書く気にならない。
仕事で忙しく、毎日書いていると、いくらでも言葉が溢れてきて止まらない。
たぶん、これからしばらくは忙しいので、ブログの更新も頻繁になると思う。

少し前の話になるが、あんこちゃんと京都の「神馬」さんへ行った。
京都の日本酒好きには有名なお店で、私も前から知っていたのだけど、とにかく場所が行きづらい。
でも、あんこちゃんも知っていて「行きたい」というので、京都駅からタクシーに乗って(贅沢!)行った。もちろん予約して・・・。

こんな歴史ある佇まい。
もうこれだけでおいしそうなものが出そうよね。


入ってみると、なんだかホッとするような暖かい雰囲気のお店で。
奥にテーブルがあって、手前がぐるりと厨房を囲むようにカウンター。
昭和の古き良き時代を思わせる。

まずはビールで乾杯。
美味しいお店というのは、つきだしが必ず旨い。


写真の右横にあるのは伝票。
昔ながらのやり方で、こんな伝票に印をつけていくのだ。
こういうのもなんだが風情があって、たまらない。

二人で壁に貼られたメニューをじっくり見て、料理を選ぶ。
(意外に高いのよ)
まず、意見が一致したのが鱧の焼霜。
私は、鱧は「落とし」よりも「焼霜」が断然好きだ。
今年の夏はまだ鱧を食べていなかったので、どうしても食べたかった。
そして、その選択は間違いじゃなかった!


ベスト!!

いやー、数々、いろんなお店で鱧は食べてきたけれど、びりけんの鱧しゃぶに匹敵するくらい旨いかも。
普段、鱧に梅肉が出てくると、海原雄山(美味しんぼ)のごとく「なぜ、鱧には梅肉なのだ?他のもので試そうという気がないのか、店主?」と言いたくなる私だが、鱧自体がこれだけ旨いと、もう何でもよくなる。
あんこちゃんも鱧にはうるさい人だが、絶賛していた。

それから、また私がうるさい鯖きずし。


自分の好きな「しめ方」というのがあって、皆がうまい、うまいというきずしでも、「確かにうまい。でもなー」といつも思っている。
それは、自分のベストの「しめ方」があるからだ。(こういう人と食事に行くのってイヤね・・・)
でも、こちらはかなりベストに近く、満足した。

それから、天ぷら盛り合わせ
いい揚げ具合で、どれもおいしかったなー。


ここはまた日本酒が小数精鋭で、いいものが揃っている。
いろいろと3杯ずつ飲んだ。

とても居心地がよく、料理もお酒もバッチリだったが、どうせ2軒目に行くので、このへんで・・・と終わりにして、日本酒立ち飲みの「壱」へ。
また終電まで飲んだ。
とても楽しい飲み会だった。

この日、とてもうれしかったことがあった。
それは、私が日本酒冊子の仕事を始めること、そして連載をもてるかもと言っていたことについて、あんこちゃんが
「絶対連載もって、かおりん!」と言ってくれたことだ。
その理由に、じんとした。

「私はいろんなライターを知っている。他にもすごい上手なライターも見てきた。
だけど、かおりんの書くものは、まとめて1冊にして読みたいねん。
かおりんの文章はそういう文章やねん。
連載して、まとめて1冊にして。
それをあんこは読みたい。かおりんは、そういうライターやねん。
だから、ほんまに今回の事はよかったね。ほんまによかった!」

美味しい料理を食べて、美味しいお酒を飲みながら、昭和の雰囲気漂う空間で、あんこちゃんはこんなことを言うのである。
なんだか泣きたいような、恥ずかしいような、そんな気持ちを噛み締めながら、ただただ「ありがとう」と繰り返していた。

単にその言葉そのものが嬉しかっただけでなく、あんこちゃんに言われたことが嬉しかったということもある。
あんこちゃんという人は、まだ出会って3年しか経たない友達だが、それ以前に私が尊敬するコピーライターだ。

出逢ったのは、2010年の初夏。
私が応募した某メーカー(バッグや財布)のコピーライターとして、二人で採用されたのがきっかけだった。
テストコピーを送った後、採用の通知があり、某社を訪れた時は一人だった。
担当者が「あなたともう1人を採用しました」と、たくさんの応募の束を見せてくれた。
自慢ではないが、かなりの数の中から選ばれた二人だった。

テストコピーは、そのメーカーのデザイナーが、自分がデザインした商品についての想いを語るDVDが送られてきて、それを見て商品についてのコピーを書くというものだった。

後でわかったことだが、私とあんこちゃんが採用された理由は随分違った。
私がやったこともないファッション系のコピーに応募した理由は、単に商品コピーを書くのではなく、「デザイナーの想いを取材して、表現してください」というようなことが求められていたからだ。
「人の想いを代弁する」
それは私が得意であり、ずっとやってきたこと。きっとこの仕事でも活かせるはずと思い、応募した。
その考えは的中し、テストもそういう内容だったので、先方の心をとらえることに成功した。
社長が後で私にこう言った。
「たくさんの応募があったんですけど、あなたのコピーは表現が面白かった。他の人とは全く違うのがよかったんです」と。
褒められ、採用にはこぎつけたが、結局のところ、私はコピーライターではなく、取材ライターの域を出ていなかった。

そのことは、採用後、あんこちゃんと仕事を二分し、毎月新商品のコピーを書くようになって気づいた。
最初にあんこちゃんのコピーを読んだとき、自分のコピーとの歴然とした差を見て愕然とした。恥ずかしかった。
決して謙遜して言っているわけではなく、夫に見せたときもこういわれた。

「あんこちゃんのコピーは上手いなぁ。この人はちゃんと“気分”で書いてる。かおりのは、上手な説明書や」

まさにそうで、私のコピーは上手な説明書だった。
そんなのコピーじゃない。

あんこちゃんはもともと広告畑の人だし、お洒落好きで洋服のお店で働いていたこともあるし、とにかくファッション系のことが好きだ。
それに対して私は着る物、持つもの、すべてに無頓着。(と言っても、おかしい!と言われない程度は目指している)
ファッション雑誌など読んだこともほぼない。

「リュクスなきらめきが・・・」
「ラグジュアリーな・・・・」
そんな言葉、使ったことも書いたこともなかったのだ。

あんこちゃんのコピーを読んで、うわー、この人、なんて上手なんだろう!と本当に思った。
そして、いつも勉強せずにポテンシャルだけで仕事をしてきた私が、図書館へ行ってファッション雑誌を読み、使えそうな言葉を書き出した。
サイトもそういうものを見て、使えそうなワードをどんどん拾った。
もちろん、あんこちゃんのマネもした。
とにかくこの人に追いつかないと、私が切られてしまう!
そういう緊張感があって頑張った。

1年くらい経つと、前よりはコピーらしいものになってきた。
あんこちゃんからも「かおりん、最近、コピーうまなったなぁ」と言ってもらえるようになった。
それは、本当にうれしいことだった。
なんといっても、私の尊敬するコピーライターからの褒め言葉である。

私はずーっと1人で仕事をしてきた。
だから、あまり人に教えられるということがなかった。
このコピーの仕事であんこちゃんと仕事ができ、決して直接教えられるということはなかったけれど、彼女のコピーを見ることが何よりの勉強になった。
同じブランドの商品のことを書くので、その対比がはっきりでたのがよかったのだろう。

話が長くなったが、この3年、友達としてだけでなく、常にコピーライターとして尊敬していたあんこちゃんに「かおりんの書いたものを読みたい」と言われ、私は本当に嬉しかったのだ。

「読みたい」と言われること。
それは、私にとって何より嬉しいこと。

残念ながら、連載はもてるかどうか、まだわからない。
というか、その話は今立ち消えている状態。
だから、連載をまとめて読んでもらうということはかなわないかもしれないが、とりあえず「読みたい」「あなたはこういうライターだ」と分析してもらったことが、私を勇気付けてくれた。

かどやも酔っ払うとたまに言うのだ。
「書いてよ、さんちゃん。さんちゃんの書いた本が読みたいわ」と。
それを聞くと、嬉しさを超えてせつなくて、こっちも酔っ払ってるから涙が出てくる。
書きたいけどね、もう何も出てこないんだよ、空っぽなんだよ、もう自分の中には何もないんだよ・・・
そう伝えることが辛いし情けない。

でも、これからも自分が書けるものは、書いていく。
今度の日本酒の冊子をきっかけに、もう少し周りの人に読んでもらえるものが書けるといいのだけど。

何にしろ、「書く」ということからは、絶対に離れることはできないのだ。
それだけは確信している。
仕事になろうが、なるまいが。