月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

インプット月間

2019-04-24 | 生活
昨日は、仕事の打ち上げだった。
1月半ばから2月にかけて制作していた24ページの冊子がようやく刷り上がったのだ。
この冊子は全部で13社取材した。
毎日取材と執筆が続いたが、これまでにやったことのない「保育」の分野だったので、ずっと楽しかった。
たくさんの保育園へ行った。
やっぱり「新しいことを知る」ということが好きなんだなと思う。(人はみんなそうかもしれないけど)
新しいことはワクワクするし、知らないことを勉強するのは面白くて仕方がない。自分の脳が喜んでいるのがわかる。

打ち上げメンバーは、クライアント、デザイナー、ディレクター、私の4人。
みんな女性で同年代。
デザイナーさんが選んでくれた素敵なお店で、私たちは2階の座敷だったのだが、他に人もいなくて貸し切り状態。
いっぱいしゃべって、いっぱい笑い転げて、本当に楽しい時間を過ごした。

1つの仕事が終わって、それに関わったメンバーで飲めるというのは、幸せなことだ。
取材のハプニングや、クセの強い取材相手のことなどを思い返して、みんなで大笑いする。
途中の苦労も全部吹き飛んで、「いいものができたね」と喜び合う。
こういう仲間がいることが本当にありがたい。

去年は、新年早々に2社も新規の取引先ができて、幸先いいなと思った。
でも1年を振り返ってみれば、おもしろい仕事はできたものの、「収入」としては過去最低に終わった。

今年は昔から付き合いのあるところから、単発で「中くらいの案件」がどんどん来る。(中くらいとは、報酬金額として)
今は、具体的に動き出しているのが4件、見積もりや日程調整段階が2件。
ほとんどが企業パンフレットやホームページのリニューアルなどだが、お酒の裏ラベルなど新規のものもあり、ワクワクする。

昨日のクライアントの話では、「今年度はすでに冊子を2本作る予定で、またお願いしたい」とのこと。
今回の冊子を気に入っていただけたということだと思うので、ホッとする。
何よりも、また同じメンバーで仕事ができるのが嬉しい。またこうやって打ち上げができるんだなぁと想像してにやけてしまう。

先月は忙しかったけど、4月は週休2日どころか毎日ほとんど休み(?)みたいなもので、「ハロルド作石、再読フェア」を勝手に開催し、「BECK(全34巻)」と「RIN(全14巻)」を毎日読んでいた。そして読み終わった。
ハロルド作石、すごすぎる。大好きだ。本当にたまらん。BECKの34巻は胸が熱くなって涙が止まらなかった。
小説も読んでいる。高田郁「あきない世傳 金と銀」の最新刊。高田郁さんの時代小説ってなんでこんなに面白いんだろう。いちいち泣けてくる。
あとは、今村夏子「こちらあみ子」、村山由佳「はつ恋」、角田光代「坂の途中の家」。
まだ5~6冊、買っていて未読のものもある。今月中にまだ数冊読めるだろう。
お酒の試飲会(フェア)も福島県と長野県のものに行って、祇園で働いていた時のスタッフAちゃんのバーで開催された日本酒の会にも参加した。(客として)
キャンプも行き、花見も行き・・・、今月は「インプット」の月だ。
こういうメリハリが、自分にとっては大事だなと思う。昔のように、仕事をしていないことに不安はない。ちゃんと時期が来れば仕事をまわしてくれる仲間がいるからだ。
贅沢しなければ、一人で生きていけるくらいの収入もある。それでいい。

病気をしてからは、自分一人の「働き方改革」ができているなぁと思う。
暇なときはたくさんインプットして、感性を磨いて、人と楽しい時間を過ごして、そして、仕事に生かす。
以前は何もインプットできないのにアウトプットばかり求められて、もう自分の中が渇いてカサカサだった。
二度とあんな感じにはなるまいと思う。

GWはしっかり10連休とる。
明けるといきなり出張取材で、そこからまた取材と執筆の日々が始まる。
だからこそ、今月は、本、漫画、自然、キャンプ、酒、友達、旅行、料理、手芸・・・、自分の大好きなものをたくさん自分に詰め込んで、またいいものを書いていきたい。

2019年春、母の庭

2019-04-23 | 
母がLINEを始めてから、よく庭の写真を送ってくる。
今年の母の庭も本当に美しい。











築46年の集合団地の1階。
貧しい中の、美しい暮らし。

母を見ていると、「豊かに生きる」というのはこういうことなのかもしれないといつも思う。
それは決して「花を育てる」という限定的なことではなくて。
(花を育てているから豊かで、育てていないと豊かではない、という意味ではないということ)

それはきっと娘である私にしかわからないこと。
子供の頃からの母の苦労や苦悩を知っているから、そう思えるのだ。

この庭は、子供の頃の私の「世界」でもあった。できればここから出ていきたくはなかった。それほど居心地がよかった。
こんな庭で育った子供が花好きにならないわけがない。

花が家にあることは、特別なことではなく「当たり前」。
そんな環境で子供時代を過ごせたことに、今は感謝している。
春が来るたびにそう思う。
特に今年は、毎日のように送られて来るLINEの写真を見ながらそう思う。



すでにそこにはドラマがあった。

2019-04-22 | 仕事
日曜、月曜は取材で北海道へ。
初日はうに丼が売りの飲食店だったので、撮影用にうに丼を作ってもらった。
ミョウバンを一切使用していない、本当に美味しい新鮮なうに!!
しかし、この丼、なんと4600円である。
うにが獲れないうえに、インバウンドで需要は伸びる一方で、値がつり上がっているらしい。



撮影が終わってから、店長さんに「3人で分けて食べてください。時間が経ってもう使えないので」と言ってもらい、分けて食べた。
営業のE本さんは「俺、別にうに好きちゃうし・・・どっちかと言うと苦手やから、二人で分けてもいいで」と言っていたのだが、店長さんの手前、とりあえず口に運んだ。
一口食べて「おいしい!!」と。
「普段、食べてたやつはミョウバン使ってるんですよ。これが本当のうにの味です」と私が言うと、「そうか・・・、今まで安いうにしか食べたことなかったから・・・。こんな旨いんや」と目からうろこ状態。
私も久しぶりに本当に旨いうにを食べて、テンション上がりまくり。
うに好きのカメラマンさんも目を細めて食べていた。

ホテルに戻って荷物を置いてから、3人で飲みに行った。
すすきのは遠かったので、ホテルの近所の適当な店だったが、やっぱり北海道は魚介が旨い。

刺身盛り合わせ


たこの串やキタアカリを炭火で焼いて


地酒もいろいろ飲んで、3時間半くらいはしゃべっていた。
仕事仲間と飲んでいると楽しくて、すぐに時間が経ってしまう。

翌朝は8時に集合だったけど、5時半に起きて6時半に朝食会場へ行った。
ビュッフェスタイルで、海の幸もいろいろあって美味しい朝食のホテルと聞いていたので、はりきって朝食会場オープンと同時に入れるようにしたのだ。混むと聞いていたので。
私は「食べること」に関しては、労力を厭わない。
おかげで、朝からたっぷりとおいしいご飯を食べた。
「6時半に朝食を食べるために5時半に起きたから眠い」とE本さんに言ったら、「朝ごはんのために?早起き?ほんまに?」と、若干引いていた。
でも、カメラマンさんも6時45分には来ていたので、そんなに珍しいことではないと思う。(このカメラマンさんも結構グルメだが)

この日は、酒蔵へ。
詳しくは書けないが、ま~、私としてはめちゃくちゃ楽しい取材だった。
私が書く前に、ドラマがすでにあった。
万石蔵の衰退、そこへ別の蔵からくどき落とされてきた女性杜氏。彼女がまたなんだか素敵な人で。
最初は怒っているのかと思った。ズバズバものを言う。
でも、ちょっとしゃべっただけで「あー、この人好きだなー」と思った。いわゆる波長が合う感じがした。(私が勝手にだけど)
酒という芸術を創るアーティストのようだと思った。芸術と言っても絵のような二次元ではなく、建築のような三次元。思考が理系。
衰退して蔵元もおらず、地元の銀行が入って社長になっているような蔵だから、たいした酒も造れていなかった。
それが、彼女が来てから連続で金賞を受賞。
「いろんなことをパズルのように組み立てる」と彼女は言った。酒の味わいをイメージして、それを実現するためにいろんなものを組み合わせるのだと。
飽きない、ゴールがない、だから酒造りは面白くてたまらない。にこりとも笑わず、そう言った。

なんだか魅力的すぎて、ドキドキが止まらなかった。一目惚れみたいに。
いつか、個人的に彼女のことを取材して、一つの物語にしてみたいとさえ思った。

取材が終わって空港に着いたのが14時過ぎ。
空港内で遅いお昼ご飯を食べた。
海鮮丼!


そのあとは、空港内でお土産を見て買いまくった。
北海道、やばい。散財がすごい。お菓子が何でもおいしそうで。
いつもは手荷物を預けることもないのだが、さすがに大きな紙袋と自分の旅行バッグとを持ち込むのは無理そうだったので、久しぶりに荷物を預けた。
それくらいお土産を買った。

家に帰りついて、ワインを1杯だけ飲んでいたら、そのワインを飲み終える前にうたた寝してしまうほど疲れていた。
スマホのアプリの万歩計を見たら、1万歩を超えていた。車や電車、飛行機の移動も長かったのに。
取材で神経を使った日の疲れはとんでもないが、でも心地よい。
いい取材ができた日は特に。
ああ、早く彼女のことを書きたいなぁと、そう思うだけでワクワクする。

妙心寺退蔵院で、満開のしだれ桜を。

2019-04-11 | 
ライター友達のアンデルさんから「妙心寺退蔵院の季節限定特別拝観の花見に行きませんか?」とLINEが来た。
ちょうど仕事も暇な時期だったので、誘いに乗った。

あの辺りは、仁和寺、竜安寺、等持院など、見どころも多い。
そういえば、数年前にも彼女と一緒に散策したことがあったな、と懐かしく思い出した。

妙心寺はとても広い禅宗の寺院だ。
今回のプランはその中の退蔵院で、ミシュラン星付き「阿じろ」の精進料理とともに、庭園の花見を楽しむというもの(要予約:4500円)。
庭園だけでなく、通常非公開の退蔵院方丈内や枯山水庭園「元信の庭」、隠れ茶室「囲いの席」なども見られる。

アンデルさんが13時~のプランを予約してくれたので、12時過ぎに京都駅で待ち合わせた。
前日は1日中雨が降り、春とは思えないような寒い日だったが、この日は快晴。肌寒さは残るものの、気持ちの良い春の日だった。

受付を済ませて中に入ると、最初にプロジェクターを使っての簡単なガイドがあった。
あまり頭でっかちになってもいけないが、ざっくりとでも説明を受けておくと、その後で見るものの価値が変わってくるので、こういうのはいいなと思う。
説明を聞きながらも、先ほどから出汁の良い匂いが漂っていて、食欲をそそられていた。

ガイドが終わると部屋を移動して、「阿じろ」の精進料理をいただいた。



もっと粗食かと思っていたら、天ぷらやお菓子まであり、なかなかのボリューム。どれも優しい味付けで美味しかった。
しかし、イメージとしては向かい合っておしゃべりでもしながら食べられると思っていたのだが、横1列にお膳が並べられ、参加者全員が誰とも向き合うことができない。
なんだか変な感じだなと思っていたら、アンデルさんがこそっと「精進料理を食べることも修行なんだって」と、料理に添えられていた説明書きを見てささやいた。
なるほど、そういうことか。
納得し、ただひたすら料理と向き合って、食べた。

食べ終わると、あとは自由に散策ができる。
こちらは国宝の『瓢鮎図(ひょうねんず)』。※模写



山水画の始祖といわれている如拙が、足利義持の命により描いたものだ。
「ナマズを瓢箪で捕まえる」という禅問答をどう解決するか、という内容を描いていて、上部にある文字は禅僧31名の回答だ。

ガイドで説明を聞いているとき、私だったらどうするかなと考えた。
瓢箪に酒を入れてきて、それを池に流し、ナマズが酔っ払ってきたところを捕まえるというのはどうだろう?
ちなみにこれに「正解」はない。
禅問答とはその問題に向き合った末、自分の内なる思いを発することに意味があるらしい。
なかなか興味深かった。

茶室や元信の庭も見て、ようやくお目当ての余香苑(よこうえん)へ。
門を入るやいなや、目に飛び込んでくる大きなしだれ桜に、思わず声が漏れる。



巨大なので、外から眺めるのではなく、しだれ桜の中に入って見上げられるのが素晴らしい。
桜の中に入っていることに気分も高揚する。



しだれ桜を挟むようにして、敷砂の色が異なる2つの庭がある。
白っぽい敷砂の「陽の庭」。


黒っぽい敷砂の「陰の庭」。


この空間は本当にいくらいても飽きることがなかった。
ただ、いつまでもいるわけにいかず、散策を続ける。
外国人が嬉しそうに記念写真を撮っているのを横目で見ながら、アンデルさんと二人で池のほとりで座っていた。

ゆっくり流れる時間。

私は最近、アルコールで脳細胞がだいぶんやられているのか、それともただの「老い」なのかわからないが、いわゆる「ぼーっとする」ということができるようになった。
「ぼーっとする」という意味がずっとどうしてもわからず、「ぼーっとしてみよう」と思っても、いつも頭の中はいろんな思考で埋め尽くされていた。
でも、最近は「あ、これがぼーっとするということが」とわかる瞬間がある。
この時も、ほんの数分だが、ぼーっとした。(逆に、大丈夫か?)

数分でも、本気で頭を休めるというのはいいことだなと思う。

庭の中に「大休庵」という茶室があり、そこで庭を眺めながらお抹茶とお菓子をいただけるとのことだったので、入ってみた。
老松とのコラボだというオリジナルのお菓子とお抹茶。


こういうところでいただく抹茶は、あまり点てるのが上手じゃないものもあるが、こちらのお抹茶はとても美味しかった。
久しぶりに抹茶を買って、家でも点ててみようかなと思うほどに。(子供の頃、10年ちょっと習っていた)

このお茶室の前にも大きなしだれ桜があり、こちらも見ごろ。


十分に桜を堪能して、妙心寺をあとにした。
アンデルさんが「美味しそうなチーズケーキの店がある」というので、そちらへ。
「kew(キュー)」さんというカフェ。こじんまりとしたお店だが、なんだかもう「絶対おいしいものしか出てこない」空気感。
一歩入っただけで、私の「おいしいものアンテナ」が作動した。

メニューはシンプルで、ベイクドチーズケーキやマドレーヌなど、4、5種類の焼き菓子。
私たちはベイクドチーズケーキとコーヒーを注文した。

大きい!ふわっふわ!
「おいしそう~!!!」と思わず言ってしまう。この「言ってしまう」感じは間違いないやつ。
中はとろとろ。ちゃんと甘い。



大満足で店を出た。
最近、ダイエットで糖質制限をしていたので、余計においしかったのかもしれない。
「甘い」って最高。なんて幸せなんだ。

気づけばもう夕方だったので、西院まで戻った。
少しだけ飲みましょうということになり、私が前から西院で気になっていた「メーカー」さんへ。
大きなテーブルを囲むようにして座るお店で、インテリアの1つ1つに店主のこだわりが感じられるようなお店だ。



メニューはすべて単品で金額も明確なのだが、アラカルトで居酒屋的に使う店というよりは、自分でコースを組み立てるタイプのお店だった。
なので、「前菜は?」「メインは?」「デザートは?」という聞き方をされる。
ただ、先ほどの大きなチーズケーキでお腹がいっぱいだったので、「今日はメインなしで、お酒を少し飲ませてください」とお願いした。
ちょっとお店のコンセプトと違う使い方をして申し訳なかった。(こういうのを異常に気にするタイプ・・・)

気になったものを3つ注文した。
メニューの名前は忘れたので、なんとなく食材のみ記載。

ホタルイカとセリなどの香草。


九条ネギとゴルゴンゾーラのグリル。


炙りホタテと赤かぶと柑橘のマリネ。


どれもボリュームがあり、丁寧に作られていて美味しかった。
ワインと合う。
今度は夫とゆっくり来てみようと思った。

早めに解散したが、盛りだくさんの1日で、リフレッシュできたなぁと思った。誘ってくれたアンデルさんに感謝。
長岡天神で別れ、準急を待っていた時、ふと思いつき、かどやのバーへ。
まだ9時にもなっていなかったので、少し立ち寄った。
こんなふうに、思い付きで立ち寄れる友達のバーが近くにあるっていいなと思う。

結局、日本酒を2合ほど飲み、終電で帰宅した。
遊び疲れた春の日。
酔っ払った頭で、昼間見たしだれ桜の色を思い出していた。

また救われた、許された。

2019-04-09 | 仕事
先日、とんでもなく嬉しいことがあった。

2年ほど前、取材をさせていただいた酒蔵の社長から、突然メールが届いたのだ。
何だろうかと開いてみると、仕事の依頼だった。

日本酒の瓶には、銘柄を入れた「ラベル」がある。
絶対ではないが、多くは裏にもラベルがあり、米の品種や精米歩合、日本酒度、アルコール度数などのスペックが記入されている。
中には、そのお酒の詳しい説明や、蔵元の想いなどがしっかり書かれているものもある。

例えば、こんな感じのもの。


仕事の内容というのは、この裏ラベルを監修してほしいということだった。
12アイテムあるお酒の裏ラベルが今は簡易なので、もっとしっかり想いを伝えたいとのこと。
ざっくりとは自分で書くので、12アイテムのバランスや統一性なども含め、添削と修正、提案等を私にお願いしたい、と。

メールを読んでいて、手が震えた。
仕事をもらったということよりも、「なぜ私に依頼してくれたのか」、その理由が嬉しくて。

「理由としましては、弊社も少なからず取材していただくことがここ数年ありましたが、
かおり様の記事が、私の気持ちを一番表現していただいた文章だからです。
しっかりと想いのこもった、むしろ表ラベル以上の価値がある裏ラベルにしたいと思っております」

ちょうど日本酒雑誌の最終校正で、皆で集まっていた時に見たので、すぐさま編集長に見せた。興奮して、「見てください、見て見て!」と。
「うわー、すごいじゃないですか」と編集長もにっこり。
他のメンバーにも「こんなメールいただいた」と口頭で伝えると、みんな一緒に喜んでくれた。
手の震えが止まらなかった。

そんな大事な、お酒の「顔」にもなるような文章を、私に任せてもらえるなんて・・・。
想いのこもった裏ラベルにしたい。だから、私を選んでくれた。
そのことが本当に嬉しくて。
何度も何度もメールを読み返した。

その後、皆で飲みに行った酒が美味しかったのは言うまでもない。
いい気持ちで帰宅して、一人になってまたメールを読み返した。
お酒が入っていたこともあったから、高揚して涙がどっと溢れてきた。

日本酒雑誌の今号は、私に担当が偏っていたうえ、他の仕事にも追われていて、土日も全部つぶれた1カ月の追い込みが、本当にきつかったのだ。
「才能がない自分」から少しだけ目をそらして、気づかないふりをして、ひたむきにやってきたけれど、「ひたむき」とか「一生懸命」なんて、「才能」の前では何の意味もなくなる。
書いていても、これが本当に良いものなのか、それすらよくわからなくなっていた。
マンネリ化しているのではないかという不安もあった。

クライアントは昨年からワインの雑誌も制作するようになり、そちらでも2名の専門ライターが活躍している。
二人とも一度お会いしたが、別の業界からワインに目覚めて勉強し始めたという人。
「ライター」を目指していたわけでも、「ライター」をずっとやっていたわけでもない。
どちらかと言えば、ワインの専門家だ。イベント監修やワイン講座の講師などもされている。

だけど、「書ける」んだ。
いとも簡単に。

自分は文章を書きたくて、それしかなくて、それだけをただ20年以上もやってきたのに、全く関係のない業界からやってきた人が「ライターやってみよう」と思ってやってみたら、すぐに同じようなレベルのものが書けてしまうのだ。

嫉妬でもない。羨望でもない。
感情としては、自分への憐憫。

あんたが人生かけて、20年以上も必死にしがみついてきたことを、すぐにできる人が世の中にはたくさんいるんだよ、かわいそうに。
自分にそう言いたくなる。

同じレベルどころか、最近はもう、自分が書いているものが正解なのか、人の心に響いているのか、喜んでもらえているのか、それすらも不安で自信がなくて。
今号の入稿を前に、少し落ち込んでいた。

そんな時のこのメールだったから、ただもう嬉しくて。
帰って、酔っ払って、泣きながら、「また救われた、また救われた」とつぶやいていた。
いつも自分がもうダメだと思った時には、必ず救いの手が伸びてくる。今回もまた。
そして、同時に、私の「まだ書いていていいのだろうか」という疑問に対する答えでもある気がして。
「まだ書いていていいよ」と、誰かに許された気がして。

日本酒の専門家にはなれないけれど、造り手の「想い」はちゃんと捉えて書けていた。伝わっていた。喜ばれていた。
私はそれでいいんだ、間違っていなかったと、もう一度自分に言い聞かせる。
人々の「才能」の前ではいつも怯んでしまうけれど、ひたむきに一生懸命書いていくことで、伝わることもある。
またチャンスをもらえたから、しっかり良い仕事をして、次につなげていこう。