月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

優しさに包まれて

2020-02-28 | 生活
木曜日は、埼玉から友人W氏が仕事で関西に来ていたので、共通の友人Aさんと3人で会った。
3人とも大学生の頃から長い間、同じ塾で講師を務めたメンバーだ。
出会ったのはもう四半世紀前のこと(怖い!)。

コロナウイルスの影響でいつもより人もまばらな梅田で集合し、適当なイタリアンの店で飲み食いしてしゃべった。
3人で会うのは2年半ぶりだったけど、会えばいつものように楽しい時間で。
私の病気の話をほとんどしないで済んだのもよかった。
頭がよく話し上手な人たちとの会話は自分の知的好奇心がくすぐられる。
相変わらずのウィットに富んだ返しも面白く、お腹がよじれるくらい笑った。
笑って、笑って、元気になった。
帰りは名残惜しいほど。
また近いうちに会えればいいのだけれど。

翌日は朝からクリニックへ。
高濃度ビタミンC点滴をいつものように50g。
このクリニックは先生も看護師さんも本当に優しい。
毎週行っていたのに、抗がん剤が延びて2週間行っていなかったので、看護師さんが「調子悪かったの?」と聞いてくれた。
理由を説明して、「6クール終わった」と告げると、「頑張ってるね。本当によく頑張ってる!!もっと自分を褒めてあげて」と言ってくれた。
その言葉だけでも泣きそうになるほどじんとしているのに、私が「成果があればいいんですけど」と言うと、「あるある!絶対あるから!」と。
ベッドに横になり、点滴が落ちるのを下から眺めながら、「ここに来てよかったなぁ」とまた思った。
ふとしたことですぐにネガティブなイメージが湧いて不安になってしまうけれど、そういう不安を吹き飛ばすような強い励ましだった。

本当に「優しい」ということは、どういうことなのか。
再発してから、しみじみと考えることが増えた。

点滴は1時間半で終わり、近くのドトールで昼食。
午後からは瞑想。

もう一度クリニックへ戻り、瞑想室で座っていると、瞑想のN先生が入ってきた。手にスイートピー活けた花瓶を持っている。
「今日はお花があるといいなと思ったので」と、ニコニコしながら花瓶を置いた。
その瞬間、スイートピーの香りがふわっと漂って、気持ちが和らいだ。

いつものように体をしっかりほぐしてから、瞑想に入る。
後半は「ガンの再発によって得られたもの」と「これからの生活で自分がワクワクすること」をそれぞれ10分ずつ瞑想した。

終わって、N先生と内容をシェアする。
1つ目は、「得る」と正反対の言葉になって矛盾してしまうようだけど、「手放すことを得られた」と話した。
2つ目は、実は何か月か前に同じ瞑想をしたのだけれど、その時とは全く違っていることに気づいた。
前は、仕事だったり、旅行だったり、夫や友達との時間だったり、何か「楽しいこと」が浮かんできた。
「ワクワクすること」=「楽しいこと」だった。
でも、今回は違った。
瞑想の中で、私はゆったりと、豊かに生活をしていた。
ごくごく普通の生活。
早起きして、いつも家をきれいにして、美味しいご飯を作って食べて、健康的にゆったりと毎日を過ごす。
本や音楽、花や美しいものがそばにあって、私はとても穏やかに暮らしている。
これからそういう生活をしていくんだと思うと、それだけでワクワクした。
それだけでよかった。

私がたどたどしく、そういうことを話すと、N先生はどんどん顔がほころんでいって、話し終わると拍手してくれた。
なんだかわからないけれど、きっと私の魂が進歩したんだなと思った。

帰りにN先生はスイートピーを紙に包んで、「よかったら持って帰ってね」と手渡してくれた。
私はお花をもらうのがとても好きだから、小さな花束を手にして嬉しくて仕方がなかった。
帰りの電車の中でもずっと良い香りがしていた。







全6クール終了!

2020-02-26 | 癌について
毎日世界中に広がっていくコロナウィルスの分布図をニュースで見ていると、まるで映画か漫画のようだなと思う。
だけどこれは現実だし、特に私のように免疫力が人の半分もない人間は、本気で気をつけないといけない。

日曜に退院して、今日は6クール目の点滴から6日目。
いつも7日目に回復するのだが、今回はもう回復している。今日は朝起きてから一度も横になることがなかったし、痛みやしんどさもほとんどなくなっている。

退院した日も翌日(点滴4日目)も元気だった。
月曜日は祝日で夫が家にいたし、お天気で気持ちがよかったので、「ちょっと車でランチでも行こうよー」と誘って出かけた。
以前なら4日目は出かけるどころか、ほとんど寝たきりだったのに・・・。

箕面にある「マザームーンカフェ」でランチ。
テラス席しか空いていなかったが、ぽかぽかと太陽の光が暖かく、かえってテラス席でよかったと思った。
私はクリームソースのコンキリエ、夫はカレーにした。

サラダがとても新鮮でおいしい。すべてどこの産地のものか書かれたカードと共に出てきた。


コンキリエも美味しい(私はショートパスタが好きだ)。クリームソースがとてもあっさりしている。
いくらでも食べられる感じ。


食後のお茶はカモミールティー。


何もかもが美味しくて大満足!
体にいいものを食べて、太陽の光を浴びて、さらに元気になった気がした。

とはいえ、やはり夜になるとすぐに眠ってしまう。
退院後はとにかくお腹が減るのでもりもり食べる。食べるとすぐ眠くなる。この繰り返しだ。

5日目の朝は、「昨日よりはしんどいかな」と思った。
それでも起き上がれないわけでもなく、朝ごはんを食べて会社に行く夫を見送った後、4時間ほど集中して原稿を書いた。
入院前に提出しようと思っていて残してしまった1本だ。25日に出すと約束していたのでやらないわけにはいかない。
昼には仕上がり、ようやく気持ちも楽になった。
またご飯をもりもり食べて、午後からは本でも読もうかと思ったが、体全体が重い。
こういう時は無理をせずに寝たほうがいいとわかってきたので、さっさと布団に入って寝た。

夕方、お腹がすいたので起き上がり、安納芋を170度のオーブンで焼いた。
まだかまだかと、何度も様子を見に行った。1時間かかって、とろとろの蜜たっぷりの焼き芋ができた。
ホクホクのアツアツ!!
そこにバターをのせて溶かして食べた。

必死に食べながら、ふとクスクス笑いがこぼれてきた。
抗がん剤の副作用で寝込んでいるのに、安納芋を1時間もかけてじっくり焼く自分の食い意地よ・・・!
そして、甘い甘いお芋にバターという魅惑の食べ物を一心不乱に食べて、美味しい美味しいと幸せそうな顔をしているなんて。
大丈夫だなぁ、私は、と思う。
きっと死に向かう人間は、安納芋をじっくり焼かないし、こんな幸せそうな顔をして食べない。

しかし、食べるとまた眠気に襲われて布団へ。
人ってこんなに長い時間眠れるものなんだと思う。不思議なくらい眠れるのだ。
そして、そのまま朝を迎えた。

6日目の今日はもうすっかり回復している。
食べて寝て、私の細胞はすっかり生き返った。(としか思えない)

回を重ねるごとに副作用が辛くなると一般的には言われているが、私は回を重ねるごとに副作用が減り、回復も早まってきた。
そんなことってあるのかなと不思議だけど、実際にあるのだから仕方がない。
夕方、サイモントン療法のCDを聴きながら瞑想をしたら、さらに元気になった。

とりあえず、6クール終了! 副作用も終わり!
9月からよく頑張ったなぁ、私!

老いとの闘い

2020-02-22 | 仕事
今回は数値も1900あり(前回800)、無事に入院することができた。

しかし、今回も結局、前日まで原稿に追われてあまり寝ていない状態・・・
なぜこうなるのかということを分析してみると、「自分の能力を見誤っている」ということが原因だと思う。
「これくらいなら3時間でできる」と思っていることが、5時間、6時間とかかってしまうのだ。
それが1本なら2~3時間の追加で済むが、10本となったら、2日は変わってくる。
そして、そんな時に限って、急ぎの案件が飛び込んで来たりするのだ。

あとは、メールの処理。
夫に「朝昼晩の3回くらいにしたほうがいい」と言われたが、いろんな案件が動いている時ほど気になってすぐメールを見てしまう。
さっき送った原稿に何か不備はなかっただろうか、追加事項はないだろうか、まだ届いていない資料が来ていないだろうか・・・
そういうことが気になって、さらにとにかくレスポンスを早くしたい人間なので(これは自分が相手に求めているからだ。レスが遅い人が私は本当に嫌)、何か来ているとその場ですぐ処理してしまう。

この2つの原因を見てみると、「あれ?仕事ができない人の典型的な動き方やん!」と気づいた。
いやはや・・・

1つ目の見誤りの理由は、悲しいが、「老い」でしかない。
頭の回転が鈍くなっているのを感じる。集中力の欠如も。
2つ目も、結局は1つ目で時間に追われているから支障をきたしているだけで、予定通りに仕事が進んでいれば、メールを間に数本処理するくらい、何ということもないのだが。

そんなこんなで、入院した後も残りの原稿をこっそり書いて、とりあえず送ることができた。
9本もあったので、Aさん(デザイナーさん)、金曜日までに全部デザインできるんだろうか・・・と心配していた。
彼女とは年齢も1つ違いなので、よく「老い」の話をしている。
昔と同じように仕事ができないね、忘れっぽいよねー、バカになったよねー、と。

それが、金曜の夜、点滴を終えて夜ご飯を食べた後にメールチェックしてみたら・・・
夕方16時には9本すべて送られてきていた!!
中身も少し見たが完璧だ。
全然「老い」来てないやん・・・

さすがやなぁ、すごいなぁと思い、そのままの言葉をメール返信した。
「Aさん、老い来てませんよ。早い!すごいなぁ」と。

身の引き締まる思いがした。
できる人はできるんや!
私も仕事のやり方を変えながら、「追われる」ことをなくしたい。

そんなことを考えている、6クール目投与2日目の朝である。
早くご飯こないかなぁ・・・


今は、手放すとき。

2020-02-18 | 想い
友が、今年のワードは「むすぶ」だと書いていた。
これまでの縁を大切にし、新しい縁もどんどん結んでいくのだと。
素晴らしい縁を結んで、どんどん新しい世界で活躍してほしいと心から願う。

私はといえばその逆で、「手放す」が今年のワードだ。
仕事も、人も、モノも、さまざまな想いも。

元来、執着心は強いほうで(さらにマメでもある)、おそらく人との縁は多く結んできたほうだ。
そのおかげで多くの仕事にも縁ができた。
どこにも所属せず、何の実績も肩書も資格もなかった私が、四半世紀近く自分の力で生活してこられたのは、たくさんの縁を結んできたからだと思う。
そして、目の前の仕事を精一杯やり、期待を超えることで、また次の仕事へと結びつけていった。

でも、今は結ぶことよりも手放すことを大事にしたいと考えている。
ここ数年の災害や、最近の新型ウイルスを見ていて、人の命なんていつ終わるかわからないんだなと実感することが増えた。
もし、ガンである私のことを寿命が短くなったように感じている人がいたとしたら、それはあまりにも乏しい想像力だと思う。
なぜ自分は明日も生きていると思えるのだろう?
今日生きているという奇跡は、みんな平等なのに。

だからこそ、限られた時間を誰とどうやって過ごすのか、何を大事にするのか、きちんと見極めて取捨選択していきたい。
本来の自分が好きな、文学や自然、音楽、旅、美しいものを大事に生活したい。
そしてできるだけ「書く」時間を増やす。

昨日、日本酒の雑誌のクライアントと取材のことで電話していて、「病気とは関係なく、これからは1号につき1蔵にしてほしい」とお願いした。
新人ライターがまだ同レベルまで育っていないことを理由に、E本さんは電話口で少し戸惑っていた。
だけど、私が強い意志を持ってお願いすると、受け入れてくれた。

理由はいろいろある。それも説明した。
私以外のライター3人は、日本酒に人生をかけた人たちだ。
ライティングというのは伝えるための一手段であって、講師やイベント、酒蔵との交流、日本酒普及のための取組などに多くの時間をかけている。
この雑誌に関わることはそういう人たちにとってありがたく、とんでもないほど勉強になる場でもある。
私は日本酒に人生をかけていないし、「書く」以外の仕事はできるだけ何もしたくない。
そんな人間より、この雑誌をやるのには彼女たちのほうがふさわしい。
私には今でも荷が重いし、できれば1本だけにしてもらって、空いた時間で別のものを書いていきたい。
・・・そんなこともちゃんと話した。

手放すことは勇気がいる。
情もあるし、執着もある。変なプライドのようなもの(他の人に渡したくないとか、この仕事をやっていることの喜びとか)もあるから。
そして、私はなにもどんどん手放して、空っぽにしようとしているわけではない。
手放さなければ、次の出会いもないと・・・、あったとしても縁を結ぶ余裕がないと、そう思っているだけだ。
次に進むため、本来の自分を取り戻すため、たくさんの文章を書いて残すために必要なことなのだ。

瞑想療法には、「緩める」「見つめる」「高める」「ゆだねる」の4段階があると教わった。
今はまだ「緩める」「見つめる」瞑想を教わっているところ。
日本酒の仕事を手放す勇気は、瞑想をやらなかったら出ていなかったかもしれない。

きちきちに詰まって苦しんでいた私は、だんだん緩んできて、その空いた隙間に何が入るのかを楽しみに見つめている。

初めての「帰宅組」

2020-02-13 | 癌について
激しい雨音を聞きながら、眠気と闘っていた。
夜中の2時前、あと一息の原稿を残して「もう限界だ」と布団に滑り込んだ。
「3時間だけ眠ろう・・・」と、5時に目覚ましをかけて。

そんな日がもう2日も続いていた。
どうしてなのか、理由は明らかだ。
8日にやるべき原稿を残したまま、夫と飲みに行き、9・10日と三重県にキャンプに行き、「今日は死ぬ気でやらないと間に合わないねん」と言っていた11日も夫とずっとYouTubeを見て過ごしたからだ。
仕事をさぼって遊び続けた結末がこれ・・・。
キャンプはもともと予定に入っていたからいいのだが、8日と11日に予定通り仕事をしていればこんな目にあわなかったのだ。
仕事量が多いわけでもない。ただ、さぼった。そのツケがまわってきただけのこと。

後悔しながら11日の晩にパソコンに向かい始めたが、もう遅い。
今日から入院だというのに、ほとんど眠らず追われ続けた。
それでもまだまだ原稿を残したままで、気持ちも体もスッキリしないなぁと憂鬱な気分で病院に行った。

決してそのせいではないのだが、今日、入院できなかった。

朝、夫に車で送ってもらい、採血して入院手続きを終え、検査結果が出るまで1時間半待った。
ようやく呼ばれて結果を聞くと、先生は「今日は入院無理やね。せっかく来てくれたけど帰ってください」と言う。
「え!もう決定ですか?」
「はい、決定。この数値では無理やわ」
指さされた数値を見ると、好中球数が800ちょっとだった。
この病院では1000を切ると抗がん剤を受けさせてくれない。
今回は“底”の時期が400台だったので、4週では戻らないだろうと5週にしていたのに、それでも1000に達しなかった。
いくら少数精鋭だろうが「数値」が基準なので従うしかない。
1週間延期し、20日~23日の入院になった。

まあ、予想できていたと言えば、できていた。
前回の5クール目も5週で1000ギリギリだったのだ。

数値が正常値に戻り切らないうちにまた投与する。

副作用の骨髄抑制で白血球や血小板が減って、投与から10日くらいが“底”になる。

少しずつ増加するが、また戻り切らないうちに投与する・・・

この繰り返しなので、回を重ねるごとに数値が減るのは当たり前。
しかし、なんとか6クールまで予定通りに進めたかった!
初めての「帰宅組」だ!
そんな悔しい想いもあり、次のスケジュールを組んでいる時、私ががっくりしていたのに気づいたのか、看護師さんが励ましてくれた。
この看護師さんは前回も元気で優しくしてくれたのでよく覚えている。
ああ、またあの人だ、と思った。
「6クール目まで帰らされたことなかったんですか?」と聞くので、うなずくと、「2クール目、3クール目でも数値が戻らなくて入院できなくなる人、たくさんいますよ!むしろ、6クール目まで順調だったなんてすごいです」と言ってくれた。

病人は、こういうちょっとした言葉に救われるものなんだなぁとしみじみ思う。
自分が特別にどこか悪いわけではない、むしろ大丈夫なほうなんだと思わせてもらえることが、こんなにも嬉しいなんて。
やっぱりこの看護師さん素敵だなと思い、そんなやりとりだけでかなり気持ちも回復して帰宅した。

帰るともう13時をまわっていて、家と病院を往復しただけなのに、どっと疲れを感じた。
こうなるとわかっていれば、あんな徹夜に近いことをしなくてもよかったのに・・・と思ったが、こればかりは仕方がない。
それに、入院と副作用のために1週間空けていたので、明日から予定ががら空きだ。
急に休みをもらえたような気分でもある。

とはいえ、原稿はまだまだあるので、この1週間でぼちぼちやり切って、来週こそ気持ちもスッキリ、体も完全に戻った状態で治療を受けよう。

白血球を戻すにはどうすればいいのか。
「免疫力アップ」などで検索もしてみるが、これといった対処法はないようだ。
とりあえず、早寝早起き、軽い運動、体にやさしい食事、瞑想、水素吸入、ゆっくり入浴、体を温める、ストレスをためない、よく笑う、という「根拠はないけど良さそうなこと」を意識して1週間やってみよう。