月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

思うように生きているかい?

2018-07-31 | 想い
今日は二階の仕事部屋でずっとパソコンに向かっている。
さっき、先週取材に行った京都鉄道博物館の記事を書き終えて送った。

また外は35℃を超えているようだが、今日はエアコンいらず。
窓を開けていると、気持ちの良い風がびゅんびゅん吹き込んでくる。
夏の東風。

夫が私に過保護なので、「熱中症になるから、エアコンずっとつけておくこと!」と厳しく言っていて、私も連日の猛暑や熱中症のニュースを見ていたので、大人しくそれに従っていたのだが、どうも体調が悪い。
もともと冷房が苦手で、子供の頃からずっと汗だくになって過ごしていたので、冷房に体がなじまないのだ。
最近はずっとリビングで仕事をしていたが(リビングのエアコンのほうが省エネなので)、今日は思い切って2階へ上がり、窓を開けてみた。

確かにじんわりと汗はかくが、風が心地良い。
何より、目の前に大きな青空が見え、西の窓からは竹やぶの緑が眩しくて、ああ、やっぱりここが私の居場所だなぁと思った。
最近、リビングの壁を見ながら仕事をしていたから、気持ちがブルーになっていたのかなと思う。
自然を見て感じていたら、数日ぶりに力が湧いてきた。

近頃、病気になってから2年以上、仕事も月の半分くらいしかせずにのんびり過ごしているが、そろそろ限界か、と気づいている。
働きたい意欲ではない。
貯金が!
そろそろ働かないと、もうお金(飲み代)がないのだ。

でも、何にもやる気が起きなくて、ただ鬱々と暮らしていた。
レギュラー仕事はもちろん、単発でも依頼があれば出かけていったし、受けた仕事は変わらず真摯に取り組んでいた。やれば仕事は楽しい。でも、以前のように「もっともっと仕事がしたい!」という意欲が湧かず・・・。

そのうえ、バーで働き出してから、かなり精神的に病んでいる。
組織で働くことが無理で、人に雇われることや同じ場所に出勤すること、時間で働くことが性に合わないから、最初からどこにも属さずに一人でやってきたのに、私は何を血迷ってしまったんだろうかと反省している。

年を重ねて多少は大人としての知恵もついて、夫と結婚してから処世術も多少は学んで、いろんな人たちと仕事で接していくうちに社会性のようなことも多少は身につけた気になって、「他の人と同じようにやれる」と錯覚していたことに気づいた。

何も変わっていない!本質は同じだ。

私が、組織の中で、いろんなタイプの人と一緒に協調性をもって、同じ場所へ電車に揺られて通って、時間給で働けるわけがなかった!
そもそも、人に酒を注ぐより、注がれるほうが好きじゃないか!

この間、夫と4軒ハシゴ酒してからのカラオケでオールナイト。(何年ぶりだ?)
私はソファの上を飛びまわって、尾崎豊のスクランブル・ロックンロールを4回熱唱した。

自由になりたくないかーい?
熱くなりたくはないかーい?
自由って一体なんだーい?
君は思うように生きているかーい・・・

・・・・・・

そう。私は重症だ。

でも、9月いっぱいで店を辞めると告げてからは、少しずつ気持ちも安定してきているように思う。
性に合わないことは、本当にやるもんじゃない。特に私のように我慢のきかない人間は・・・。

そして改めて思う。
好きとか嫌いとか、やりたいとかやりたくないとか、合っているとか才能があるとか、そんな個人的な気持ちなんて関係なく、もう私は書くことでしかお金を稼ぐことができないんだな、と。職種は関係ない。どこかの組織に属したら、きっとまた精神的にダメージを受ける。
私が、社会でうまく立ち回って、人の裏を読んだり、暗黙の了解で立ち位置を決めたり、損しないように逃げたりできるはずがなかった。

「出会う人」→「みんないい人ばかり」
「人が言っていること」→「みんなホンネ」
「自分が一生懸命やる」→「喜ばれる、認められると思う」
「人が困っていたら」→「自分が手を挙げて頑張る」
「書く力」→「役に立つなら無償で提供」
「社交辞令」→「全部本気で受け取る」

こんな人間が組織では働けない。なんで忘れていたのか。
本当に、もうそろそろ立ち回れる人になっていたんじゃないかと勘違いしていたことに驚く。自分の中のさまざまな欠落をどうして忘れていたのか、本当に不思議でしょうがない。

ライターの世界はいい。
真摯に人と向き合って、良いものを書きさえすれば評価される。認められる。
それに、クリエイターは良くも悪くも私と同じような人が多いので、理解してもらいやすいように思う。

明日お酒を飲みたければ、書くしかないのか。書いて稼ぐしかないのか。書くことでしか認められないのか。
そう思うと、嬉しくもあり、恐怖でもある。身震いする。

20数年この仕事をしてきて、ただの一度も仕事が嫌だなんて思ったことがない。取材に行く足が動かなかったことがない。
ただ、「もっと、もっと!」という欲望がなくなってしまっただけ。
年なのか、病気のせいなのか(更年期の無気力)、甘えているだけなのか、よくわからないが、覚悟だけは決めよう。
生きていく手段は、もうこれしかないんだということ。
ネガティブではなく、ポジティブに!

京都「つぶら乃」さんで誕生祝いを

2018-07-28 | 美味しいもの
夫の誕生日祝いに食事へ行った。
今回選んだのは、京都の「つぶら乃」さん。
清水寺近く、五重塔のそばにあり、「ザ・観光地!」といったロケーションのせいか、地元客が少ないのだという。
確かに京都近くに住んでいる人間としては、わざわざこの店に入ろうとは思わないかもしれない。どうせ観光客向けの店だろうと思ってしまいそうだ。

それが、訪れてみると、雰囲気、味、コスパ、接客、サービスと、すべてが素晴らしい店だった。
リピート決定。いろんな人を連れてきたい。

今回予約したのは、ワンドリンク付きで一人6000円のコース。
戸口を入ると、すぐに感じの良いスタッフのお姉さんが出てきて、「お待ちしていました」と2階へ案内してくれた。
廊下を挟んで片方は10人くらい入れる広い座敷で、もう片方は2名の個室。私たちはその個室だった。

テーブルには花が活けてあり、メッセージカードが添えられている。


冷房の温度調整も気になったら言ってくださいね、と最初に気遣ってくれた。
なんだか歓迎ムードに気をよくする私たち。

ワンドリンクのハートランドを頼むとすぐに持ってきてくれた。
そこからお料理スタート。

お通しは、自家製胡麻豆腐に、ウニとアワビを添えたもの。
胡麻豆腐はわらび餅に使う粉などが入っていて、これまでに食べたことのないような弾力だった。


続いて、前菜盛り合わせ。
酢蓮根、稚鮎の天ぷら、子芋の衣かつぎ、枝豆、さつまいも、バイ貝の煮物など。


この辺りで、またスタッフのお姉さんが来て、「お誕生日のプレゼントにもう1杯ワンドリンクをどうぞ」と言ってくれた。
なんというサービス!!
夫もほくほくしながら、ハートランドを頼んだ。

椀物は、鱸と冬瓜の白味噌仕立て。京都らしい一品だ。


ぼちぼちお肉が来そうなので、赤ワインのボトルを注文した。
アルコールの種類はそんなになくて、ワインも丹波ワインのみ。でもフルボディでおいしいワインだった。

そして、今日一番楽しみにしていた国産牛のにぎり寿司!
今日の部位はカワラという腕の部分で、日によってはイチボの時もあるらしい。
それをローストビーフにして握っている。


これが美味しいのなんのって!
肉のうまみがぎゅうっと詰まっていて、口の中でシャリがほどけて、肉の甘味がぐんと増す。
久しぶりに目を閉じて食べてしまった。(←私が本気でおいしいと思った時の現象)

続いて、このタイミングでなぜかお造り。日本酒が欲しくなるところだが、ワインがまだあるのでそこはガマンした。
鱧、カツオ、そして汲み上げ湯葉。


もう十分な感じだが、ここから炭火焼セットが運ばれてきた。
国産牛の炭火焼と焼き野菜。
自分で炭で焼いて食べられるのがまたうれしい。
つい、キャンプのくせで、炭を組み替えて、温度の違うゾーンを作ったり・・・。


お肉が私の好きな赤身のやわらかい部位でよかった。(霜降りは苦手)
おかげでペロッと食べきった。


ここでお姉さんが来て、「これは今日皆さんにサービスです」と、トマトのコンポートを出してくれた。
白ワインで煮込んでいるらしく、とても爽やかな一品。いい口直しになった。しかし、サービスがすごい!


もうお腹いっぱいなのに、炊き合わせが登場。
茄子、パプリカ、レタスといった夏野菜の煮浸し。それに鰊というのもまた、京都らしくていい。
不思議とするすると入った。


ようやく料理が終わり、ちりめん山椒ご飯と赤出汁。


最後に、お抹茶と手練りのわらび餅。ほうじ茶を練り込んでいるという。
お菓子とお茶まで手が込んでいて感動!
お抹茶というのがまたうれしいではないか。


とにかく大満足のコースだった。これで6000円はかなりお値打ち。
そして何よりもスタッフの対応が最高だった。それはサービスがいいという意味ではなく、ニコニコと感じがよくて、気が利いて、適度にお料理やお部屋の説明などもしてくれる。そのバランスが絶妙なのだ。

例えば、春には窓の向こうに桜の木があって、花見しながら食事ができるんですよ、という話とか。
途中で隣の大部屋に7人の団体が来たのだが、その人たちもすごく楽しそうだった。その大部屋のほうが窓からの景色がいいので、皆で写真を撮ったりもしていた。
小さな子供もいたのだが、いい子ばかりで、大声を出したり走ったりすることもなく、なんだか店全体に「いい気」が流れている感じがした。このスタッフのお姉さんのおかげだなぁと思う。

美味しいだけでなく、すごく素敵な接客で、私たちは本当に幸せな時間を過ごすことができた。
1階で支払いを終えて、店を出ると、お姉さんが一緒に出てきて、「五重塔をバックに、よかったら写真を撮りましょうか?」と自ら声をかけてくれた。こんな心遣いがまた沁みる。
最初から最後まで、ずーっとあたたかいお店だった。
「いい誕生日になった。ありがとう」と夫も大満足。このお店にして大正解!

季節が変わったら、次は両親を連れて来ようと決めた。

暑さへのノスタルジー

2018-07-25 | 想い
記録的な暑さ
これまで経験したことのない暑さ
危険な暑さ
殺人的な暑さ
災害レベルの暑さ

だんだん「暑さ」表現が物騒になってきたが、とにかく暑い。
40代以上のニュースのコメンテーターが口を揃えて言うように、「私たちが子供の頃はこんなに暑くなかった」。

小学生の夏休みに、暑い暑いと言いながらも、みんなで外を駆け回っていたことを思い出す。
中学生の夏休みに、閉め切った体育館で誰も倒れずに部活をしていたことを思い出す。
暑いけど、そんなに毎日バタバタと人が暑さで亡くなっていくことなどなかった。

「暑さ」にノスタルジーを覚えるなんておかしな感じだが、子供の頃の夏の暑さには、確かにどこかノスタルジーがある。今の時代には失われたものだからなのだろう。

それでも、昨夜くらいから風が変わった。
山の中に住んでいると、そういう微妙な自然の変化に気づきやすい。

昨夜、23時半頃帰宅した。夫は出張でいなかった。
いつもなら部屋が蒸されていて、夜でもエアコンをすぐつけるのだが、小窓を開けて出たおかげか、リビングは涼しかった。
そのまま朝までエアコンをつけることなく寝たが、西側の小窓から入って来る風が心地よく、ぐっすり眠れた。
そして起きてからもまだ涼しい。
花壇に水をやって、家の前の道に打ち水をすると、アスファルトの砂ぼこりの匂いと共に冷たい空気が上がってきた。
少し風が変わったな、と思う。

でもこれも束の間のことだろう。
夏はまだ始まったばかりだ。

再会

2018-07-15 | 想い
先日、またデイリースポーツで1本記事を書いた。
水害の影響などで紙面が埋まっており、紙面掲載は無理だったが、WEBのみで掲載してもらった。
WEBで掲載されると自動的にYahoo!ニュースにもアップされる。

それが、友人から私の記事が「Yahoo!ニュースのトップ記事になっていますよ」と連絡があった。
私はYahoo!とも連携しているのを知っていたので、タイミング的なものだと思うよ、と返信した。
それからメールをチェックしていたら、デイリーの編集部から同じように「Yahoo!の経済トピックにピックアップされて、それがトップニュースになっています」と連絡とお礼の言葉が・・・。
そこでようやく「あれ?なんか結構すごいこと?」と気づいた。
夫に聞いてみたら、「1時間で10000ページビューくらいいくよ!」とのこと。
なんだか急に嬉しくなって、Facebookでもアップして、みんなにお知らせした(笑)

記事はこちら
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6289793

そして、ここからまだ展開があった。
昨日、Facebookのメッセンジャーにピンとこない名前の人からメッセージが入っていた。
なんだろうと思って開いて読んでみると、なんと、私が学生の頃に家庭教師をしていた生徒から。
「今日、Yahoo!ニュースの記事を見て、先生の名前が入っていたから、もしかして・・・と思って連絡してみました」と。

すげー!Yahoo!ニュース!

彼はその当時中3で、高校受験のための勉強を見てあげていた。近所ではないが、同じ町内の子だったので自転車で通っていた。
その頃、私は塾講師もしていたから、そこの教材をコピーして持って行って、塾で教えていた数学と国語以外も、とにかくできることはすべてやっていた。
彼が一時期、へこたれたことがあって、その時本気で怒ったことも覚えている。
でも、そこから向こうも本気になってついてきてくれるような子だった。

無事に高校受験に合格してからは一度も会っていない。たまにどうしているのかなと思いだすことはあった。
だから、今回私のことを覚えていてくれて連絡をくれて、本当にうれしかった。
近況が書かれていて、今は仕事も充実していて、結婚して、子供も2人いるとのこと。ご両親も健在で、近くに家を建てて住んでいるとのこと。
ずっと同じ町内にいたんだなぁと思った。もうすれ違ってもわからないだろうけど。
何にしろ、幸せそうでホッとした。
今回、私の記事に気づいたのは、彼もウイスキーや日本酒が好きだからだということもわかった。今回私はウイスキーの記事を書いていたので、それでたくさんあるニュース記事の中からクリックしてくれたのだろう。

何よりも嬉しかったのは、この言葉だった。

「私の母も先生に教わってから、ガラッとあんたの人生が変わったって、時々話をしています」

正直、そんなにできる子ではなかったのだ。少なくとも当時の私の印象ではそうだ。高校もそんなにレベルの高いところではない。
だけど、その後、勉強も仕事もいろいろ頑張って、結果を出せたという話が書いてあった。
そして、最後に先のあの言葉。私に教わってから人生が変わったと。

自己肯定感が下がりっぱなしの今、彼の言葉がどれほど力になっただろうか。
いつもいつも、「できることを一生懸命やる」。それしかなかった。
彼のことではないが、いろいろなことで「なんでそこまでやるの?」と言われることも多々あった。
でも、たまーに、こういうことがあるのだ。奇跡みたいなことだけど。
私の言動で、人生が変わったと、そう言ってくれる人がいるのだ。一人でも、いるのだ。
こういうことがあるから、人に対して手を抜けない。

だから、それでいいんだと、私のままでいいのだと、そう思えた。
自己肯定!芽生えた!

いつも何かに守られていると思う。
私が本当にしんどいとき、必ず奇跡が起きる。奇跡というのが大げさなら、偶然というか。
必ず「あなたはそれでいいんだよ」というメッセージがどこかからやってくる。

自己肯定できる世界へ

2018-07-13 | 想い
6日は祇園で日本酒勉強会。新たにまた2、3の人脈が広がった。
7日はお店のお客さんに誘われ、11人で京都の蔵見学。夕方からは京都の日本酒イベントを取材。
8日は滋賀で日本酒の試飲イベント。
9日は日本酒雑誌の校正からの飲み会。
10日はあやたちと京都で飲み会。
11日は祇園出勤で、日本酒関係者がいろいろ来てくれた。

毎日毎日、違う団体のたくさんの人と会って刺激の多い1週間だった。
楽しいことばかりなのだが、それとは裏腹に、7月に入ってからずっと気持ちが落ち込んでいるようにも思う。
暑いからなのか、気圧の影響などもあるのか、心も体も重くてだるい。
2日連続で夜中にうなされて叫び、また夫を飛び起きさせた。
昼間は昼間で、家に一人でいると、自然と涙が出てきてしまう。

私が時々こうなるのは、「何かあったから」ではない。
むしろ、こうなっているから、何かが起きていくように思う。因果関係が逆というか。

気持ちが落ち込んでいるから、ちょっとした人の言動にもいつも以上に敏感になる。
自分の存在がグラグラして、この世にどこにも拠り所がないような気分になる。(あくまでも気分的なものだ。理性ではそんなことはないことは十分に理解している)
人の目が、人の言葉が、異常なほどに気になる。
自分の言動をいつもバカにされ、嘲笑され、下等な人間として扱われているような、そんな感覚から逃れることができない。
もともと低い「自己肯定感」が、どんどん下がっていくのを止めることができない。止める手立てを思いつけない。

こういうことはたまにある。
自分のことを自分では全く肯定できなくなり、そのくせ誰かに肯定してもらいたくて仕方がない。
間違っていないと、あなたはよくやっているし、役に立っているし、あなたを好きな人だって多少はいると、そう言葉で伝えてほしいような、そんなわがままな気持ちになる。
かといって、例えばこれを読んだ人がSOSかと思って私を肯定してくれたとしても、たぶん心には響かない。
結局のところ、自分自身の心の問題だからだ。外因は何にも関係がないし影響もしない。
何か自分できっかけを見つけて立ち直るしかないのだろう。

大雨で多くの人が被災していることも関係しているのかもしれない。
知り合いがいるわけではないが、世の中の不幸な出来事にかなり動揺してしまう。子供の頃からそうだ。感情移入が強すぎるので、毎日ニュースを見るだけで涙が止まらなくなり、自分が普通に生活していることすら、ごめんなさいの気持ちになってしまうのだ。
(もちろんすぐに、ある程度の義援金は送った)

また、祇園の店は9月いっぱいで辞めることにした。
10月から酒蔵取材で忙しくなることもあるし、半年やってみて、もう十分だと感じた。
人脈はかなり広がり、いい想いもたくさんさせてもらった。一方で、私があそこにいる必要はないとも感じている。
もう十分だ。もう疲れ果てた。慣れないことはするもんじゃない。

自分はずっと「日本酒業界の人」になりたいわけではなく、あくまでも「ライター」という立場を貫いてきた。
でも、日本酒のことをもっと書きたくて、少しでも勉強したくて、業界の人に近づいてみた。そうなってみてもいいか、もっと専門的になってもいいか、という想いもあった。
日本酒ライターを名乗る人はみんなそうなのだ。人生のほとんどが日本酒で埋め尽くされているのだから。
自分もいよいよ今まで拒否してきた「日本酒ライター」を名乗ってもいいかと思った。
そのための人脈づくりのため、勉強のための祇園勤務だった。
だけど、実際にそちらの世界へ入ってみると、「日本酒業界の人」ではなく「ライター」でありたいという気持ちが強くなってきた。

この間、出勤の後、お気に入りのワインの店に一人で行って、ふらふらと帰ってきた。
帰り道に叫び出したい気持ちになった。怒りにも似ていた。何に対してかはわからない。

日本酒は好きだ。日本酒を取り巻く不幸な状況を何とかしたいと本気で思っている(国酒でありながら、国内消費量がたったの6%だという現状など)
その手段は、自分には書くことしかない。昔ふうに言えば、「ペンが武器」という感じか。

でも、祇園の街をふらふらと彷徨いながら思ったのだ。
私はどうして10代の頃、ペンをとろうと思ったんだったかと。何を書きたかったのかと。それは日本酒だったか?
何を書きたかったんだろう。

何を書きたいかというよりも、なぜペンを選んだのか。
それは、それしかなかったからだ。子供の頃から何一つ人並みなことができない自分が、たった一つだけ人に褒められたこと。時間を忘れて夢中になれたこと。どんなに明日が不安でも、世の中の不公平に心を痛めても、自分を否定し続けても、書くことだけが私を救ってくれた。書けるのだから、これでお金がもらえるのだから、生きていていいのだと、そう思うことができた。

やっぱり組織は無理だった。
嫌なら言ってやればいい、わからせてやればいい、我慢する必要はない、なんで自分が犠牲になるのか、どうして不毛だとわかっていてやるのかとアドバイスを受けても、自分にはどうしていいのかわからない。
私がこれまでの人生で、クラスでも部活でも仕事でも家庭でも友人関係でも恋愛でも、ずっとやってきたことは1つだけ。
「できることを一生懸命やる」
バカだと言われても、損をしていても、後で泣いても、そうなるのがわかっていても、自分はそうすることしかできない。

でも、今はただ、一人でずっと書いていたい。ずっとずっと。
自分を肯定できる、ただ一つの世界で。