今日は二階の仕事部屋でずっとパソコンに向かっている。
さっき、先週取材に行った京都鉄道博物館の記事を書き終えて送った。
また外は35℃を超えているようだが、今日はエアコンいらず。
窓を開けていると、気持ちの良い風がびゅんびゅん吹き込んでくる。
夏の東風。
夫が私に過保護なので、「熱中症になるから、エアコンずっとつけておくこと!」と厳しく言っていて、私も連日の猛暑や熱中症のニュースを見ていたので、大人しくそれに従っていたのだが、どうも体調が悪い。
もともと冷房が苦手で、子供の頃からずっと汗だくになって過ごしていたので、冷房に体がなじまないのだ。
最近はずっとリビングで仕事をしていたが(リビングのエアコンのほうが省エネなので)、今日は思い切って2階へ上がり、窓を開けてみた。
確かにじんわりと汗はかくが、風が心地良い。
何より、目の前に大きな青空が見え、西の窓からは竹やぶの緑が眩しくて、ああ、やっぱりここが私の居場所だなぁと思った。
最近、リビングの壁を見ながら仕事をしていたから、気持ちがブルーになっていたのかなと思う。
自然を見て感じていたら、数日ぶりに力が湧いてきた。
近頃、病気になってから2年以上、仕事も月の半分くらいしかせずにのんびり過ごしているが、そろそろ限界か、と気づいている。
働きたい意欲ではない。
貯金が!
そろそろ働かないと、もうお金(飲み代)がないのだ。
でも、何にもやる気が起きなくて、ただ鬱々と暮らしていた。
レギュラー仕事はもちろん、単発でも依頼があれば出かけていったし、受けた仕事は変わらず真摯に取り組んでいた。やれば仕事は楽しい。でも、以前のように「もっともっと仕事がしたい!」という意欲が湧かず・・・。
そのうえ、バーで働き出してから、かなり精神的に病んでいる。
組織で働くことが無理で、人に雇われることや同じ場所に出勤すること、時間で働くことが性に合わないから、最初からどこにも属さずに一人でやってきたのに、私は何を血迷ってしまったんだろうかと反省している。
年を重ねて多少は大人としての知恵もついて、夫と結婚してから処世術も多少は学んで、いろんな人たちと仕事で接していくうちに社会性のようなことも多少は身につけた気になって、「他の人と同じようにやれる」と錯覚していたことに気づいた。
何も変わっていない!本質は同じだ。
私が、組織の中で、いろんなタイプの人と一緒に協調性をもって、同じ場所へ電車に揺られて通って、時間給で働けるわけがなかった!
そもそも、人に酒を注ぐより、注がれるほうが好きじゃないか!
この間、夫と4軒ハシゴ酒してからのカラオケでオールナイト。(何年ぶりだ?)
私はソファの上を飛びまわって、尾崎豊のスクランブル・ロックンロールを4回熱唱した。
自由になりたくないかーい?
熱くなりたくはないかーい?
自由って一体なんだーい?
君は思うように生きているかーい・・・
・・・・・・
そう。私は重症だ。
でも、9月いっぱいで店を辞めると告げてからは、少しずつ気持ちも安定してきているように思う。
性に合わないことは、本当にやるもんじゃない。特に私のように我慢のきかない人間は・・・。
そして改めて思う。
好きとか嫌いとか、やりたいとかやりたくないとか、合っているとか才能があるとか、そんな個人的な気持ちなんて関係なく、もう私は書くことでしかお金を稼ぐことができないんだな、と。職種は関係ない。どこかの組織に属したら、きっとまた精神的にダメージを受ける。
私が、社会でうまく立ち回って、人の裏を読んだり、暗黙の了解で立ち位置を決めたり、損しないように逃げたりできるはずがなかった。
「出会う人」→「みんないい人ばかり」
「人が言っていること」→「みんなホンネ」
「自分が一生懸命やる」→「喜ばれる、認められると思う」
「人が困っていたら」→「自分が手を挙げて頑張る」
「書く力」→「役に立つなら無償で提供」
「社交辞令」→「全部本気で受け取る」
こんな人間が組織では働けない。なんで忘れていたのか。
本当に、もうそろそろ立ち回れる人になっていたんじゃないかと勘違いしていたことに驚く。自分の中のさまざまな欠落をどうして忘れていたのか、本当に不思議でしょうがない。
ライターの世界はいい。
真摯に人と向き合って、良いものを書きさえすれば評価される。認められる。
それに、クリエイターは良くも悪くも私と同じような人が多いので、理解してもらいやすいように思う。
明日お酒を飲みたければ、書くしかないのか。書いて稼ぐしかないのか。書くことでしか認められないのか。
そう思うと、嬉しくもあり、恐怖でもある。身震いする。
20数年この仕事をしてきて、ただの一度も仕事が嫌だなんて思ったことがない。取材に行く足が動かなかったことがない。
ただ、「もっと、もっと!」という欲望がなくなってしまっただけ。
年なのか、病気のせいなのか(更年期の無気力)、甘えているだけなのか、よくわからないが、覚悟だけは決めよう。
生きていく手段は、もうこれしかないんだということ。
ネガティブではなく、ポジティブに!
さっき、先週取材に行った京都鉄道博物館の記事を書き終えて送った。
また外は35℃を超えているようだが、今日はエアコンいらず。
窓を開けていると、気持ちの良い風がびゅんびゅん吹き込んでくる。
夏の東風。
夫が私に過保護なので、「熱中症になるから、エアコンずっとつけておくこと!」と厳しく言っていて、私も連日の猛暑や熱中症のニュースを見ていたので、大人しくそれに従っていたのだが、どうも体調が悪い。
もともと冷房が苦手で、子供の頃からずっと汗だくになって過ごしていたので、冷房に体がなじまないのだ。
最近はずっとリビングで仕事をしていたが(リビングのエアコンのほうが省エネなので)、今日は思い切って2階へ上がり、窓を開けてみた。
確かにじんわりと汗はかくが、風が心地良い。
何より、目の前に大きな青空が見え、西の窓からは竹やぶの緑が眩しくて、ああ、やっぱりここが私の居場所だなぁと思った。
最近、リビングの壁を見ながら仕事をしていたから、気持ちがブルーになっていたのかなと思う。
自然を見て感じていたら、数日ぶりに力が湧いてきた。
近頃、病気になってから2年以上、仕事も月の半分くらいしかせずにのんびり過ごしているが、そろそろ限界か、と気づいている。
働きたい意欲ではない。
貯金が!
そろそろ働かないと、もうお金(飲み代)がないのだ。
でも、何にもやる気が起きなくて、ただ鬱々と暮らしていた。
レギュラー仕事はもちろん、単発でも依頼があれば出かけていったし、受けた仕事は変わらず真摯に取り組んでいた。やれば仕事は楽しい。でも、以前のように「もっともっと仕事がしたい!」という意欲が湧かず・・・。
そのうえ、バーで働き出してから、かなり精神的に病んでいる。
組織で働くことが無理で、人に雇われることや同じ場所に出勤すること、時間で働くことが性に合わないから、最初からどこにも属さずに一人でやってきたのに、私は何を血迷ってしまったんだろうかと反省している。
年を重ねて多少は大人としての知恵もついて、夫と結婚してから処世術も多少は学んで、いろんな人たちと仕事で接していくうちに社会性のようなことも多少は身につけた気になって、「他の人と同じようにやれる」と錯覚していたことに気づいた。
何も変わっていない!本質は同じだ。
私が、組織の中で、いろんなタイプの人と一緒に協調性をもって、同じ場所へ電車に揺られて通って、時間給で働けるわけがなかった!
そもそも、人に酒を注ぐより、注がれるほうが好きじゃないか!
この間、夫と4軒ハシゴ酒してからのカラオケでオールナイト。(何年ぶりだ?)
私はソファの上を飛びまわって、尾崎豊のスクランブル・ロックンロールを4回熱唱した。
自由になりたくないかーい?
熱くなりたくはないかーい?
自由って一体なんだーい?
君は思うように生きているかーい・・・
・・・・・・
そう。私は重症だ。
でも、9月いっぱいで店を辞めると告げてからは、少しずつ気持ちも安定してきているように思う。
性に合わないことは、本当にやるもんじゃない。特に私のように我慢のきかない人間は・・・。
そして改めて思う。
好きとか嫌いとか、やりたいとかやりたくないとか、合っているとか才能があるとか、そんな個人的な気持ちなんて関係なく、もう私は書くことでしかお金を稼ぐことができないんだな、と。職種は関係ない。どこかの組織に属したら、きっとまた精神的にダメージを受ける。
私が、社会でうまく立ち回って、人の裏を読んだり、暗黙の了解で立ち位置を決めたり、損しないように逃げたりできるはずがなかった。
「出会う人」→「みんないい人ばかり」
「人が言っていること」→「みんなホンネ」
「自分が一生懸命やる」→「喜ばれる、認められると思う」
「人が困っていたら」→「自分が手を挙げて頑張る」
「書く力」→「役に立つなら無償で提供」
「社交辞令」→「全部本気で受け取る」
こんな人間が組織では働けない。なんで忘れていたのか。
本当に、もうそろそろ立ち回れる人になっていたんじゃないかと勘違いしていたことに驚く。自分の中のさまざまな欠落をどうして忘れていたのか、本当に不思議でしょうがない。
ライターの世界はいい。
真摯に人と向き合って、良いものを書きさえすれば評価される。認められる。
それに、クリエイターは良くも悪くも私と同じような人が多いので、理解してもらいやすいように思う。
明日お酒を飲みたければ、書くしかないのか。書いて稼ぐしかないのか。書くことでしか認められないのか。
そう思うと、嬉しくもあり、恐怖でもある。身震いする。
20数年この仕事をしてきて、ただの一度も仕事が嫌だなんて思ったことがない。取材に行く足が動かなかったことがない。
ただ、「もっと、もっと!」という欲望がなくなってしまっただけ。
年なのか、病気のせいなのか(更年期の無気力)、甘えているだけなのか、よくわからないが、覚悟だけは決めよう。
生きていく手段は、もうこれしかないんだということ。
ネガティブではなく、ポジティブに!