昨日は3カ月ぶりのCT検査&血液検査の結果を聞きに行った。
名前を呼ばれて夫と共に診察室に入り、椅子に腰かける。
「体調はどうですか?」「わりといいです」「それならよかった」
そんな会話の後、CT画像を見せられた。
自然退縮していればいい……。そんな私の願いもむなしく、全体的にまた大きくなっていた。
変化のない腹膜のがん細胞が2つ。わずかだが大きくなっているのが3つ。
そのうち、一番大きな骨盤リンパ節のものはもうすぐ4センチに達しようとしていた。1カ月に1㎜ずつ大きくなっている。
転移している肺はほとんど変化なし。
また、血液検査の腫瘍マーカーも数値が上がっており、ついに100を超えてしまった。(正常値は37以下)
前回が70台だったので、これもまた大きく跳ね上がった。
がんばってきたことが何の成果もなかったのだなとしょんぼりする一方で、いや、がんばってきたからこれで済んだのかもしれないとも思い直す。
まだ自分でできることはあるはず。まだ治療はしたくない。
主治医は私のそんな気持ちを察して、「このまま……様子見ますよね?(治療は)やりたくないですよね?」と訊いてくれた。
「はい。すみません」
私が言うと、「そう言うと思ってたから」と笑う。
それから、新薬の話になり、「治療を実際に受けている人の状態はどうですか?」と訊いてみたら、それが「たいして効果が出ていないんですよ」と言う。
これは意外だった。
今、私の病院では10人ほどが今年から保険適用になった新薬(キイトルーダ+レンビマの併用療法)をやっているのだが、誰一人として喜ぶほどの結果は出ていないのだという。むしろ副作用が強くて困っているとか。
毎日服用する薬だから抗がん剤のように「回復期」というのがなく、全身の筋肉痛のようなものがあり、ロキソニンでなんとか過ごしているという。
私もネットで使用している人のブログなどを見ていたので、そのことを話し、「皆さん、レンビマがきついみたいですよね。休薬したりしながら続けているみたいですけど…」と言うと、「よく調べてますね!」と感心された。
実際こちらでもそのようで、副作用に耐えられなくなれば休薬する。すると2日くらいで回復し、また薬を続けては休薬と、ごまかしごまかし続けている状態らしい。
「前にあんなに(新薬を)勧めておいた僕が言うのもなんですけど、やるほどではないかなと思ってます」と主治医。
その言い方に、私も夫も思わず笑ってしまった。
かといって、抗がん剤のAP療法のほうがマシかといえば、これはこれで心毒性や腎毒性が強く、新薬とはまた違ったきつい副作用が出る。
子宮体がんの治療法は本当に少なくて、あとはあまり効果が期待できないドキタキセルを単剤で使うくらいだ。
どれもまだ選べない。
そうやって一通り確認し合った結果、まだ治療はせずに様子を見ましょう、ということになった。
「経過観察」といえば聞こえがいいが、決してポジティブな要素はない。
どちらかといえば「打つ手なし」ゆえの「様子見」なのだ。
もう治ることはない。延命しかない。それなら体調がそこまで悪くない今、効果があるかわからない新薬や抗がん剤をやって副作用に苦しむ生活を送るより、ギリギリまで様子を見ましょう、ということだ。
幸い、私のガンは進行が遅い。
主治医もそれで治療を無理には進めないのだ。
私の意思や私のQOL(生活の質)を尊重してくれるのは、本当にありがたい。
主治医が最後に言った。
「とりあえず、楽しく過ごしてくださいね」
悩んでも考えてもどうなるものでもないから。QOLを守るために治療しないと決めたなら、生活を楽しんでほしいと。
優しい人だなぁと思った。毎回、この主治医で本当によかったと思う。
次のCT検査は4か月後になった。
病院では「被爆」を最小限にしようという取り組みをやっているようで、少しでもCTによる被爆を抑えるため、3か月だったところ4か月になった。次は2月だ。
結果はあまり良いものではなかったが、私はどこかスッキリした気持ちで診察室を出た。
この気持ちをうまく表現することはできないのだが、決して悪い意味ではなく「降参した」のだと思う。
「あきらめた」というのとはまた違う。
やれることをやって、それでもガンが進行していくなら、それはもう私の運命なんだ。降参しようと思った。
でも、命がある限り、生きることをあきらめはしない。
今回、大きくなったガンもあったが、変化がないものもあった。いろいろ頑張っているから、その成果は出ているんだと思う。
もうすでに奇跡は起きているのかもしれない。
自然退縮なんて大きなことは望まず、次回は1㎜も大きくなっていないように、少しでも進行を抑えられるように、また4カ月頑張ればいい。そうすればまだ治療せずに、QOLを下げずに生きられる。
そうしていつか耐えられないほど進行したら、今度は治療を頑張ってみよう。QOLは下がるけど、そこからまた何年か生きられるだろう。
医学は常に進歩しているから、3年後、5年後まで生きていたら、また新しい治療法が見つかるかもしれないし、新薬の上手な使い方も確立されているかもしれないし。
それにしても、「新薬は副作用がきついけど、効果はある」というふれこみがあったから、あとは自分が使用するかどうかの勇気だけだと思っていたのだけど、あまり効果が出ていないというのはショックだった。
ネット上では「ガンが消えた」「マーカーの数値が下がった」という人もいるので、抗がん剤と同じで「効く人には効く」ということなのだろう。
それよりもまだ使用している例が少なく、期間も短すぎるので、「上手な使い方」が確立されていないことに不安を感じる。
どんな副作用が出て、それに対してどういう処方をしていくのかというデータが少なすぎるのだ。
私はもう少し様子を見させてもらおう。これから実用例の数が増えていけば、私が使用したいと思った時にはもっと上手に副作用と付き合いながら使用できるようになっているかもしれない。
とりあえず、体調は良くなってきているし、心も元気だ。
毎日生きていることに感謝して、とにかく楽しんで生きよう。もう私は「楽しいことしかしない」と決めたのだから。
名前を呼ばれて夫と共に診察室に入り、椅子に腰かける。
「体調はどうですか?」「わりといいです」「それならよかった」
そんな会話の後、CT画像を見せられた。
自然退縮していればいい……。そんな私の願いもむなしく、全体的にまた大きくなっていた。
変化のない腹膜のがん細胞が2つ。わずかだが大きくなっているのが3つ。
そのうち、一番大きな骨盤リンパ節のものはもうすぐ4センチに達しようとしていた。1カ月に1㎜ずつ大きくなっている。
転移している肺はほとんど変化なし。
また、血液検査の腫瘍マーカーも数値が上がっており、ついに100を超えてしまった。(正常値は37以下)
前回が70台だったので、これもまた大きく跳ね上がった。
がんばってきたことが何の成果もなかったのだなとしょんぼりする一方で、いや、がんばってきたからこれで済んだのかもしれないとも思い直す。
まだ自分でできることはあるはず。まだ治療はしたくない。
主治医は私のそんな気持ちを察して、「このまま……様子見ますよね?(治療は)やりたくないですよね?」と訊いてくれた。
「はい。すみません」
私が言うと、「そう言うと思ってたから」と笑う。
それから、新薬の話になり、「治療を実際に受けている人の状態はどうですか?」と訊いてみたら、それが「たいして効果が出ていないんですよ」と言う。
これは意外だった。
今、私の病院では10人ほどが今年から保険適用になった新薬(キイトルーダ+レンビマの併用療法)をやっているのだが、誰一人として喜ぶほどの結果は出ていないのだという。むしろ副作用が強くて困っているとか。
毎日服用する薬だから抗がん剤のように「回復期」というのがなく、全身の筋肉痛のようなものがあり、ロキソニンでなんとか過ごしているという。
私もネットで使用している人のブログなどを見ていたので、そのことを話し、「皆さん、レンビマがきついみたいですよね。休薬したりしながら続けているみたいですけど…」と言うと、「よく調べてますね!」と感心された。
実際こちらでもそのようで、副作用に耐えられなくなれば休薬する。すると2日くらいで回復し、また薬を続けては休薬と、ごまかしごまかし続けている状態らしい。
「前にあんなに(新薬を)勧めておいた僕が言うのもなんですけど、やるほどではないかなと思ってます」と主治医。
その言い方に、私も夫も思わず笑ってしまった。
かといって、抗がん剤のAP療法のほうがマシかといえば、これはこれで心毒性や腎毒性が強く、新薬とはまた違ったきつい副作用が出る。
子宮体がんの治療法は本当に少なくて、あとはあまり効果が期待できないドキタキセルを単剤で使うくらいだ。
どれもまだ選べない。
そうやって一通り確認し合った結果、まだ治療はせずに様子を見ましょう、ということになった。
「経過観察」といえば聞こえがいいが、決してポジティブな要素はない。
どちらかといえば「打つ手なし」ゆえの「様子見」なのだ。
もう治ることはない。延命しかない。それなら体調がそこまで悪くない今、効果があるかわからない新薬や抗がん剤をやって副作用に苦しむ生活を送るより、ギリギリまで様子を見ましょう、ということだ。
幸い、私のガンは進行が遅い。
主治医もそれで治療を無理には進めないのだ。
私の意思や私のQOL(生活の質)を尊重してくれるのは、本当にありがたい。
主治医が最後に言った。
「とりあえず、楽しく過ごしてくださいね」
悩んでも考えてもどうなるものでもないから。QOLを守るために治療しないと決めたなら、生活を楽しんでほしいと。
優しい人だなぁと思った。毎回、この主治医で本当によかったと思う。
次のCT検査は4か月後になった。
病院では「被爆」を最小限にしようという取り組みをやっているようで、少しでもCTによる被爆を抑えるため、3か月だったところ4か月になった。次は2月だ。
結果はあまり良いものではなかったが、私はどこかスッキリした気持ちで診察室を出た。
この気持ちをうまく表現することはできないのだが、決して悪い意味ではなく「降参した」のだと思う。
「あきらめた」というのとはまた違う。
やれることをやって、それでもガンが進行していくなら、それはもう私の運命なんだ。降参しようと思った。
でも、命がある限り、生きることをあきらめはしない。
今回、大きくなったガンもあったが、変化がないものもあった。いろいろ頑張っているから、その成果は出ているんだと思う。
もうすでに奇跡は起きているのかもしれない。
自然退縮なんて大きなことは望まず、次回は1㎜も大きくなっていないように、少しでも進行を抑えられるように、また4カ月頑張ればいい。そうすればまだ治療せずに、QOLを下げずに生きられる。
そうしていつか耐えられないほど進行したら、今度は治療を頑張ってみよう。QOLは下がるけど、そこからまた何年か生きられるだろう。
医学は常に進歩しているから、3年後、5年後まで生きていたら、また新しい治療法が見つかるかもしれないし、新薬の上手な使い方も確立されているかもしれないし。
それにしても、「新薬は副作用がきついけど、効果はある」というふれこみがあったから、あとは自分が使用するかどうかの勇気だけだと思っていたのだけど、あまり効果が出ていないというのはショックだった。
ネット上では「ガンが消えた」「マーカーの数値が下がった」という人もいるので、抗がん剤と同じで「効く人には効く」ということなのだろう。
それよりもまだ使用している例が少なく、期間も短すぎるので、「上手な使い方」が確立されていないことに不安を感じる。
どんな副作用が出て、それに対してどういう処方をしていくのかというデータが少なすぎるのだ。
私はもう少し様子を見させてもらおう。これから実用例の数が増えていけば、私が使用したいと思った時にはもっと上手に副作用と付き合いながら使用できるようになっているかもしれない。
とりあえず、体調は良くなってきているし、心も元気だ。
毎日生きていることに感謝して、とにかく楽しんで生きよう。もう私は「楽しいことしかしない」と決めたのだから。