もう一度元気になる日が来るなんて、この半年は思い描くことすらできずにいた。
体が自分の意志でちゃんと動いたり、空腹感とは関係なしに「何かを食べたい」という欲求がわいたり、明日はもっと元気になっていると信じたり、そんなことが想像すらできないほど弱っていた。
毎日こんなにも苦しく辛く、泣いてばかりいたのに、人に会うと、なぜか「元気そう」と言われる。
酵素風呂のオーナーにも「いつも元気やね」と言われる。電車の中でも駅からの道のりも、ふらふらになりながら重い足を引きずるようにして辿り着いているのに。
そうか、元気に見えるのならよかった、と思う気持ちと同時に、何かモヤモヤした気持ちも湧き上がるのはなぜなんだろう。
思えば昔からそうだ。
「今日私元気ないな」と自分で思っていても、誰からも指摘されず、ついには自分から「ねぇねぇ、今日の私って、ちょっと元気ないと思わへん?」と聞いてしまうようなことがあった。(もちろん相手にされない)
どうしても人からそうは見えないようなのだ。なぜなんだろう。
それなのに、私は次女の「甘えた根性」がいつまでも消えず、いつだって「誰かに心配されたい」と思う、筋金入りのかまってちゃんなのだ。
しかし、もうそんなこともモヤモヤ考えずに済みそうだ。
というのは、本当に元気になったからだ。
この10日ほどの急激な回復力ときたら、自分でもびっくりするほどだ。
おそらく一番調子が悪かったのは、5月、6月で、7月に入ってから仕事が一段落して時間ができ、瞑想の先生とお話したり、胃腸の検査をしたり、自分のケアだけに集中できたことで、少しずつ体調は回復していた。
さらにこの10日間でメキメキと本来の自分に戻っていくのを実感している。
まず、食欲が出た。
以前から「空腹感」はあったのだが、何かを食べたいという欲望がほとんどなくなっていた。だから、料理もあまりしたくなかったし、人と食事にも行きたくなかった。
それが再びあの食欲がやってきたのだ。あれが食べたい、これが食べたいと。
この週末にキャンプに行った時も、久しぶりに私は「あれ作るわ」と自分から計画し、材料を揃え、準備をしていった。そして、キャンプ場でもテキパキと動き、おいしいキャンプ飯を夫にふるまった。
先月はキャンプに行っても何も料理をする気になれず、夫が焼いたバーベキューをほんの数口かじっただけだったのに。
私の変わりように、夫は目を丸くして本当に驚き、泣くほど喜んでいた。
同時に、お酒がおいしくなった。
もう私は二度とお酒をおいしいと思えないんじゃないかと心配していたが、ビールを飲んで「おいしい!」、日本酒を飲んで「おいしい!」と思えるようになった。
まだ量はそんなに飲めないが、おいしいと思えることが幸せで仕方がない。
それから、テキパキと動けるようになった。
キャンプでもそうだが、家でも同じく、家事や仕事ができるようになった。
体が弱ると「家が汚くなる」。掃除ができないからだ。もちろん掃除機くらいはかけるし、最低限のことはやるが、細かなところまではできない。目に入っていても見ないふりをしてしまう。
それが、ようやく目に入ったものを片付けられるようになった。
「めっちゃ元気になったな。活動量が全然違う」と夫が嬉しそうに言う。
私も嬉しい。
まだまだ、本来の私が10とすれば、6くらいだが、この間まで0.1くらいだったことを考えれば、ものすごい変化だ。
ぐったりとソファで寝転んでいるだけの時間が随分減った。
元気になったのは、お腹が痛い時間がかなり減ったからだ。
まだゼロにはならないが、毎日毎日痛かったことを思えば、随分と楽になった。
おかげで、夜中の3時くらいまではなんとか熟睡できるようになった。気持ちも明るくなった。良い循環に入っている。
どうして、いつから急に良くなったんだろうかと考えてみたら、それはきっと「あの時」だと思える。
がんを治してどうしたいのか、どうやって生きたいのか、本来の自分はどんな人間で、何をしていたら幸せなのか。
それを人前で口にしたことがあった。口にすると涙が出た。
でも、思い返してみると、あの時からすーっとお腹の痛みがなくなっていったんだった。
本来の私は、外へ向かう人間じゃない。自分の内へ内へと入るのが好きな人間だ。
好きなのは、家事と読書と手芸とモノを書くこと。そして、美しいものに囲まれること。自然の中にいること。木々や花や風と会話しながら生きることだ。
自然を愛で、言葉を紡ぎ、時々お茶を点てる。
そんな静謐な暮らしが、私の求めるもの。
この間、実家に行った時、母に告げた。
「お母さんが私に呪いをかけたんだよ。自分は自立できなかったから、離婚もできずに我慢する人生だった。だから、かおりはそうならないでほしい。手に職をつけて一人で生きられるようにしておきなさいと。そうやって私に呪いをかけたから、私はずっと頑張らないといけなかったんだよ」
母はきょとんとして、笑ってこう言った。
「じゃあ、今日呪いを解いてあげるわ。もうそんなこと考えなくていいから。でもね、仕事するのが楽しそうだったからよ。もしかおりが辛い想いしながら働いてるんだったら、そんなこと言わなかった」
30年にわたって私を捕らえてきた呪いが解けた瞬間だった。
それから、2つ仕事を辞めた。
どちらも10年以上お世話になって来た取引先だったが、業務委託契約を解約させてもらった。
これでレギュラーでの仕事は、日本酒の雑誌とメーカーのWEB系のライティングだけになった。
あとは単発での仕事が来た時、自分が本当にやりたいものかどうかを考えて、受けるか決める。
お世話になっているからとか、お金になるからとか、そういうことでは動かない。
これだと月20万円も稼げなくなるだろうが、もういいんだ。
家のローンも終わったし、欲しいものも特にない。もう十分すぎるほど何でも持っている。飲みに行くこともほとんどなくなったから、飲み代もそれほどいらないし。
社会保障費と携帯代、最低限の家計に入れるお金と、自分の治療・ケア費、ほんの少しのお小遣い。それくらいなら何とかなるだろう。
それに、代わりに時間はたくさんできるのだから。
少しずつ、がんが私に贈ってくれたメッセージを解読している。
そして、言葉にし、行動している。
不思議なもので、そうするとどんどん元気になってきた。
体と心と魂と、この3つの声を聞かない限り、本当の意味での恢復などありえないことを私は知っている。
今はただ、体に良いことをし、静謐な暮らしを望みながら、毎日を生きている。
体が自分の意志でちゃんと動いたり、空腹感とは関係なしに「何かを食べたい」という欲求がわいたり、明日はもっと元気になっていると信じたり、そんなことが想像すらできないほど弱っていた。
毎日こんなにも苦しく辛く、泣いてばかりいたのに、人に会うと、なぜか「元気そう」と言われる。
酵素風呂のオーナーにも「いつも元気やね」と言われる。電車の中でも駅からの道のりも、ふらふらになりながら重い足を引きずるようにして辿り着いているのに。
そうか、元気に見えるのならよかった、と思う気持ちと同時に、何かモヤモヤした気持ちも湧き上がるのはなぜなんだろう。
思えば昔からそうだ。
「今日私元気ないな」と自分で思っていても、誰からも指摘されず、ついには自分から「ねぇねぇ、今日の私って、ちょっと元気ないと思わへん?」と聞いてしまうようなことがあった。(もちろん相手にされない)
どうしても人からそうは見えないようなのだ。なぜなんだろう。
それなのに、私は次女の「甘えた根性」がいつまでも消えず、いつだって「誰かに心配されたい」と思う、筋金入りのかまってちゃんなのだ。
しかし、もうそんなこともモヤモヤ考えずに済みそうだ。
というのは、本当に元気になったからだ。
この10日ほどの急激な回復力ときたら、自分でもびっくりするほどだ。
おそらく一番調子が悪かったのは、5月、6月で、7月に入ってから仕事が一段落して時間ができ、瞑想の先生とお話したり、胃腸の検査をしたり、自分のケアだけに集中できたことで、少しずつ体調は回復していた。
さらにこの10日間でメキメキと本来の自分に戻っていくのを実感している。
まず、食欲が出た。
以前から「空腹感」はあったのだが、何かを食べたいという欲望がほとんどなくなっていた。だから、料理もあまりしたくなかったし、人と食事にも行きたくなかった。
それが再びあの食欲がやってきたのだ。あれが食べたい、これが食べたいと。
この週末にキャンプに行った時も、久しぶりに私は「あれ作るわ」と自分から計画し、材料を揃え、準備をしていった。そして、キャンプ場でもテキパキと動き、おいしいキャンプ飯を夫にふるまった。
先月はキャンプに行っても何も料理をする気になれず、夫が焼いたバーベキューをほんの数口かじっただけだったのに。
私の変わりように、夫は目を丸くして本当に驚き、泣くほど喜んでいた。
同時に、お酒がおいしくなった。
もう私は二度とお酒をおいしいと思えないんじゃないかと心配していたが、ビールを飲んで「おいしい!」、日本酒を飲んで「おいしい!」と思えるようになった。
まだ量はそんなに飲めないが、おいしいと思えることが幸せで仕方がない。
それから、テキパキと動けるようになった。
キャンプでもそうだが、家でも同じく、家事や仕事ができるようになった。
体が弱ると「家が汚くなる」。掃除ができないからだ。もちろん掃除機くらいはかけるし、最低限のことはやるが、細かなところまではできない。目に入っていても見ないふりをしてしまう。
それが、ようやく目に入ったものを片付けられるようになった。
「めっちゃ元気になったな。活動量が全然違う」と夫が嬉しそうに言う。
私も嬉しい。
まだまだ、本来の私が10とすれば、6くらいだが、この間まで0.1くらいだったことを考えれば、ものすごい変化だ。
ぐったりとソファで寝転んでいるだけの時間が随分減った。
元気になったのは、お腹が痛い時間がかなり減ったからだ。
まだゼロにはならないが、毎日毎日痛かったことを思えば、随分と楽になった。
おかげで、夜中の3時くらいまではなんとか熟睡できるようになった。気持ちも明るくなった。良い循環に入っている。
どうして、いつから急に良くなったんだろうかと考えてみたら、それはきっと「あの時」だと思える。
がんを治してどうしたいのか、どうやって生きたいのか、本来の自分はどんな人間で、何をしていたら幸せなのか。
それを人前で口にしたことがあった。口にすると涙が出た。
でも、思い返してみると、あの時からすーっとお腹の痛みがなくなっていったんだった。
本来の私は、外へ向かう人間じゃない。自分の内へ内へと入るのが好きな人間だ。
好きなのは、家事と読書と手芸とモノを書くこと。そして、美しいものに囲まれること。自然の中にいること。木々や花や風と会話しながら生きることだ。
自然を愛で、言葉を紡ぎ、時々お茶を点てる。
そんな静謐な暮らしが、私の求めるもの。
この間、実家に行った時、母に告げた。
「お母さんが私に呪いをかけたんだよ。自分は自立できなかったから、離婚もできずに我慢する人生だった。だから、かおりはそうならないでほしい。手に職をつけて一人で生きられるようにしておきなさいと。そうやって私に呪いをかけたから、私はずっと頑張らないといけなかったんだよ」
母はきょとんとして、笑ってこう言った。
「じゃあ、今日呪いを解いてあげるわ。もうそんなこと考えなくていいから。でもね、仕事するのが楽しそうだったからよ。もしかおりが辛い想いしながら働いてるんだったら、そんなこと言わなかった」
30年にわたって私を捕らえてきた呪いが解けた瞬間だった。
それから、2つ仕事を辞めた。
どちらも10年以上お世話になって来た取引先だったが、業務委託契約を解約させてもらった。
これでレギュラーでの仕事は、日本酒の雑誌とメーカーのWEB系のライティングだけになった。
あとは単発での仕事が来た時、自分が本当にやりたいものかどうかを考えて、受けるか決める。
お世話になっているからとか、お金になるからとか、そういうことでは動かない。
これだと月20万円も稼げなくなるだろうが、もういいんだ。
家のローンも終わったし、欲しいものも特にない。もう十分すぎるほど何でも持っている。飲みに行くこともほとんどなくなったから、飲み代もそれほどいらないし。
社会保障費と携帯代、最低限の家計に入れるお金と、自分の治療・ケア費、ほんの少しのお小遣い。それくらいなら何とかなるだろう。
それに、代わりに時間はたくさんできるのだから。
少しずつ、がんが私に贈ってくれたメッセージを解読している。
そして、言葉にし、行動している。
不思議なもので、そうするとどんどん元気になってきた。
体と心と魂と、この3つの声を聞かない限り、本当の意味での恢復などありえないことを私は知っている。
今はただ、体に良いことをし、静謐な暮らしを望みながら、毎日を生きている。
既に“奇跡の人”になっていますね😊
お仕事を2つ降りられた英断も、素晴らしいと思います。
根を詰め過ぎず、かおりさんのペースで、これからも旦那様とともに、かけがえのない日々をお過ごしくださいね。
レスが遅くなってすみません!
せっかく元気になったことを喜んでくださったのに、このブログを書いた後から急にひどい腹痛が襲ってきて・・・
丸4日間ほど苦しみました。この間はほぼ何もできず・・・
昨日の晩から今度は急に治って、今朝も元気に起きられました。
元通りとはいかないし、また腹痛には悩まされることがありそうですが、なんとか頑張っていきます。
いつもありがとうございます!
最新記事も読ませて頂きました。
ご主人がおっしゃるとおりだと思います。
記事を読むこととコメントすることしかできませんが、これからも記事、読ませて頂きます。
とはいえ、くれぐれも無理はなさいませんよう、体調最優先になさってくださいね。
数日ブログ見ておらず、返信遅くなりすみません。
痛みがある日とまったくない日があるのが不思議なんですよね・・・
でもそれ以外は元気になっています。
いつもコメントありがとうございます。勇気づけられます^^