東京国立西洋美術館で「パルマ展」を観た。
イタリア・ルネサンスと言えばフィレンツェだけれど、16世紀になるとミラノに程近いパルマでもコレッジョやパルミジャニーノを始めとする素晴らしい画家たちを輩出する。「ペルジーノ展」ではウンブリア派の画家たちを知ったが、「パルマ展」もパルマ派の優れた画家たちを知る得がたい機会となった。観ていても、主催側のパルマ派の全容を伝えたいという熱気が伝わって来て、久々に興奮を覚えてしまった(^^ゞ
展示構成は、Ⅰ)15世紀から16世紀のパルマ Ⅱ)コレッジョとパルミジャニーノの季節 Ⅲ)ファルネーゼ家の公爵たち Ⅳ)聖と俗の絵画―「マニエーラ」の勝利 Ⅴ)バロックへ Ⅵ)素描および版画
オープニングは写本やマヨリカ焼きのタイルから始まり、15世紀から16世紀にかけてのパルマ芸術の動向を窺う。パルミジャニーノの父フィリッポ・マッツォーラ作品などもあり、当時のパルマではヴェネツィア派の影響を多く受けていることがわかる。
中でもチーマ・ダ・コネリアーノ《眠れるエンデュミオン》は小品ながら魅力的だ。ディアーナを象徴する三日月が天上からエンデュミオンの元へと降りてくる表現など、なにやら牧歌的でもあり微笑ましい。それに背景の緻密な描写がフランドル風で、チーマがジョヴァンニ・ベッリーニに学んだことが了解される。私的にはちょっとジョルジョーネ風な味付けも感じられたのだが…。
さて、実は今回の「パルマ展」に対して注目していたこと(勉強したかったこと)が3点あった。①コレッジョとアンニバレ・カラッチ、②コレッジョとパルミジャニーノ、③ファルネーゼ・コレクションとカポディモンテ美術館。ところが、展覧会を観て、更にバロック期のパルマにおけるCARAVAGGIOの影響の大きさも知ることになった。できたら4回に分けて感想を書きたいと思っているのだが…果たして書けるだろうか?(^^;;;;;
ということで、さっそく①から始める(^^ゞ
ミラノからローマに向かう列車に乗ると、パルマ、ボローニャ、フィレンツェへと下って行く。
実は、去年ボローニャで「アンニバレ・カラッチ展」を観て以来、アンニバレ・カラッチ(1560~1609)がかなり気になる存在になった。有名なローマのファルネーゼ宮の天井画は未見なので別として、初期の荒削りではあるが、ありのままの人間を描こうとする自然主義的な描写に強く惹かれたのだ。それはCARAVAGGIOに通じる世界である。「カラッチ展」を観ながら、この二人がバロックを切り開いて行く共通項と言うべきものに触れた思いがし、なんだか身震いするほどの感動をもらってしまった。
《豆を食べる男》(1580~90)コロンナ美術館(ローマ) 《飲む少年》(チューリッヒ・Galerie Nathan)
しかし、アンニバレの作風は段々と洗練された古典主義に傾いて行く。
ボローニャの展覧会でも展示されており、今回ロンドンのクイーンズ・ギャラリーで再会した《真実と時の寓意》(1584~85)。結構気に入っている(^^ゞ
「アンニバレ・カラッチ展」によればコレッジョの影響を受けたとのことだった。ところが、美術ド素人の私はコレッジョについて多くを知らない。欧州の美術館巡りで確かに作品を散見しているのだが、神話画と宗教画では印象が全然違って全体像が見えていなかった。今回の「パルマ展」はコレッジョ勉強をするとともに、カラッチ一族、特にアンニバレ・カラッチとの影響関係を探る上で願ってもない機会となった。
さて、このパルマ派を代表するコレッジョ(1489頃~1534)だが、本名はアントーニオ・アッレーグリ。パルマに程近いレッジョ・エミリア近郊の小村コレッジョ出身であることから「コレッジョ」と呼ばれる。初期時代はマンテーニャやロレンツォ・コスタ、ラファエッロやレオナルド、ジョルジョーネやロットの影響を受けているようだ。ある意味で、フィレンツェ・ルネサンスの果実を受け取り、ロンバルディアの自然主義と光、ヴェネツェア派の色彩を取り込み、今回の展示にも観られた優美さと情愛に満ちた作品を描いて行った…と言えるかもしれないね。
今回の展覧会で特にうっとりと眺めたのは《幼児キリストを礼拝する聖母》(1525~26)。
前景の幼子から発する光が礼拝する聖母を照らし出し、柱に映る。聖母の愛らしく優しげな表情と祝福を与える幼子のちっちゃな手、母と子のお互いの手の表現が呼応しているかのようだ。この静かで親密な場面は観る者を惹きこむ魅力に満ちている。
しみじみ観ると、場面を包む光の効果が大きいことがわかる。幼子の光に呼応するように、光景の薄明るい空の光が奥行きを与えながら更に場面を包み込んでいるように思える。斜め構図の多いコレッジョにしてはかなり練った構図なのではないだろうか?
ロンドンのクイーンズ・ギャラリーで観たばかりのアンニバレ・カラッチ《聖母と眠るキリストと洗礼者聖ヨハネ》(1599~1600)
幼子に興味津々の洗礼者ヨハネが足に指を触れ、聖母に「し~っ、」と言われる(笑)。思わず微笑んでしまう三人の親密な情愛が伝わってくる作品だ。小さな洗礼者の巻き毛も可愛らしく、まさしくこれはコレッジョの影響じゃないかと思う。眠る幼子はどことなくラファエッロ風だけどね。
今回の「パルマ展」にはコレッジョの初期作品《東方三博士の礼拝》(1516~17)が展示されているが、はっきり言って凡庸な印象を否めない(すみません(^^;;;)。
しかし、1518年ごろにローマ滞在したと推測され、1519年のパルマ聖パオロ女子修道院(ベネディクト会)院長居室の天井画で衆目を集めることになる。
ヴァティカンでラファエッロやミケランジェロのフレスコ画を観たのだろう、突如、作風にグランマニエラ(壮大様式)を獲得する。
まぁ、いくらなんでも天井画を日本に持ってくるなんてできない話だし、パルマ大聖堂や聖ジョヴァンニ・エバンジェリスタ聖堂天井画とともに、その成果はパルマに行って自分の眼で確かめるしか無いのだけれど(^^;;
ところで、実は展覧会を観た後で、西美主催の甲斐教行氏による講演会「コレッジョの世界―優美の規範」を聴講した(若桑みどり氏の講演会にはハズレてしまった!/ 号泣 )。
講演会の中で、甲斐氏はパルマ滞在中(1580年)のアンニバレ・カラッチが従兄のルドヴィーコに送ったとされる書簡二通を紹介された。アンニバレは手紙のなかでコレッジョを賛美している。
「ヴェネツィアにティツィアーノの作品を見に行かないうちは、私はまだ満足して死ねません。(中略)しかし私は〔コレッジョの純粋性を〕混淆できないし、そうしたくもないのです。私はこの純正さが、この清らかさが好きです。それは真実らしいのではなく真実そのものであり、人工的なところや無理強いされたところがない、自然なものです」(C.C.Malvasia, op. cit. I, p269)。
カラッチのコレッジョに惹かれた核となるものが「自然なもの」であることが私的にとっても腑に落ちた。
今回の「パルマ展」で展示されていたアンニバレ《キリストとカナンの女》(1594~95)もバロック的な明暗表現を感じるが、コレッジョの影響も見逃せない。
アンニバレ・カラッチ《キリストとカナンの女》(1594~95)
コレッジョ《ノリメタンゲレ》(1525)プラド美術館
更に、コレッジョ《キリスト哀悼》(1525)にもアンニバレへの影響を発見!なにしろ観ながら、あれっ?!と思ってしまったのだ。ロンドンのナショナル・ギャラリーで観たばかりのアンニバレ・カラッチ《キリスト哀悼》(1606)に構図なんかそっくり!要するにアンニバレがコレッジョの構図を翻案したのだね(^^;;;
コレッジョ《キリスト哀悼》(1525)
アンニバレ・カラッチ《キリスト哀悼》(1606)
図録によればコレッジョ《キリスト哀悼》に注ぐ光は「ロンバルディア的な光の表現」であるとし、ローマに向かうCARAVAGGIOがパルマに寄った可能性を示唆しているのだが….さて、果たしてどうだったのだろう? 確かにコレッジョの光はドレスデンで観た《キリストの降誕》でも実に印象的なのだ…。
と、今回もCARAVAGGIOがらみで締めることになったけど…一応、まだ続く予定である(^^;;;
イタリア・ルネサンスと言えばフィレンツェだけれど、16世紀になるとミラノに程近いパルマでもコレッジョやパルミジャニーノを始めとする素晴らしい画家たちを輩出する。「ペルジーノ展」ではウンブリア派の画家たちを知ったが、「パルマ展」もパルマ派の優れた画家たちを知る得がたい機会となった。観ていても、主催側のパルマ派の全容を伝えたいという熱気が伝わって来て、久々に興奮を覚えてしまった(^^ゞ
展示構成は、Ⅰ)15世紀から16世紀のパルマ Ⅱ)コレッジョとパルミジャニーノの季節 Ⅲ)ファルネーゼ家の公爵たち Ⅳ)聖と俗の絵画―「マニエーラ」の勝利 Ⅴ)バロックへ Ⅵ)素描および版画
オープニングは写本やマヨリカ焼きのタイルから始まり、15世紀から16世紀にかけてのパルマ芸術の動向を窺う。パルミジャニーノの父フィリッポ・マッツォーラ作品などもあり、当時のパルマではヴェネツィア派の影響を多く受けていることがわかる。
中でもチーマ・ダ・コネリアーノ《眠れるエンデュミオン》は小品ながら魅力的だ。ディアーナを象徴する三日月が天上からエンデュミオンの元へと降りてくる表現など、なにやら牧歌的でもあり微笑ましい。それに背景の緻密な描写がフランドル風で、チーマがジョヴァンニ・ベッリーニに学んだことが了解される。私的にはちょっとジョルジョーネ風な味付けも感じられたのだが…。
さて、実は今回の「パルマ展」に対して注目していたこと(勉強したかったこと)が3点あった。①コレッジョとアンニバレ・カラッチ、②コレッジョとパルミジャニーノ、③ファルネーゼ・コレクションとカポディモンテ美術館。ところが、展覧会を観て、更にバロック期のパルマにおけるCARAVAGGIOの影響の大きさも知ることになった。できたら4回に分けて感想を書きたいと思っているのだが…果たして書けるだろうか?(^^;;;;;
ということで、さっそく①から始める(^^ゞ
ミラノからローマに向かう列車に乗ると、パルマ、ボローニャ、フィレンツェへと下って行く。
実は、去年ボローニャで「アンニバレ・カラッチ展」を観て以来、アンニバレ・カラッチ(1560~1609)がかなり気になる存在になった。有名なローマのファルネーゼ宮の天井画は未見なので別として、初期の荒削りではあるが、ありのままの人間を描こうとする自然主義的な描写に強く惹かれたのだ。それはCARAVAGGIOに通じる世界である。「カラッチ展」を観ながら、この二人がバロックを切り開いて行く共通項と言うべきものに触れた思いがし、なんだか身震いするほどの感動をもらってしまった。
《豆を食べる男》(1580~90)コロンナ美術館(ローマ) 《飲む少年》(チューリッヒ・Galerie Nathan)
しかし、アンニバレの作風は段々と洗練された古典主義に傾いて行く。
ボローニャの展覧会でも展示されており、今回ロンドンのクイーンズ・ギャラリーで再会した《真実と時の寓意》(1584~85)。結構気に入っている(^^ゞ
「アンニバレ・カラッチ展」によればコレッジョの影響を受けたとのことだった。ところが、美術ド素人の私はコレッジョについて多くを知らない。欧州の美術館巡りで確かに作品を散見しているのだが、神話画と宗教画では印象が全然違って全体像が見えていなかった。今回の「パルマ展」はコレッジョ勉強をするとともに、カラッチ一族、特にアンニバレ・カラッチとの影響関係を探る上で願ってもない機会となった。
さて、このパルマ派を代表するコレッジョ(1489頃~1534)だが、本名はアントーニオ・アッレーグリ。パルマに程近いレッジョ・エミリア近郊の小村コレッジョ出身であることから「コレッジョ」と呼ばれる。初期時代はマンテーニャやロレンツォ・コスタ、ラファエッロやレオナルド、ジョルジョーネやロットの影響を受けているようだ。ある意味で、フィレンツェ・ルネサンスの果実を受け取り、ロンバルディアの自然主義と光、ヴェネツェア派の色彩を取り込み、今回の展示にも観られた優美さと情愛に満ちた作品を描いて行った…と言えるかもしれないね。
今回の展覧会で特にうっとりと眺めたのは《幼児キリストを礼拝する聖母》(1525~26)。
前景の幼子から発する光が礼拝する聖母を照らし出し、柱に映る。聖母の愛らしく優しげな表情と祝福を与える幼子のちっちゃな手、母と子のお互いの手の表現が呼応しているかのようだ。この静かで親密な場面は観る者を惹きこむ魅力に満ちている。
しみじみ観ると、場面を包む光の効果が大きいことがわかる。幼子の光に呼応するように、光景の薄明るい空の光が奥行きを与えながら更に場面を包み込んでいるように思える。斜め構図の多いコレッジョにしてはかなり練った構図なのではないだろうか?
ロンドンのクイーンズ・ギャラリーで観たばかりのアンニバレ・カラッチ《聖母と眠るキリストと洗礼者聖ヨハネ》(1599~1600)
幼子に興味津々の洗礼者ヨハネが足に指を触れ、聖母に「し~っ、」と言われる(笑)。思わず微笑んでしまう三人の親密な情愛が伝わってくる作品だ。小さな洗礼者の巻き毛も可愛らしく、まさしくこれはコレッジョの影響じゃないかと思う。眠る幼子はどことなくラファエッロ風だけどね。
今回の「パルマ展」にはコレッジョの初期作品《東方三博士の礼拝》(1516~17)が展示されているが、はっきり言って凡庸な印象を否めない(すみません(^^;;;)。
しかし、1518年ごろにローマ滞在したと推測され、1519年のパルマ聖パオロ女子修道院(ベネディクト会)院長居室の天井画で衆目を集めることになる。
ヴァティカンでラファエッロやミケランジェロのフレスコ画を観たのだろう、突如、作風にグランマニエラ(壮大様式)を獲得する。
まぁ、いくらなんでも天井画を日本に持ってくるなんてできない話だし、パルマ大聖堂や聖ジョヴァンニ・エバンジェリスタ聖堂天井画とともに、その成果はパルマに行って自分の眼で確かめるしか無いのだけれど(^^;;
ところで、実は展覧会を観た後で、西美主催の甲斐教行氏による講演会「コレッジョの世界―優美の規範」を聴講した(若桑みどり氏の講演会にはハズレてしまった!/ 号泣 )。
講演会の中で、甲斐氏はパルマ滞在中(1580年)のアンニバレ・カラッチが従兄のルドヴィーコに送ったとされる書簡二通を紹介された。アンニバレは手紙のなかでコレッジョを賛美している。
「ヴェネツィアにティツィアーノの作品を見に行かないうちは、私はまだ満足して死ねません。(中略)しかし私は〔コレッジョの純粋性を〕混淆できないし、そうしたくもないのです。私はこの純正さが、この清らかさが好きです。それは真実らしいのではなく真実そのものであり、人工的なところや無理強いされたところがない、自然なものです」(C.C.Malvasia, op. cit. I, p269)。
カラッチのコレッジョに惹かれた核となるものが「自然なもの」であることが私的にとっても腑に落ちた。
今回の「パルマ展」で展示されていたアンニバレ《キリストとカナンの女》(1594~95)もバロック的な明暗表現を感じるが、コレッジョの影響も見逃せない。
アンニバレ・カラッチ《キリストとカナンの女》(1594~95)
コレッジョ《ノリメタンゲレ》(1525)プラド美術館
更に、コレッジョ《キリスト哀悼》(1525)にもアンニバレへの影響を発見!なにしろ観ながら、あれっ?!と思ってしまったのだ。ロンドンのナショナル・ギャラリーで観たばかりのアンニバレ・カラッチ《キリスト哀悼》(1606)に構図なんかそっくり!要するにアンニバレがコレッジョの構図を翻案したのだね(^^;;;
コレッジョ《キリスト哀悼》(1525)
アンニバレ・カラッチ《キリスト哀悼》(1606)
図録によればコレッジョ《キリスト哀悼》に注ぐ光は「ロンバルディア的な光の表現」であるとし、ローマに向かうCARAVAGGIOがパルマに寄った可能性を示唆しているのだが….さて、果たしてどうだったのだろう? 確かにコレッジョの光はドレスデンで観た《キリストの降誕》でも実に印象的なのだ…。
と、今回もCARAVAGGIOがらみで締めることになったけど…一応、まだ続く予定である(^^;;;
あのロンドン資料はアンニバレ・カラッチが描いた肖像画をご覧いただきたいと思って持参したもので、マニエリスムの話につながるとは思ってもいなかったのですよ。
で、桂田さん、洗浄の件では早とちりですみませんでしたっ(^^;;;。講演会の話と桂田さんの話がごっちゃ混ぜになっておりました。アバウトな頭なので勘違いが多く面目ないです(大汗)。それから、同時展示されている作品と見比べてみることも大切なのだとわかりましたです(^^ゞ
パルミジャニーノはローマ掠奪から逃れボローニャにしばらく滞在しますが、その時期に結構素描や版画を描いているようです。ローマでラファエッロの再来と評判をとったようですから、ファンは多かったのでしょうね。
で、どうしてマニエリスムのヘタウマチックになったのだろうと考える時、桂田さんが指摘されていたマニエリスムの細長い人物像は天井画の仰角法から来ているのではないかというお話に納得でした。浮遊する構図はどうやらミケランジェロ「最後の審判」の影響のようですね。
先人を乗り越えようと新奇なものに走るのは芸術家の常ですが(CARAVAGGIOも?)、ちゃんと先人の技術もマスターしていることが前提だと思うのですよ。
>先人の視点や表現法のみならず社会的な背景、ひいては絵画表現の変遷を通して普遍的な世界観までを展望させてくれるいい展覧会だと思いました
本当に桂田さんのおっしゃる通りで、私的にも非常に勉強になる展覧会でした。研究や良い企画展には情熱の他に時間とお金がかかります。国立の博物館・美術館が独立行政法人になって苦慮している様子を知るにつけても、納税者として国に予算の使い道を物言いしたいくらいです。桂田さんとしても他人事ではないですよね。
それから、誤変換の件、了解です。
私など変換ミスやらなんやら、okiさんに添削されるくらいあり過ぎで...恥ずかし(^^;;;
「やはりルネサンス後に技術を習得したが形によって摸索された~」
の部分、
「やはりルネサンス後に技術を習得した画家たちによって摸索された~」
でした。
誤変換ですが、誤変換だと気づいてもらいにくく、なんとも意味が通らないような気がしましたので、訂正させていただきました。失礼しました。
ところで、私が洗い過ぎじゃないかと言っていましたコレッジョ作品は「東方三博士の礼拝」と「キリスト哀悼」です。「幼児キリスト~」の色の深みというかレンジの広さに比べると明らかに黒い部分の深みが足りなくて、黒に沈めればバランスもとれるところが浮いてしまっているのは、ニスと一緒に最上層を除去してしまったのではないか・・・という話をしていました。混乱させてしまっていましたら、あるいは私の言い間違いでしたらゴメンナサイ・・・。
パルミジャニーノの素描コレクターの存在は、知らなかったもので、その話を聞いた時にはなるほどと納得しました。表面的に作品を観ているだけでは到底気づかない所に気づかせてもらえて感謝感謝です! そう思うと、この展覧会、先人の視点や表現法のみならず社会的な背景、ひいては絵画表現の変遷を通して普遍的な世界観までを展望させてくれるいい展覧会だと思いました。しつこいようですが、ただの眼の保養の客寄せの見せ物はそれ相応のところでやってもらえばいいので、学芸員という研究者による研究成果の紹介という側面もあるこうした展覧会は、国立の美術館・博物館であればなんとしても維持してほしいと思います。そのためにも、独立法人化で国の支援を減らすなんてのはまったく愚行ですよね・・・あ、すみません、なんだか先日飲みながら話していた愚痴みたいになってしまいました・・・。
「パルマ展」のご感想を伺い、特にコレッジョ《幼児キリストを礼拝する聖母》の「洗浄し過ぎ」という鋭いご指摘には、さすが桂田画伯の監察眼だなぁ!唸ってしまいました。西美の講演会でもオーラが失せたとの話が出ていたので、気がつかなかった自分は残念ながらド素人眼で情けないです(^^ゞ
で、ロダンとカリエールは確かに斬新な視点での展覧会でしたね。日本発の企画展としてフランスでも形を変えて展示されたとか。一級のコレクションを観る喜びはもちろんですが、学芸員による専門性を生かした質の高い企画により、今まで知らなかった視点で新たな世界が開けたら嬉しいですね。
それから、マニエリスムは私もよくわからないのですよ(^^;;;。桂田さんのおっしゃる通り、ちょいヘタウマですよね(笑)。ただ、当時パルミジャニーノの素描コレクターが多かったほどですから、ルネサンス的技法はしっかりと身につけていたんだろうと思います。
コレッジョ(ルネサンス)~パルミジャニーノ(マニエリスム)~スケドーニや・ラフランコ(バロック)という図式が桂田さんのご感想通り、流れがよくわかるパルマ展でありパルマ派でした。私にとってもイタリア美術史を勉強できる貴重な展覧会でした。
このブログでのご感想を拝見してからだったので、かなり楽しめましたよ。直接お話もうかがえて大感謝です。ありがとうございました。
> 絵画には「観る楽しみ」だけでなく「知る楽しみ」もあるように思えます。私的には西美の企画展は「知る楽しみ」を教えてもらえるのであり難いです。
まさに! まったく同感です。私にも西美の企画力は見事だと思えます。ロダンとカリエールも、その洞察とアレンジが素晴らしかったですし。よくある呼び物だけの展示じゃ、ちょっと品のいい見世物小屋でしかありませんしねぇ。一級のコレクションとハイレベルな学芸員のいる美術館・博物館ならではの底力が感じられる展覧会こそもっと増えてほしいと思います。
ところで、私もマニエリスムはいまいち好きではなかった(というかよくわからなかった)のですけど、Juneさんにブロンヅィーノの女性像を見せていただいて目からウロコが落ちました。マニエリスムはヘタウマだ・・なんて言ってしまいお恥ずかしい限りです。パルミジャニーノの素描はなかなか見応えありましたし、やはりルネサンス後に技術を習得したが形によって摸索された一つの文化だったんでしょうね。中世~ルネサンスもとても面白いですが、ルネサンス~バロックもマニエリスムを挟む事で流れがクリアになって新たな面白さを発見できて、私個人には大変実りの多い展覧会でした。
頑張ります...いえ、頑張りたいです(^^;;;
で、この前の新日曜美術館の番組は再放送なんですよ。再放送のリクエストが多かったのでしょうか??
ところで、luntaさんは「パルマ展」をご覧になりましたか?
暑い日が続きますよねぇ。いづつやさんのブログで冷えた西瓜の絵では、とっても楽しませていただきましたです(^^ゞ
さて、いづつやさん、パルマ展をパスされるなんてもったいないですよ~。おっしゃる通り、確かにコレッジョやパルミジャニーノの優品の多くはパルマから流出していますが、それでもパルマ派の全容(ルネサンス~マニエリスム~バロック)を知ることのできる滅多にないチャンスだと思います。パルマのバロックも面白いですよ!ランフランコはCARAVAGGIOの影響を受けていますし(^^ゞ
いづつやさんの「絵に感動したい」というお気持ちも本当に良くわかるのですよ。確かにそのために美術館巡りをしているのですしね。でも、美術史を知ると、一層絵が面白く観られるというのも事実ですし、絵画には「観る楽しみ」だけでなく「知る楽しみ」もあるように思えます。私的には西美の企画展は「知る楽しみ」を教えてもらえるのであり難いです。
今回の展覧会で、CARAVAGGIOもミラノからローマに向かう途中でパルマ派の作品を観て、そのなかから吸収したものがあるのではないかと思うものがありましたし、カラッチへの影響も理解することができました。自分の好きな画家への影響を考えながら展覧会を観るのも楽しいものです(^^ゞ
ところで、いづつやさんはマニエリスムがあまりお好きではなかったのですね(^^;;
例えば、不気味なまなざしの幼児が登場するブロンツィーノですが、拙ブログで紹介したクイーンズギャラリー「イタリア絵画・素描展」のポスター左の「女性像」は意外にもブロンツィーノなのですよ。
http://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/64729fa668314fc26573c9ff680ad9f8
ついでにカタログ表紙も紹介(^^;;
http://www.amazon.co.jp/Italian-Paintings-Drawings-Royal-Collection/dp/185759486X
こんな写実的で素敵な肖像像画を描く画家が何故あんな不気味な絵を描くのか不思議だし、興味深かったです。私もルネサンスやバロックの方が断然好きですが、案外マニエリスムって面白いのかもと思うようになりました(^^;;;
で、花耀亭さまのパルマ展第2段はいつ?(とつい催促)。
パルマ展の情報を入手したときは期待が大きかったのですが、出品作がチラシやポスターで明らかになるにつれ、急に関心が薄くなり、行かないことにしました。
パルミジャニーノのウイーンの美術史美術館やドレスデン美、ウフィツィ美にある傑作とか、それに近いのが1点でも展示されれば足を運ぶ気になったのですが、チラシを見る限り、マニアリスム度の強い作品ばかりで、みたいと思うのがありません。
今回の見所はだぶん、コレッジョでしょうが、“幼児キリスト”は昨年ウフィツィでみましたし、“ノリメタンゲレ”はプラドでみてきたばかりですから、新鮮味がありません。パルマの教会にある天井画はいつかみたいと願ってますが、コレッジョの宗教画への思い入れはラファエロやカラヴァッジョに較べるとワンランク下がります。
“ルネサンスとバロックの橋渡しをしたパルマ派”に東博の学芸員は光を当てたいのでしょうが、美術史家ではないですから橋渡しの絵にそれほど興味はありません。ダビンチ、ラファエロ、ティツィアーノ、マンテーニャからすぐカラヴァッジョ、カラッチでいいです。パルマ展よりカラッチ展をやってもらいたかったです。
正直言って東博の企画力は評価してないのです。マチスとかラ・トゥールとかいいのもあるのですが、ロダンとカリエールとか昨年のベルギー王立美とか学芸員のひとりよがりな展覧会が目につき、ダメなイメージのほうが強いです。
今回も学芸員の啓蒙意識が強すぎるのではないかと思ってます。マニエリスムのあの不気味なまなざしの幼児をみて心が癒される人はそんなにいないのではないでしょうか?美術史を理解するために行っているのではなく、絵に感動するために美術館へ足を運んでいることが東博の人はよくわかってないではないかと思ってしまいます。
私もコレッジョについて、この展覧会で初めて全貌を知ることになりました。いつもながら美術ド素人は好き勝手な見方をしてしまって、お恥ずかしい限りです。結構恣意的に並べ立ててしまったかもです(^^;;;
コレッジョも当時の様々な画家たちの影響を受けて作風を確立していった訳ですが、その影響を受けてパルミジャニーノのマニエリスムやカラッチのバロックまで(CARAVAGGIOも?)、いやフランスロココまで通じるものがあることを知り、やはり先人たちへのリスペクトを踏まえてこそ新しいものが生まれるのだなぁと、つくづく感じてしまいました。
今回の「パルマ展」ですが、本当にぜひ機会があったら桂田さんにもご覧いただきたい展覧会です。私の方こそ桂田さんの鋭い視点でのご感想を拝聴したいのですよ!
コレッジョは非常に興味深い画家ですね。私もあまり詳しく知らず、レオナルドあたりの盛期ルネサンスの延長にいる画家みたいな形でぼんやりと知った気になっていたのですけど、なるほどカラッチから遡ってアプローチすると、このバロックの基礎をつくった表現者たちは、より近代的な価値観・写実主義的な視点を定着させていった時代の申し子だったのかな・・・と気づかせてくれますね。
「ある意味で、フィレンツェ・ルネサンスの果実を受け取り、ロンバルディアの自然主義と光、ヴェネツェア派の色彩を取り込み・・・」のところは実物を観てはいないながらも、はげしく頷きました。で、示されたカラッチとコレッジョの共通性の説得力にまたまた唸ってしまいましたよ。こうきたから次はいよいよカラヴァッジョだな・・と思いながら拝見していましたら、なんとここですでに触れられていますね。次が楽しみでなりません。楽しみにしております。
で、このパルマ展、地方巡回しないんですよね・・・。うう、観に行きたい・・・。
Cojicoさんの鋭いご指摘に冷や汗をかいております(^^;;;。どうも自分の興味のあるところから見てしまうのですよね(反省)。ルネサンスからみたコレッジョ、②でもう一度勉強し取り上げてみます(汗)
で、Cojicoさんも「パルマ展」をご覧になったのですね!ご感想を楽しみにしておりますよ~☆
でも、Cojicoさんのフランスの教会シリーズも佳境に入っていますし...私もとても興味深く(いつか訪ねてみたいです!)拝読しておりますが、こちらもよろしくでございます(^_-)-☆
コレッジョとカラッチのお話、大変勉強になりました。ありがとうございます。
アンニバレ・カラッチの初期の作品も、人間の何気ない仕草を必死に描こうとする姿勢に好感をもてますし、後の作品は古典的な美しさを持っていて惹かれます。
花耀亭さんの、カラッチを知った上で彼へ影響を及ぼしたコレッジョの作品を見る視点は、ルネッサンスからコレッジョを見た視点と方向が異なるので、非常に面白かったです。
②も③もさらに④も楽しみにしております。
私もパルマ展に行ったのですが、今は頭がフランスの方へ向いているため、なんだかぼーっと見てしまいました。先日、西洋美術館のロビーに行き、売店を覗き込みましたら、見た記憶の無い絵葉書もありました。もう一度行かなければ感想、書けそうにありません。シュン・・・