花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

北イタリア旅行記(2)

2005-11-16 02:17:17 | 海外旅行
2日目<ヴェネツィア>

ヴェネツィアは今度で5度目になる。当時は絵画にそれほど興味を持っていなかったので、ドゥカーレ宮殿もアカデミア美術館もサックリとしか観ていなかった。アカデミア美術館はその時もティツィアーノの絶筆がお目当てだったのに、画面が暗い印象でなんだか良くわからず帰ってきたという、今から想えば実にもったいないことをしている(^^;;;
今回はヴェネツィア派を観るのだという目的があるので気合も入る。時差ぼけ含みの寝不足ではあるものの朝早く目が覚めた。ホテルはアカデミア美術館にほど近い。薄曇の冷気を吸いながらアカデミア橋を渡っても10分もかからずに着いてしまった。開館したばかりの朝8時35分、館内はまだ団体客も来ておらず空いていた。チケットは3美術館(アカデミア・フランケッティ・ペーザロ)共通チケットを購入。受付で音声ガイドを勧められる。何と日本語版もあるのだ!


◆ アカデミア(アッカデーミア)美術館 (Gallerie dell’Accademia ,Venezia)

私は正規の美術史の勉強をしたこともなく、まじめに調べるタイプでもないので、大抵は美術館で実物を観ながら感じたままを自分のものとしている。なので、ヴェネツィア派についてもこのアカデミア美術館でその概要を知ったような気がする。
塩野七生さんの「海の都の物語」を読むと、当時ヴェネツィアが海洋貿易大国として地中海世界の覇権を握り、強力な海運国家として隆盛を誇っていたことがわかる。アカデミアでヴェネツィア絵画を観ていても、コンスタンチノープルのビザンチ文化、ギリシア文化、イスラム文化からの影響を感じずにはおれない。更には北方フランドル絵画やデューラー等のドイツ絵画まで、多様な影響を享受する文化的風土があったからこそ、ヴェネツィア派と呼ばれるフィレンツェとはまた違ったルネサンス絵画の隆盛を見たのだと思う。ヴィヴァリーニからベッリーニ一族…義兄弟となったマンテーニャの影響を受けたジョヴァンニ・ベッリーニの凄さ!それを継ぐジョルジョーネにティツィアーノ、ティントレットにヴェロネーゼ、カルパッチョにクリヴェッリ…名前を挙げていっても切りが無いほどだ。

さて、アカデミアと言えば有名なのがジョルジョーネの《テンペスタ(嵐)》だが、薄暗い展示室に《老婆》と一緒に柵の向うに(!)並んでいる。近寄って仔細に眺めたかったのにとても残念だった。さて、絵は確かに今にも嵐が来そうに暗雲が垂れ込め稲妻が走っている。しかし、赤ん坊を抱いたジプシー女(?)と棒を持った男は一体を意味するのかよくわからない。全体から受ける感じは《嵐》という題にしてはのどかな風情がある。ジョルジョーネの洗練された柔らかな筆致によるもののように思われる。もう少し照明が明るければジョルジョーネの色彩豊かな世界を堪能できたのに…(涙)

ところで、隣の《老婆》はヴァニタス的な「時と共に」と書いた紙を持っている。老婆の視線や人物写実にリアルな存在があり、やや開けた口元と自分を指す手は「あんたも直に私のように老いるのさ」と言っているように思える。面白いことにパノフスキーは「テッィツィアーノの諸問題」で、この絵をジョルジョーネ的ではなくティツィアーノ作ではないかと疑っている。しかし私的に思ったのだが、この老婆に在りし日の華やぎの影を一瞬想い浮かべさせる筆致はやはりジョルジョーネのものではないか…と(^^;;

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